「墓じまい」自分の代で

一条真也です。
今日は「憲法記念日」ですね。ゴールデンウィークの最中ですが、わたしは執筆三昧です。『唯葬論』を書き上げても、次は『永遠葬』が待っています。こちらは今月中に脱稿して、7月末には現代書林から刊行する予定です。70回目の「終戦の日」となる8月15日までに、『唯葬論』と『永遠葬』の2冊が揃うでしょう。ところが、その他にも『お墓の作法』(仮題)という本を書くことになりました。青春出版社の「青春新書」から年内には刊行します。


『墓じまい』自分の代で 少子高齢で維持困難、無縁墓も増加



『お墓の作法』には「後悔しないための墓じまい、墓じたく」というサブタイトルがついていますが、Yahoo!ニュースを見ていたら、関連のある記事がTOPで紹介されていました。神戸新聞NEXTが今日の11時50分に配信した「『墓じまい』自分の代で 少子高齢で維持困難、無縁墓も増加」という記事です。同記事のリード部分には、以下のように書かれています。
少子高齢化による後継者の不在などで、墓を撤去し、寺などに遺骨の管理を任せる永代供養に切り替える動きが広がっている。『閉』『お性根(しょうね)抜き』などの法要から撤去までを総称する『墓じまい』という言葉も浸透。時代の流れと言えるが、『墓の文化が廃れていくのは寂しい』との声も聞こえる。(黒川裕生)」


『墓じまい』の大まかな流れ



また、記事には以下のように書かれています。
「神戸市兵庫区の井上元子さん(71)は昨年10月、両親と父方の祖父母、2人の兄が眠る同市須磨区の墓を処分した。立つのは長い階段のある傾斜地。年を重ねるごとに『しんどい』『来られるのはこれで最後かも』と思い悩んだ末の決断だった。
夫の幸一(ゆきかず)さん(77)との間には一人娘がいるが、とうに嫁いで墓を継ぐ人はいない。元子さんは姉(75)と相談して、元気なうちに墓じまいすることを決意。同区にある菩提(ぼだい)寺の住職に墓前で読経してもらい、同寺の納骨堂に遺骨を納めた。墓の撤去も含め約20万円かかった。
『昔は墓がないと恥ずかしいと思われたが、魂を大切にしていれば形にこだわる必要はない。肩の荷が下りました』
『閉眼法要は、ここ4〜5年で目に見えて増えてきた』と語るのは、7年前に納骨堂を設けた瑞龍寺(同市兵庫区)の矢坂誠徳(せいとく)住職(63)。2012年に10件余りだったが翌13年には30件を超え、14年も40件以上。『子や孫に墓の管理を任せるのは申し訳ない』『遠方で墓参りが難しい』などの理由で処分する人が多いという。
一方で管理費などが要らない納骨堂の人気は高く、約千のうちすでに約800が埋まった。『墓の時代は終わったとすら感じる』」



さらに、記事には以下のように書かれています。
「市営の鵯越墓園(同市北区)などに約8万区画を備える神戸市によると、墓じまいして区画が市に返還される数は10年度の275件から微増傾向が続き、14年度は324件。同時に急増しているのが、管理者の死亡などで使用料が払われない『無縁墓』だ。立て札などで親族に連絡を呼び掛けるが反応は鈍く、雑木が生い茂るなど荒れ放題になった区画が点在する。同市斎園管理課は『中途半端に残されるのが一番困る』とこぼす。
墓石の処分を担うのは石材店。新たな商機と見て広告で打ち出す店もあるが、中野石材(同市須磨区)の中野隆司社長(71)は『心を込めて作った墓石をつぶすのは商売抜きで悲しい』と漏らす。維持できない事情に理解を示しつつ、『先祖供養が死語にならないよう願うばかり』と話す」



この記事で紹介されているのは神戸の事例ですが、「墓じまい」は全国的な問題となっています。ブログ「沖縄海洋散骨」で紹介したように、わが社が主催した海洋散骨においても、先祖代々の墓じまいとして、ご先祖さまのご遺骨を海に撒かれたお客様がいらっしゃいました。今後、ますます増えていくと思われます。また、ブログ「苔華庭と桜山」で紹介したような桜の山での樹木葬を墓じまいとセットで考えられる方も増えていくと予想されます。これらの新しい動きもとらえつつ、日本人がしっかりと「鎮魂」「慰霊」ができるように、『お墓の作法』を心をこめて書きたいと思います。
でも、その前に、まずは『永遠葬』を書かないと!


愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙 また会えるから 思い出ノート ([バラエティ]) 死が怖くなくなる読書:「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド


『永遠葬』を出版していただく現代書林といえば、『愛する人を亡くした人へ』、『また会えるから』、『死が怖くなくなる読書』といった拙著の版元でもありますが、同社の坂本桂一社長から昨日メールを頂戴しました。
ブログ「GHKメルマガ寄稿」で紹介した「終戦70周年の今年こそ・・・」を読まれたという坂本社長は、「メールマガジンへの寄稿文を拝読いたしました。『直葬』『0葬』は亡国への第一歩だということを強調できればよいですね。『0葬』→ナチスオウム真理教イスラム国→全体主義→亡国、という視点はたいへん面白くかつ重要だと思います。たまたま、今読んでいる本のテーマとシンクロしていたのでちょっと驚きました」と書かれていました。坂本社長が読まれていた本というのは『〈凡庸〉という悪魔 21世紀の全体主義藤井聡著(晶文社)だそうです。なるほど、「葬式は、要らない」とか「0葬」といった考え方は一種の全体主義かもしれません。


〈凡庸〉という悪魔 (犀の教室)    正統とは何か


『〈凡庸〉という悪魔 21世紀の全体主義』は早速アマゾンで注文しました。注文するとき、関連商品で『正統とは何か』G・K・チェスタトン著、安西徹雄訳(春秋社)という本も目に留まったので、これも一緒に注文しました。渡部昇一先生も敬愛するチェスタトンは、「正統とは歴史の流れの連続性を確保するものにかかわるものである」と喝破しているそうです。
親が亡くなったら、子が葬儀をあげる。故人と血縁、地縁のある者は葬儀に参列する。これ以上の「正統」があるでしょうか!



人類最古の営みこそ葬儀でした。葬儀とは、人類の歴史の連続性を確保するものなのです。日本人が「0葬」という極端なニヒリズムに走ることは、歴史の流れの連続性を断絶することにつながります。
『永遠葬』は、葬儀の慣習を保持することによって、日本人を「永遠」の存在にするための本でもあるのです。坂本社長からのメールには「新刊『永遠葬』を世に出すお手伝いができることをたいへん光栄に思っております」とも書かれていました。ありがたいことです。わたしも現代書林さんから同書を上梓することに誇りを感じています。



『葬式は、要らない』に対抗して『葬式は必要!』を上梓して5年目の今年、日本人が人類社会から落伍しないために、死ぬ気で『永遠葬』を書く覚悟です。わたしが書かねば、誰が書く? 俺がやらねば、誰がやる!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年5月3日 一条真也