『唯葬論』に反響続々!

一条真也です。
ブログ『唯葬論』で紹介した戦後70年記念出版の本は、これまでのわたしの執筆活動の集大成ですが、おかげさまで好評です。
何人かの方には、版元の三五館さんより『唯葬論』の献本を送っていただきました。丁重な御礼の手紙や葉書やメールをたくさん頂戴しました。


稲葉俊郎氏のブログ「吾」より



また、さまざまな方のブログやツイッタ―、フェイスブックなどでも
唯葬論』を紹介して下さっています。感謝の気持ちでいっぱいです!
未来医師イナバ」こと東大病院の稲葉俊郎先生も、ご自身のブログ「」に「一条真也『唯葬論』(前編)」という記事を書いて下さいました。



冒頭に、稲葉先生は「一条真也さんの『唯葬論』三五館(2015/7/23 )を読みました。とんでもなくすごい本でした。あまりのすごさに、ぶっ飛びました・・・。(中略)これは時代を超えて読み継がれていく本ですね」と書かれています。また、稲葉先生は以下のようにも書かれています。
「この本の紹介の18のキーワードだけを読んでも、いかにすごい本かが分かると思います。宇宙から神話から哲学から宗教、芸術、臨死体験もあれば、幽霊や供養、交霊もあり、最後には葬儀の意義というところに着地する。人類や自然の営みをすべて俯瞰的に包含したとんでもない本です。これは世界広しといえども、一条さんしか書けません」
いやあ、嬉しいお言葉です。これを読んで、夏バテが吹っ飛びました(笑)



続いて、稲葉先生は以下のようにも書かれています。
「この本の冒頭では、この本のエッセンスが簡潔に示されていて分かりやすいです。時間のない人も、この本の冒頭だけでも読んでくださいね!
たとえば、芸術の起源について。死の芸術こそが芸術の起源。ARTの本質は地上の楽園から天上の楽園へ、人間の魂を導く手段である。
供養の本質は、死者に死んでいることを理解させ成仏させることである。生者は死者によって支えられている。
冒頭のまとめだけを見ても、それぞれの章で何が書いてあるか分かるような親切な構成になっている。流石だ! と思った」
「この本の内容は人類に関わることすべてです。
宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論・・・・・・すごすぎる」



そして、稲葉先生は「それぞれの章で、なるほどー!と思ったところをご紹介させてください。でも、絶対本を買って読んだ方がいいですよ! きっと、何度も読み返せる本になると思います」と言いつつ、「宇宙論」から「他界論」までの内容で、心の琴線に触れた文章を抜書きして下さっています。
これがまた著者のわたしも唸るような渋い通好みの引用文ばかりで、嬉しくなりました。最後は以下のように結ばれています。
「この本は、あまりにも重厚で内容が多岐にわたり、バームクーヘンのように何層にも美味しさが詰まっているので、一気に感想を書き切れません。また時間がある時に、続きの感想書きます。。。。(と言うのも、いまから登山に行かないといけないので、途中ですけど、とりあえずUPさせてくださいませ)いやはや、本当にすごい本です。
久しぶりに、本読みながらトリップしました・・・笑」
なんと、この長い長い書評ブログが『唯葬論』全体の半分の内容にしか言及していないとは! これには、わたしもぶっ飛びました(笑)
稲葉ブログの最後には(次回、後編に続く。)と書かれています。
稲葉先生、素晴らしい感想を本当にありがとうございました!
どうか山から無事に生還されたら、残りの感想を書いて下さいね!


ShinとTonyのムーンサルトレター」第122信より



稲葉ブログでは「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者で京都大学こころの未来研究センター教授である鎌田東二先生の文章も引用されています。その鎌田先生ですが、わたしとの満月往復書簡である「ShinとTonyのムーンサルトレター」第122信の最後に、「Shinさんの新著『唯葬論』、傑作ですね!」と書いて下さいました。



ブログ「極道と呼ばれて」に書いたように、鎌田先生はブログ『唯葬論』および ブログ『永遠葬』を読まれたとのことで、「おめでとうございます。」のタイトルで以下のようなメールを7月18日に送って下さいました。
「新著ご出版、まことにおめでとうございます。ブログ拝読しました。
次々と問題作を提示されている雄姿、頼もしく見守っています。

第一章   宇宙論
第二章   人間論
第三章   文明論
第四章   文化論
第五章   神話論
第六章   哲学論
第七章   芸術論
第八章   宗教論
第九章   他界論
第十章   臨死論
第十一章  怪談論
第十二章  幽霊論
第十三章  死者論
第十四章  先祖論
第十五章  供養論
第十六章  交霊論
第十七章  悲嘆論
第十八章  葬儀論

いやあ〜、一条真也も実に『極道』ですねえ〜。よくぞここまで極めたと喝采を送ります。本当におめでとうございます。快挙、です!」



また、鎌田先生には7月27日に同書の献本が届いたようです。
その日、早速、以下のメールを送って下さいました。
「『唯葬論』、これまでの佐久間庸和一条真也の総決算ですね。
とてもいい本だと思います。
体系的で明晰で時宜に叶い、時代に刺さっています。
ますますのご活躍を祈念申し上げます」
さらには8月8日にも以下のメールを送って下さいました。
「この本は、佐久間〜一条さんの仕事の集大成で、これまでの著作の中で最も体系的・全体的・網羅的で、葬儀哲学・葬送哲学・儀礼哲学概論とも百科全書ともいえるもので、ヘーゲル的な体系性を想起します」
わたしはヘーゲルを敬愛しているので、このコメントは嬉しかったです。
Tonyさん、過分なご評価をありがとうございました!


秋丸知貴公式ウェブサイトより



その鎌田先生の愛弟子といえば、「京都の美学者」こと美学者・美術史家・美術評論家である秋丸知貴さんです。秋丸さんには『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)という著書があり、比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)を受賞されています。
じつは『唯葬論』の「文明論」と「文化論」を書くにあたり、「文明と文化の違い」についての資料を秋丸さんに訊ねたのですが、ブログ『新装版 比較文明』で紹介した伊東俊太郎先生の御著書を紹介していただきました。御礼に完成した『唯葬論』を献本させていただいたところ、メールが届きました。



秋丸さんからのメールには以下のように書かれていました。
「何度か通読して、『唯葬論』は一条先生の新たな代表作であると強く感じております。どの章も、平易で簡潔な文章ながら、議論の密度と純度が極めて高く、残念ながらまだ個々のテーマについて詳細な感想を申し上げられるほど十分に読みこなせてはおりません。
しかし、『葬』を『生者と死者の豊かな関係』として改めて提言される本書を通読した時に、全体としてこれまで常々感じていたある漠然とした印象が一つの明確なかたちを結ぶように感じられました。それは、言葉では上手く表現しにくいのですが、そのまま言葉に致しますと、『コリン・ウィルソン的知性とマイケル・ジャクソン的美意識の奇跡的な融合』というものです。
やや唐突なフレーズですので、これには少し説明が必要かもしれません。つまり、まず『コリン・ウィルソン的知性』とは、神秘も含む世界への楽天的な確信と、人間の潜在能力へのポジティヴな信頼に基づき、専門分化されたタコツボ的な講壇学問ではなく、人生の意味を全的に追求する脱領域的・博覧強記的な実践的叡知の謂いです。
コリンが切り拓いたこの方向性が、現在もなお世界中の多くの知的良心に絶大な影響を与え続けていることは知る人ぞ知る公然の秘密です(日本では、立花隆氏、荒俣宏氏、松岡正剛氏、北野武氏などの名前がすぐに思い浮かびます)。しかし、コリンの場合、知的には極めて骨太ですが、時に性や暴力などのスキャンダラスで猟奇的なテーマが前面に出過ぎるためにキワモノ扱いを受けやすく、それ以上一般からの支持を受けにくいという限界を持っていることもまた事実です。
これに対し、一条先生の著作はいずれも、特に今回の『唯葬論』は、死や葬儀という同様にセンセーショナルでタブー的なテーマを中心に扱っているにもかかわらず、透明な清潔感があり、確固とした倫理観を持ち、爽やかなポピュラリティを備えているように感じます(端的に言えば、コリンの著作は人に薦めにくいですが、一条先生の著作は誰にでもプレゼントしやすいです)。そこに、『マイケル・ジャクソン的美意識』を感じます」



これはまたプロの美学者ならではの超弩級の感想を送って下さいましたが、続いて秋丸さんは以下のように書かれています。
「つまり、今改めて振り返れば、マイケル・ジャクソンは、ただ単にエンターテインメントを目指していただけではなく、常に『上質の』『極上の』『最上の』エンターテインメントを追求していたように思います。
そうした、スターとしての王道を、衒い過ぎず、斜に構え過ぎず、スマートかつストレートに追求する、努力に裏付けられた強靭な美的センスこそが、ここでいう『マイケル・ジャクソン的美意識』です(その点で、『穢れたものも美しい』という90年代にニルヴァーナが広めたグランジ的美意識と対比される、良い意味での80年代的美意識と言って良いかもしれません)。
個人的には、一条先生の議論の進め方や先行研究の取捨選択には、そうした『マイケル・ジャクソン的美意識』を強く感じます。なぜなら、特に私などは、常に志を高く維持していないと、詰まらないもの、瑣末なもの、重要でないものまでまんべんなく拾ってしまうことに日々頭を悩ませているからです。最高のものだけを選び続けること、あるいは最高のものしか選び続けないことは、生まれ持っての品位と、弛まず自覚的に研ぎ澄まされた厳しい美意識の所産であると思います。そして、個人的には、様々なコリン・ウィルソン的知性の中でも、最も洗練された『マイケル・ジャクソン的美意識』を感じるのが一条先生です」
ちなみに、秋丸さんの「マイケル・ジャクソン的美意識」という言葉は、ブログ「MJ映画」でわたしが書いた文章を読んで思いつかれたそうです。

さらに、秋丸さんは以下のように書かれています。
「現在、マクロな観点から見れば、近代文明が人倫的にも環境的にも致命的な曲がり角に差し掛かっていることは、意識的にしろ無意識的にしろ誰もがはっきりと感じています。そして、この近代文明の古い世俗的・利己主義的価値観を克服する新しい世界観――人生の意味の根源としての『死』や『葬』や『永遠の生』を核心として含む――の確立が急務とされている今日、一条先生のような晴朗で品格のある間口の広さ――コリン・ウィルソン的知性とマイケル・ジャクソン的美意識の貴重な融合――は、今後非常に重要さを増してくると思います。同じく、『永遠葬』についても、『葬』を軽視・無視しようとする困った価値観が横行する現況において、一条先生こそ社会全体の流れを大きく変えうる最も重要なキー・パーソンにしてオピニオン・リーダーであるという印象を改めて強く持ちました。日本に一条先生がいらっしゃることを、同じ日本人としてとても頼もしく心強く感じております」
ここまで言っていただいて恐縮至極ですが、身の引き締まる思いです。
秋丸さん、スマートでクールな感想を本当にありがとうございました!


不識庵の面影」より



そして、一条本を語るなら、この人を忘れてはなりません。
ご存知、「ベスト50レビュアー」こと不識庵さんが、自身のブログ「不識庵の面影」の記事「唯葬論〜なぜ人間は死者を想うのか(一条真也著)」において、以下のように書いておられます。
「本書は一条真也氏の著作活動の集大成であり、満を持して世に『葬』とは何かを問う大書である。『唯葬論』というタイトルに込められた著者の想いは、まるで中途半端な姿勢で読むことを拒絶しているかのようだ。しかも、本書はなんと『宇宙論』から始まるのだ。かのスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙への旅』で使用されたR・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき』のEinleitung(導入部)を彷彿とさせる。途方もない、余りに途方もない思想の幕開けをこの第一章は予兆している」



あいかわらず格調高い文章にはシビレますが、特に今回は「です・ます」調ではなく「である」調で書かれています。おそらくは『唯葬論』の文体に合わせて下さったのだと推察されますが、それにしても小林秀雄を彷彿とさせるような美文です。実際、彼は小林秀雄の代表作である『モオツァルト』を愛読しているようです。その証拠に同書に登場する「エネルギイ」というキーワードを使いながら、次のように『唯葬論』について語ってくれます。
「列記することは避けるが全18章で『葬儀こそ人類の最重要問題』であることを著者は論じている。人智を超えた世界から啓示を受け、構想が奔流のように湧きあがってきたとしか思えない章立て! 
当然のことではあるが、通読するためには読み手にも相応のエネルギイが必要である。正直なところ、圧倒的な筆力で書き上げられた本書を評するという行為を躊躇わずにはおれない。モオツァルトが遺した最後のシンフォニイK.551を名演奏で聴き終え、得も言われぬ感動に、こころが満たされた状態とでも言えばいいだろうか。
『美は人を沈黙させるとはよく言われる事だが、この事を徹底して考えている人は、意外に少ないものである』小林秀雄が名著『モオツァルト』において提示したこの一節が、途方に暮れる私を慰めてくれる」
これを読んで、わたしは小林秀雄が本当に降臨したように思いました。



さらに、不識庵さんは以下のように書かれています。
「巻末に付された130タイトルを超える参考文献も驚異的である。
『人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約される』と言い切れる所以は、一条真也氏が稀代の読書家であり博覧強記の人であるからでもあろう。日本刀の如く、しなやかにして強靭な説得力。まさに本書は『真剣』、否『心剣』であり、『人の道』を歩まんとする者を守護する宝刀である。心を眼と化して幾度も読み込まなければ、本書の凄さは理解出来ないだろう。
『死者への想い』に満たされた思想書を執筆し得る者は、一条真也の先にも、そして後にもいないだろう。本書は『葬儀こそは人類の未来の礎となる営為である』ことを提起する思想書であり、余人の追従を許さぬ一条氏の深い洞察力に満ち溢れている。しかし、それ以上に本書は死者へ千万無量の想いを託した『祈りの書』ではないだろうか。
『夜空の満月を見上げながら、すべての死者の冥福を祈りたい。』
本書は、このメッセージで擱筆されている。
おそらく終戦70年という節目に際して上梓されたこの『祈りの書』が、満月の慈光の如く、すべての死者、そして、いずれは死者となる者のこころを癒してくれることを確信する。この思想への共鳴が美しきシンフォニイとなり、全世界に鳴り響かんことを切に願う」
このブログ記事を読んで、わたしの胸はいっぱいになりました。
「こんな本を書いても誰も理解してくれないのではないか」「また、冠婚葬祭屋の強弁と思われるのではないか」などとも心配したこともありましたが、理解者はいました。『論語』の「徳は孤ならず、必ず隣あり」という孔子の言葉を噛み締めました。不識庵さん、本当にありがとうございました!


唯葬論

唯葬論

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年8月10日 一条真也