芭蕉の館

一条真也です。
ブログ「安宅の関」ブログ「呉竹文庫」で紹介した場所の後は、加賀市山中温泉郷に入り、「芭蕉の館」を訪れました。


奥の細道』三百年記念碑

奥の細道』三百年記念碑の説明版



石川県の加賀温泉郷は、粟津、片山津、山代、山中の4つの温泉地からなります。半径約8キロの範囲に密集しているのが特徴ですが、それぞれが風情のあるロケーションを持ち、効能も「四湯四養」といわれ異なります。
加賀温泉郷は、1300年前の奈良時代に高僧泰澄大師によって、あわづ温泉が開湯したのが始まりといわれています。その後、行基により山代温泉山中温泉が開湯されたという伝承が残っています。また、鎌倉時代には浄土真宗の祖である親鸞聖人をはじめ、蓮如上人が布教にこの地域を訪れていますし、戦国時代には、明智光秀が癒すために山代温泉で湯治した記録が残っているそうです。さらに江戸時代に入ると松尾芭蕉が弟子の曽良山中温泉で逗留して多くの句を残しています。


芭蕉の館」を訪れました



奥の細道』で芭蕉曽良が別れたのがこの山中の地なのです。
旅の途上、金沢から体調のすぐれなかった曾良は、芭蕉山中温泉で別れることになりました。曾良は伊勢長島の伯父をたより、ひと足先に旅立ち、芭蕉加賀国から越前国へと向かいました。
二人が別れ際によんだ句は次のとおりです。
「行き行きて たおれ伏すとも萩の原」  曽良 
(行けるところまで行って、最期は萩の原で倒れて旅の途上で死のう)
「今日よりや 書付(かきつけ)消さん笠の露」  芭蕉
(今日よりは笠についた露で「同行二人」の文字も笠から消すことにしよう)


芭蕉曽良 の石像の前で



山中温泉には、このふたりの別れの場面を石像で再現しています。
この石像は山中温泉にある「芭蕉の館」の前に建立されているのですが、ここ施設について公式HPでは次のように紹介されています。
「元禄二年の秋、松尾芭蕉は門弟の曾良を伴い、山中温泉を訪れ、泉屋に九日間逗留しています。山中温泉の総湯『菊の湯』の名称は、芭蕉が『奥の細道』で詠んだ『山中や菊はたおらじ湯のにほひ』に由来します。その芭蕉が逗留した『泉屋』に隣接していた『扇屋』の別荘であった建物そのものです。長年にわたり旅館として営業していましたが、時代の流れと老朽化により閉館。しばらくそのままにされていましたが、その古式ゆかしい風情と山中温泉街の中心部にあるという恵まれた立地から、地域の行事に一部の部屋を解放するなどしていましたので、ただいたずらに朽ちていくのを惜しむ声が次第に広く大きくなっていったのであります。そして平成十六年に大々的に再整備をし、芭蕉の館として再生再出発したものです。明治三十八年の建築で築後百年を経ていますが、先人の知恵が随所に散りばめられた日本建築ならではの耐久性のたまもので、現代建築にはない安心感に満ち溢れています」


芭蕉の館」の玄関前で



なるほど、たしかに歴史を感じさせる建物ですが、なんでも山中温泉最古の宿屋建築だそうです。2階は、芭蕉や彼が俳号を授けた泉屋の主人である桃妖の資料が展示されています。芭蕉が書き残した「やまなかや菊は手折らじゆのにほひ」の掛軸真蹟など、芭蕉関連の資料など、見どころ満載。


芭蕉の館」の内部のようす

芭蕉の館」の二階のようす

庭には「雪吊り」が・・・・・・



公式HPでは二代目館長の平井義一氏が一文を寄せています。
「四百年の歴史をもつ山中漆器は国の伝統的工芸品産地の認定を受けていますが、その最高峰である人間国宝 川北良造の名品をはじめ著名木地師達の数多くの秀品を鑑賞することができます。市や町では永年に亘って木地、蒔絵、塗り等の業界新作展で選ばれた優秀作品を永久買上品として買上げてきました。ここではその秀品の数々を永く将来に伝えると共に、多くの方々にご覧いただくことを願い展示いたしております」


館内のようす

『おくのほそ道』

奥の細道』全図

桃妖の俳句



芭蕉の館」の二代目館長の平井義一氏は、さらに述べます。
「ここには百年を経ても尚、輝きを失わない和の情緒があります。
漆塗りの天井、広々とした床の間、障子や畳の柔らかな感触、その一つ一つをゆっくりと楽しんでください。
お抹茶の一服も格別です。奥の細道の旅の道中、芭蕉さんは山中温泉で八泊九日間の長逗留をし、多くの句と資料を残されました。湯宿とした泉屋の先代・又兵衛豊連は、洛の安原貞室に影響を与えた人物として『俳諧水滸伝』にも紹介されています。元禄二年当時の泉屋は、幼主・久米之助(十四歳)であり、蕉翁に俳諧の手解きを受け、芭蕉庵桃青の俳号から桃妖の号と共に“桃の木の其の葉散らすな秋の風”の句を贈られます。一方、金沢から芭蕉曽良の一行に加わった北枝も、蕉翁に俳諧を問い『山中問答』として残されています。また、当地は、芭蕉曽良との別れの地であり、曽良への餞別として巻かれた『山中三両吟』の歌仙は、“翁直しの歌仙”として『やまなかしゅう』に納められ、貴重な研究資料となっています」


山中温泉案内資料(昭和時代)

山中湯図

山中温泉芭蕉が詠んだ句



続けて、代目館長の平井義一氏は以下のように述べます。
「湯けむりの中、湯座屋節(山中節の前身)が流れ、あちこちに木地挽の音が・・・。そんな、山あいの温泉街・薬師山・道明ヶ淵・黒谷橋と散策し、いで湯に浴した芭蕉さんは、山中湯に“桃源郷”を見立てました。
当館は、当時、泉屋に隣接していた湯宿、元・扇屋(桃妖の妻の実家)を修復し、俳諧師芭蕉”縁の資料を中心に、伝統工芸としての漆器・温泉資料を合わせ展示致しております。庭越しの御茶のひと時を、又“山中節”を習われるも良し、どうぞ御気軽にお立ち寄り下さいませ。一同快く御来館をお待ち致しております」
いやあ、なんとも叙情的な文章で、ウットリします。


オープン前夜の加賀紫雲閣に寄りました

山中温泉の露天風呂で・・・


芭蕉の館」を出た後は、9日にオープンする加賀紫雲閣を訪れ、竣工式の準備が出来ているかの点検をしました。それから、山中温泉の宿に投宿して、露店風呂に入りました。とても湯治まではかないませんが、機会と時間に恵まれたならば、ゆったりと逗留しながら、俳聖・芭蕉に想いを馳せつつ、道歌を詠んでみたいものであります。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年12月9日 一条真也