トゥルニャン村

一条真也です。
バリ島に来ています。
12日は、トゥルニャン村を訪れました。バリ島北部のバトゥール湖は世界遺産ですが、その湖畔にトゥルニャン村はひっそりと佇んでいますこの村で「風葬」を見学したのです。まことに貴重な体験でした。


バトゥール湖が見えてきました

世界遺産の湖です

ここからボートに乗ります

トゥルニャン村が見えてきました



世界遺産となっているバトゥール湖畔からボートに乗って、トゥルニャン村に渡ります。ライフセーバーを装着してボートに乗り込むと、なんだか少年時代に好きだった「川口浩探検隊」みたいで気分が盛り上がってきました。これで湖に幻の古代魚でもいれば最高なのですが・・・・・・。水しぶきを浴びながら30分ほどボートで進むと、トゥルニャン村が見えてきました。


トゥルニャン村

トゥルニャン村にて

ヒンドゥー寺院がありました

村の集会所

村の子どもたちがいました

トラのような犬は神獣?



トゥルニャン村に着くと、いきなりゴミの山でした。人口は1000人ぐらいだそうです。村へ入っていくと、ヒンドゥー寺院や村の集会所などがありました。集会所の前にトラのような犬が座っており、最初は犬だかネコ科の動物だか判別できませんでした。それで、わたしが「あの生き物は何ですか?」と大きな声で質問すると、現地のガイドさんが「あれは犬です!」と答えてくれました。そのやりとりを聞いていた姫路の山下さんという方が爆笑していました。なんでも笑いのツボに入ったそうです。きわめて普通の会話のはずですが、関西人の笑いのツボというのはよくわかりませんね(苦笑)。


トゥルニャン村のようす

トゥルニャン村のようす

独特のムードがありました

六重塔もありました

バトゥール山を拝む拝殿?

道に干からびたカエルの死骸が・・・

再びボートに乗って、墓地へ



それにしても、トゥルニャン村は独特のムードを持った神秘的な村でした。
わたしの印象では、沖縄の離島、それも久高島などの雰囲気に似ているように思えました。村そのものが、聖なるバトゥール山を拝む拝殿のようでもありました。歩いていると、道に干からびたカエルの死骸が転がっていてギョッとしました。あやうく、踏んでしまうところでした。わたしたちは、もう一度ボートに乗って、風葬の現場である墓地へと向かいました。


いよいよ、風葬の墓地へ

「WELCOME」の看板が・・・



バリ島北部のバトゥール湖は世界遺産ですが、その湖畔にトルニャン村はひっそりと佇んでいます。この村は3方を断崖絶壁に囲まれ、残りの1方を湖に遮られており、村への交通手段は対岸からのボートしかありません。この「陸の孤島」では「風葬」によって死者を弔っているのです。「風葬」とは、遺体を野ざらしのまま朽ち果てさせる葬法です。かつては、沖縄や奄美諸島をはじめとする日本にもその風習が残されていました。


まるで灰皿のような頭蓋骨

賽銭入れとなっている頭蓋骨



ボートを降り、座っているおじさんが差し出した空き瓶に見学料を支払いました。最初に目に飛び込んできたのは、バリ・ヒンドゥーの代表的な建築様式である「割れ門」です。門の前には頭蓋骨が置かれていました。頭蓋骨は2つあり、向かって右のものはタバコの吸い殻がたくさん置かれて、まるで灰皿のようになっていました。一方の左側の骸骨にはコインが置かれており、賽銭皿のようでした。同じ頭蓋骨でも灰皿と賽銭皿では大違いですが、どうしてこんなことになったのでしょうか?
一緒にいた姫路の山下さんは「たぶん最初に誰かが吸い殻を置いたら、後の人が真似をしたんでしょう」と推測していました。最初の人間の行動次第で灰皿にも賽銭皿にもなるとは考えさせられます。わたしは、まるで経営そのものだと思いました。山下さんは冠婚葬祭互助会業界きっての「経営の達人」として知られていますが、大変勉強になりました。


墓地の入口

ゴミだらけでした



墓地のスペースは意外と狭かったですが、大量のゴミが置かれており、まるでゴミ捨て場のようでした。故人の思い出の品などを持ち込むそうなのですが、まったく掃除をしないようです。


遺体が置かれていました



故人が独身者の場合は地中に亡骸を埋め、既婚者の場合は野ざらしにするそうです。木の柵を設えられた家のような場所に、遺体が置かれます。顔以外の部分は布がかけられていました。死後1週間ほどの遺体もあり、わたしは合掌しました。柵の前には、食器や籠などの生活用品が無造作に積み上げられていました。故人が生前使っていた思い出の品だそうです。
死体が朽ち果てると、頭蓋骨のみ残して、他の骨はペットボトルなどのゴミと区別も付けずに、無造作に脇へと追いやられます。遺骨信仰などと呼ばれる日本人からすると複雑な気分になりますが、その日本人も昨今は電車の棚に遺骨を捨てたり、火葬場で遺灰を捨ててきたりするわけですから、困ったものですね。


大量の頭蓋骨が置かれていました

まさに「メメント・モリ(死を想え)」!



墓地には大量の頭蓋骨が置かれていました。
まさに「メメント・モリ(死を想え)」といった印象を受けました。
バリ島の中でも、トゥルニャン村はけっして豊かな村ではありません。
おそらくは風葬の習慣が残っているのは経済的な事情もあるように思えますが、風葬は1人あたり日本円で60万円ぐらいかかるそうです。どんなに貧しい人でも亡くなれば、村から60万円の葬儀を出してあげるわけです。わたしは、葬儀とは人類普遍の「人の道」であることを再認識しました。日本の「0葬」は、どう考えても異常です。


風葬の墓地にて



知的好奇心の扉トカナ」というサイトの「神秘なる人骨――生と死が共存するバリ島最後の秘境『風葬の村』トルニャン」という記事には、加茂萩太という方が以下のように書いています。
「『楽園』と呼ばれ、世界中から観光客がひっきりなしに訪れるバリ島。しかし、独自の宗教や伝統文化などを色濃く残すこの島には、『リゾート』や『バカンス』といった言葉では括れない側面も持っている」


香木のタルムニャン

特に香木の香りは感じませんでした



トルニャン村の墓地には1本の大木がありました。
「タルムニャン」と呼ばれるこの香木で、この木が香りを発することで、遺体から放たれる屍臭をかき消しているそうです。確かに、屍臭は感じませんでしたが、香木の香りも特に感じませんでした。


唯葬論

唯葬論

この墓地では、いろんなことを考えさせられました。特に原始社会における葬法の始まりといったものを具体的にイメージできたことが収穫でした。
「葬儀は人類の存在基盤」であるという『唯葬論』(三五館)のメッセージを再認識しました。また、同書で述べたように、「埋葬は文化のシンボル、墓は文明のシンボルである」ことも再認識しました。


風葬の視察後はボートへ

バトゥール山が美しかったです



ボートに乗って墓地から離れると、わたしたちはガイドさんの案内に従って、バトゥール湖の水で体を浄めました。ボートからは富士山と同じ高さだというバトゥール山がよく見えました。その姿は雄大で、美しかったです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月13日 一条真也