ケチャダンス

一条真也です。
バリ島に来ています。13日の夕方、美しい夕日が望めるサンセットタイム、 ウルワツ寺院側の広場で、バリ島名物であるケチャダンスが行われました。この幻想的なダンスを鑑賞するのは、じつに四半世紀ぶりです。


ケチャダンスの会場

夕日がとても美しかったです

ヒンドゥーの割れ門に夕日が・・・



ケチャダンスとは、いったい何か。
Wikipedia「ケチャ」には以下のように説明されています。
ケチャ(kecak)とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱。または呪術的な踊り(サンヒャン)にともなう舞踏劇。バリ島では、kを発音しないため、現地ではチャと呼ばれている。ケチャはまた『モンキーダンス』とも呼ばれることがあるが、本来的にはモンキーとは関連をもたない」


ダンサーたちが入場してきました

ケチャダンスが始まりました



また、「ケチャのルーツ」には以下のように書かれています。
「バリ島の伝統的な舞踏、サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに、初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。これに対して、現在のケチャは、『ラーマーヤナ』の物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられている。こうしたケチャの『芸能化』がすすめられたのは、1920年代後半から1930年代にかけて、バリ人と共にバリ芸術を発展開花させたドイツ人画家、ヴァルター・シュピースの提案によるものであった。シュピースは、1920年代後半からウブド村の領主チョコルド・グデ・ラコー・スカワティに招かれてウブドに在住した画家・音楽家であり、現地の芸術家と親交を結びながらケチャやバリ絵画などの『バリ芸術』を形作っていった。ある著名なバリ人舞踏家がサンヒャン・ドゥダリ男声合唱にバリス舞踊の動きを組み込ませたのを見たシュピースは、ガムランの代わりにこの男声合唱のみを使って『ラーマーヤナ』のストーリーを組み込んだ観賞用の舞踊を考案するよう提案したのである」


ラーマーヤナ』のストーリーは、以下の5つのパートに分けられます。
1.森の中を散歩するラマ王子・妻シータ・王子の弟ラクサマナの3人の前に黄金の鹿が現われ、シータにその鹿を捕えてくれと頼まれたラマ王子は、鹿を追って一人森に入って行く。しかしこの鹿が悪魔の使いであることを知ったラマはラクサマナに助けを求め、シータも夫ラマを助ける様に頼むが、ラクサマナは偉大な王子が危険な目に合うとは信じないで、その願いを聞き入れない。「弟は兄の王子が悪魔に殺されるのを待っている」と勘違いしたシータに厳しく責められたラクサマナは、その屈辱からシータを森に1人残して立ち去ってしまう。


舞踊というよりは儀式のような印象です

ケチャダンスのようす



2.シータが1人になるのを待って、悪魔のラワナは彼女をさらって、自分の王国に連れ去る。
3.ラワナの王宮に閉じ込められているシータの元にハノマンという猿の大将が現われ、自分はラマとシータの味方で助けに来たことを告げる。
ハノマンは、証拠としてラマの指輪を渡し、彼が無事であることを伝える。シータは自分の髪飾りをハノマンに渡す。そして、ラマに助けてくれるように伝えて欲しいと頼む。


女性ダンサーが入場

ケチャダンスのようす



4. シータを助けに来たラマ王子はラワナに矢で撃たれる。
この矢は蛇に変身しラマが身動き出来ないようにに巻き着く。
ラマは神の使いガルーダと言う大きな鳥に助けを求め、ガルーダは忽ちラマに巻き着いている蛇を殺し彼を自由にする。
5.自由の身となったラマは、悪魔・ラワナを滅ぼそうとする猿の王・スグリワに味方し、猿と悪魔、両軍の戦いが始まる。男性コーラスも両軍に分かれ、その場を盛り上げる。激しい戦いの末に猿の軍が勝利を納め、ラマは妻シータを連れだって無事に自分の国アヨディア王国に戻ることが出来た。


ケチャダンスのようす

ケチャダンスのようす



展開」には以下のように書かれています。
「シュピースの提案を受けたプドゥル村の人びとが、1933年にボナ村の人びととともに、総勢160名で試みたのが最初のケチャであるとされる。その2年後の1935年にボナ村の人びとがさらに発展させたケチャを上演し、これが今のケチャの原型になった。こうして、その後、1950〜60年代頃には、一般に観光向けに上演される舞踏劇としての様式が確立した。今日、最も盛んなプリアタン村でケチャが始まったのも1966年である」


わたしは、幻想的なケチャダンスを鑑賞しながら、「宗遊」という言葉を思い浮かべました。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。


宇宙における情報システム



だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」というものではないでしょうか。
音楽やダンスなどの「遊び」は最も原始的な「もとのもと」の表現であり、人間をハートフルにさせる大きな仕掛けとなります。何かを人間の心に訴えるとき、「教え」だけでプレゼンテーションを行うよりも、ダンスなどの「遊び」を通じて伝えたほうが確実に伝わると思います。



幸福、愛、平和といった抽象的なメッセージを伝えようとしても、今までは「教え」だけだったので説教臭くなって人々に受け入れられないという面がありました。そういった抽象的な情報は、言語としての「教え」よりも、非言語としての「遊び」の方が五感を刺激して、効果的に心に届きやすいのです。そして、儀式というものもダンスと同様に、相手の心に直接メッセージを伝える非言語情報であると思います。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月14日 一条真也