渡部昇一先生 逝く

一条真也です。
東京に来ています。今日は午後から、会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の正副会長会議および理事会が開催されます。いま、わたしの心は大きな悲しみに包まれています。尊敬する渡部昇一先生がお亡くなりになられたのです。今朝、訃報を知りました。


産経新聞」2017年4月18日朝刊



産経新聞」の今朝の朝刊には「評論家の渡部昇一氏が死去 『知的生活の方法』」の見出しで以下のように書かれています。
「本紙正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。
昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、『英文法史』『英語学史』などの専門書を著した。
48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に『腐敗の時代』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された『知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。
57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が『侵略』を『進出』に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で『正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった』として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に『日本史から見た日本人』『ドイツ参謀本部』など。フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』など翻訳も多数手がけた」


産経新聞」2017年4月18日朝刊



また、同紙朝刊には「渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人」として以下のように書かれています。
産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。
もっとも有名な“事件”は『神聖喜劇』で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは『ナチスの優生思想』の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。
批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。
大ベストセラーとなった『知的生活の方法』も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。
また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた『紫禁城の黄昏』を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)」


渡部先生の書斎で、先生と


ブログ「渡部昇一先生」に書いたように、2014年の7月7日、わたしは心から尊敬する渡部昇一先生の御自宅を訪問し、謦咳に接する機会を得ました。「世界一」と呼ばれる書斎や書庫にもご案内いただき、まさに至福の時間でした。わたしは渡部先生の著書はほとんど読んでいるつもりですが、最初に読んだ本は大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)でした。この本を中学1年のときに読み、非常にショックを受けました。読書を中心とした知的生活を送ることこそが理想の人生であり、生涯を通じて少しでも多くの本を読み、できればいくつかの著書を上梓したいと強く願いました。


わがバイブルと、そのオマージュ



書斎にある『知的生活の方法』は、もう何十回も読んだためにボロボロになっています。表紙も破れたので、セロテープで補修しています。そう、この本は、わたしのバイブルなのです。わたしは『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という「読書」をテーマにした本を書きましたが、これは恩書である『知的生活の方法』へのオマージュだと思っています。この思い出の本に毛筆でサインをしていただきました。


渡部昇一先生と対談しました



その後、ブログ「渡部昇一先生と対談しました」で紹介したように、2014年8月14日、渡部先生と対談をさせていただきました。ついに長年の念願が叶った日でした。その対談内容は、『永遠の知的生活』(実業之日本社)として刊行されました。対談は5時間以上にも及びましたが、最後にわたしは書名にもなっている「永遠の知的生活」について語りました。わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。


長年の夢が叶った日でした



死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのではないでしょうか。モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は精神だけの存在になります。そのとき、生前に学んだ知識が生きてくるのです。
そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。
わたしがそのような考えを述べたところ、渡部先生は「それは、キリスト教の考え方にも通じますね」と言って下さいました。


さまざまなお話を拝聴しました



わたしは、読書した本から得た知識や感動は、死後も存続すると本気で思っています。人類の歴史の中で、ゲーテほど多くのことについて語り、またそれが後世に残されている人間はいないとされているそうですが、彼は年をとるとともに「死」や「死後の世界」を意識し、霊魂不滅の考えを語るようになりました。『ゲーテとの対話』では、著者のエッカーマンに対して次のように語っています。
「私にとって、霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくる。なぜなら、私が人生の終焉まで休みなく活動し、私の現在の精神がもはやもちこたえられないときには、自然は私に別の生存の形式を与えてくれるはずだから」(木原武一訳)


まことに幸せな時間でした



渡部先生は「キリスト教の研究家にこんなことを教えてもらいました。人間が復活するときは、最高の知性と最高の肉体をもって生まれ変わるということです」と言われました。わたしが「これらかもずっと読書を続けていけば、亡くなる寸前の知性が最高ということですね。そして、その最高の知性で生まれ変われるということですね」と言ったところ、先生は「そうです。それに25歳の肉体をもって生まれ変われますよ」と言われました。
これほど嬉しい言葉はありません。わたしは「それを信じてがんばります。まさに『安心立命』であります」と述べました。


渡部先生、ありがとうございました



わたしは、ゲーテと同じく理想の知的生活を実現された、おそらく唯一の日本人であろう渡部昇一先生に対して、エッカーマンのような心境でお話しを伺わせていただきました。当時の渡部先生は84歳でしたが、95歳まで読書を続け、学び続けると宣言されていました。渡部先生ほどの現代日本最高の賢者でも学ぶことをやめない。そのことに、わたしは猛烈に感動しました。そう、人は死ぬまで学び続けなければならないのです。わたしも、渡部先生に教えていただいたように、死ぬまで学び続けたいと思います。
最後に、渡部先生は天皇陛下のご譲位への対応などを検討する安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長・今井敬経団連名誉会長)のメンバーでした。「平成」という元号安岡正篤先生が考えられたそうですが、安岡先生亡き後に「現代の賢者」と呼ばれ続けた渡部先生には、ぜひ次の元号をお考えいただきたかったです。
「現代の賢者」にして偉大なる「知の巨人」であった渡部昇一先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。


永遠の知的生活』(実業之日本社



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月18日 一条真也