尾崎豊の遺体

一条真也です。
16日夜、わたしは高熱を出して死者のような深い眠りに落ちていました。その頃、テレビではTBSの音楽特番「音楽の日」が流れていました。そこでは、「死者の書」ならぬ「死者の声」を多くの視聴者が体験する奇跡のような現象が起きたと大きな話題になっています。


1992年に26歳の若さで急逝した歌手・尾崎豊の一人息子の尾崎裕哉(26)が「音楽の日」に生出演し、父の名曲「I LOVE YOU」を歌ったのです。テレビで歌唱するのはこの日が初めてだそうですが、今は亡き父親にうり2つの切ない歌声に多くの視聴者が騒然としました。ネット上では「DNAすごい」「鳥肌」などと書き込みが殺到し、今も反響が広がっています。


わたしは、YouTubeで何度か尾崎裕哉が歌う尾崎豊ナンバーを視聴したことがあります。初めて聴いたときは「遺伝子というのは、ここまで強いものか」としみじみ感動しました。似ているとはいっても、息子さんのほうが優しい感じがします。父親を亡くしてから幼少期をアメリカで暮らし、帰国後は慶應義塾大学に学んだだけあって、非常にスマートな印象です。カリスマだった父の尖ったようなムードはありません。


「I LOVE YOU」に続いて、尾崎裕哉は自身のオリジナル曲である「始まりの街」を歌いました。20歳の時、母親から「お父さんがいなくてごめんね」と言われた時に作ったというデビュー曲ですが、「僕は幸せさ あなたは幸せを求めてよ」という歌詞で、母への思いが込められています。
わたしは、これは「愛する人を亡くした人」への素晴らしいグリーフケア・ソングであると思いました。同じ遺族同士が励まし合う感動の歌です。



裕哉のオリジナル曲にしてデビュー作である「始まりの街」の方が、より父親の歌声に似ているという声も多いようです。「音楽の日」を生放送で観たネット民からは、「ご自身の歌のほうが尾崎豊だった! 尾崎豊の新曲なんじゃないかと思うほど・・・。歌い方がまんま憑依していた!親子って恐ろしい!」「尾崎豊のI LOVE YOUも好きだけど 尾崎裕哉のも好きだった。涙目で聞いてた」などの書き込みもありました。


音楽の日」に初出演した裕哉は、歌唱前の司会者・中居正広との会話の中で、「最近は(父親に似てると)よく言われますね。(父の)記憶は全然ないんです」などと話し、父と比較されることについて「似てることはうれしいですし、プレッシャーはあるんですけど、それより自分は何のためになるのか、という葛藤の方が大きかった」と明かしました。テレビで初めて生歌を披露するというのに、堂々とした裕哉の態度に生来の大物ぶりというか、わたしは「やっぱり尾崎豊の息子だなあ」と思いました。


裕哉のことを「尾崎豊のDNAを完璧に受け継いでいる」という声が多いようですね。じつは、わたしも父によく似ていると言われます。日本セレモニーの神田会長などからはいつも「お父さんのコピーやねえ」と声をかけていただきます。わたし自身、外見などよりも思想面で父のDNAを色濃く受け継いでいるという自覚はあります。しかし、そこに自分なりの「色」を出していかなければならないという想いもあります。


唯葬論

唯葬論

わたしは、「尾崎裕哉は、尾崎豊の遺体である」と思いました。
拙著『唯葬論』(三五館)にも書きましたが、中国哲学者で儒教研究の第一人者である加地伸行氏によれば、「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。つまり遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち「子」なのです。



あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているということです。そして、尾崎豊の遺体である尾崎裕哉は、亡き父とともに生きています。遺体があれば、人は生き続けることができるのです。
最後に、「音楽の日」が放送された16日に配信されたある芸能ニュースを知って、わたしは心底驚きました。そして、「この日、本当に尾崎豊の霊が帰ってきていたのかもしれないな」と思いました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月17日 一条真也