海に還るという送られ方

一条真也です。
わたしは、NIKKEI STYLE「一条真也の人生の修め方」というコラムを連載しています。第32回目となるコラムが本日アップされました。


「海に還るという送られ方」



今回のタイトルは、「海に還るという送られ方」です。
先日、沖縄本島での海洋葬に立ち会いました。海洋葬とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋に散骨する自然葬のひとつです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる交通手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しています。



毎年春になると、サンレー沖縄が主催する「海洋散骨」を行っています。まずは那覇市内のセレモニーホールにおいて、合同慰霊祭を開催。献灯式などが行われ、わたしも主催者を代表して献灯させていただきました。終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。それから、サンレーのセレモニーホールから三重城港へ移動しました。船が出港する際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ります。この日は朝から雨がしとしと降っていたのですが、まさに出航する瞬間に天気が急に好転し、空が晴れてきました。波はけっこう荒かったですが、しばらくして船は散骨地点に到着し、海洋葬がスタートしました。



海への散骨の後、ご遺族は花を投げ入れられました。それから、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。カラフルな生花が海に漂う様子は大変美しかったです。それから、主催者挨拶として、わたしがマイクを握りました。わたしは、「海は世界中つながっています。日本中、いや、世界中のどの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです。どこにいても、故人様の供養ができます」



それを聞かれたご遺族の方々は、涙を流されていました。わたしはアンデルセンの有名な言葉である「涙は人間がつくる一番小さな海」という言葉を思い出しました。「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為の本質はファンタジーのようなものであると思い至りました。その後、散骨地点を去る際、右旋回で永遠の別れを惜しみました。わたしは美しい沖縄の海を見つめながら、大好きだったという海に還った故人のご冥福を心から祈りました。


次回も、どうぞお楽しみに!



なお、第33回目のアップは6月7日(火)。タイトルは「余命宣告されたら、友人や知人に会いに行く」です。34歳の若さで亡くなられた大浦郁代さんは、余命半年を宣告されたときにお別れの旅を始められました。病身にもかかわらず、国内で30人、海外で30人のお友だちに会い続けられたそうです。それは延命治療をしないという選択の結果です。そのことが2007年の日本テレビ系列の「24時間テレビ 愛は地球を救う」で取り上げられ、秋川雅史さんによって「千の風になって」が歌われました。次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年5月24日 一条真也