笑い塾塾長

一条真也です。
ブログ「世界同時『隣人祭り』」で紹介したように、6日に北九州市八幡西区のサンレーグランドホテルで開催された「隣人祭り」に参加しました。この日は、フランス・イギリス・ドイツ・イタリアなど世界各国の同時開催でした。


小ノ上マン太朗さん



ここで、わたしは素晴らしい方と知り合いになりました。
「博多笑い塾」の塾長である小ノ上マン太朗さんです。マン太朗さんは、「平成の寺子屋」と呼ばれるわが社の多目的施設「天道館」でサンレーが主宰する「ともいき倶楽部 やまとの会」のイベント「笑いの会」に毎回、「博多笑い塾」のメンバーの方と一緒に出演されています。それで名前と顔だけは知っていたのですが、実際にお会いするのは初めてでした。とにかくメガネに多大なインパクトがありますので、わたしは「あ、マン太朗さんだ!」と思って嬉しくなりました。ぜひ一度お会いしてみたかったのです。


サンレー忘年会にマン太朗ブラザーズ登場!

サンレー総合研究所の関野所長もマン太朗メガネを!

マン太朗メガネで歌う流通事業部の2人



ブログ「サンレー本社忘年会」で紹介したように、サンレー社内にはマン太朗さんのファンが多いです。昨年末の忘年会では、マン太朗メガネをかけた「マン太朗ブラザーズ」が登場して、大いに盛り上がりました。わたしがそのことをご本人に伝えると、マン太朗さんは大喜びでした。


会場の盛り上げ方は「さすがはプロ!」でした



世界同時「隣人祭り」では、マン太朗さんがステージに立ち、「笑って健康 バラエティショー」が行われました。マン太朗さんが塾長を務める「博多笑い塾」とは、日本初の「笑い」のNPO法人です。福岡を拠点に、笑いの健康をテーマとして、笑いの医学的効用についての研究や実践を通した活動を行っています。今日も、マン太朗さんはギャグを連発して笑いを誘いながら、会場のみなさんからも指や手を動かしてもらう参加型の漫談で会場は笑いの渦に包まれました。その語り口は素晴らしく、「さすがはプロ!」と関心させられました。


57歳とは思えません(失礼!)



小ノ上マン太朗さんの正式な肩書は「社会笑学者」で、本名は小野義行さん。1958年(昭和33年)10月27日生まれですので、現在57歳です。
失礼ながら見た目よりも、ずっと若かったので、ちょっと驚きました。
ちなみに、ご本人から頂戴したプロフィールは以下の通りです。



◎プロフィール
●1974年〜1979年(15才〜20才)
中学卒業後、修猶館高校の定時制に入学するが社会に出て起業する一念から半年で中退し、様々な社会体験をする。高級レストランのウェイター・喫茶専門店のソフトバーテン・業務用洗剤ワックスのセールス・レストラン喫茶のコック・ガゾリンスタンドのスタンドマン・パブレストランのマネージャー・日雇い人夫の建築現場仕事・パブ居酒屋のマネージャー・喫茶レストランの店長として経営参加など、様々な職業に就く。
●1980年〜1985年(21才〜27才)
イベント企画制作会社に入社。運よく運動会屋という職場レクリエーションの行事を請け負う仕事を行う。この6年間に年間50本〜100本の九州一円の企業の運動会・パーティー・キャンプ・スポーツ大会・フェスティバル・バスハイク等のレクリエーションイベントを企画・実施する。
●1986年〜1987年(28才〜29才)
日本レクリエーション協会公認一級指導者資格取得(昭和61年8月・現レクリエーション・コーディネーター)スポーツ・レクリエーションの企画制作会社設立。大手スポーツメーカーとの共同出資によるスポーツ・レクリエーションの専門企画会社を設立。取締役に就任する。
●1988年〜1990年(30才〜32才)
会社退社後、独立、余暇開発研究室ONOKENを主宰。各企業の福利厚生担当者や労働組合への余暇の有効利用についての指導を行う。
●1991年〜2014年(33才〜56才)
企画(プランニング)と催事・出来事(イベント)をレクリエーション(目的)によって研究する企画制作会社として有限会社プラニベント研究社(平成3年12月)設立。代表取締役に就任。平成18年2月10日には、事業拡大のため株式会社P.E.Rピーイーアールと組織変更。平成11年(1999年)8月に日本笑い学会博多笑い塾支部設立。平成13年(2001年)4月に特定非営利活動法人博多笑い塾としてNPO法人格を取得。
全日本能率連盟認定サービス・ケア・アテンダント認定インストラクターの資格を取得(平成15年6月1日)。平成20年2月18日に『すべては安心、安全なイベント成功のために』活動する催事運営の自主規制、催事の倫理教育機関である日本催事倫理協会合同会社設立、代表社員に就任。
現在、業務提携・委託業務を数社と結び、販売促進やレクリエーションイベントの企画・制作・実施、イベントづくりを通した実践的な人材育成の研究開発、社会教育の実践活動を展開中。



ブログ「第8回『笑いの会』」で紹介したように、6月11日(木)、博多笑い塾より、太丸ばあちゃんが「天道館」に初登場し、「舞踊マジック・せりふ芝居健康法」を披露します。写真を見ると、太丸ばあちゃんも相当のインパクトです。わたしはマン太朗さんに「博多笑い塾には何人の芸人さんがいるのですか?」と質問したところ、「80人です」と答えたので驚きました。



マン太朗さんから博多笑い塾のチラシを貰いましたが、そこには80代のベリーダンサー(!)をはじめ、見るからに個性豊かな芸人さんたちが綺羅星のごとく並んでいました。表現が悪いかもしれせんが、わたしは「仮面ライダーのショッカーみたいな組織だな」と思いました。ショッカーには、ゾル大佐、死神博士地獄大使などの大幹部がいて、次々に怪人の刺客をライダーに送ってきました。マン太朗さんも次々に芸人の刺客を送ってきます。



そういえば、藤岡弘さんが本郷猛を演じた最初の「仮面ライダー」シリーズでは、クモ男、コウモリ男、サソリ男といった男の怪人がしばらく続いた後で、ハチ女が登場しました。博多笑い塾の太丸ばあちゃんも、ショッカーのハチ女みたいな存在なのかもしれませんね。違うか?(笑)
ともかく、これだけのお笑い芸人を揃えた博多笑い塾恐るべし!
さすがは日本初の「笑い」の特定非営利活動法人であります!
「ショッカー」ならぬ「笑家」といった感じですな。(笑)


「笑い」について意見交換しました



マン太朗さんは、社会笑学者です。「笑い」の研究家であり、実践者です。
わたしも、またハートフル・ソサエティ実現のために「笑い」の持つ力は大きいと思っています。そこで、「笑い」について意見を交換しました。
「笑う門には福来たる」という言葉があるように、「笑い」は「幸福」に通じます。笑いとは一種の気の転換技術であり、笑うことによって陰気を陽気に、弱気を強気に、そして絶望を希望に変えるのです。




他人の笑いからもプラスの気を与えられます。特に元気な子どもの笑い声など、人間の精神の糧になるだけでなく、肉体にも滋養になるそうです。笑いとは、この世に心の理想郷をつくる仕掛けであると思います。地上を喜びの笑いに満たすことが、政治や経済や宗教の究極の理想だと思います。



笑いは、冠婚葬祭をはじめとした日本の民俗儀礼にも深く関わっています。胞衣(えな)を埋めるときに三度笑うエナワライ、猟師の成年式にあたるサケフリマイ、さらに婚礼での出家式の際の笑い、小正月の火祭であるサイゾウワライ、田植後のサナブリの他、各地の笑い祭、悪態祭、山の神祭などに儀礼的な笑いを見ることができます。これらの笑いには、古い死すべきものを笑いとばして、新しいものを出現させるという機能があるのです。



笑いはまた、逆転やさかしまのイメージと結びつきます。公的なもの、権威あるものを一瞬のうちに破壊し、ひっくり返すところから、年や季節の変わり目といった時間のはざまや人生の節目には笑い祭などの笑いの儀礼が行われるのです。こうした笑いは、古く『古事記』『日本書紀』の天岩戸神話にも見られます。この神話では、アメノウズメノミコトの卑猥な踊りに八百万の神々がどっと笑うと、岩戸に隠れていた太陽神の天照大神が再び姿を現したと語られています。つまり、笑いをきっかけとして、冬から春へ、夜から昼へ、さらに太陽の更新といった転換がなされているのです。


真剣な表情で語り合いました



マン太朗さんも、「笑いとは、吐き出すこと。ストレスを身体に溜め込まずに、ハハハと吐き出すのです」と言われていました。
そういえば、笑いにしろ、歌にしろ、息を吐くことが共通しています。それらは、気功をはじめとした呼吸法に通じているのでしょう。
また、Y興行のように劇場で笑いを売る芸人ではなく、老人ホームなどを慰問する芸人を育てたいと言われていました。たしかに、「M−1」に代表されるような劇場での「お笑い」は芸人と観客との戦いです。そこに「癒し」はありません。もともと、「笑い」とは「幸せ」に通じているはずです。
わたしは、マン太朗さんの「笑い」の哲学に大いに共鳴しました。
「笑い」について語るときのマン太朗さんは真剣そのもので、顔はまったく笑っていませんでした。聴いているわたしの表情も真剣になってきました。


これからも、よろしくお願いします!



マン太朗さんは福岡市中央区大手門に高齢者のための施設を作ることが夢だそうです。そして1階には冠婚葬祭を行うことができる施設を作って、上に住んでいる間は笑って余生を過ごし、人生を卒業するときが来たら、下で葬儀を行い、みんなで送ってあげたいと語っていました。
マン太朗さんの志の高さを知って、わたしの胸は熱くなりました。そのような施設を実際に作られるときは、わが社も協力させていただきたいです。
マン太朗さん、お会いできて嬉しかったです。
これからも、よろしくお願いします!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年6月7日 一条真也