まぼろしの「新党ヤマト」と「最後の首相」

一条真也です。
今年を振り返ってネット・サーフィンをしていたら、「次世代の党」最高顧問であった石原慎太郎氏の引退記者会見の動画に遭遇しました。
全部で1時間以上ありましたが、思わず見入ってしまいました。


先の衆院選挙では、比例代表の名簿の最後に名を連ね、敢えて落選した石原氏。そもそも、「石原慎太郎」といえば、戦後の日本における最高の有名人の1人です。かの芥川賞だって、『太陽の季節』で石原氏が受賞してから国民的な文学賞として認知されました。また言うまでもなく、戦後最大のスーパースター「石原裕次郎」の兄でした。
わたしは東急エージェンシー時代から、媒酌人であった故・前野徹氏が非常に懇意だったため石原慎太郎氏とは何度かお目にかかりました。また、父の佐久間進は前野氏がプロデュースした「石原慎太郎都知事を囲む創業経営者の会」のメンバーでした。


石原氏の引退会見の内容は、非常に興味深いものでした。
まことに、失礼ながら「すごく面白い」話が聴けました。
石原家は武田信玄の家来の末裔だそうですが、質問に立ったTBSの武田記者から「世が世ならば、先生は私の家臣であったわけですね」と言われ、石原氏が苦笑いした場面は最高でしたね。
それから、袂を分かった橋下徹氏のことを「彼は天才ですね。あんなに演説がうまい人は見たことがない。若い頃の田中角栄ヒトラーさえ彷彿とさせる」と言ったのには驚きました。その橋下氏と合体したあたりから、わたしは石原氏という「太陽」の落日を感じました。



しかし、最も興味深かったのは「次世代の党」という党名が失敗だったと語ったくだりです。『太陽の季節』をはじめ、数多くの著書の書名において卓越したセンスを発揮した石原氏ですが、このたびの党名ではその才能を活かせませんでした。本当は、「新党ヤマト」とつけたかったそうです。ところが、「宇宙戦艦ヤマト」と被るという意見のために断念したそうです。これは初耳ですが、「新党ヤマト」って素晴らしいネーミングではありませんか!
実現しなかったのが、かえすがえすも残念です。わたしは、「維新の党」になる前の「太陽の党」という党名も好きでしたが・・・・・・。


半世紀以上にわたって政治家として活躍された石原氏の功績は大です。
つねに「日本および日本人」の未来について考え続けられた人生でした。
石原氏が残された思想は、次世代の大和民族に必ずや受け継がれると思います。ちょうど先の衆院選の直前に、わたしは渡部昇一先生との対談本である『永遠の知的生活』(実業之日本社)を上梓しました。同書では、「現代の賢人」である渡部先生と日本人の「こころ」について大いに語り合いました。わたしは、日本人にとっての石原氏が「太陽」なら、渡部氏は「月」のような存在だと思いました。


最後の首相―石原慎太郎が日本を救う日

最後の首相―石原慎太郎が日本を救う日

あの世の三島由紀夫さんも、「石原、よく頑張ったな」と言われるでしょう。同じあの世の住人でも、『最後の首相 石原慎太郎が日本を救う日』を書かれた前野徹氏なら、「あなたには首相になってほしかった。そして、日本人の悲願である憲法改正を実現してほしかった」と言われるかもしれません。本当は、わたしも石原慎太郎首相の誕生をずっと夢見ていました。



物書きが現実の世界でも活躍できることを、石原氏は世に知らしめました。
石原慎太郎先生、長い間、お疲れ様でした。どうか、ゆっくり休まれて御自愛下さい。そして、出来ることなら、作家・石原慎太郎として『60年後の太陽の季節』を書いていただきたいです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年12月30日 一条真也