スマラプラ王宮

一条真也です。
ブログ「ブサキ寺院」で紹介したバリ・ヒンドゥー教の総本山の次は、スマラプラ王宮を訪れました。スマラプラインドネシア共和国バリ州クルンクン県の首都です。この町に18世紀から20世紀初頭まで栄え、バリ島全土に影響を及ぼしたスマラプラ王朝の宮廷跡があります。


スマラプラ王宮

スマラプラ王宮にて

庭園が美しかったです

この日は気温35度以上で暑かったです



バリ島旅行.com」には次のように紹介されています。
「敷地内に入り、まず目につくのは、まるで池に浮かぶように作られたバレ・カンバン。これは、ゲルゲル王朝時代、王家の人々が休憩場所として使われていた建 物を1940年代に復元したものです。ここに来たら、ぜひ見て頂きたいのは、この地に古くから伝わる『カマサンスタイル』という絵画技法で描かれた見事な 天井絵です」


天井が素晴らしかったです

現地ガイドさんが解説してくれました

天井画の下で

のどかな光景でした



また、「バリ島旅行.com」には次のように紹介されています。
「敷地の北東側には、クルタゴサと呼ばれる、小さな建物が立っています。クルタゴサとは、サンスクリット語で裁判所を意味し、その名の通り、地方レベルでは解決できない事案を裁いた場所でもあるのです。このクルタゴサにも見事なカマサンスタイルの天井絵が施されています。


博物館の前で

なんだか落ち着く光景です



さらに、「バリ島旅行.com」には次のように紹介されています。
スマラプラ宮殿から通りを隔てた場所にはププタン記念碑が建てられており、内部にはオランダ軍との壮絶な戦い(ププタン)の様子を紹介する資料が展示されています。時間があれば、ぜひご覧いただきたい記念碑です」
ちなみに、ププタンとは「壮絶な死」という意味だそうで、次のような解説が添えてあります。
「19世紀後半から、オランダ軍がバリ島侵攻を始め、バリ島各地の王国は、オランダ軍の侵攻に敗れ去っていきました。スマラプラ宮殿のあるスマラプラには、ゲルゲル王朝の流れをくむクルンクン王国があり、最後までオランダ軍に抵抗をしていましたが、圧倒的な戦力の差に、 敗戦を悟った王族・貴族・家来たちは煌びやかな装飾品を身につけ、ガムランが流れる中、立ちはだかるオランダ軍にむかい死の行進をしたのです。オランダ軍の銃器の前に倒れた屍を乗り越え続く死の行進に、オランダ軍は恐怖を覚え、最後は全員討ち死にとなったのですが、この死の行進はププタンとして後世まで語り継がれているのです」


そこはヒンドゥーの楽園でした



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月14日 一条真也