「花戦さ」を観て、慈礼を知る

一条真也です。
13日、わが社の全国営業責任者会議が開催される沖縄に向かいます。
この日、「サンデー毎日」2017年6月25日号が発売されます。表紙の人物は、ブログ「昼顔」で紹介した映画に主演した女優の上戸彩さんです。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第84回目のタイトルは、「『花戦さ』を観て、慈礼を知る」です。


サンデー毎日」2017年6月25日号



映画「花戦さ」を公開初日に観ました。
狂言師野村萬斎華道家元・初代池坊専好を演じる時代劇です。歌舞伎役者の市川猿之助豊臣秀吉に扮した演技も素晴らしく、佐藤浩市千利休もなかなかでした。もう、茶道も華道も歌舞伎も狂言もみんなクロスしまくって、「日本文化ここにあり!」みたいな映画です。



初めと終わりに、専好が戦場で横たわる死者たちのために花を立てる場面が出てきます。かつて戦国の世に、武将たちは僧侶とともに茶の湯と立花の専門家を戦場に連れて行きました。戦の後、死者を弔う卒塔婆が立ち、また茶や花がたてられました。茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒やしたのです。



千利休池坊専好は意気投合し、交流を深めます。両者が互いに刺激を与え合い、学び合い、自らの道に活かしていく場面が興味深かったです。
秀吉に頑なに詫びを入れぬ利休に対し、専好が「上様に詫びを入れられればいいではないですか。これも『もてなし』だと思って、包み込むように詫びを入れればいいではないですか」と言うシーンがあります。



専好は、初めて利休の点てた茶を飲んだとき、何か大きな温かいものに包み込まれるような心境になったというのです。その言葉を聞いた利休は「わたしは、いつの間にか大事なことを忘れていたのかもしれないな」とつぶやいたのが印象的でした。「茶聖」とまで呼ばれた利休だが、名声を得るにつれ、茶道の根幹にある「もてなし」の精神を忘れてしまったのでしょうか。



秀吉に対する利休の態度は礼を失することはありませんでしたが、それは慇懃無礼なものであり、天下人は不快に感じたことでしょう。本当は、利休は秀吉の存在そのものを包み込むような茶を点てればよかったのです。そして、それには秀吉に対する慈しみの心を持つ必要がありました。
礼は形式主義に陥りやすいので、「慈しみによるもてなし」としての「慈礼」が大切ではないでしょうか。


サンデー毎日」2017年6月25日号の表紙



2017年6月13日 一条真也