記憶と真実

一条真也です。
インチョンアジア大会、競泳男子日本代表の冨田尚弥選手が韓国のメディアのカメラを盗んだ疑いで地元の警察から事情聴取されていたというニュースには驚きました。冨田選手は容疑を認めたということで、日本選手団は冨田選手を追放しました。しかし、その冨田選手は最初はカメラを盗んだことは認めていましたが、帰国後は「盗んでいない」と無罪を主張。さらに、11月6日には冤罪であることを主張する弁解会見が行われました。


産経新聞」11月7日朝刊



まったく不可思議な事件です。ネットを見ると、「この事件は韓国の陰謀だ!」という意見、「いや、冨田はウソをついている」という意見に真っ二つに割れています。こんなに意見がきれいに二分される事件も珍しいのではないでしょうか。テレビのニュース番組やワイドショーなどを見ても、昨日の会見以来、日本中が名探偵になっているような観があります。



たしかに最近になって捏造であることが判明した従軍慰安婦の問題や、朴槿恵大統領の名誉を毀損した」という韓国の市民団体の告発を受け、ソウル中央地検が産経新聞の加藤達也ソウル支局長を事情聴取した問題などを見ると、韓国の陰謀説というのも「ありかな」と思う人は多いでしょう。しかし、なんでもかんでも安易な陰謀説に走るのは無教養な人間の証拠でもあります。たとえば、東日本大震災が米国の地震兵器によるものだったと本気で信じているような困った“ノータリン”になってはなりません。



一方の「冨田がウソをついている」というのも、どうもスッキリしない。
テレビなどで彼の釈明を聴いていると、ウソをついているというのとはちょっと違う気がします。でも、彼の言い分が100%正しいかというと、これもちょっと違和感が残る。わたしには「冨田選手はウソはついていないけれども、すべて真実を語っているわけでもない」と思えてなりません。
彼は「見知らぬ人物にバッグにカメラを入れられた」と主張しています。その見知らぬ人物はアジア系で、冨田選手の顔を見るとニヤリと笑って立ち去ったというのです。



この「見知らぬアジア系の男」というのが、わたしにはUFO関連の映画などに登場する「MIB(メン・イン・ブラック)」のイメージと重なってしまいます。
UFO目撃者やエイリアンによるアブダクション(誘拐)の被害者などをつけ狙う黒ずくめの男たち・・・・・・多くは被害妄想の類だとされていますが、そのMIBと「見知らぬアジア系の男」のイメージがダブってしまうのです。



ずばり、今回の不可解事件に関し、わたしは2つの可能性を推理しました。
1つは、MIBのケースと同じように、「見知らぬ人物にバッグにカメラを入れられた」というのは冨田選手の「偽の記憶」であるという可能性。
この「偽の記憶」という言葉は、ブログ「NHKスペシャル『臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか』」で紹介したテレビ番組で知りました。同番組に出演していたノーベル生理学・医学賞受賞者で理研MIT神経回路遺伝学センター長の利根川進博士は「フォールスメモリー(偽の記憶)」が臨死体験の正体ではないかという仮説を唱えていたのです。


NHKスペシャル「臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか」(NHKより)



ガジェット通信「自分の記憶にだまされる? フォールスメモリーの恐怖」には、以下のように書かれています。
「フォールスメモリーは(1)無理やり思い出す(2)無理やり思い出すために帳尻を合わせるように偽りの記憶を合成する(3)合成された記憶を事実であると思い込む。という図式で出来上がる。
精神分析催眠療法のカウンセラーは『抑圧された記憶を思い出せば心の不調が治る』という治療理論をもっているので、メンタルに不調を抱えているクライアントに対して、『過去に虐待やいじめ、セクハラなどのトラウマがあった』ということを前提にセラピーをすすめる傾向がある。その結果、過去に何もトラウマが無かったとしても、クライアントの過去に何らかのトラウマがあったかのように誘導してしまう」
くだんのNHKスペシャル「臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか」でも、実際にフォールスメモリーを植え付ける実験も紹介されていました。うまく誘導すれば、人はいろんな過去を捏造できてしまうというのです。


「かみさまとのやくそく」シンポジウムに出演しました



じつは、ブログ「かみさまシンポジウム」で紹介したように、3日に東京で画期的なイベントが開催されました。わたしも出演させていただき、「冠婚葬祭の現場より」というテーマでお話しました。ネットで、当日のシンポジウムの感想を記した嬉しいブログ記事も発見しました。


そのシンポの最後に行われた登壇者座談会で、わたしは「フォールスメモリー」という言葉を使いました。というのも、その日はブログ「かみさまとのやくそく」で紹介したドキュメンタリー映画を先に鑑賞したのですが、その内容が赤ちゃんは生まれてくる前の記憶もお母さんの胎内にいるときの記憶も持っているというものだったのです。会場に訪れた人たちはみんな感動していて「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてきている」と信じているようでした。わたしも個人的には、そのように考えています。いや、信じています。
しかし、臨死体験と同じく赤ちゃんの記憶というのも、生まれた後に形成された「偽の記憶」ではないかという可能性があることも事実です。
わたしは「この場で『偽の記憶』などという言葉を持ち出すのはKYかな?」とも思いましたが、大事なことですので、あえて問題提起しました。


シンポジウム登壇者による座談会のようす



もしかすると、不愉快に思われた登壇者もいたかもしれません。
しかし、「臨死体験=死後の世界の証明」であり、「赤ちゃんの頃の記憶を語る子ども=霊魂実在の証明」と安直に飛びつくのも違うのではないかと思うのです。基本的に、わたしは死後の世界や霊魂の存在を信じています。
ウソだと思われるなら、同シンポジウムに出演されていた東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹先生との共著『命には続きがある』(PHP研究所)をお読みください。ちなみに、この本のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」です。
でも、「偽の記憶」も含めたあらゆる可能性を検討する姿勢は大切だとも思っています。そうしないと、せっかくのシンポジウムが単なる「オカルト大好きの不思議ちゃん大集合!」みたいになってしまう・・・・・・。



人類が生んだ宗教家の中でわたしが最も尊敬するのはブッダです。ブッダは弟子たちに、「わたしを疑いなさい。疑って、疑って、これ以上は疑えないと思った時に、初めてわたしを信じなさい」と言いました。ここが、ブッダが本物の聖人であったことの最大の証明ではないかと思っています。
ですから、臨死体験や赤ちゃんの記憶に関しても、「偽の記憶」の可能性を含めて、疑って、疑って、これ以上は疑えない時に「天の岩戸」は開き、世界は一変するのではないかと思います。そんなことを座談会では発言しました。ちなみに、冨田選手だけでなく、STAP細胞の小保方晴子さんの場合も、単にウソをついていたというよりも「偽の記憶」による事件であった可能性が高いと思います。まことに、「記憶」というものは厄介ですね。



さて、今回の冨田選手の事件の真相に関するもう1つの可能性とは何か。
どうしても、わたしは「なぜ、韓国で無罪を主張しなかったのか」という点が気になってなりません。また、せっかく不服申請ができる期間があったにも関わらず、申請しないで、今頃になって会見を開くというのも理解に苦しみます。冨田選手の発言にも奥歯に物が挟まったような印象があります。



ここからは、あくまでも一条真也個人の推測でしかありませんが、実際に冨田選手のバッグに黒い物体を入れたアジア人が実在したのかもしれません。そして、冨田選手はその黒い物体がカメラであることを認めていたのではないでしょうか。目が合ったときにニヤリとしたそうですが、それを冨田選手は「このカメラを君にプレゼントするよ」という意味に受け取ったのではないでしょうか。つまり、冨田選手はカメラを自分のバッグに入れたのではないけれども、バッグの中身がカメラだと知っていて、自分へのプレゼントとして持ち帰ったということです。ということで、黒ではないけれども完全な白でもない・・・・・・。現実的には、こういった可能性もあるように思えます。



いずれにしても、日本と韓国の国際関係ももちろん大事ですが、それ以上に、人間にとって「記憶とは何か」という問題はあまりにも重要です。
ちなみに、今月末に刊行される『永遠の知的生活』(実業之日本社)の中では、「現代の賢人」である渡部昇一先生と「記憶」について徹底的に語り合っています。わたしが言うのも何ですが、最高に面白い内容です。
もうすぐ刊行されますので、どうぞ、お楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年11月7日 一条真也