曹洞宗グリーフケア講演

一条真也です。
ブログ「曹洞宗フューネラル講演」で紹介した28日の講演終了後、10分間の休憩をはさんで第2部の「グリーフケアの時代」について話しました。
第1部で熱弁をふるい暑くなったので、上着を脱がせていただきました。


グリーフケアの時代

上着を脱いで話しました



まず、わたしは「ハートフル」という言葉について話しました。
ハートフル」は、わたしの考え方を集約する言葉です。
いま、日本中のさまざまな施設や組織やイベントのネーミングに使われています。北九州市のスローガンにもなりました。
じつは、わたしが四半世紀以上前に『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)という本を書き、初めて生み出した言葉です。言葉を生んだ張本人ということで、「ハートフルって何ですか?」とよく聞かれます。 


ハートフル」について

情報とは何か



現代は、いわゆる高度情報社会です。IT社会とも呼ばれます。
ITとはインフォメーション・テクノロジーの略ですが、重要なのはI(情報)であって、T(技術)ではありません。その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは過去のものです。情報社会の本当の主役はまだ現れていません。本当の主役、本当の情報とは何でしょうか。
情報の「情」とは、心の動きにほかなりません。本来の情報とは、心の動きを報せることなのです。だから真の情報社会とは、心の社会なのです。
そこで「ハートフル」が出てきます。「ハートフル」とは、思いやり、感謝、感動、癒(いや)し...あらゆる良い心の働きを表現する言葉です。それは仏教の「慈悲」、儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」などにも通じます。それは自らの心にあふれ、かつ、他人にも与えることのできるものなのです。


ハートフル」=「禮」

「禮」について語る



その「ハートフル」とは、じつは孔子が唱えた「礼」の同義語です。 
「礼」は儒教の神髄ともいえる思想です。それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかるでしょう。そもそも「礼(禮)」という字は、「示」と「豊」とから成っています。漢字の語源にはさまざまな説がありますが、「示」は「神」という意味で、「豊」は「酒を入れた器」という意味があるといいます。つまり、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。 
古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。
これが、すなわち「礼」の起源だと言われているのです。 
ところが、もうひとつ、「礼」には意味があります。ここが非常に重要です。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」だというのです。ということは、「礼」とは「心ゆたか」、つまり「ハートフル」ということになります。つまり、「儀式が人間の心をゆたかにする」ということではないでしょうか。


「釈迦に説法」ここに極まれり!



次に、わたしはブッダについて話しました。大勢の僧侶を前にしてブッダについて語るとは、「釈迦に説法」ここに極まれり!
釈尊」ことブッダは、「生老病死」を苦悩としました。
わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。でも、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。


講演のようす



それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。
ユダヤ教のラビでアメリカのグリーフ・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとに、わたしは次のようにアレンジしました。
 

親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。

 

それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くした人たちの会「月あかりの会」を発足させました。


愛する人を亡くした人へ・・・・・・



のこされた あなたへ』では、「葬儀ができなかったあなたへ」「遺体が見つからないあなたへ」「お墓がないあなたへ」「遺品がないあなたへ」「それでも気持ちのやり場がないあなたへ」と、具体的な「あなた」へのメッセージを綴り、最後に「別れの言葉は再会の約束」という文章を書きました。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、東日本大震災での地震津波原発事故のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。


のこされたあなたへ・・・・・・



この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。 あの地震津波原発事故にはどのような意味があったのでしょうか。 そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのでしょうか。 そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。
もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて『のこされた あなたへ』を書きました。


グリーフケアとは(1)

グリーフケアとは(2)



わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。
愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。


「ボランティア」から「グリーフケア」へ



1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。


グリーフケアとしての読書


それから、「グリーフケアとしての読書」についても話しました。
もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。
たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で紹介しました。


ハートフル・ファンタジー

物語こそが「死」の本質を語れる



わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。一度、関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、この物語には込められています。


葬式仏教はグリーフケア仏教だ!



それから、日本仏教の本質は「グリーフケア文化装置」だと述べました。
わたしは、「無縁社会」や「葬式は、要らない」などの言葉が登場した背景には、日本仏教界の制度疲労にも一因があるように感じると申し上げました。
よく「葬式仏教」とか「先祖供養仏教」とか言われますが、日本の仏教が葬儀と先祖供養によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求に応えてきたという歴史的事実を認めないわけにはいきません。


無縁社会から有縁社会

有縁社会の再生を!



一般庶民の宗教的欲求とは、自身の「死後の安心」であり、先祖をはじめとした「死者の供養」に尽きるでしょう。「葬式仏教」は、一種のグリーフケア文化装置でした。2011年の夏、東北の被災地は震災の犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要です。通夜、告別式、初七日、四十九日と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスでもあります。日本における最大のグリーフケア・システムと言ってもよいでしょう。多くの被災者の方々の悲しみも、大災害の発生から5ヵ月後に訪れた初盆で少しでも軽くなったのではないでしょうか。法要のたびに親戚が集まることによって、遺族に「亡き人のことを忘れてはいません」「残された家族のことをみんなで心にかけています」という思いを伝えているのです。まさに「こころ」の文化です。わたしは「僧侶のみなさまは、ぜひ世界に誇りうる『グリーフケア文化』としての日本仏教に誇りを持っていただきたいと思います」と述べて、講演を終えました。


1人目の質問を受ける

2人目の質問を受ける

3人目の質問を受ける

4人目の質問を受ける




講演後は、質疑応答の時間が設けられ、4人から質問をお受けしました。
グリーフケアを中心に考えると、葬儀は生者のためということになります。しかし、葬儀はまず死者のためのものであると思うが如何?」「生者が死者から支えられているとはどういうことか?」「あの世についてどう考えるか?」といったガチンコ質問から、「僧侶に期待することは何か?」「山口にはこういう無礼な葬祭業者がいるが、どう思うか?」といった非常に具体的な質問まで、4人の方がそれぞれ3つずつぐらい質問をされるので、膨大な質問の数となりました。こんな経験は初めてです。さすがは曹洞宗


それぞれの質問には真摯にお答えしました

最後に副会長からの謝辞がありました

身に余るお言葉を頂戴しました

盛大な拍手を頂戴しました



わたしは、1つ1つの質問に対して、真摯にお答えしました。
質疑応答が終了すると、副会長からの謝辞がありました。
身に余るお言葉を頂戴し、わたしは恐縮してしまいました。
最期は、会場いっぱいに盛大な拍手を頂戴し、感激しました。


懇親会で乾杯する

臨席の会長と歓談する

素晴らしい御縁をいただきました


その後は、懇親会にも参加させていただきました。
多くの僧侶の方々とお話ししながら、わたしは日本仏教の「これから」について想いを馳せました。素晴らしい御縁をいただけた山口県曹洞宗布教研究会のみなさまに心より感謝いたします。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年10月29日 一条真也