北野天満宮

一条真也です。京都に来ています。3月11日、龍安寺で石庭を眺めてから湯豆腐の昼食を取った後、わたしは北野天満宮に向かいました。


北野天満宮にやってきました

全国天満宮総本社です



わたしは、生まれて初めての北野天満宮参拝となります。
公式HPの「ご由緒について」には以下のように書かれています。
北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(総本社)で、親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、学業成就や武芸上達が祈られてきました。
現在、全国各地には菅公をおまつりした神社が、およそ一万二千社とも言われ、その多くは当宮から御霊分けをした神社であります。菅公は世々に『文道の大祖・風月の本主』と仰ぎ慕われ、学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく人々の生活のなかで受け継がれています」


北野天満宮の大鳥居の下で

北野天満宮の境内にて



また公式HPの「菅原道真公について」には以下のように書かれています。
菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた菅公は、昌泰二年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰四年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。菅公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められ、現代でも盛んな信仰へと展開します。菅公の精神は『和魂漢才』の四文字に集約されるように、自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受けいれる寛容さが特徴です。菅公が生涯一貫された『誠の心』は、今も日本人の心に生きつづけています」


社殿の前で

大欅の「東風(こち)」が見事でした

紅梅がきれいでした

白梅もきれいでした

本当に梅が素晴らしかったです



さらに、公式HPの「社殿について」には以下のように書かれています。
「当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家がその造営修繕に当たられました。国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼公が造営されたもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。また、この社殿造営は、父秀吉公の遺志であったと伝えられます。古来、神社祭祀は庭上で行われて来ましたので、壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は神社建築史上画期的なものであったと言えます。八棟造と称され、総面積約五百坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えています」


夕暮れの北野天満宮の境内にて

夕暮れの梅もきれいでした

「梅苑みごろ」の看板あり

天神信仰と関わりの深い牛の神像



そして、公式HPの「御神徳について」には以下のように書かれています。
「御祭神菅原道真公は延喜3年(903)2月25日、無実の罪も晴れぬまま太宰府の配所で昇神され 天暦元年(947)おいたわしい御神霊の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地にお祀りされました。その後、皇室や藤原氏、そして武将を始め一般民衆に至るまで広く崇敬を集め今日に及んでいます。2月25日祥月命日の梅花祭、薨去後50年目毎の大萬燈祭などの祭典は、のちのちまで丁重に祀ることにより、その御神霊はいよいよ浄化され、御神徳は更にあらたかになるという古代からの信仰の姿に基づいており、正に日本人の信仰そのものなのです」


鎌田先生に再会しました

秋丸さんにも再会しました

権禰宜さんも加わって記念撮影をしました



ところで、北野天満宮の境内を見学していると、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生とバッタリお会いしました。ブログ「『生と死』を考える対談」で紹介したトークショーで共演した2月20日以来の再会で、鎌田先生は11日の夜に開かれる「鎮魂舞台」のリハーサルをされているところでした。また、「京都の美学者」こと秋丸知貴さんにも久方ぶりに再会しました。秋丸さんは、わたしを「鎮魂茶会」の会場に連れていってくれました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年3月12日 一条真也