仙厳園

一条真也です。
西郷公園の後は、大名庭園の「仙厳園」を訪れました。鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園で、別名を「磯庭園」といいます。国指定名勝文化財で、世界遺産にも選ばれました。


仙厳園にやって来ました。

仙厳園の案内板

世界遺産に認定されています

島津義弘公所用鎧写

薩摩藩の大砲の前で

反射炉



Wikipedia「仙厳園」には以下のように書かれています。
「1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定されました」


ソテツの反り具合が・・・・・・

きれいな庭園でした

短歌をポストに入れました

桜島の雄姿を借景にしています

雄大桜島をバックに・・・・・・

ヤクザではありません!

集合写真を撮影しました



ちなみに撮影時、桜島がちょうど噴火しました。
Wikipedia「仙厳園」には、さらに次のように書かれています。
「幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。1857年(安政4年)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている」


ガイドさんの説明を聴きました

松の巨木(屋久島種五葉)を背に

亀石

観光を楽しむ人びと

庭園をバックに

庭園をバックに

島津忠義公爵一家の住まいでした

女優と語りながら歩く



Wikipedia「仙厳園」には以下のように書かれています。
「1888年(明治21年)からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。1949年(昭和24年)、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、1957年(昭和32年)には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している。春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名」


鶴嶺神社にて

尚古集成館にて

島津斉彬展」を開催中でした

豪華列車「ななつ星」が通りました



仙厳園には鶴嶺神社が隣接していました。
また、尚古集成館という歴史資料館もありました。
現在は「島津斉彬展」を開催中でした。
仙厳園の向かい側にはJRの線路があり、ちょうど豪華列車として有名な「ななつ星」が通りました。みんな一生懸命にカメラで撮影している姿を見て、わたしは「そうだ、来年の社員旅行は『ななつ星』の旅にしよう!」と思いつきました。来年は創立50周年ですし、みなさんも喜んでくれるでしょう。少し料金が高いそうですが、今から積立を始めれば何とかなるでしょう。はい。




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年9月10日 一条真也