『神秘日本』

神秘日本 (角川ソフィア文庫)


一条真也です。
ブログ「ギックリ腰になりました」にはアクセスが集中し、多くの方々にご心配をおかけました。心あるメールなどを頂いた方には感謝申し上げます。
今日はまったく動けず、自宅で安静にしていました。それにしても、今回は突然のアクシデントであり、つくづく人体の神秘を感じました。
さて、『神秘日本』岡本太郎著(角川ソフィア文庫)を読みました。
日本最深部を目指す奥地紀行で、「民族を突き動かす、“神秘”の底光り」を見事に描いた名著です。1964年9月に中央公論社より刊行された本ですが、じつに半世紀を経た2015年7月に角川ソフィア文庫入りしました。岡本太郎自身が各地で撮影した素晴らしい写真が多数収録されています。



文庫カバーの裏には以下のような内容紹介があります。
「『日本人としての存在を徹底してつかまないかぎり、世界を正しく見わたすことはできない。』人々が経済成長と五輪に沸くころ、太郎の眼差しは日本の奥地へと向けられていた。下北、津軽出羽三山、広島、熊野、高野山を経て京都の密教寺院へ。聖地で目のあたりにした祭りや人々の姿は、日本人を深い底で動かす『見えない暗号』としての“神秘”の力を印象づけるものだった。カメラを手に踏破した日本最深部への旅。解説・中沢新一



本書の「目次」は以下のようになっています。
オシラの魂――東北文化論――」
「修験の夜――出羽三山――」
「花田植――農事のエロティスム――」
「火、水、海賊――熊野文化論――」
「秘密荘厳」
曼荼羅頌」
「後記」
「解説」中沢新一



オシラの魂――東北文化論――」では、恐山のイタコについて、著者は以下のように述べています。
「この盲の霊媒、イタコ自体は何なのだろう。古い民衆の信仰の名残りの1つであるに違いない。いろいろ言われているが、いずれにしてもかつて歴史の暗やみの中で、それが一種のシャーマン的存在であったことは確かだろう。北方アジア民族の世界観は天上の神の国と、現世と、地下の世界と、垂直の関係に構成されている。その交流、交通の媒体となるのが、神秘的な霊能をそなえた呪術者、シャーマンである。太鼓などをうち鳴らして入神する。それは神経症の現象とも、自己催眠ともいわれ、「北極のヒステリー」と名づけた学者もいるが、先天的に異常な人間が、修練をへてシャーマンとなり、自在に霊がのりうつるようになるのだ。呪術を行い、予言する。儀礼の間は恐れられ、あがめられるが、ふだんはたいていコジキ同様に軽蔑されている」



続けて、著者は原始日本の「神秘」について述べます。
「このような神秘はかつて日本全土をおおっていたと考えられている。歴史の奥深くかくされた原始日本。縄文文化の土器、土偶の、奇怪な、呪術的美学がこの気配に対応していないだろうか。また大湯で発掘されたストーンサークル。地の底の呪文のように謎を秘めている。すべてが、民族の暗い情熱をわれわれに呼びさますのだ。東北地方は久しい間、『化外の地』として中央文化からとざされていただけに、この彩りはより濃くここに永らえたのではないか。今日のイタコの姿は、そのようなミスティシズムの伝統を、明らかに受けついでいる。仏教などの影響をうけて、地獄だとか、三途の川だとか言ってはいるけれども、根はもっと深いはずだ」



また著者は「どのような社会でも、精神には裏と表との矛盾、その緊張がある」として、その表の精神について以下のように述べています。
「世の中のすべてが順調にはこんでいる間は、苦悩や不吉は呼び出てこない。生活の起伏がカレンダーのとおりに、何ごともなく流れて行くとき、呪術的儀礼もただの風習となって、それをおろそかにしないことだけが社会生活の秩序になる。しきたりをまもってさえいれば安全だ。怠ることは、不吉をまねく。――年の始めには若水を汲む。おソナエを飾る。またその他の農耕儀礼。田植え、とりいれの時の祭り、踊り。さらに節分、お盆など」



続けて、著者は今度は裏の精神について以下のように述べます。
「しかし不慮の死とか、かけがえのない人の不幸に遭遇したり、まったく予測しなかった災害、変事におそわれ、生活の根もとからおびやかされるとき――そしてこのようなアクシデントは、その予感とともに常にのしかかってくるのである。――理性の判断、ノーマルな儀礼ではどうしようもない、そんな非合理な運命、暗闇にぶつかった時、『黒い呪術』に救いをもとめなければならないのだ。暗いことがらは強大な闇の王国の力によって処理される。ここにシャーマンの役割があるのだ」



さらに著者は、恐山でのイタコの集会について、以下のように述べます。
「私は恐山、川倉の彼女らの、いわば奇矯で猛烈な集りにふれて、その妖気を感じとった。キリスト教世界の伝説にはサバの饗宴がある。ヴァルプルギスの夜、魔女たちが箒にのって集ってきて、山上でありとあらゆる乱チキ騒ぎをやる。あんな悪魔的で、狂気のようなスペクタクルではない。実際、それは一見、ただ女たちがよりあって、のみ食い遊ぶこと、それだけだ。悪くいえば近頃はやりのヘルスセンターとどう違うのか、というようなもの。想像したほど鬼気せまるものではなかったし、出来あいの道具立てのほかに、婆さんたち独自の、創造的なイマジネーションといって別に見られない」



続けて、ヴァルプルギスの夜の「サバトの饗宴」と恐山の「イタコの集会」を比較しながら、著者は以下のように述べます。
「しかし何かこの2つの女性の祭典(一方は伝説であり、こちらは現実だが)には、本質的に共通した面があるようだ。西欧中世だって、女性はみじめだった。人間扱いされていなかった。騎士道なんて貴族社会だけのロマンティスムであるにすぎない。抑えられ、鬱屈された生活者としての女性のエネルギーが、男の支配する秩序や宗教的戒律をうち破って、何らかの形で噴出する。これをまた男性側はえらく猥褻でグロテスクに色あげしてしまったのだが」



著者は、女たちをこのような場所に情熱的にかりたてる理由の1つとして「性生活の欲求不満」をあげ、東北の性の民俗にも言及します。たとえば、「粟まき」という風習について以下のように紹介しています。
「『粟まき』という風習があった。舅が嫁に手を出すことだ。舅は親の言いつけ、とカサにかかり、嫁は何事も親に従わなければ、と受け入れたりする。まして息子が出稼ぎに行ったり、出征したりして、ながく留守にすれば、それはありがちなことである。言うことをきかないのを、無理に手ごめにするのは『稗まき』だ、と笑って教えてくれた。稗にはトゲがあるからだそうだ」



「修験の夜――出羽三山――」では、修験道の本質について以下のように解き明かします。
「信仰の素朴な根はいわゆる神社、お寺などの重たい形式・儀式で、厚くおおわれており、われわれは生れた時から、そういう出来上ったパッケージングしか見ないし、見せられていない。日本人として目隠しされているのだ。しかしそれはいつでも、運命的に何らかの姿で滲み出るはずだ。生活の底に生きつづけているからこそ、その天地根元期のような清浄にふれると、それが幅ひろく、あらわにひらく。――神秘の実感である。そこに、独自の表現だが、私は日本人のロマンティスムというようなものを感じるのだ。
修験道はこの根源的な気配の、直接的・積極的な体験なのではないか。私には、修験のそもそもの意味が突然明らかになった思いだった」



そもそも宗教とは何か。著者は述べます。
「未開の社会において、宗教は社会生活と不可分で、その核をなしている。思索的になったり、孤独な信仰になるのはかなり後の発展である。その頃は母権制であって、祭儀は女性が司っていた。沖縄では今日でも、ノロという巫女が中心になって、ウタキで女だけが『まつり』をしているが、古代日本でも天照大神の神話、女王ヒミコや神功皇后の記録にあらわれる姿など、まさしくそれにつながる」



続けて、著者は日本における宗教について述べます。
「社会の発展とともに、公の権威は男性の手に移って行った。宗教の場でも、男性が中心に坐るようになり、女の祭事は家内信仰などの狭い範囲におしこめられて一般の宗教行事からはむしろ遠ざけられてしまうのだが。今いったような信仰は、生活と密着しているだけに、その聖所は部落の中か、あるいは周辺にあったと考えられる。村の鎮守さまなどは後の姿である。古い神社形式など、いかにもウタキからの発達を思わせる。まだ書いていないが、伊勢神宮の成り立ちなど、ひどく暗示されるのだ」



「花田植――農事のエロティスム――」では、著者は中国地方の田植行事について以下のように述べています。
「中国山脈の、広島県島根県にまたがる地方に、伝統的な大田植の行事がある。生産と信仰とレクリエーションが一体になった農耕儀礼、まつりである。
かつて、田植のような農繁期には、『ゆい』という相互扶助の共同作業が行われた。近隣の10戸なり15戸なりが組を作って、総出で、順番に植えて行く。この時、植え手である早乙女(若い娘に限らず、どんな婆さんでも、また男でさえも田植の時はソウトメなのだそうだ)のほかに、太鼓や笛ではやし立て、音頭をとる。『はやし田』とか『太鼓田』といって、中国地方、四国、九州にも見られた様式である。
こういう『ゆい』を5つも10も持っているような大地主のところで、この権威を誇示するためと、小作人たちの慰労をかねて『花田植』をやる」



「秘密荘厳」では、著者は高野山貫主に次ぐ「法印」の位の老僧と対座します。高野山大学の教授でもある学僧に対して、著者は次のような自身の宗教観を堂々と述べるのでした。
「これは僕の宗教観なんですが、本当の宗教は人を救うよりも苦しめるべきだと思うんです。人生は、人間が生きるということは、苦しむってことだけが本質ではないでしょうか。もちろんこれは貧乏だとか、失敗だとか、病気だとか、そんなことじゃない。つまり苦労ではなく、苦悩です。もっと本質的に苦悩をへなければ生き甲斐は現出しない。これは人間にとって、いかにも不当のようだけれど、それが本当なんです。だから仏の立場とすれば、そこから解き放つんではなく、むしろ苦悩をつきつけ、与えなきゃいけない。一般の宗教がとかく救いなんていって、頼らせたり、奉仕させたり、そういうのは僕は間違ってるし、人間として卑しい通俗信仰だと思うんです」



曼荼羅頌」の冒頭では、宗教と芸術について、著者は述べます。
「宗教の壮大で厳粛なシステムにふれても、また芸術作品の絢爛たる技術に感嘆しても、私には何か一種の空しさ、絶望感のようなものが残る。ひそかに、心の一隅で、青白い音をたてて流れつづける。宗教も芸術も、そういういわば権威的な方法、形式、体系にあらわれる前の問題。教義や芸術を意識しない、ただ人間的につきあげ、おし出す。そうせずにはいられない何か。――そういうモチーフだけで貫かれ、むしろ形式としてあらわれないところのものに、われわれはかえって絶対を直観し、共通の生命の交流をおぼえる。つまり、絶対としてあるもの、でありながら隠れ、隠されているもの。あらわれていながら、あらわれていない。それは『秘密』である。
結論的にいおう。宗教も芸術も、まさしく秘密であることによってのみ、そのものであり得る。その強烈な充実がある、としか思えないのである」



そして「後記」では、「民族の暗号」というものについて述べます。
「民族は固有の暗号をもっている。同質の生活的感動、いわば秘密のようなものだ。それによって、言葉なくお互いが理解しあう。それは隣人愛だとか同胞意識などというような、単純な枠で割りきれない、もっと繊細であり、根深い神秘なのだ。ちょうど鳥や動物などの群れが、外には見とれない暗号を、瞬間に発し、解読し、群れとして行動する、あのような敏捷さである。島国の同質的な世界の中で、ながい間、純粋に生きぬいてきた民族には、無言の言葉、その役割は強いのである」



続けて、著者は「民族の暗号」について以下のように述べるのでした。
「それは見えない暗号でありながら、また生活的には、形となったり色となって表現される。こういう無言の地点から、民族の文化、芸術を理解したい。
一見もろく、非論理的で、今日の世界に通用しにくい。しかし現代日本人の思考、モラルを深い底で動かしているのは、やはりそれなのである。
ここに、そのモチーフを展開して、いわば仏教以前の心性にひそむエネルギーを追究した。この民族の、熟していながら粗野であり、繊細でありながら強烈な魂に、私は限りなくうたれるのである」
著者は名著『神秘日本』をこの一文で締めくくっています。
本書そのものが、すべての日本人に対するメッセージであり、日本へのラブレターであると言えるでしょう。



「解説」では、明治大学 野生の科学研究所所長である中沢新一氏が、大学生になって文化人類学民俗学に興味をもつようになり、たまたま書店で見つけた『神秘日本』を手にしたときの感動を以下のように綴っています。
「私は、モダニズムの極致を走っていると思っていた芸術家の岡本太郎が、自分と同じように『土俗の世界』(その頃はまだそういう言葉が使われていた)に関心をもち、しかもその世界に秘められた謎めいた富を、民俗学者たちとはまったく違う視点から、情熱をこめて探求している姿に驚いた。驚いた、というよりも感動したのである。それというのも私自身が、日本の民俗学にあきたらないものを感じ、自分の探し求めていた『別の道』が向かおうとしている先に、どうやら岡本太郎が立っているらしいことに、気づいたからである」



それから、中沢氏は岡本太郎の文章と写真の素晴らしさについて、わたしの想いを以下のように代弁してくれます。
「まず切れ味のよい見事な文章に感心した。論理に一貫性があって、すこしもブレがない。揺るぎない趣味にもとづく正確な判断と評価が下されて、対象にたいするいやらしい媚などは微塵も感じられない。
写真にも圧倒された。的確なアングル、瞬間をとらえる気迫、そこにはいわゆる民俗写真家の撮影するものとはどこか根本的に違う『創造性』が感じられた。彼は絵を描くように、写真を撮っていたのである。しかもその対象がすごかったから、岡本太郎の撮影した民俗の写真は、いまだにものすごい迫力をもって私たちに迫ってくる」



そして、恐山のイタコという東北のシャーマニズムから最後は密教にたどり着いた岡本太郎の旅について、中沢氏は以下のように述べるのでした。
「『神秘日本』の旅は、最後に密教の世界に踏み込んでいく。ほんとうのことを言うと、オシラさまの世界と密教の世界は、人類文化の同じ地盤から生まれてきたものである。オシラさまは、胞衣や子宮に包まれて安らっている胎児の世界から放たれる霊性をかたどった人形だ。それは縄文文化以来の、古代的な『胎生学』に支えられた世界観をもとにしている。密教がインドで生まれたときの状況も、それとよく似ている。仏教の悟りを、古代以来のインド土着文化の中で成長してきた密教宗教の教えと結合しようとする運動から、生まれてきた。その土着文化的な秘密宗教は、ここでも古代的な『胎生学』をもとにしている。どちらも、岡本太郎の言う『神秘』を原理としている。そうなれば当然、オシラさまに出発した『神秘日本』を探る旅は、密教にたどり着いていくのでなければならない」



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月15日 一条真也