美の行者、逝く!

一条真也です。
昨日、東京自由大学で講義&トークセッション&出版祝いを行いました。
今日の午後、スターフライヤーで東京から北九州に戻りました。
帰宅して書斎のパソコンを開くと、1通のメールが届いていました。
東京自由大学理事長の鎌田東二先生からのメールでした。
タイトルには「横尾龍彦先生が亡くなりました」と書かれていました。


横尾龍彦先生(ドイツのアトリエにて)



また、メールの本文には、以下のように書かれていました。
秩父にお住いの小倉出身の東京自由大学初代学長横尾龍彦先生が本日朝亡くなりました。享年87歳でした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。今年は、大重潤一郎監督、岡野恵美子さん、そして横尾龍彦先生と、東京自由大学の三本柱が相次いで他界されました。遺されたわたしたちは、いっそうその使命を果たしていきたいと思います。今後とも、いっそうよろしくお願い申し上げます。11・23 鎌田東二拝」


故横尾龍彦先生の絵(鎌田東二氏所蔵)



わたしが東京自由大学で久々に講義をさせていただいた翌朝に初代学長が亡くなるとは! しかも「死」と「葬」の話をした直後に!
しかも、横尾龍彦先生のことはよく存じ上げていました。横尾先生はドイツと日本で活躍する画家であり、神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーの影響を受けた「瞑想絵画」とでも呼ぶべき神秘的、秘教的な作風で知られました。わたしは、先生の絵はアストラル界を描いているように感じました。



小倉のご出身で、明治学園の美術の教師も務められていました。
2001年に北九州市立美術館でパフォーマンスと芸術シンポジウムを開催され、そのとき初めて横尾先生にお会いしました。シンポジウムには鎌田先生も参加されていたのです。その後、大宮の鎌田先生の御自宅を横尾先生と一緒に訪問し、夕食を共にしたことがあります。鎌田先生の奥様が作って下さったトムヤンクンがとても美味しかったことを憶えています。そこで、わたしたちはシュタイナーや出口王仁三郎の芸術作品の話などをしました。
「美の王国」への心が開かれるような至福の時間でした。
横尾先生が2003年に東京で開催された個展にもお邪魔しました。



●横尾先生の経歴は以下の通りです。(横尾龍彦ブログより)
1928年 福岡に生まれる。東京芸術大学日本画科卒。
1965年 第1回渡欧、シトー会奨学金パリ・ジュネーヴに1ヶ年居住。
       中世美術の研究。
1972年 イタリア旅行、ローマに1年滞在、ローマ幻想連作
1973年 画集『幻の宮』芸術生活社より刊行。
1975年 古典油彩技法研究のため、ベルギー、ドイツ旅行。
       ウィーンに1ヶ年居住。
1977年 ドイツ、スペインにてボッシュに傾倒、ヴォルブスベ-デ滞在。
1978年 ルドルフ・シュタイナー研究会高橋巌教授のセミナーに参加。
1978年 鎌倉三雲禅堂、山田耕雲老師に師事。
       以後毎年接心、独参を受ける。
1980年 ドイツ移転、オスナブリュックに居住。
       B・B・K・ドイツ美術家連盟会員。
1985年 ケルン郊外に居住。
       ベルリンと秩父にアトリエを設け東西を往来。
1989年 東京サレジオ学園の聖像彫刻、吉田五十八賞受賞。
       画集『横尾龍彦(1980〜1998)』(春秋社)刊行。



●鎌田先生は「横尾龍彦先生に捧ぐ」として、以下の歌を詠まれました。


美の行者 横の尾の上人 龍彦と
       受肉せし身を 脱ぎて還らむ


はろばろと 伯林秩父を 翔け巡り
        天空上人 龍の眼の人



素晴らしい鎮魂歌に感動いたしました。
わたしは鎌田先生に「昨夜、出版祝い会で、鳥飼さんが『知り合いや家族がどんどん亡くなると、あちら側の様子が気になります』と言われていました。横尾先生、大重監督、岡野さん、吉田さんたちが、あちらの世界で『東京自由大学』を開校されるかもしれませんね。わたしたちは死者とともに生きている。本当に、心の底からそう思います」とのメールをお送りしました。
いま、故人の故郷である小倉には涙雨が降っています。偉大なる美の行者、横尾龍彦先生の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月23日 一条真也