「ミケランジェロ・プロジェクト」

一条真也です。
東京に来ています。10日の夜、日比谷のTOHOシネマズシャンテで映画「ミケランジェロ・プロジェクト」を観ました。本当は翌日からバリ島に行くこともあり、書かなければならない原稿、読まなければならない資料などもあって非常に忙しいのですが、どうしてもこの映画を観たかったのです。


ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『オーシャンズ』シリーズなどのジョージ・クルーニーが、製作・監督・脚本・主演をこなした実録サスペンス。第2次世界大戦末期を背景に、ナチスドイツに奪われた美術品を取り戻す命令を下された者たちの姿を活写していく。『ボーン』シリーズなどマット・デイモン、『アビエイター』などのケイト・ブランシェット、『ロスト・イン・トランスレーション』などのビル・マーレイら、実力派スターが共演。彼らが繰り出す重厚で濃密な物語もさることながら、戦下での壮絶な戦闘を描写したアクションも見もの」


ミケランジェロ・プロジェクト」の映画ポスター



またヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの命を受け、ドイツ軍は侵攻した欧州各国の美術品を略奪。それに強い危機感を抱くハーバード大学付属美術館の館長ストークス(ジョージ・クルーニー)はルーズベルト大統領を説得し、美術品や歴史的建造物を保護する部隊モニュメンツ・メンを結成する。中世美術に精通したグレンジャー(マット・デイモン)や建築家キャンベル(ビル・マーレイ)などのメンバーを集め、ヨーロッパ各地を奔走。だが、劣勢を強いられて自暴自棄になったナチスや、妨害しようとするソ連軍が彼らの前に立ちはだかる」


ナチスが隠した美術品を探せ!

パリのロマンスが素敵でした



わたしは、「20世紀の神話」としてのヒトラーナチスに多大な興味を抱いていますので、ナチスが登場する映画と聞けば観ずにはおられません。よく知られているようにハリウッドはユダヤ資本ですので、映画に出てくるナチスはいつも憎々しく描かれていますが、これほど「悪」のイメージに完全に覆われた組織というのも珍しいでしょう。「仮面ライダー」のショッカーなど、特撮やアニメに登場する悪の秘密結社はたいていナチスがモデルです。


ジョージ・クルーニーが渋かった!



映画では美術館の館長ストークスを演じたジョージ・クルーニーが渋かったです。彼の映画を観たのはブログ「トゥモローランド」で紹介した作品以来ですが、なんだか彼を見ると癒されます。というのも、彼はわたしより2歳年長なのですが、映画の中ではくたびれた感じもそれなりに出ていて、観ていて安心できるのです。これが1歳年長のトム・クルーズあたりの肉体美を見せつけられたりすると、複雑な気分になりますね(苦笑)。


文化と歴史を守った男たち



この映画の中で特に印象に残ったセリフがありました。
それは、クルーニー扮するストークス館長が「建物が壊れ、人口が減少したとしても、また復興できる。しかし、文化や歴史が一度でも途絶えてしまったら、もう取り返しがつかない」というセリフでした。


正統とは何か

正統とは何か

わたしはこのセリフを聴いて、ブログ『正統とは何か』で紹介したG・K・チェスタトンの名著を思い出しました。チェスタトンは、「伝統」とは「中庸の知恵の歴史的蓄積」であると喝破しています。そして、その一例として「挨拶」を挙げています。渡部昇一先生も敬愛するチェスタトンの言葉はわたしの心に響く珠玉の名言ばかりでした。特に心に強く残ったのは、「正統とは歴史の流れの連続性を確保するものにかかわるものである」という言葉でした。ならば、親が亡くなったら、子が葬儀をあげる。故人と血縁、地縁のある者は葬儀に参列する。これ以上の「正統」があるでしょうか!


永遠葬

永遠葬

ブログ『永遠葬』で紹介した拙著にも書きましたが、人類最古の営みこそ葬儀でした。葬儀とは、人類の歴史の連続性を確保するものなのです。日本人が「0葬」という極端なニヒリズムに走ることは、歴史の流れの連続性を断絶することにつながります。人間にとっての最大の「伝統」とは、死者を弔うことです。どう考えても、0葬というのはおかしなトンデモ思想です。これを「おかしい」と感じない人々は「思考停止」した「凡庸」な人々なのです。現代の日本人が葬儀を行わなくなれば、文化や歴史が途絶えてしまいます。そして、一度でも途絶えてしまえば、もう取り返しがつかないのです。
この日は、「ミケランジェロ・プロジェクト」を観る直前にブログ「現代日本の中で死と向き合う」で紹介した作家で僧侶の玄侑宗久先生のお話を聴いたばかりでしたので、特にそのことを強く感じました。


死を見つめる心 (講談社文庫)

死を見つめる心 (講談社文庫)

ミケランジェロ・プロジェクト」では、ナチスからミケランジェロの「聖母子像」を奪還する際に生命を落とした人物が登場します。映画の最後に「彼が生きていたとしたら、そのために死んだことを悔いなかっただろうか?」という問いが発せられますが、ストークス館長は「もちろん(彼は悔いてはいない)!」と言い切ります。わたしも、まったく同意見です。
ちょうど、この日は東京へ向かって飛ぶスターフライヤーの機内で『死を見つめる心』岸本英夫著(講談社文庫)を読んだのですが、闘病10年の末に癌で亡くなった宗教学者の次の言葉に感動しました。
「武士は、戦場で、命を捨てることが名誉であり、役者は、舞台で倒れることが本望といわれてまいりました。今日でも、人間にとって、仕事場で死ぬということができれば、それは、本人の幸福であるといえましょう」
しかも、「聖母子像」を守って死んだ人物は、自らの命をもって「文化と歴史」を守ったのです。これほど価値のある死があるでしょうか! 


戒厳令の夜〈上・下〉 (1976年)

戒厳令の夜〈上・下〉 (1976年)

さて、この映画に登場する美術品を集め、それを隠した人物はヘルマン・ゲーリングです。一般に、ナチスが収集した美術品は「ゲーリング・コレクション」と呼ばれます。そのゲーリング・コレクションをじつは筑豊・田川の炭鉱王のが隠し持っていたという途方もない小説があります。
五木寛之氏の『戒厳令の夜』です。わたしは、この幻想小説の香り漂う作品が大好きで、何度も読みました。映画化もされ、樋口可南子が主演でデビューを飾っています。映画「戒厳令の夜」は何らかの事情で未だDVD化されていません。日本映画の中では、泉鏡花原作で坂東玉三郎主演の「夜叉ヶ池」と並んで最もDVDの発売を希望する作品であります。



ちなみに、『戒厳令の夜』の原作者である五木寛之氏ですが、株式会社サンレー創立50周年記念イベントとして「五木寛之講演会」を来年3月に小倉紫雲閣「大ホール」で開催することが内定しました。「サンデー毎日」の連載で御一緒させていただいている御縁からですが、『青春の門』以来の大の五木ファンであるわたし自身が大いに楽しみにしています。


日比谷のTOHOシネマズシャンテで鑑賞しました



ということで、11日は早朝から赤坂見附のホテルからリムジンバスに乗って成田空港に行かなければならないので、もう寝ないといけません。バリ島ではどんな出来事が待っているでしょうか。やはり何歳になっても、海外に行く前夜はワクワクしますね。それでは、おやすみなさいzzz



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月11日 一条真也