羽田ミーティング

一条真也です。
22日の朝、わたしは北九州空港からスターフライヤーに乗って東京に向かいました。東京に来るのは久々です。4月15日以来ですから、じつに1ヵ月以上も来ていないことになります。これだけ長い間東京に来なかったことは、少なくともここ20年ぐらいでは記憶にありません。


羽田空港のようす



なぜ、わたしが長く東京に来なかったかというと、北九州での予定が立て込んでいたこともありますが、なんといっても『唯葬論』や『永遠葬』の執筆にかかりっきりになっていたことが大きいです。その2冊も昨日ようやく書き上げて、晴れやかな気分で上京したのでした。


「羽田エクセルホテル東急」にチェックイン

羽田空港「第2ターミナル」の隣にあります



いつもは羽田空港に着くと、そのままモノレールに乗って赤坂見附の定宿に移動するのですが、この日は羽田空港の「第2ターミナル」内にある「羽田エクセルホテル東急」にチェックインしました。翌23日の早朝に羽田空港国際線ターミナルに集合し、そこからシンガポールに飛ぶためです。
わたしが会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の中部ブロック研修会がめでたく200回を迎え、その記念としてシンガポールおよびマレーシアに海外研修旅行に出掛けることになったのです。


空港内のホテルに宿泊するのは初めてです。正直、不思議な気分です。
とにかく、ホテルを一歩出ると、そこには航空会社のカウンターが並んでいるのです。なんだか、トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」を連想しました。空港で足止めされたため、そこで生活する男の物語です。


出版寅さん」こと内海準二さん



「羽田エクセルホテル東急」にチェックインすると、わたしは早速、同ホテルで2冊の出版に関する打ち合わせを行いました。まずは12時から、「出版寅さん」こと内海準二さんとお会いし、空港内の寿司店で『永遠葬』についてのランチ・ミーティングをしました。内海さんは、わたしの顔を見るなり、「ああ、久しぶりだねえ!」ととても喜んでくれました。


出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さん



それから15時半からは、「出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんとお会いし、ホテルのティーラウンジで『唯葬論』についての打ち合わせをしました。中野さんはたくさんポストイットが貼られた『唯葬論』の膨大な原稿を持参し、「ものすごく重厚な内容ですね。一読してガツンと来ました。まさに一条さんの代表作だと思います。でも、このまま本にすると400ページを優に超えてしまいます。もう少し贅肉を削ぎ落して筋肉質にしましょう」と言いました。わたしたちは前向きに要約すべき箇所などを話し合いました。シンガポールから帰国したら、一気に完成稿を仕上げます。



中野さんとは2006年3月に羽田空港のレストランで『孔子とドラッカー』のゲラ・チェックをしたことがあります。もう、あれから10年近く経つわけですから、月日の流れの速さには驚くばかりです。中野さんも「若侍」から立派な「荒武者」に成長しました。わたしもトシを取るはずです。



忙しい中をわざわざ羽田まで来て下さった内海さんと中野さんには感謝するばかりです。わたしも、せっかく海外に行く前日にわざわざ羽田で打ち合わせをする自分に苦笑しましたが、それぐらいわたしは『唯葬論』と『永遠葬』の2冊に命を懸けているのです。今年は終戦70周年の年。今年こそ、「生者は死者に支えられている」「死者を軽んじてはならない」ということを全日本人が思い知るべき年です。



『葬式は、要らない』に対抗して『葬式は必要!』を上梓して5年目の今年、日本人が人類社会から落伍しないために、わたしは悲壮な決意で『唯葬論』と『永遠葬』を書きました。なんとか、70回目の「終戦の日」となる8月15日までには上梓したいと願っています。
終戦の日」には2冊を持って靖国参拝したいです。


夜の「羽田エクセルホテル東急」のエントランス

夜の空港は、なんとなく寂しいですね


今日は、昼も夜も空港内のレストランで食事をしました。
夜の空港は人の数も減ってきて、なんとなく寂しいです。
わたしは早々に部屋に戻って、荷物の再点検などをしました。
気づくと、鼻歌でハイ・ファイ・セットの「土曜の夜は羽田に来るの」を歌っていました。ユーミンが作詞したハートフル・ソングです。
そういえば、いま日付が変わって土曜日になりました。
というわけで、今日からシンガポールに行ってきます!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年5月23日 一条真也