「古事記〜天と地といのちの架け橋〜」

一条真也です。
東京に来ています。ミャンマーに行く前日の12日、両国の「シアターX」で舞台を鑑賞しました。東京ノーヴィレパートリーシアターによる「古事記天と地といのちの架け橋〜」という舞台ですが、なんとブログ『超訳 古事記』で紹介した本が原作です。そうです、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生がこの舞台の原作者なのです!



JR両国駅に降り立つと、歴代優勝力士の肖像画が飾られていました。
駅の西口出て左に進むと、大相撲グッズを販売している露店などがあり、「ああ、ここは両国なのだ」と実感しました。さらに進むと、回向院の左隣に「シアターX」が入る高層ビル「両国シティコア」が見えてきました。広場のような場所で、殺陣のショーが行われており、劇場はその横でした。


JR両国駅のようす

JR両国駅前のようす

劇場横で殺陣ショーが行われていました

シアターX」の正面入口



相撲に殺陣・・・・・・いやでも「和」のテンションが高まっていく中、そのクライマックスとして、日本人の「こころのルーツ」である『古事記』をオペラ化したような舞台を鑑賞しました。「シアターX」の公式HPには、「古事記天と地といのちの架け橋〜」について以下のように説明されています。
「太古から、口づてに伝承された物語・古事記。1300年の時を経て甦る遺伝子の記憶・・・・・・この日本の心のエッセンスをつたえる神話を、現代の<儀式>として舞台化します。 神話的意識を取り戻し、神話(=自然)の智恵をひらき、“いま”へと伝承される美しく優しい古事記です。舞台上の『儀式』を通して注がれる清らかなエネルギーが現代人の心を癒す、奇跡の瞬間を体験してみませんか? 」


シアターX」前のようす

Tonyさん、やってきましたよ!



この舞台を演じた東京ノーヴィレパートリーシアターについて、Wikipediaには、以下のように書かれています。
東京ノーヴィレパートリーシアターは、東京・下北沢を拠点として活動している、レパートリー・シアター劇団。
芸術監督は、ロシア功労芸術家のレオニード・アニシモフで、アントン・チェーホフマクシム・ゴーリキーなどのロシアの戯曲を主要レパートリーとするが、最近は日本の作品など、新作にも意欲的に取り組んでいる。
劇団創立は、2004年4月で、特定非営利活動法人劇団京、ペレジヴァーニエ・アートシアター、スタジオ・ソンツェの3つの劇団が結集して創立。演劇公演だけではなく、演劇をテーマとしたアートサロン、国際交流シンポジウム、俳優向けのワークショップなど、幅広い活動を行っている」


東京ノーヴィレパートリーシアターは2009年5月に「天才作家の7つの贈り物」と題して、ゴーリキーチェーホフシェイクスピア近松門左衛門宮沢賢治といった5人の作家の7つの物語を舞台化しました。これらの偉大な作家たちと同じく鎌田先生も原作者となったわけですから凄いですね。


同劇団の「特徴」として、Wikipediaには以下のように書かれています。
「劇団の俳優が舞台上でインスピレーションを受けるための教育方法として、ロシアの演出家・コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱したスタニスラフスキー・システムを採用している。年に数度、スタニスラフスキー・システムの内容を元にした俳優向けのワークショップも開催」
「レパートリー・シアターと銘打つ劇団は他にもあるが、一定期間に演目を変えながら、毎週連続公演する劇団は珍しく、ヨーロッパのレパートリー・シアターの形式に近い。2009年5月のGWには、東京・両国のシアターΧ劇場で、7日間日替わりでレパートリー作品7演目を連続公演している」


劇場内のようす



このたびの「古事記天と地といのちの架け橋」について、芸術監督のレオニード・アニシモフ氏は以下のような一文を寄せています。
「日本神話との出会いは私の創造活動における重要な出来ごとの1つとなりました。世界十大神話の中でも『古事記』は、現実世界の描き方がもっとも人道的であると私は思います。本企画は日本の様々な専門家、学者、芸術家、文化人の方々、またロシア・極東連邦大学の研究グループの協力を得て実現しました。皆様に心より感謝申し上げます。中でも特に『古事記』を超訳してくださった鎌田東二先生には厚く御礼申し上げます」


劇場内のようす



この舞台「古事記」ですが、まことに幻想的な演劇でした。
冒頭から、いきなり劇場中が真っ暗闇になって驚きました。
劇場でも映画館でも防災上の都合から非常灯があるので真っ暗闇にはならないものですが、今日は正真正銘の「漆黒の闇」を経験しました。そして、闇から浮かび上がる神々はすべて白い装束を身につけていました。
このとき、わたしはなぜ神々や神主が白い装束で、加えて死者も白装束なのかの理由がわかりました。闇から出現する色は白を置いて他にはなく、また闇に溶け込む色も白以外にはないからです。


劇場入口の案内板



おびただしい数の八百万の神々の顔は一様に白く塗られ、いずれも笑みを浮かべています。その姿に、わたしは、かつて若き日の鎌田東二青年が会いに行ったという寺山修司が率いる「天井桟敷」や土方巽の「暗黒舞踏」、さらには「山海塾」などを連想しました。とにかく人の顔を白塗りにするだけで、ここまで非日常の世界が出現することを思い知りました。


本日の配役表



第1部では『古事記』の冒頭部分の「天地のはじめ」が表現されます。                 
はるか遠い昔、はてしなく広がる天と地がまだその区別がつかない頃、高天原に成りませる神・天之御主神が、高御産巣日神神産巣日神の姿となって万物を生み出す準備を始めました。天と地はまだはっきりせず、水に浮いた油のように、海に浮かぶクラゲのように漂っていました。天地を動かし、国を固め、万物を生み出し、この世をみえる形に現す働きの神として、男神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と、女神である伊邪那美命イザナミノミコト)が生まれました。



イザナギイザナミが出会ったとき、女神が先に「ああ、なんて立派な頼もしい方なんでしょう」と声をかけ、続いて男神が 「ああ、何と美しく愛しい方なのだろう」と声をかけ合いました。子どもは生まれたのですが、「ヒルコ」という蛭のような骨のないグニャグニャの子でした。次も泡のような子でした。両神は、高天原の神々に相談しに行かれました。「女神が先に声をかけたのがいけなかったのだ。もう一度やり直しなさい。」
というアドバイスを受けます。そこで今度は男神から声を掛け合って心が通い合うと、見事に成功して、八つの島が生まれました。これを大八島国(おおやしま)といい、日本のもう一つの名前となりました。



わたしは、この場面を観て大きな感動をおぼえました。
ブログ「冠婚責任者会議」でも書いたように、わたしは最近、ものすごい大発見をしました。「結婚式は結婚よりも先にあった」という大発見です。
一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。『古事記』では、イザナギイザナミはまず結婚式をしてから夫婦になっています。つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです。他の民族の神話を見ても、そうです。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しているのです。つまり、結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。ですから、結婚式をしていないカップルは夫婦にはなれないのです。



結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれた伊邪那岐命伊邪那美命のめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。この舞台では、多くの神々が「われは○○の神」と言って立ち上がりながら名乗りを挙げますが、まさにこの舞台そのものが1つの儀式となっていました。


「宇宙における情報システム」(一条真也



わたしは、この舞台上での儀式を見ながら、ブログ「宗遊」で紹介した「宇宙における情報システム」ということを考えていました。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。
その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」なのです。音楽やダンスなどの「遊び」は最も原始的な「もとのもと」の表現であり、人間をハートフルにさせる大きな仕掛けとなります。そして、儀式や演劇も「宇宙における情報システム」では「宗遊」そのものです。


「『乱世』における心身の再生(世直し・心直し)」(鎌田東二

「『乱世』における心身の再生(世直し・心直し)」(鎌田東二



というわけで、わたしは「宇宙における情報システム」というものを連想したのです。じつは最近、鎌田先生も似たことを述べられており、わが意を得ました。9月14日に、鎌田先生は同志社大学で「身心変容技法研究」について発表されました。「身心変容技法」とは身体と心の状態を当事者にとってよりよいと考えられる理想的な状態に切り替え変容・転換させる諸技法をいいます。古来、宗教・芸術・芸能・武道・スポーツ・教育などの諸領域で様々な「技法」が 編み出され、伝承され、実践されてきました。
そして、その中では「礼」と「芸」が並んでいます。つまり、「儀礼」と演劇を含む「芸術」が「『乱世』における心身の再生(世直し・心直し)」の根幹をなすものとして示されているのです。



それにしても、1時間近くも胡坐をかいた後に垂直にスクッと立ち上がる役者さんたちの脚力には感嘆しました。足を負った経験のあるわたしには逆立ちしても真似できません。わたしの後ろの席に座っていた年配のご婦人が「あの姿勢では疲れるでしょうね。ヒザ曲げてるし・・・」と言われていましたが、同感です。固い舞台の上で胡坐をかいていて、よく足が痺れないものです。日頃の鍛錬の賜物でしょうが、やはりプロの役者さんは凄い!


第2部では、最愛の妻を失ったイザナギが嘆き悲しむ場面から始まります。
ブログ『古事記ワンダーランド』で紹介した鎌田先生の著書でも指摘されているように、『古事記』とは「グリーフケア」の書です。鎌田先生によれば、『古事記』には「女あるいは母の嘆きと哀切」があります。
悲嘆する女あるいは母といえば、3人の女神の名前が浮かびます。第1に、イザナミノミコト。第2に、コノハナノサクヤビメ。そして第3に、トヨタマビメ。『古事記』は、物語ることによって、これらの女神たちの痛みと悲しみを癒す「鎮魂譜」や「グリーフケア」となっているというのです。最もグリーフケアの力を発揮するものこそ、歌です。歌は、自分の心を浄化し、鎮めるばかりでなく、相手の心をも揺り動かします。歌によって心が開き、身体も開き、そして「むすび」が訪れます。



「むすび」という語の初出は日本最古の文献『古事記』においてです。冒頭の天地開闢神話には二柱の「むすび」の神々が登場します。八百万の神々の中でも、まず最初に天之御中主神高御産巣日神神産巣日神の三柱の神が登場しますが、そのうちの二柱が「むすび」の神です。『古事記』は「むすび」の神をきわめて重要視しているのです。
大著『古事記伝』を著わした国学者本居宣長は、「むすび」を「物の成出る」さまを言うと考えていました。「産霊」は「物を生成することの霊異なる神霊」を指します。つまるところ、「産霊」とは自然の生成力をいうのです。



古事記』には、あまりにも有名な「むすび」の場面があります。天の岩屋戸に隠れていた太陽神アマテラスが岩屋戸を開く場面です。アメノウズメのストリップ・ダンスによって、神々の大きな笑いが起こり、洞窟の中に閉じ籠っていたアマテラスは「わたしがいないのに、どうしてみんなはこんなに楽しそうに笑っているのか?」と疑問に思い、ついに岩屋戸を開くのでした。
古事記』は、その神々の「笑い」を「咲ひ」と表記しています。
この点に注目する鎌田氏は、『古事記ワンダーランド』で述べます。
「神々の『笑い』とは、花が咲くような『咲ひ』であったのだ。それこそが〈生命の春=張る=膨る〉をもたらすムスビの力そのものである。この祭りを『むすび』の力の発言・発動と言わずして、何と言おうか」



この舞台「古事記」の第2部のラストシーンは、まさに神々が大笑いして岩戸屋が開き、世界に再び光が戻る感動的な場面でした。
わたしは、この場面を観ながら、鎌田先生ご自身が網膜剥離で緊急出術および治療生活を経験され、その結果、めでたく視力が回復したことを思いました。鎌田先生は個人的な「岩戸開き」を体験されたのかもしれません。
鎌田先生、この世に光が戻って、本当に良かったですね!
ラストシーンでは神々が手に鏡を持ち、アマテラスが放つ光をそれぞれが反射している場面も印象的でした。この世に住むわたしたちも、各自が小さな太陽として光り輝きたいものです。



ところで、わが社の社名は「サンレー」といいます。これには、「SUN−RAY(太陽の光)」そして「産霊(むすび)」の意味がともにあります。
最近、わが社は葬儀後の遺族の方々の悲しみを軽くするグリーフケアのサポートに力を注いでいるのですが、『古事記ワンダーランド』を読んで、それが必然であることに気づきました。
なぜなら、グリーフケアとは、闇に光を射すことです。
洞窟に閉じ籠っている人を明るい世界へ戻すことです。
そして、それが「むすび」につながるのです。わたしは、「SUN−RAY(太陽の光)」と「産霊(むすび)」がグリーフケアを介することによって見事につながることに非常に驚くとともに安心しました。ちなみに、わが社の社歌は神道ソングライターでもある鎌田先生に作詞・作曲していただいています。


大いなる「産霊」の物語でした(観劇の栞より)



舞台「古事記天と地といのちの架け橋」ですが、原作者の鎌田先生は「いのちの賛歌としての『古事記』」という一文を寄せ、「古事記はいのちの賛歌である。それが日本民族叙事詩であることは間違いないが、そこにもっとおおらかな宇宙的ないのちの歌声がある」と書かれています。この「おおらかな宇宙的ないのちの歌声」とは「産霊」のことにほかなりません。
そう、この舞台は、大いなる「産霊」の物語でした!



さて、この素晴らしい「産霊」の舞台、本当は「未来医師イナバ」こと東大病院の医師である稲葉俊郎先生と一緒に行きたかったです。稲葉先生は非常に演劇に造詣が深いこともありますが、11月3日に稲葉先生が主宰する「未来医療研究会」のシンポジウムにわたしが出演するので、その打ち合わせもしたかったのです。それで、「12日、『古事記』の舞台を一緒に観ませんか?」という表題のメールをお送りしたところ、その日は稲葉先生が主催している年に1回の勉強会があり、どうしても参加できないとのこと。



しかし、稲葉先生のメールには続いて以下のように書かれていました。
「驚きました。この東京ノーヴィレパートリーシアターは、田口ランディさんから紹介され、足しげく通っている劇団なのです。NPO法人設立のための寄付もしています。この劇団の女優さんも、未来医療研究会にご参加いただいており、いづれ未来医療研究会でも演出家のロシア人のアニシモフさんや俳優の方々にもご登壇いただくことになっているのです。それだけご縁の深い劇団なので、一条さんからメールいただき驚きました。
確かに鎌田東二さんも関わられていますよね」
この稲葉先生からのメールの返信を読みながら、わたしは「やはり、この世は有縁社会だなあ」と思いましたね。


超訳 古事記

超訳 古事記

最後に、原作となった『超訳 古事記』ですが、日本の神話である『古事記』を、まったく新しい方法で超訳した本です。とても読みやすく、不思議な言語感覚で書かれた良質のファンタジー作品を読んだような気がする本です。
この本の訳し方は、超越的なやり方で行なわれたそうです。
2009年7月31日、さいたま市大宮にある著者の自宅の畳の部屋で、そして翌日の8月1日、東京の自由が丘にあえるミシマ社の畳の部屋で、著者が横になって目をつぶり、記憶とイメージだけを頼りに『古事記』の神物語を口頭で語ったとか。参考文献も何ももたず、ひたすら心の中に浮かんでくる言葉を語ったというのには心底驚きました。それをミシマ社の三島邦弘社長が録音したというのです。


シアターXで『超訳 古事記』が販売されていました


著者は、本書の「あとがき」に次のように書いています。
「その場にいるのは、三島さんとわたしだけ。わたしは、大上段に構えて言えば、現代の稗田阿礼になって、“わが古事記”を物語ったのです。つまり、この本は、鎌田東二が“鎌田阿礼”として『古事記』を語り、それを、三島さんが現代の太安万侶、すなわち“三島安万侶”となって記録し、まとめてできあがった本です。」



それにしても、著者はとんでもない方法で『古事記』を超訳したものです。
こんな凄いこと、本居宣長平田篤胤折口信夫にだってできやしません。こんな超越的な本づくりに高天原も呼応したのか、いよいよ『古事記』語りをスタートするという段になって、突如、空がうす暗くなり、バリバリと雷鳴が轟き、ピカピカと稲光りが走り、激しい雨がザァッーと地面を打ちつづけて、気温は10度くらい一気に低下したとのこと。そんな劇的な状況の中で、著者は死者が棺桶に入ったような姿勢になって、寝たまま『古事記』を語り始めたのです。



なんとも素敵すぎますね、このシチュエーションは! 
鎌田節も冴え渡って、血湧き肉躍る「あとがき」となっています。
心に強く残ったのは、著者が10歳のとき、『古事記』に出会い、救われたというくだりです。著者にとって、何よりも『古事記』は「救いの書」であり、「癒しの書」だったのです。わたしは1人でも多くの日本人が『超訳 古事記』を読んで、人類の「こころ」につながる日本神話に興味を持ってほしいと思います。今日は、鎌田先生のおかげで大相撲の聖地である両国において「日本人のこころ」のルーツに触れることができました。ということで、13日の朝から上座部仏教の国・ミャンマーに行ってきます!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年10月13日 一条真也