龍安寺

一条真也です。
3月11日、金閣寺に続いて龍安寺を訪れました。
これまたずいぶん久しぶりの参拝ですが、宗派は金閣寺銀閣寺と同じ臨済宗です。もっとも金閣寺銀閣寺相国寺塔頭寺院であるのに対して龍安寺妙心寺塔頭寺院ですが、ともかく臨済宗には「観光仏教の雄」としての顔があるわけです。


龍安寺の山門で

境内案内図の前で

龍安寺の境内で

久々に訪れました



龍安寺の山号は大雲山と称し、本尊は釈迦如来です。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。龍安寺 - WikipediaWikipedia「龍安寺」の「歴史」には以下のように書かれています。
「『龍安寺の石庭』として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、禅宗が盛んだった室町幕府管領守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという」


龍安寺の案内板

石段から庫裡を望む

庫裡を入ると屏風が・・・・・・

ここから石庭へ・・・・・・



続いて、「歴史」には以下のように書かれてます。
龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467−1477年)で焼ける。勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、豊臣秀吉江戸幕府が寺領を寄付して保護している。近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が著名であったらしい。寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍が焼けたため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とした」


龍安寺の石庭

龍安寺の石庭にて



龍安寺といえば、なんといっても「石庭」が有名です。
龍安寺 - WikipediaWikipedia「龍安寺」の「石庭」には以下のように書かれています。
「方丈庭園(史跡・特別名勝)いわゆる『龍安寺の石庭』である。幅 22メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭である。巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した『枯山水』の庭である。最大の特徴は、『水を感じさせるために水を抜く』ということで、水を見立てられるようなものを作る。白砂も大海をイメージし、岩は島というより山である。近世の地誌類には、室町幕府に仕えた相阿弥の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。作者として他に推測されている人物として、創建した細川勝元、その息子細川政元、開山の義天玄承、金森宗和らがいるが、作者については未だに不明。庭石の裏には『小太郎・□二郎』と刻まれた刻印がある。作者を示唆する暗号ではないかとされるが憶測の域を出ていない」


龍安寺の石庭

心が安らぎました



また、「石庭」には以下のようにも書かれています。
「15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石全てが見える位置がある。ヘルト・ファン・トンダーとマイケル・ライオンズによれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする『二分岐構造』になっているという。ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの1つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を『完全』を表すものとしてとらえる思想があり、15に1つ足りない14は『不完全さ』を表すとされている。また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、『物事は完成した時点から崩壊が始まる』という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある」


エリザベス女王も見学した石庭

たまには座禅でもしたい!

ビルマ派遣兵を供養するパゴダが・・・・・・



1975年、イギリスのエリザベス女王が日本を公式訪問した際、龍安寺の石庭の見学を希望しました。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道されました。そのため昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームもあり、日本人より海外の観光客の来訪者の比率が高いと言われています。しかし、この日の来訪者は日本の修学旅行生が多く、中にはマナーの悪い生徒もいました。石庭の前の縁側で騒いでいるので注意してやりました。困ったものですな。
石庭を見学した後は、境内を散策しましたが、座禅道場や、ビルマ派遣兵を供養するパゴダなどがありました。龍安寺にパゴダがあることは知りませんでしたので、ちょっと驚きました。


昼食は湯豆腐に決めました

庭園が素晴らしかったです

湯豆腐で温まりました



ちょうどお昼時となったので、龍安寺の境内にある湯豆腐のお店で昼食を取りました。庭園が素晴らしかったです。メニューは、湯豆腐、タクワン2切れ、飯1杯でした。食事をしていると、ちょうど雪が降ってきました。京都の寒さは本当に厳しいです。湯豆腐の温かさが体中に浸みわたりました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年3月12日 一条真也