島田裕巳氏と対談しました

一条真也です。東京に来ています。
27日、宗教学者島田裕巳氏と対談しました。
島田氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)の巻末企画です。
13時から赤坂見附の定宿のレストランで「出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんとランチ・ミーティングしました。


対談会場の六本木ヒルズの前で



それから、中野さんと一緒にタクシーで六本木ヒルズへ。腰痛のわたしは、腰にコルセットを強く巻いて行きました。まるで、往年の東映任侠映画高倉健演じる主人公が殴り込みをする前に腹にサラシを巻くような感じでしたね。健さんは、サラシの中にドスを入れて殴り込むわけですが・・・。
わたしにとってのドスとは、『唯葬論』(三五館)かもしれません。


いざ、六本木ライブラリーの中へ!



腰の悪いわたしを気遣って、中野さんが荷物を持ってくれました。
49階の六本木ライブラリーへ入ると、島田裕巳氏が待っておられました。この中にある「ヒルズ・アカデミー」の会議室で対談を行いました。
島田氏と直接お会いするのは、もう25年ぐらい前の法蔵館のパーティーでの初対面、ブログ「NHK収録」ブログ「島田裕巳氏と再会しました」などで紹介したイベントに続いて4回目になります。


島田裕巳氏と

お久しぶりです!



かつて、わたしは島田氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)というベストセラーに対し、『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。それから5年後、再び島田氏の著書『0葬』に対抗して本書『永遠葬』を執筆しました。


あれから5年が経ちました・・・・・



意図的なカウンターブックであることを強調するため、判型・ページ数・定価など、『0葬』とまったく同じで、装丁も意識して作られています。 これは版元のアイデアですが、ここまで徹底しているのは見たことがありません。
2冊を並べてみると、映画化もされた某ベストセラー小説のタイトルが浮かび上がってきます。もちろん偶然ですが・・・・・・。


2冊を並べてみると・・・・・・



なお、本書では『葬式は、要らない』や『0葬』に対する批判を展開していますが、それらの本の著者である島田裕巳氏その人には何の恨みもありません。それどころか、わたしは島田氏を才能豊かな文筆家としてリスペクトしています。島田氏とわたしの間には、さまざまな交流もありました。


NHKの討論番組収録後、互いの著書を持って記念撮影

「FLASH」2010年8月3日号                 

「週刊 東洋経済」2010年12/25−1/1号



意見が違うからといって、いがみ合う必要などまったくありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切です。わたしは何冊ものベストセラーを出しておられる島田氏を文筆家としてリスペクトし、葬儀についての意見を交換していきました。


まずはお互いの近況報告から・・・

いよいよ対談スタート!



議論のポイントは、以下の通りです。
直葬をどう考えるか?
――急増している直葬について、両者の立場から議論を深めました。「直葬は、葬儀なのか? 遺体処理なのか?」「どの程度の直葬ならば“儀式”として認められるか?」
●仏式葬儀の是非(問題点)
――現在の葬儀の主流(読者の多くも体験する)でもある仏式葬儀について、そのおかしさや問題点をさらに掘り下げる。
●墓の問題――葬儀と切り離せない墓のテーマについても現状の問題点と、今後の姿を論じる。


語る島田裕巳



●自然葬のあり方
――島田氏がわたし宛の書簡に「海洋散骨は、海に捨てているだけではないかと思った」と書いておられたのが印象的でした。この問題について論を深めながら、未来志向の葬儀のあり方とはどんなものかを探る。
●「0葬」の是非
――ここは二人の見解が対立する部分であり、意見をぶつけ合う。
●家族を求めない社会←→隣人の時代
――「葬式を有用とするか、無用とするか」は人生観、あるいは社会観と一体となったテーマでもある。島田氏の「二度死んだ」事実などを踏まえながら、二人の人生観・社会観を語り合う。


わたしも語りました



無縁社会をどう捉えるか?
――島田氏は「無縁社会は豊か」と書いておられますが、わあしはこれに強く反発しています。このテーマについて議論を深めてきます。
●死者の「たましい」、遺族の「こころ」――島田氏宛の書簡に、わたしは「死者のたましいと、遺族のこころについての視点が抜け落ちている」と書きました。あわせて「島田さんは唯物論者なのでしょうか」と問いかけました。対談の中で、島田氏からこの問いへの答えを聞く。
●「生きている人が死んでいる人に縛られている?」
――これは島田氏からの問題提起です。わたしは島田氏宛の書簡で「生きている人間は死者に支えられている」と反発されていますが、具体的にどのようなかたちで支えられているのかなど、テーマを深めました。


対談のようす

ついに島田氏と対峙する!



●「葬送の自由をすすめる会」会長だった島田さんへ、どういうスタンスでこの会長職を引き受けられたのか?――わたしから島田さんへの問いです。
●互いの著作(『葬式は、要らない』『葬式は必要!』)(『0葬』『永遠葬』)をそれぞれどう読んだか?
●大きな変化のさなかにある葬儀に必要な新しい意味とは?
――議論の一致点を探す。島田氏は、これからの時代の葬儀に新しい意味があるとすれば、どのようなものだと考えているのか?


大いに持論を述べました



また、下記のテーマについても大いに語り合いました。
●贅沢葬儀の代表(?)としての「社葬」をどう考えるか?
●葬儀とお金
●自分(島田裕巳氏、一条真也)は自らの葬儀をどうするか? どういう弔い方をされたいか?


島田氏の話を傾聴しました

わたしも大いに語りました

わたしの話を聴いて下さいました



以上のようなテーマについて、島田氏とわたしは数時間にわたって縦横無尽に語り合いました。じつは前日、わたしは監査役を務める互助会保証株式会社の取締役会に出席したのですが、そこで冠婚葬祭総合研究所の寺坂社長にお会いしました。わたしが「明日、島田裕巳氏と対談するのですよ」とお伝えしたところ、寺坂社長は「どうぞ、お使い下さい」と言われ、「葬祭等に関する意識調査(団塊世代を中心に)調査結果報告書」(冠婚葬祭総合研究所)という分厚い資料を渡して下さいました。豊富なデータで日本人の葬儀事情が詳しく報告されており、とても参考になります。それを前夜に読み込み、対談当日もこの資料を持参しました。
本当にいろんな方々の想いを背負って、島田氏と対談しました。


会議室からの素晴らしい景観



島田氏とは意見の一致も多々あり、まことに有意義な時間を過ごすことができました。弁証法のごとく、「正」と「反」がぶつかって「合」が生まれたような気がします。それも非常に密度の濃いハイレベルな「合」です。
最近、原発や安保の問題にしろ、意見の違う者同士が対話しても相手の話を聞かずに一方的に自説を押し付けるだけのケースが目立ちます。ひどい場合は、相手に話をさせないように言論封殺するケースもあります。そんな大人たちの姿を子どもたちが見たら、どう思うでしょうか。間違いなく、彼らの未来に悪影響しか与えないはずです。わたしたちは、お互いに相手の話をきちんと静聴し、自分の考えもしっかりと述べました。


理想的な議論が実現しました



当事者のわたしが言うのも何ですが、理想的な議論が実現したのではないかと思います。けっして馴れ合いではなく、ときには火花を散らしながら、ある目的地に向かっていく。今後の日本人の葬送儀礼について、じつに意義深い対談となったように思います。いま大きな話題になっている「ポケモンGO」の話題も出ましたが、わたしは「冠婚葬祭とはリアルそのものです」と述べました。島田氏からは「もちろん、葬式は必要ですよ」「結婚式はもっと必要ですよ」との言葉も聞くことができて、大満足です。対談を終えて、わたしは「葬儀は人類の存在基盤である」という持論が間違っていないことを再確認しました。詳しい内容はここに書きませんが、10月刊行予定の『お葬式を問う』島田裕巳一条真也著(三五館)をぜひお読み下さい。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月28日 一条真也