インド

一条真也です。13日の夜、生まれて初めてインドにやって来ました。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の視察研修ですが、わたしは同研究会の副座長を務めています。これまで、前身の「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の時代から、韓国、台湾、ベトナムミャンマーなどを訪問しました。ちなみに、インドは南アジアに位置します。インド亜大陸を領有する連邦共和制国家です。


インドにやってきました!



インドは1947年にイギリスから独立しました。
インダス文明に遡る古い歴史、中国に次いで世界第2位の人口を持ちます。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウです。


インディラ・ガンジー国際空港のようす



Wikipedia「インド」の「概要」には以下のように書かれています。
「インドは南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。
12億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。連邦公用語ヒンディー語、他にインド憲法で公認されている州の言語が21である。また、識字率は74.04%である。
有権者8億人の世界最大の民主主義体制国家でもある。中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいるため、州政府が一定の独立性を確保している。主な言語だけで15を超えるため、インド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、カースト制度による差別は憲法で禁止しており、都市部での影響は薄まっているが、農村部では今でも影響は残っている」


インドのルピー紙幣



インドの経済はどうでしょうか。
Wikipedia「インド」の「概要」には以下のように書かれています。
「インドの経済は、農業、工業、鉱業、IT産業と多種多様のサービスに富んでいる。労働力人口の3分の2が直接、或いは間接的に農業で生計を立てている一方、製造業とサービス業は急速に成長している部門であり、インドの経済に重要な役割を担うようになってきている。
IT時代の到来と英語を流暢に話し教育された多くの若者たちによりインドは、アフターサービスや技術サポートの世界的なアウトソーシングの重要なバックオフィスとなりつつある。インドはソフトウェアや金融サービスにおいて、高度な熟練労働者の主要な輩出国となっている。他の部門では製造業、製薬、バイオテクノロジーナノテクノロジー、通信、造船、航空、観光、小売が高成長の兆しを見せている。 アジア開発銀行(ADB)が2011年に発表した予想によれば、インドの中間層が向こう年間で人口の7割に達するとの見方もある。 インド・ルピー通貨の発行はインド準備銀行が実施している。補助単位として「パイサ(単数:Paisa)」があり、1ルピー=100パイサである」


デリーのようす



インドの首都はデリーです。
北京よりも大気汚染がひどいことで有名です。
Wikipedia「デリー」の「都市の概説」には、こう書かれています。
デリー首都圏を構成し、ニューデリーオールドデリーに分けられる。ニューデリーの中にはニューデリー行政区があり、ここに連邦の首都機能がある。古くは現在のオールドデリーだけの町であったが、イギリス統治下の新しい首府としてニューデリーが建設された。イギリスの設計と建設による新都市部分をニューデリーと呼び、古くからある町をオールドデリーと呼んでいる。2011年の近郊を含む都市圏人口は2163万人であり、世界第2位である。プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、デリーの2008年の都市GDPは1670億ドルであり、世界第37位である」


デリーのようす

バスから見たインド



2002年以降に外務省の協力で発行された『世界の国一覧表』(世界の動き社)では、インドの首都が「ニューデリー」から「デリー」に修正されています。日本の教育現場でもインドの首都は「デリー」と指導されるようになっています。ただし、インド政府公式サイトおよび日本の外務省のサイトにおいては現在も首都は「ニューデリー」と表記されています。


バスから見たインド

バスから見たインド

至るところに牛がいます

観光地には人力車が・・・



さて、今回のインド視察では、仏教聖地を中心に視察する予定です。言うまでもなく、インドはブッダ世界宗教である仏教を開いた土地です。その布教のルートを追いながら、ブッダの教えというものを振り返りたいと思います。先行きのまったく見えない時代に最も求められる教えを残したのがブッダではないかと思います。仏教は、正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。わたしは、仏教の思想、つまりブッダの教えが世界を救うと信じています。


図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

拙著『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)に詳しく書きましたが、仏教を開いたブッダ自身は、むしろ1人の修行者として生涯を貫いた人だったと思います。彼は、仏教という新しい宗教を創始したなどという気持ちは露ほどにも思っていなかったと思います。真理を体得した1人の修行者として、その真理を伝えたいというその思いだけだったのではないでしょうか。ただ仏教はまことに多様な展開をした宗教であり、その基本的性格はブッダによって定められ、継承され、発展して今日におよんでいます。


ブッダとは、パーリ語でもサンスクリットでも「めざめた者」を意味する言葉です。釈迦という言い方もしますが、これはシャーキャ族の中の聖者(ムニ)だから「シャーキャムニ」と呼ばれ、それが音写されて「釈迦牟尼(ルビ:しゃかむに)」となったものです。またバガヴァッドの訳語から「世尊」ともいいます。「釈迦牟尼」と「世尊」をあわせた「釈迦牟尼世尊」の短縮形から「釈尊」とも呼ばれました。


仏典によると、紀元前五世紀頃のインドには「六十二見」といわれたブッダ以外の思想家が62人も活動していたといいます。さらに、それらの中でも有力な指導者をまとめて「六師外道」と呼びました。「外道」とは、インドにおいて仏教以外の宗教家や修行者をさす、仏教側の呼称です。六師のうち最も有力な思想家で、ブッダと並ぶ宗教指導者がブッダと並ぶジャイナ教のニガンタ・ナータプッタです。本名はヴァルダマーナで、大悟してマハーヴィーラと名乗りました。


ニガンタはブッダより20歳年少で、ブッダより年長く生きました。ヴェーサーリーの王族の出身で、結婚生活を経て歳のときに修行者となりました。その生涯はブッダによく似ていますが、ジャイナ教は仏教とほぼ同時代に起こり、いずれも非正統バラモン思想に属したため、新時代の社会にふさわしい思想を大衆に呼びかけました。


仏教とジャイナ教は、その教団形成や聖典編集においても類似点が多いです。『ヴェーダ』の権威を否定し、宇宙創造神や絶対の原理を認めず、人倫の理法を守るべきことを主張した点も共通しています。しかし、ブッダとニガンタの思想には大きな違いがありました。ブッダの無我説に対して要素実在説を、中道説に対して相対主義を、苦行否定に対して苦行主義を説いたからです。


いずれにしても、じつに62人もの思想家の中からブッダとニガンタの2人が残り、ついにはブッダがインド思想の頂点を極めたのです。
今回、インドでブッダの歩んだ道をたどり、偉大な聖人が残したメッセージを少しでも感じてみたいと思います。
もちろん、健康を崩さないように用心し、無事に帰国するつもりです。


マハーボディ寺院の金剛宝座にて



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年2月14日 一条真也