オリンピックとは世界最大の「まつり」である!

一条真也です。
ついに、リオデジャネイロ五輪がスタートしました。
5日午後8時(日本時間6日午前8時)からリオデジャネイロ市中心部のマラカナン競技場で開会式を行い、4年に1度の祭典が開幕しました。南米初開催となりますが、史上最多の205カ国・地域が参加し、個人資格での出場も含め1万1000人を超える選手が17日間の熱戦を繰り広げます。


リオ五輪の開幕を報道する各紙夕刊



昨日ついに次回作である『儀式論』(弘文堂)の初校が出たのですが、わたしは同書に「世界と儀式」という一章を設け、世界規模の儀式としてのオリンピックについて考察しました。オリンピックは平和の祭典であり、全世界の饗宴です。数々のスポーツ競技はもちろんのこと、華々しい開会式は言語や宗教の違いを超えて、人類すべてにとってのお祭りであることを実感させるイベントです。開会式で挨拶に立ったリオ五輪大会組織委員長のカルロス・ヌズマン会長は、「われわれはすべて、何も持たずにこの世へやってきて、何も持たずにあの世へと帰る。われわれにとって何よりも大切なのは、愛と平和と絆である」というメッセージを発しました。


リオ五輪の開会式のようす

挨拶するカルロス・ヌズマン会長



古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説があります。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになるでしょう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されましたが、このことは人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じます。アテネオリンピックは、20世紀末に起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできたからです。リオ五輪の開幕式がブラジルで行われている頃、地球の裏側の日本では「広島原爆の日」の平和式典が行われていました。どちらも人類にとって大切な平和の儀式です。


オリンピックは平和の祭典

4年に1度の人類の祭典



オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活しました。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げます。「アマチュアリズム」の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできません。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにします。2020年の東京オリンピックをめぐる問題でも明らかなように、大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、今や、巨額のマーケットとなっています。


ブラジル選手団の入場

会場の熱気は最高潮に・・・


しかし、いくら商業化しようとも、オリンピックの火はけっして絶やしてはなりません。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典です。悲しいことですが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続でした。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年という説もあります。戦争の根本原因は人間の「憎悪」であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他国に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきたのです。それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実です。国際連盟国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した平和のための最大の文化装置こそがオリンピックであることには違いないのです。


運ばれるオリンピック旗

軍人が登場したのは、ちょっと残念!



オリンピックが人類の幸福のために、どれほどの寄与をしたかを数字で示すことはできません。ノーベル平和賞受賞者であり、第7回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのフィリップ・ノエル=ベーカーは、オリンピックを「核時代における国際理解のための最善のメディア」であると述べています。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして、利害の反する各ポリスの団結を導きました。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けています。その点が、もう1つの国際イベントである万国博覧会とは明らかに違うと言えるでしょう。


サンバ・チームが続々と入場!

リオのカーニバル



古代の話に戻ります。天空神ゼウスに拝げる全ギリシアの宗教行事であったオリンピア祭典は当初1日だけでしたが、紀元前468年の第78回大会以後、5日制になりました。第1日が競技者の資格審査と、ゼウス神前の宣誓、第2日に戦車競走、競馬競走、五種競技が行われました。
そして第3日目は必ず満月の日を選んだといいます。第3日目の午前中、ゼウスの祭壇に犠牲を捧げる供儀が行われ、午後は少年競技となり、夜には盛大な宴会を催した。第4日の午前は競走競技、午後はレスリング、ボクシング、古代の総合格闘技であるパンクラチオン武装競走で、夜はまたまた大宴会、最終日の第5日は表彰式と最後の宴会というプログラムで大会が進められました。


聖火ランナーが入場!

ついに聖火が灯される!



犠牲には牛、豚、羊などが用いられ、3日にわたる夜宴の御馳走にこれらの肉が食べられたといいます。その数は相当なもので、多くの人々が大量の焼肉料理をたいらげました。当時ギリシャ人の食物といえば、ブドウ、イチジク、オリーブなどの果物、魚、イカなどの魚介類、小麦粉でつくる餅などに果実酒が加わったもので、焼肉は高級料理であり、めったに口に入るものではありませんでした。それがオリンピアの祭典では一大バーベキュー・パーティーとなって、ふんだんに食べられたのですから、これは大変な魅力だったに違いありません。こうなると、祭典は食欲を吸引力にした宗教行事のようですが、儀式においてはそういったハレとしての一面も否定することはできないでしょう。


幻想的な太陽のオブジェ

次々に打ち上げられる花火



祭典の舞台であったオリンピアには、ゼウス、ヘラの神殿を中心として、宝物殿や反響廊など、当時の一流建築家たちが技術の粋を尽くして建てた美しい石造建築が建ち並んでいました。またアルチスの森には、優勝者の栄誉を称える数多くの彫像が立っていました。いずれもギリシャ芸術が誇る傑作ばかりです。オリーブや月桂冠が深く茂る森、そこにそびえる壮大な大理石の宮殿、緑に包まれた広大な競技場、そしてこの神域を彩る美しい彫刻の数々。オリンピアは南国にふさわしい明るさと、荘厳さ、清純な空気に包まれたすばらしい神苑でした。そして、満月の青白い光を浴びる神苑アルチスの森を背景として、巨大なかがり火をたきながら焼肉に舌鼓を打つゴージャスな大夜宴が開催されたのです。オリンピア祭典とは、宗教、芸術、スポーツ、グルメといった「文化」や「遊び」のエッセンスがすべて凝縮された古代のスーパーイベントだったのです!


開会式を盛り上げた歌謡ショー

この歌手はブラジルの北島三郎か(谷村新司?)



ちなみに、2020年の東京オリンピックでは、小笠原家茶道古流の「国際大茶会」の開催を計画しています。古流とは豊前小倉藩に伝わる茶道の流派です。茶会ほど平和な行事はありません。ぜひ、東京オリンピックのプレ・イベントとして、国家や民族や宗教を超越した茶会を成功させたいと願っています。また、リオ五輪では多くのサンバ・チームが登場して華を添えましたが、ブラジル歌謡界の大御所という男性歌手も出演し、美声を披露していました。この人、顔だけを見れば谷村新司に似ているような気もしますが、立場的には日本でいえば北島三郎です。そう、2020年の東京オリンピックで流れる歌はサブちゃんの「まつり」しかありません。なんといっても、オリンピックは世界最大の「まつり」ですから!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年8月6日 一条真也