横浜フューネラル対談

一条真也です。昨日、東京に入りました。
昨夜は涼しいぐらいでしたが、今日は暑かった!
さて、今日は、横浜でトークショーに出演しました。
パシフィコ横浜で開催された「フューネラルビジネスフェア2016」で、仏教界きっての論客で知られる全日本仏教青年会顧問の村山博雅氏と「葬送儀礼の力を問う〜葬儀の本質とは」をテーマに対談させていただきました。


みなとみらい駅の改札で

パシフィコ横浜に到着

黒木&市原の師弟コンビと

スペシャルステージ2」でした



まず、渋谷から東横線に乗って「みらとみらい駅」に着いたら、改札口までサンレー北陸の西課長が迎えに来てくれました。それから、パシフィコ横浜に向かうと、入口にブログ「プロフェッサー」で紹介したサンレー沖縄の黒木部長、サンレー北九州の市原課長の師弟コンビが待っていました。


トークショーのようす

超満員になりました!

語る村山老師



村山氏は全日本仏教青年会の第18代理事長として、「全日本仏教青年会 全国大会2013年 in大阪」を開催。シンポジウム「東日本大震災から考える 地域の再生・多様性」を企画され、釈徹宗氏、中沢新一氏、玄侑宗久氏の3氏が出演されています。また、全国曹洞宗青年会HPには「第1回世界仏教優秀指導者賞2014 〜村山博雅師受賞〜」報告という記事が掲載されています。トークショーの前にご本人と打ち合わせしましたが、大変な論客でした。ラ・サール高校、慶應義塾大学のご出身だとか。


日本仏教界のニューリーダーです



村山氏は「萩の寺」として有名な、東光院豊中市南桜塚)の副住職でもあります。東光院さんは、奈良時代の高僧である行基が735年、今の大阪市北区中津の淀川のほとりに開創した寺院です。
火葬する遺体の霊前に、萩の花を手向けたことから、植えられるようになったといいます。萩は、同院が1914年に豊中市に移った際に移植され、大切に育てられてきました。秀吉の側室となった淀君は毎秋のように、萩の花の観賞に訪れたとされるとか。


トークショーのようす

最初に自己紹介しました



トークショーは14時05分からスタートしました。
司会は、三重平安閣互助会の松嶌康博社長でした。松嶌社長は、全互協の儀式継創委員長にして、全互連の専務理事でもあります。最初に簡単な自己紹介をというので、わたしは「作家、全国冠婚葬祭互助会連盟会長としてご紹介いただきましたが、わたしは冠婚葬祭互助会の代表取締役も務めております。今日は、わたしたちが葬儀の現場で日々感じていることや問題点について、建設的なご意見を村山様より伺えればと楽しみにしております。どうぞ、よろしくお願いいたします」と述べました。


村山老師の話を拝聴する

現代社会における宗教観と他界観について



それから、司会者より「現代社会における宗教観と他界観について」というテーマが出されました。わたしは以下のように答えました。
死とは「人生を卒業すること」であると思います。さらに言えば、「意識の変容」であり、別の次元に移行することであると思っています。そして、最後は「わたし」というものが融けて宇宙と一体化することだと思います。ですから、わたしは「死は不幸ではない」と思っています。


問われるべきは「死」ではなく「葬」である!



オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要なし。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。そして、「葬」とは死者と生者との豊かな関係性を指します。


日本人の他界観を語りました

立ち見が続出しました!



日本人の他界観を大きく分類すると、「海」「山」「星」「月」となりますが、それぞれが「海洋葬」、「樹木葬」、「天空葬」、「月面葬」に対応しています。わが社が積極的に取り組んでいる四大「葬送イノベーション」ですが、いずれも日本人の他界観に対応しているわけです。そして、これらの新しい葬法においては「無縁化」するということが基本的にありません。山、海、星、月に故人の面影を求めるメモリアルは軽やかで自由な供養が可能となります。海は永遠であり、山は永遠であり、星は永遠であり、月は永遠です。すなわち、四大葬送イノベーションとは四大「永遠葬」でもあるのです。この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の方々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。


だんだん白熱してきました



それから、司会者から「現在の葬儀の簡略化・簡素化について危惧する点についてお話し下さい」との言葉があり、以下のように述べました。
Amazonの僧侶派遣サービスに対して全日本仏教会が抗議をされたようですが、あれはスルーするというか、放置しておけばよろしい。社会に必要なものは残るし、必要でないものは残りません。執拗に互助会批判を繰り返す業界もあるようですが、互助会は社会に必要とされたために現在でも隆盛を誇っています。現代日本の仏教界を見てみると、檀家の暮らしぶりに応じて、高額な「御布施」「戒名料」を提示されるお寺も少なくないようですし、むしろAmazonの僧侶派遣、イオンの寺院紹介の方が明瞭かつ低額で良心的と考えている方もいるのでしょうか。わたしは、このへんは、互助会の出番であり、せっかく会員さんがいらっしゃるのですから、各互助会は普段から会員さんに情報公開し、理想的な葬儀についてのオリエンテーションを行うべきであると思います。


全互協の支援活動について説明しました



それから、司会者から「全互協の支援活動について簡単に触れ、儀式に携わる業界の人間として、人々に向けてどのような果たすべき使命があるのかお話し下さい」と言われ、わたしは以下のように述べました。
阪神淡路大震災東日本大震災では全互協に対して行政から柩等の物的支援、埋葬サポートの要請が来ました。東日本大震災後にわが社で志願者を募ったところ、70名もの応募が集まりました。このうち、家族の同意も得た14名のメンバーを選出しましたが、全国の冠婚葬祭互助会も同様に率先して支援活動を行わせていただきました。大事な社員を被災地に派遣するのは、経営者として正直言って心配ではありましたが、社員が快く引き受けてくれたことに誇りを感じました。葬儀に従事する社員たちが、わが社の「人間尊重」というミッションをよく理解してくれ、少しでも大震災の犠牲者の人間の尊厳を守ろうと考えてくれたのです。もう会社の社員というよりも、志を同じくする同志であると痛感しました。いま冠婚葬祭互助会は、「死者の尊厳」と「生者のコミュニティづくり」という二つの課題を与えられています。これは、そのまま日本復興にとっての重要なポイントとなります。


葬儀業界関係者へのメッセージを述べました



そして司会者から「葬儀に関わる業界関係者に対する、振り返りを促すメッセージをいただければ幸いです」と言われ、以下のように話しました。
わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であり、発展基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。
「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、確かに埋葬という行為には人類の本質が隠されているといえるでしょう。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。


なぜ儀式は必要なのか



わたしは『儀式論』を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人だけでなく、わたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。


儀式は人類の本能です!



じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。
食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。
最期のセレモニーである葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供など大切な家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。


大盛況のうちに終了しました



最後に司会者から「限られた時間ではありましたが、大変示唆に富んだ対談でありました。お二方、ありがとうございました。それぞれの益々のご活躍をお祈りいたします」との言葉をいただき、対談は終了しました。
広いパシフィコ横浜の会場中に鳴り響くような盛大な拍手を頂戴し、わたしは大変感激しました。


終了後、愛読者の方と記念撮影

参加者のみなさんと記念撮影



わたし自身、ブログ「仏教連合会パネルディスカッション」で紹介したシンポジウム以来の僧侶との対話でしたが、大変良い経験をさせていただきました。対談相手の村山博雅老師および司会者の松嶌康博委員長をはじめとする全互協のみなさまに感謝を申し上げます。また、客席には大手互助会の社長さんたちの顔がズラリと見えました。みなさん、お忙しい中を足をお運びいただき、ありがとうございました。おかげで、とても心強かったです。
わたしは、今月20日に上智大学で「葬儀」「グリーフケア」についての連続講義を行います。さらに27日には、宗教学者島田裕巳氏と対談します。この7月、これまでの人生でも最も熱い夏となりそうです・・・・・・。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月6日 一条真也