一条真也です。
東日本大震災4周年となる3月11日の夜は、北野天満宮の境内駐車場で開催された「鎮魂舞台」を鑑賞しました。まず昼過ぎに北野天満宮を訪れたわたしは、現地で、同イベントのプロデュ―サー・やなぎみわ(演出家・美術作家・京都造形芸術大学教授)さんにお会いしました。
鎌田東二・やなぎみわ両氏と
これが移動舞台車だ!!
移動舞台車に「サンレー」の名が!
移動舞台車の羽根が開いたところ
「鎮魂舞台」のステージは、やなぎさんが作られた大型トレーラーがステージです。いわゆる「移動舞台車」というやつです。台湾で買ったトレーラー
を大規模に改修されたのだそうです。イベントに協賛させていただいているサンレー は、トレーラーに社名を入れていただきました。
まるで中上健次の『日輪の翼』に出てくるようなトレーラーですが、全国を走り回るそうです。そして最後は、実際に「日輪の翼」の芝居を上演することになっているとか。中上健次といえば、晩年に鎌田先生と対談を行っています。対談中、コーフンした鎌田先生は真冬にフンドシ一丁で池に飛び込んだとか。その対談は『言霊の天地』というタイトルで単行本化されました。
開演直前の会場のようす
主催者が特等席を用意してくれました
最前列中央の席でした
そして、夕方、わたしは再び北野天満宮を訪れました。開演時間である17時少し前に到着しましたが、すでに多くの観客が集まっていました。雨天順延とのことでしたが、雨にならなくて本当に良かったです。といっても、京都では午後からずっと雪が降っていたのですが・・・・・・。
わたしは主催者側が用意してくれた最前列中央の席に座りました。
鎌田、やなぎ両氏が「前口上」を行いました
やなぎ氏による「前口上」
鎌田先生がわたしを観客に紹介しました
穴があったら入りたかったです!
17時になると、鎌田先生、やなぎ氏の2人がステージに上がりました。2人は「前口上」を始めましたが、鎌田先生が「みなさん、今日はご協賛いただいた株式会社サンレーの佐久間庸和社長がお見えになっています。佐久間社長は一条真也のペンネームで本を80冊くらい書かれている方です。日本一本を書かれている社長さんです!」などと言われたので、観客の多くがわたしのほうを向きました。「名もなく貧しく美しく」をモットーとしているわたしとしては、穴があったら入りたい心境でした。(苦笑)
とにかく寒かったです
人形芝居の説明をする鎌田先生
人形の仕掛を丁寧に解説
淡路人形座のみなさんが登場
見事な人形の動きでした
こりゃ、めでたい!
それから、移動舞台車のライアップとトランスフォームが行われました。
第一演目の淡路人形座のみなさんがステージに上がられました。
最初は人形を使って、いろいろと仕掛を解説してくれました。
それから、淡路人形芝居「戎舞」を上演しました。
人形の動きはまるで生きているようで、素晴らしかったです。
最後の戎神が口上を述べて酒杯を空けるたびに観客が拍手喝采するところも良かったです。ステージの上と下が一体となった気がしました。
電気紙芝居の説明をする鎌田先生
電気紙芝居のようす
電気紙芝居のようす
拍手!
続いて、くーだら劇団(京都伝統文化の森推進協議会)による電気紙芝居「くーりんと京だらぼっち」が上演されました。京都造形芸術大学教授の大西宏志さんが中心となって、うら若き乙女たちからなる劇団メンバーが紹介されました。まだ外が明るくて電気紙芝居が見にくいのが残念でしたが、物語は龍や妖怪たちが登場して環境保護を訴えるメルヘン調の内容でした。
突然、「平安の都よ永久にあれ」のPVが!
草の上に寝ながら歌う!
少々時間が余ったのか、大西さんは「みなさん、こんなビデオがありますので、御覧下さい」といってある動画を流したのですが、鎌田先生が京都伝統文化の森推進テーマソング「平安の都よ永久にあれ」を歌ったプロモーション・ビデオでした。比叡山で法螺貝を吹くオープニング・シーンから始まり、いろんなシチュエーションで鎌田先生が歌います。中には、草原で寝転がって歌う抱腹絶倒のシーンもあり、観客は爆笑していました。
だんだん日が暮れて暗くなってきましたが、寒さも厳しくなってきました。
雪こそ降ってはいませんが、気温は1〜2度くらいではなかったでしょうか。
会場にはかがり火も何も暖を取るものがないので、本当にシバレル感じでした。この夜は、京都の寒さを身に沁みて体験しました。
電気紙芝居が終わると、いよいよメインイベントの能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」です。上演に先駆けて、当イベント企画者である「京都の美学者」こと秋丸知貴さんが説明を行いました。秋丸さんの説明は形而上的で難しく、本人も「何を言っているのかわかりませんね」と言っていました。(笑)
舞台に向かって法螺貝を吹く!
舞台の上で法螺貝を吹く!
石笛を吹きながら鈴を鳴らす
能楽師を呼び込む!
能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」のようす
熱唱する神道ソングライター
能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」のようす
鎮魂の横笛を奏でる
能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」のようす
3・11 京都ファンタジー!
まずは、ライトアップされた舞台に向かって鎌田先生が下から法螺貝を吹きながら、階段を上っていきました。まさに「昇天」のイメージでした。
神道ソングライターである鎌田先生の演奏と歌に合わせてて、河村博重(観世流能楽師・重要無形文化財・京都造形芸術大学客員教授)さんが登場、鎌田先生同様に階段を上がって舞台に立ちました。それから、さまざまな面をつけて舞われました。鎌田先生は法螺貝に始まって、岩笛、鈴、横笛、そしてギターを駆使して大活躍でした。寒さで唇も凍え、さぞ大変ではなかったかと思いますが、寒さも忘れるほどの熱きパフォーマンスでした。
能楽師が退場する
盛大な拍手が起こりました
能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」が終了すると、闇をつんざくような盛大な拍手が起こりました。鎌田先生は「みなさま、今夜はお寒い中、最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました。京都の冬は寒いというのを痛感しますが、今日は3月11日。4年前の東北はもっと寒かったことと思います。しかも、津波の犠牲となられた方々は冷たい水の中で息を引き取っていかれたので」と言われました。
さらに鎌田先生は「わたしは震災1周年の日に、石巻で禊をしました。海に入ったのですが、痛いほどの冷たさで3分と海中にはおられませんでした。生命の危機を感じて飛び出しました。あのような冷たい海の中に、犠牲者の方々は長くおられたのだなと思いました」としみじみと話されました。
最後は、北野天満宮の加藤迪夫権宮司による「後口上」でした。
加藤権宮司は、「みなさん、今夜は寒い中を大変お疲れ様でございました。3・11の日に、このような鎮魂イベントを無事に開催したことは意義あることと思います。北野天満宮では、これからもさまざまな文化イベントに取り組んでいく所存です」と述べられました。これで「鎮魂舞台」は終了しました。終了後わたしはすぐ北野天満宮を後にしました。
その日の深夜、鎌田先生からのメールには次のように書かれていました。
「本日は大変に寒い中、『悲とアニマ展』、『鎮魂茶会』、『鎮魂舞台』の開催にご協力ご支援いただき、まことにありがとうございました。おかげさまで、『悲とアニマ』『鎮魂』というテーマと思いを、一つの形に出来たと思います。これもひとえに皆様方のご協力のおかげと、心より感謝申し上げます。何しろ、人員不足、時間不足、予算不足の中で、できる限りのことを努力してまいりましたが、行き届かない点、失礼なところ、多々あったと思います。この点については、心よりお詫び申し上げるとともに、反省点として以後活かして参りたく思います。問題点・反省点など、ぜひ率直にご指摘・ご意見を賜りたくお願い申し上げます。よろしくお願い申し上げます。また、本当にありがとうございました。取り急ぎ、略儀ながら、心よりお礼まで」
鎌田先生、このたびは本当にお疲れ様でした。
「鎮魂舞台」は「鎌田東二まつり」でしたね!
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2015年3月12日 一条真也拝