『VTJ前夜の中井祐樹』

VTJ前夜の中井祐樹


一条真也です。
『VTJ前夜の中井祐樹増田俊也著(イースト・プレス)を読みました。
ブログ『希望の格闘技』で紹介した本の著者を主人公にしたノンフィクションです。ブログ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で紹介した傑作ノンフィクション、およびブログ『七帝柔道記』で紹介した青春熱血小説に続く作品だそうです。


本書の帯



本書の表紙カバーには右眼を負傷した中井祐樹選手の痛々しい写真が使われ、帯には「ベストセラー『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』『七帝柔道記』に続く、『柔』三部作の完結編。」「敗れざる者たちへの鎮魂歌。」「大宅賞作家・増田俊成初のノンフィクション集!」と書かれています。


本書の帯の裏



また帯の裏には、黒地に白字で次のように書かれています。
「〈ジェラルド・ゴルドー選手に注意1です〉アナウンスが入ると場内が沸いた。このときすでに、中井の右眼はゴルドーの親指の爪によって眼球の裏までえぐられていた」
「1995年、日本武道館で行なわれたVTJ95。中井祐樹は、過酷な無差別級トーナメントを北大柔道部で身に着けた寝技を武器に戦っていく――。
格闘技史に残る伝説の大会を軸に、北大柔道部の濃密な人間関係を詩情豊かに謳いあげた『VTJ前夜の中井祐樹』。天才柔道家古賀稔彦を8年かけて背負い投げで屠った堀越英範の生き様を描いた『超二流と呼ばれた柔道家』。さらに、ヒクソン・グレイシー東孝、猪熊功、木村政彦ら、生者と死者が交錯する不思議な一夜の幻想譚『死者たちとの夜』。巻末に北大柔道部対談を併録。人間の生きる意味を問い続ける作家、増田俊也の原点となる傑作ノンフィクション集」



中井祐樹は伝説の格闘家です。そして、わたしが最もリスペクトする格闘家の1人でもあります。1970年北海道生まれの彼は、高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学びます。寝技中心の七帝戦で、4年生の時に無敵の京大の11連覇を阻止し、悲願の団体優勝を果たしました。するとすぐに退学届けを提出し、佐山聡が創始したプロ修斗に参戦するために上京、スーパータイガージム横浜へ入門しました。1994年には、プロ修斗ウェルター級チャンピオンシップで草柳和宏と対戦し、判定勝ち。修斗ウェルター級王者となっています。



当時はプロレス全盛時代で、修斗の真剣勝負興行は世間に認知されていませんでした。その頃、海外ではノールール(バーリトゥード)の大会「第1回UFC」が開催されました。優勝したのはホイス・グレイシーという無名の柔術の選手でした。ホイスはその後もUFCの連覇を続けますが、「実は僕より10倍強い兄がいる」と語った発言に、修斗を主宰する佐山聡が注目しました。佐山は、ホイスの兄でグレイシー一族最強のヒクソン・グレイシーを日本に招いて、日本初のノールール(バーリトゥード)の格闘技大会を開くことを決定したのです。



1994年には、「バーリトゥード・ジャパン・オープン94」という大会が開催されました。本書の書名に使われている「VTJ」とは、この「バーリトゥード・ジャパン」のことです。この大会では、当時の修斗のエース2人が惨敗を喫し、ヒクソン・グレイシーの優勝に終わりました。翌年の95年、雪辱に燃える修斗が日本の格闘技界の最後の切り札として出場させたのが、中井祐樹でした。ところが、中井のトーナメント1回戦の相手は「第1回UFC」で準優勝し、「喧嘩屋」の異名をとるオランダの巨漢空手家、ジェラルド・ゴルドーでした。ゴルドーが198cm・100kgなのに対し、中井は170cm・70kgしかありませんでした。マスコミは「危険だ」といって騒ぎましたが、激闘の末に中井は4ラウンドにヒールホールドでゴルドーに一本勝ちしました。
しかし、この試合中にゴルドーサミングを受け、右眼を失明したのです。じつに凄惨な試合でした。



「VTJ前夜の中井祐樹」にはその「中井祐樹vsジェラルド・ゴルドー戦」の事情が詳細に書かれています。もともとは「ゴング格闘技」2009年6月号に掲載された文章ですが、その後しばらく著書・増田氏の公式HPでも読むことができました。わたしも、そこで読んだのですが、深い感銘を受けました。このたび貴重な写真の数々とともに書籍化されて嬉しく思っています。


貴重な写真の数々も掲載されています



著者は、伝説のVTJ95について、次のように書いています。
「この大会が、本当の意味で日本のMMA(総合格闘技)の嚆矢となった。
神風を起こしたのは、たしかにグレイシー一族でありUFCであった。
しかし、神風が吹くだけでは大きな波がおこるだけで、その波を乗りこなせるサーファーがいなければ、波はただ岸にぶつかり砕けて消えるだけだ。
神風が起こした大波を、右眼失明によるプロライセンス剥奪という死刑宣告と引き替えに乗りこなした中井祐樹がいたからこそ、日本に総合格闘技が根付き得た。それだけは格闘技ファンは絶対に忘れてはいけない」



「VTJ前夜の中井祐樹」は名作ノンフィクションではありますが、わたしにとっては既読でした。しかし、続く「死者たちとの夜」は初めて読む作品で、非常に興味深かったです。もともと「死者との交流」はわがテーマの1つですが、著者は次のように書いています。
「人は、春に生まれ、盛夏を生き、秋を迎えて冬となり、やがて死んでいく。
人は生き、死んでゆく。ただそれだけのことだ。
春に死ぬ者もあれば、夏に死ぬ者も秋に死ぬ者もいる。
一歳に満たぬうちに死ぬ者もあれば青春の直中で死ぬ者もある。寿命がまだ尽きぬのに自ら命を絶つ者もある。まだ生き続けたかったのに人生の最盛期なのにアクシデントで死ぬ者もある。逆に、死にたくても死にきれず、生きたくもない後半生を苦しみながら生き続ける地獄の人生もある。
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、人の生き死にのあり方を追った本である。たとえば猪熊功(東京五輪柔道重量級金メダリスト)の自刃を描いた。たとえば力道山が人生の絶頂期にヤクザとの些細な喧嘩で刺し殺される場面を描いた。たとえば木村政彦が苦しみながら生きた後半生を描いた」



著者によれば、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』にまとめられた連載は、最強の柔道家でありながら世間に忘れられた木村政彦の魂を救うために書いたそうです。フェイクにまみれた世間を引っ繰り返すという目標のために著者は必死に書き続けますが、しかしとんでもない方向へ進んでいきました。著者は、次のように述べています。
「真剣勝負なら木村が勝っていた――。
その結論へ向けてすでに書き上げていた原稿が、ほかならぬ中井祐樹によって引っ繰り返されてしまったのだ。
中井は連載開始前に木村vs力道山の試合動画を分析して、私に『はじめから真剣勝負なら木村政彦が勝っていた』と私に言ったのだ。だから私も草稿ではそう書いていた。それが連載途中で会ったときに、迷いに迷った末、『すみません。あのとき増田さんがあまりにも真剣な表情で「真剣勝負なら木村先生が力道山に勝っただろ」と言うので、つい肯いてしまったんですが・・・・・・』と前言を翻してしまった。この証言によって連載はまったく予期せぬ方向へ進んでいくのである。他の人間の証言なら私は書き直さなかったかもしれない。しかし中井祐樹が言ったのだ。あれだけのことをやった中井祐樹が言ったのだ。連載はそこから、木村政彦力道山に負けたことを証明してしまう辛い改稿作業になっていく」
これはまた、実際の木村vs力道山、中井vsゴルドーとは違った意味での人生のセメントマッチであると思いました。こんなショックを受けながら、あれだけの大著を完成させた著者に心より敬意を表します。


火の鳥 全13巻セット (角川文庫)

火の鳥 全13巻セット (角川文庫)

最後に、本書の「あとがき」である「生と死のあり方を問い続けていきたい」に登場する手塚治虫のエピソードに感動しました。
著者は、ある出版社の漫画編集者から手塚治虫の『火の鳥』についての秘話を聞いたそうです。『火の鳥』は全巻を通して読むと、壮大なスケールにのみこまれて目眩がするほどのパワーを持った作品ですが、手塚はあの作品を同一の雑誌に続けて連載することができなかったというのです。どこに頼んでも「もうやめましょう」と途中で連載を打ち切られ、ぶつ切り状態であちこちの雑誌をたらい回しにされたというのです。



「生と死のあり方を問い続けていきたい」には、その漫画編集者の言葉が以下のように紹介されています。
「編集者たちも手塚先生がなにをやろうとしているのか、10年経っても20年経っても皆目わからなかったそうです。最初の〈黎明編〉は1954年に1年弱『漫画少年』に連載されて未完に終わった。それからどこかの雑誌に持ち込んで打ち切りになっては、何年も休み、またどこかに持ち込んで数年連載して休載、そういうことを何度も何度も繰り返し、1986年から1988年まで『野生時代』に2年連載した〈太陽編〉まで、34年間かけてあそこまでの作品になったんです。それで全体が単行本化されたときに初めて流のなかですべてを読み、漫画関係者たちがみな衝撃を受けたんです。1954年のはじめの連載時はともかく、その数年後にはすでに手塚先生は日本一の売れっ子になっていましたから、本来ならどこの雑誌も作品を欲しがっていたはずで、この作品群もウェルカムだったはずです。それでも断られてたらい回しにされたのは、誰も全体像をつかめなかったからなんです。どこの編集部もぶつ切れの段階ではこの作品の意義も面白さも見抜けなかったんです。だからひとつの出版社ではあれを引き受けることができなかった。作者の手塚先生以外は理解不能な、それくらい複雑で壮大な作品群だったんです」



わたしは、この話を読んで非常に感動しました。偉大なり、手塚治虫
著者の増田氏は「もちろん手塚治虫先生のこの大傑作『火の鳥』にスケールでは及ぶべきもないが、この『VTJ前夜の中井祐樹』と『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、『七帝柔道記』もそれぞれ出版社は違っても、実はすべて作品世界が繋がっている。中井祐樹ひとりをとっても、この3作品にすべて出てくるのだ」と書いています。
わたしの著書も、さまざまな出版社から出ていますが、その世界観や考え方は一貫していると自分では思っています。
それにしても、この『火の鳥』完成に至る壮大なドラマを増田氏の次回作のテーマにしていただきたいですね。ほんとに。タイトルはずばり『「火の鳥」はなぜ出版社をたらい回しにされたのか』でしょうか?



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年1月23日 一条真也