宥座之器

一条真也です。
ついに、「宥座之器(ゆうざのき)」が、「平成の寺子屋」こと天道館に設置されました。「宥坐之器」とは、器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまうように作られています。いわゆる「中庸」を学ぶための道具です。


天道館に設置された「宥座之器」



「宥坐之器」は、もともと孔子の時代に使われていた「欹器図」に由来し、「欹器」とは「座右の戒めをなす器」という意味です。
ブログ「足利学校」で紹介した通り、今年5月23日、わたしは栃木県足利市にある「史跡足利学校」を訪れました。そこで巨大な「孔子の木」や「孔子像」をはじめ、珍しい孔子坐像が祭られている「孔子廟」や学生の講義や学習、学校行事や接客のための施設である「方丈」などを見学しました。


足利学校で「宥座之器」の実物を初めて見ました

「宥座之器」についての説明版



足利学校の「方丈」に隣接する庫裡(学校の台所。食堂など日常生活が行われた場所)や書院も見てまわりましたが、庫裡の前には非常に珍しいものがありました。それが「宥座之器」だったのです。これは「欹器図」に基づいて復元されたものであることが説明板に書かれていました。
わたしは即座に「平成の寺子屋」と呼ばれている天道館に設置したいと考えました。もっとも既製品が売られているわけではありません。
しかし、わたしは諦めませんでした。「為せば成る!」との想いで社内検討を重ね、試行錯誤の末、ようやく完成まで漕ぎ着けた次第です。


今回の「宥座之器」は真鍮製です



荀子』には、孔子は弟子たちに、この器によって「いっぱいに満ちて覆らないものは無い」と慢心や無理を戒めた逸話が次のように記されています。
孔子桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。孔子は廟守(びょうもり)に「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座之器』というものでございましょう」と答えました。それを聞いた孔子は、「宥座之器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、弟子に向って「器に水を注いでごらん」と言いました。


器は空になっています

柄杓で水を掬います

柄杓の水を器に注ぎます

さらに水を注ぐと、まっすぐに器が立ちました

さらに水を注ぐと、器が傾き出します

突然、器が転覆して水がこぼれます


そこで、孔子の弟子の1人が水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、水が一杯になる器は転覆し、水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。孔子は、「虚なれば即ち傾き、中なれば即ち正しく、満なれば即ち覆る。世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」と弟子たちを諭されました。「満ちないためには、どのように心掛ければよいのでしょうか」と弟子の子路に質問された孔子は次のように答えました。「優れた才知をもつ者は自信の愚を自覚し、功績や手柄のあるものは謙譲の心を持ち、勇力をもつものは恐れを忘れずに、富をもつものは謙遜すべきである」


天下布礼」に弾みがつきます!




天道館では、今回の「宥座之器」はもとより、ブログ「孔子像」ブログ「孔子の木」で紹介したように、孔子に関連する事物を次々と揃えています。そして、ブログ「天道館の孔子祭」で紹介したとおり、天道館が、孔子の教えを学ぶ「平成の寺子屋」として、また「人の道(礼道)」を学び実践していく場として、些少なりとも地域に貢献出来る施設となればとの想いは募ります。
そう、こうした活動もすべては「天下布礼」の一環なのです。
いつか、子どもたちを集めて「宥座之器」を使った「中庸教室」を開きたい!


「平成の寺子屋」こと天道館



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年11月1日 一条真也