なつかしい人

一条真也です。
24日、長崎から小倉へ戻ってきました。15時から、なつかしい人と26年ぶりに再会しました。わたしを「一条真也」として最初に取材してくれた方がわざわざサンレー本社を訪ねて下さったのです。


26年ぶりに再会した尾木和晴さん



その方は、尾木和晴さん。現在は、(株)朝日新聞出版の雑誌本部長です。
つまり、「週刊朝日」や「AERA」の総責任者ですね。
じつは、尾木さんは情報センター出版局のご出身で、「出版界の丹下段平」こと星山佳須也社長が元上司で、「出版寅さん」こと内海準二さんが先輩に当たります。わたしにとっても非常に縁が深い方なのです。


週刊朝日」1988年6月24日号の表紙

週刊朝日」1988年6月24日号



尾木さんは情報センター出版局から「週刊朝日」の編集部に移られ、記者になられました。そして、『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)でデビューしたばかりのわたしを取材して下さったのです。「週刊朝日」1988年6月24日号に記事は掲載され、わたしの名前が初めてマスコミに登場しました。その反響の大きさは、今でもよく記憶しています。


久々の再会でした

なつかしさで、思わず笑みが・・・・・・



その後、尾木さんは「AERA」の編集長などを経て、朝日新聞出版の雑誌本部長になられました。最近、わざわざ直筆で書かれたお手紙を頂戴したのですが、尾木さんが福岡県のご出身で身内の方のご葬儀を紫雲閣でお世話させていただいたことを知りました。このたび、冠婚葬祭関係の出版企画が立ち上がり、そのためにわたしの話を聞きたいとのことでした。


さまざまな質問にお答えしました



そして24日、ついに26年ぶりの対面を果たしたわけです。
尾木さんには、あの頃の面影がありました。穏やかで理知的な面影です。
冠婚葬祭業界の話題を中心に、さまざまな質問をお受けし、わたしも知っている範囲内でお答えました。また、わたしが現在執筆中の『永遠葬』(仮題)の内容について尾木さんから貴重なアドバイスを受けました。


今後ともよろしくお願いします!



わたしたちは、「今度、東京で飲みましょう!」と約束してから別れました。
わたしは、これまで数え切れないほど取材を受けてきましたが、尾木さんから受けた「週刊朝日」以上に印象が強かった取材はありません。もちろん初めての取材ということもありましたが、あの頃の活字メディアは今とは比較にならないほど輝いていました。なつかしい方と再会することができて幸せです。尾木さんの「あの頃から、まったくブレていないですね」という一言がすごく嬉しかったです。これを御縁に今後ともよろしくお願いいたします!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年10月25日 一条真也