人間は社会的動物である(アリストテレス)


いよいよ5月になりました。わたしの誕生月です。
誕生日を祝ったり、祝われたりするのは、人間が社会的存在だからです。
社会的存在といえば、「人間は社会的動物である」という言葉をよく耳にします。この言葉を述べたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスであると言われます。しかし、正確にはアリストテレスは著書『政治学』において、人間は「zoon politikon(ポリス的動物)である」と述べました。
「ポリス」とは、都市、都市国家、市民権または市民による政体を指すギリシャ語です。古代アテナイなど、古代ギリシャに関して使用される場合は、「都市国家」と訳されることが通常です。


政治学 (岩波文庫 青 604-5)

政治学 (岩波文庫 青 604-5)

アリストテレスが言ったのは、人間は、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(善く生きることを目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至るということでした。これは、他の動物には見られない人間に特有の独特の自然本性であると考えたのです。ですから、アリストテレスは、けっして「人間が社会を形成している」とか「社会生活を営む一個の社会的存在である」などと言ったのではなく、ましてや「人間は社会的動物である」と言ったなどとは完全な誤解であるという説があります。


隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

しかし、原点の表現を確認した上でなお、わたしは「人間は社会的動物である」と考え、そのことを『隣人の時代』(三五館)に書きました。同書は、「無縁社会」を乗り越えて「有縁社会」を再生するために書きましたが、2011年3月11日の「東日本大震災」の直後である14日に上梓されました。未曾有の大災害であった東日本大震災は、奇しくも『隣人の時代』で訴えた「人間は社会的動物である」という考えが正しいことを証明してくれました。



東日本大震災の発生直後から、多くの人々が隣人愛を発揮しました。
なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。
その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。
「隣人愛」は「相互扶助」につながります。「助け合い」ということですね。
わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略です。よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。
互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。


ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

チャールズ・ダーウインは1859年に『種の起源』を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。この本でダーウインは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下では、お互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。


〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

このダーウインの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』です。ダーウインの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」をクロポトキンが批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。



この本は、トーマス・ハクスレーの随筆に刺激を受けて書かれたそうです。ハクスレーは、自然は利己的な生物同士の非情な闘争の舞台であると論じていました。この理論は、マルサスホッブスマキアヴェリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくみます。それは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解です。
それに対し、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想の流れに沿う主張を展開しました。人間は高潔で博愛の精神を持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられるという考え方です。平たく言えば、ハクスレーは「性悪説」、クロポトキンは「性善説」ということになります。


ゲーテとの対話(全3冊セット) (岩波文庫)

ゲーテとの対話(全3冊セット) (岩波文庫)

『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てきます。
博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素としてつとに重要なものであることを認めていました。
1827年のことですが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねました。そして、エッカーマンが飼っていた2羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣の中でそのヒナと一緒に養われていたという話をしました。ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の「神の愛はいたるところに行き渡っている」という汎神論的思想がそれによって確証されたものと思いました。
「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行なわれていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」とゲーテは言いました。



クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達しました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べています。生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。
以上のように、クロポトキンは考えました。



クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。
彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。
「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。



アリストテレスの言葉と思われてきた「人間は社会的動物である」ですが、近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。これは、人間にとって、ごく当たり前の本能なのです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年5月1日 一条真也