高倉健さん逝く!

一条真也です。
ブログ「創立48周年記念式典」で紹介した会社行事を終えた後、わたしは北九州空港へ向かい、そこからスターフライヤーで東京に飛びました。
羽田空港に到着して、iPadを開くと、「高倉健さん死去」のニュースが飛び込んできて、驚きました。早速、空港の売店で夕刊を買い漁りました。


Yahoo!ニュース」で知りました

高倉健さんの死去を報道する各紙



高倉健さんは、言うまでもなく、日本映画最大のスターの1人です。
日本映画全盛期の1956年にデビューして以来、自らを「不器用」と称し、武骨で人間味あふれる男の生き様をスクリーンやテレビで見せ続けてくれました。「健さん」の愛称で親しまれた高倉さんは、生涯205本の映画に出演し、映画を愛し続けた「最後の映画スター」でした。


毎日新聞」11月18日夕刊



その訃報は、高倉さんの所属する高倉プロモーションが18日昼前に発表しました。高倉さんは次回作の準備中に体調不良で入院し、治療を続けていましたが、10日未明、容体が急変して息を引き取ったそうです。発表文には「都内の病院で旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でした」と記されていました。健さんが1週間以上も前に死去していたことに驚きました。


健さんは、1931年2月16日、福岡県中間市生まれ。2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章している、万人が認める「日本を代表する俳優」です。健さんは、俳優業を「生きるために出会った職業」と言い切ったといいます。代表作は映画「網走番外地」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズ、「昭和残侠伝」シリーズなどです。


しかし、わたしなどの世代には、1977年の山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」の元受刑者役が印象に強く残っています。また、ともに田中裕子と共演した2001年の「ホタル」、2013年の「あなたへ」の名演技が忘れられません。わたしの中の健さんは任侠ヒーローではなく、完全にハートフルな中年あるいは初老の男性でした。特に「あなたへ」は北九州ロケを行って製作された作品だけに、わたしも思い入れがあります。


健さんは10日に亡くなられたそうですが、奇しくも、昭和の芸能界を代表する森繁久弥さん、森光子さんが亡くなられた日と同じでした。それにしても、わたしは10日に亡くなられた健さんの死が1週間以上の後になって公表されたことが残念でなりません。最近では、大きな物議を醸し出している、やじきたかじんさんの例もありますが、どうして大物芸能人の死去がリアルタイムで伝わらなくなったのでしょうか?



そこには、さまざまな理由もあると思いますが、長年のファンにとっては「亡くなったその日に泣きたい」というのが真意だと思います。
健さんは多くの日本人に愛されてきました。ある意味では、総理大臣以上に個人を超えた国民的存在であったと思います。
健さんは、けっして遺族や関係者だけのものではありません。
故人は多くのファンのものでもあったのです。違いますか?



どうか、芸能人や文化人の死を隠しておいて、荼毘に付した後で公表するという習慣(あえて悪習と呼ばせていただきたい)は一考をお願いしたい。
誰だって、ずっと愛し続けた人の死を後から知らされたら納得できないのではないでしょうか。「最後の映画スター」である高倉健さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年 11月19日 一条真也