雲仙

一条真也です。
サンレー本社の社員旅行で雲仙を訪れました。
雲仙は昭和2年に日本新八景山岳の部で1位になり、昭和9年にはわが国で最初の国立公園に指定されています。昔から自然が大切に守られてきた雲仙は、野鳥や高原植物の宝庫で、「自然の大図鑑」と呼ばれています。


普賢岳眉山を背景に(上空にUFOが!?)



Wikipedia「雲仙岳」には以下のように書かれています。
雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県島原半島中央部にある火山で千々石カルデラの外輪に位置する。広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳九千部岳矢岳高岩山絹笠山の五岳からなる山体の総称。『三峰五岳の雲仙岳』と呼ばれる。行政区分では島原市南島原市雲仙市にまたがる。狭義ではいわゆる『三峰五岳』のうちの『三峰』を指すこともある。1792年5月21日(寛政4年旧暦4月1日)に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊とこれによる津波災害は、島原大変肥後迷惑と呼ばれる、肥前国肥後国合わせて死者、行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害となった」


雲仙岳の案内図

前方に普賢岳を望む

雄大普賢岳のようす



また、「平成新山の噴火と災害」には、以下のように書かれています。
「現在の平成新山を形成した噴火活動は、1989年(平成元年)11月からの橘湾群発地震に始まる。1990年(平成2年)11月17日に噴火し、それ以降噴煙活動が観測された。最初の噴火は2つの噴火孔より熱水の吹き上げと雲煙を認めるのみであった。同年12月には小康状態になって道路の通行止めなども解除になり、そのまま終息するかと思われたが、1991年(平成3年)2月12日に再噴火、さらに4月3日、4月9日と噴火を拡大していった。5月15日には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生、さらに噴火口西側に多数の東西方向に延びる亀裂が入り、マグマの上昇が予想された。5月20日に地獄跡火口から溶岩の噴出が確認されたが、粘性が高かったため火口周辺に溶岩ドームが形成された。溶岩ドームは桃状に成長しやがて自重によって4つに崩壊した。溶岩ドーム下の噴火穴からは絶え間なく溶岩が供給され、山頂から溶岩が垂れ下がる状態になり、形成された順番に第1-第13ローブと命名された。溶岩ドームの崩壊は、新しく供給されるマグマに押し出されたドームが斜面に崩落することにより発生し、破片が火山ガスとともに山体を時速100kmものスピードで流れ下る火砕流(メラピ型火砕流)と呼ばれる現象を引き起こした。噴火活動は途中一時的な休止をはさみつつ1995年(平成7年)3月頃まで継続した。火砕流が世界で初めて鮮明な映像として継続的に記録された噴火活動である(過去には、プレー山などの火砕流が写真としては多く記録されており、小規模なものの映像も撮影されている)」



噴火の被害跡で

美しい普賢岳

素晴らしい景色です



火山の存在は、ゆたかな温泉を作ります。雲仙温泉は、すでに明治の頃に外国人の避暑地として開かれた国際的な観光地でした。
その温泉街は古湯・新湯・小地獄の3つに分かれ、雲仙地獄の湯けむりが漂う街並みに旅館街が並んでいます。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年9月11日 一条真也