『情報の「捨て方」』

情報の「捨て方」 知的生産、私の方法 (角川新書)


一条真也です。
『情報の「捨て方」』成毛眞著(角川新書)を読みました。
著者はマイクロソフト社の元社長で、書評ブロガーとしても有名です。
著者の本を取り上げるのはブログ『実践!多読術』ブログ『面白い本』ブログ『本棚にもルールがある』で紹介した本に続いて4冊目です。


本書の帯



本書の帯にはドヤ顔で腕組みをした著者の写真とともに、「人生は短い――バカ情報に構っている暇はない」と大書され、続いて「手放して、『残した物』に価値がある」「◎新聞を読むな。BSテレビを観ろ」「メモは『太赤マジック』で取れ」「SNS上のバカは即刻『ブロックしてよし』」と書かれています。また帯の裏には「情報はメシと同じだ――摂取し、排出して、はじめて、血肉になる」と書かれています。


本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
はじめに「価値あることを考えるために、ムダ情報から徹底的に逃げよ」
序章 「情報とは一体何か」
――バカを相手にしないための手段として
1章 情報を「入手する」
――24時間浴びる、しかしルートは絞る
2章 情報を「見極める」
――「どうせウソだよね」という思考習慣
3章 情報の「非整理術」
――整理に追われて1日を終える人々
4章 情報を「噛み砕く」
――解釈する力のない者は敗れる
5章 情報を「生み出す」
――受け取るだけの人間になるな
6章 情報を「活用する」
――面白い生き方をしたいなら
特別章 成毛眞の「情報」個人史



序章「情報とは一体何か」では、著者は「情報は3分類できる――遍在しているかどうか」として、情報を(1)インテリジェンス、(2)インフォメーション、(3)データに分類します。まずは(1)インテリジェンスで、著者は述べます。
「インテリジェンスとは、別の言葉で表現するならインサイダー情報です。ある組織の限られた人しか知らない情報こそが、情報中の情報です。インサイダー情報と聞いてすぐに思い浮かぶのは株取り引きに関するものかもしれませんが、ほかにもインサイダー情報、つまりインテリジェンスはいくらでもあります」



次に、(2)インフォメーションで、著者は以下のように述べます。
「インテリジェンスではなくなった情報は、インフォメーションになります。辞令や休講情報が掲示板に貼られたりネットにアップされたりした瞬間、それはインテリジェンスではなくなり、インフォメーションになるのです」



インフォメーションには情報という訳語が当てられることが多いですが、「常識」と訳したほうが適切かもしれないとして、著者は述べます。
「世の中で公開情報と言われているものの大半は、掲示板の位置がわかりづらいとか、読み取るだけの行間がたっぷりある文章で書かれているといった例外を除いては、インフォメーションです。インテリジェンスとインフォメーションの違いは、偏在しているかどうかです。限られた人だけが知っているのがインテリジェンス、そうでないものがインフォメーションというわけです」



そして、(3)データとして、著者は以下のように述べます。
「データはインフォメーションに似ています。しかし、インフォメーションには早く手に入れたほうが価値が高く、徐々にその価値が減っていくという性質がありますが、データにはそれはありません。人事関係でいえば、誰は何年に入社したとかいつ異動したという情報、大学の講義でいえばその講義は何単位であるか、などがデータに相当します」



1章「情報を『入手する』」では、「外交諜報とビジネスと居酒屋の共通点」として、著者は以下のように述べます。
「顔を合わせることで仲良くなり、情報を得られる。これはたとえば、行きつけの居酒屋などでもあることです。常連には『今日はマグロを絶対に食べるべき』とか『今日はあまりおすすめできるものがない』などと正直に情報提供をし、ときにはオマケもしてくれます。一見さんにはしないサービスも、常連という仲良しには提供します。こういったオマケやサービスは情報と同じです。一見さんでは手に入れられないのです。だから、いい情報を多く得たいなら、多くの人と仲良くなることです。飲み会なんて時間の無駄と思っている人は、考えを改めるべきでしょう。さあ、どんどん飲みに行こう」



6章「情報を『活用する』」では、「入手して、排出する――情報の『新陳代謝』を上げよ」として、著者は以下のように述べています。
「食べたものは大半が体から排出されます。そして、ごく一部が血肉になります。情報も同じです。出ていくまでもなく蒸発するように記憶から消え去ってしまうのですが、しかし、一部が血肉になるのは同じです。いい情報を絶えず取り入れ、そして排出(忘れたり、捨てたり、アウトプットしたりすること)を繰り返すことは、いい筋肉やいい血液を作るのと同じように、情報アンテナを磨いたり、審美眼を鍛えるために欠かせないことなのです」



また、「教養とは『捨てきれない情報』のこと」として、著者は述べます。
「教養とは実は、捨てたつもりで捨てていない情報のことだ、と私は考えています。捨てたつもりゆえに、はっきりと覚えていないので、仕事に使う情報のようには役に立ちません。しかし、何かのきっかけで思い出したとき、教養は最強の情報になります。教養は、『教養を身につけるための本』を読めば身につくものではありません。教養は即効性のある薬のようなものではないのです。教養は、時間をかけていろいろな食べ物を摂取してきたことで、体に備わった血肉のようなものです。おいそれとは構築できないし、だからこそ、捨てたつもりでも捨てきれません」



さらには、教養について、著者は以下のように述べるのでした。
「教養があれば、得た情報が、自分の持っている教養の何に『似ているか』がわかります。何と『相性がいいか』がわかります。何と『組み合わせたら面白いか』がわかります。この“何と”を多く持っていれば持っているほど、その人はアイデアを多く生み出せるわけです。一方で、教養のない人は何も生み出せません。また、周りと同じ程度の教養しか持っていない人は、はっと周りを驚かせるようなアイデアがひらめくことはありません」


 
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年10月13日 一条真也