『日本人らしさの発見』

日本人らしさの発見――しなやかな〈凹型文化〉を世界に発信する


一条真也です。
『日本人らしさの発見』芳賀綏著(大修館書店)を読みました。
著者は、1928年北九州市生まれの国文学者で、現在は東京工業大学名誉教授です。本書には、「しなやかな〈凹型文化〉を世界に発信する」というサブタイトルがついています。


本書の帯


また、帯には「“欧米 対 アジア”の図式では捉えられない真の日本人像」と書かれており、「万物を愛で包容する日本の“凹型文化”が排他的な“凸型文化”主導の世界を転換させ、危機に立つ地球環境と人類を救う。」と続きます。アマゾンには、【目からウロコの壮大な比較文化論】として、以下のように紹介されています。
日中関係、日韓関係がしっくりしない。『なぜ分かってくれないのか』と思っている方も多いのではないだろうか。『話せば分かるはずだ』とも。著者は、長い歴史を紐解きながら、しっくりしない原因が文化の違いにあることを突き止めた。文化とは、いわばそれぞれの民族のDNAに組み込まれている資質のようなもので、世界は〈凸型文化〉と〈凹型文化〉に二分されるという。〈凸型〉民族は他者を思うがままに支配しようとし、環境破壊などを引き起こしてきた歴史をもつ。日本人は〈凹型〉で、〈凸型〉とは対照的に、人も自然もすべてを包み込むしなやかさがある。
〈凸型〉と〈凹型〉はまさに水と油。その中で、人類と地球を救うために何をなすべきか。本書は、両文化の特性を充分見極めた上で、〈凹型〉文化に根ざした日本人の気心を我々が世界に発信していくことの重要性を力説する」



本書の目次は、以下のような構成になっています。
プロローグ
   ――「世界の鏡」で日本人らしさ再発見を
【1】 凹型文化の世界 日本列島
一  「日本人らしさ」の原型
二  和の空間 人と人
三  和の空間 自然と人
四  やわしき日本、険しき異国
   ――凹型文化圏と凸型文化圏
【2】 凸型文化の世界
一  凸型世界の人と自然
二  牧畜大陸ユーラシア
三  肉体を処理する文化(1)
   ――去勢・宦官・肉食
四  肉体を処理する文化(2)
   ――解剖学と美女像
【3】コミュニケーション 凸対凹
一  心を操作する文化(1)
   ――コミュニケーションの心理力学
二  心を操作する文化(2)
   ――国家間のドラマ、外交
【4】一神の世界、多神の世界
一  垂直型と水平型――相容れぬ宇宙像
二  決める神、決められぬ神々
エピローグ
   ――「日本人らしさ」の世紀へ
一  凹型文化の出番
二  日本から発信する手段は?
三  異文化との距離感を
   ――民族的教養を深め真の開国を



「プロローグ」の冒頭で、著者は次のように述べています。
「21世紀は日本の世紀であるべきです。それは、日本が何につけても世界一になろうといった、無邪気な、そして無謀な話とは違います。
日本の文化、その根底にある日本人の『気心』のよさ、美風が、もっと広く深く、世界に理解され、そして、その気心に根ざした日本の文明が、地球を、人類を救うのに大きく役立つべき時期が来ている、という意味です」



そして、本書を書く動機に触れた後、「人間性の根本は普遍のもので、だからこそ文化圏の別を超えた相互理解と協力ができる。その確信を一方に抱きつつ、文化圏による生き方・価値観の差違という現実を的確に知り、そこから将来への対処の方向を見定めることによって、日本人の使命、人類社会ヘの役立ち方の自覚が生まれます。そのような、民族の知恵、いわば<民族的教養>を深めることに資する本でありたい。執筆のベースにある筆者の念願と、強い使命感はそれです」と、「プロローグ」の最後に述べます。



【1】「凹型文化の世界 日本列島」の一「『日本人らしさ』の原型」では、弥生時代が取り上げられます。著者は影響を受けた文化人類学者の石田英一郎の説を引いて、弥生時代は「日本民族として識別しうる民族集団」の形成が完了し、縄文以来の積み重ねの上に<日本民族の文化の原型>が定着した時期だと見ています。そして、それを“三つ子の魂”確定の時代といいます。



本書のキーワードとなっている<凹型文化>とは何か。
それは、国学者賀茂真淵が、「直く、まろく、たけく雄々しき、けだかき」心や「まこと」と並べて挙げた“やわ(柔、和)しき心”を本領としてきた日本民族の文化です。それを、著者は前著『日本人らしさの構造』(大修館書店)以来、<凹型文化> (Tender−minded Type of Culture)と呼んできたのです。そして、<凹型文化>の中枢を貫いている意識傾向(すなわちculture core)が、太古、弥生時代までの間に形づくられ、固着したと見ています。ルース・ベネディクトの表現を借りて「日本をして日本人の国たらしめているもの」と呼べるのはそれだと述べています。



二「和の空間 人と人」の冒頭では、「きめの細かい『情』の民族」として、著者は以下のように述べています。
「凹型文化の日本列島は<和の空間>です。賀茂真淵の言った『柔(和)しき心』とは、柔軟、繊細、そして和合する心で、その1つは人と人との和合です。それは日本人が“情の人間”であることと一体です。文化勲章の天才的数学者、岡潔教授は、フランスに留学していた間、『情』に相当するフランス語がないので物足りなかった、かつ、言いたいことが言えなくて不自由した、と言っていました。『情が深い』『情が移る』『情にもろい』『情にほだされる』・・・・・・」



さらに著者は、シェイクスピアまで持ち出して日本人の心を語ります。
シェイクスピア劇『ベニスの商人』のあの裁きが、いかにも知的(クレヴァー)な明敏さで舌を巻かせるのに対し、日本では、歌舞伎『勧進帳』の安宅の関守富樫の肚芸や、大岡裁きの数々に感じられるのが何よりも『人情味』のあるはからいであるのも“情の文化” らしさです。『情』が日本人の心を言うのに不可欠な、いわば民族的特性語の1つであるように、『思いやり』『いたわり』『心遣い』『心配り』『気遣い』『気配り』『気働き』・・・・・・これらもすべて、日本人らしいキメの細かい対人感覚を示す特性語です」



著者は日本人の心は「やさしい」心であると喝破し、「気がね」「気苦労」「気疲れ」などの言葉も「やさしさ」と同根であるととらえます。
そして、次のように述べています。
「柔(和)しき心は『やさしい』心です。やさしいの語源は、他者に気を遣い気疲れして『やせる』ほどだ、というところにあります。かつて国語学者阪倉篤義教授は、相手や世間に対して、気兼ねで身のちぢむ思いのするさま、と説明していました」



「やさしさ」の次は「和」です。著者は述べます。
「和合する心は、戦いの基底にまでありました。戦いを本領としたと思われる武士も『敵をして共感せしめる』心を尊重しました。源平時代の武士たちは、鎧兜の美術的な美しさを心がけ、敵味方を超えて共感し、ほめ合った。戦闘の最中に敵将と歌を詠み交わす「風雅」のたしなみも忘れませんでした。風雅は、人と自然を一体とし、また人と人が相和する境地でもありました」



さらに「和」の心について、著者は以下のように述べます。
「和する心は『互いに合わせる』心です。それを発見できる適例は、ジャン・コクトーが嘆賞したという相撲の“立ち合い”です。行司は祭事の主宰者、勝負の判定者等々の役を兼ねていますが『戦闘開始!』と号令をかける役ではありません。力士と力士が呼吸をはかり、イキの合ったところで立ちあがります(相手に合わせながら、しかも自身に有利にはこぼうとする微妙きわまる技能のはたらきが要求される、極度に凝縮された瞬間です)。
他者からの合図や指図によらず、闘者同士が互いにペースを合わせ合うところに美を見る。『呼吸が合う』ことこそ、日本人にとって好ましく、美しい、大事なことなのです。
日本音楽(邦楽)にはコンダクターはありません。合奏はあってもオーケストラがない。邦楽の合奏は多種多様な楽器の演奏者が全く自主的に『呼吸を合わせて』演奏します。指揮者と演奏者というタテの関係がなく、演奏者たちのヨコのつながりがあるだけです」



著者は、さまざまな<和の空間>は自然と人の和、神々と人の和とも相俟って、太古から日本列島に生み出され、維持されて来たといいます。ただし、「和」という漢語が入って来るまでは、この単語と表裏一体を成す観念はなかったのです。つまり、名づけのないまま、不定形の雰囲気としての柔(和)しき心の通い合う空間が存在し続けたわけです。
著者は、以下のように述べまています。
「その不定形のものを言語化し、理念としたのが聖徳太子の十七条憲法、『和ヲ以テ貴シト為ス』でした。すでに実態として存在した日本人の優しい心が、同時に規範としても定位されたのです。太子の教えも貴重でしたが“憲法”以前に醸成され、むしろ憲法の規定を導き出した民族の“気心”は更に貴重だったと解すべきです」
すなわち、「和」の理念こそ「日本人らしさ」の言語化であるというのです。



わたしが大きな学びを得たのが、三「和の空間 自然と人」でした。
著者は、和辻哲郎の名著『風土』(岩波文庫)を引き合いに出して、日本列島の根本は「植物的」な「生」の世界であると述べます。そこでは「人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である」のです。さらに著者は、「人は自然と和合する、一体として生きるのです。自然をいつくしむ“やわしき心”は自然の恵みから生まれたとする見方は、前述の、自然地理学者の評とも合致します。そして、自然の姿、そしてそれに育まれた民族の自然観は芸術の姿にも反映します」と述べています。



日本人と自然との関係を考えるなら、アニミズムについて触れないわけにはいきません。
「日本人は自然そのものなのだ」と言った都市工学者がいる一方で、宗教哲学の権威であった鈴木大拙は、かつて「日本人は生活そのものが宗教である」と放送で語っていました。
大拙によれば、日本人は、哲学・宗教・芸術・・・などと区分しない(が、宗教心がある)といいます。芸術も宗教も未分化、渾然一体だというのです。それならば、文芸や美術や芸能・娯楽に見る「風流」の美学と信仰、宗教心とは分かちがたいものだと考えられてきたことも理解できます。



著者は、この大拙の考え方にならいます。
そして、哲学・宗教・芸術を渾然一体としてとらえます。
そして、「風流」という言葉を取り上げて、国文学者の池田彌三郎の著書『日本文学の“素材”』に登場する以下の言葉を紹介します。
「『雪見』や『月見』のような風流の楽しみも、民俗学者はこう説きます。『風流な遊びごとになるもう1つ前は、じっと見るということです。月をじっと見る、あるいは雪をじっと見るということ、見ているうちに、その雪の持っている魂、月の持っている霊魂がこちらの身体に入ってくる。・・・・・・』」



この文章について、こういう「信仰的な背景」が時とともに忘れられているが、「花見」にしても元はその背景があったとし、『日本文学の“素材”』の「・・・・・・霊魂をそこに迎えるために花を飾ったというのが、今の華道のもととなっているのです。単に美しいから見るというのは花見の一番もとにあるすがたではない。もう1つ前に、そこに霊魂を呼び迎えるということがあって、そこから生け花ということも起ってきているわけです」という言葉を紹介します。



神事・芸能・競技が一体となっている大相撲でも「そこに神を招かなければならない。その、神を招く場所が櫓なのです」「歌舞伎芝居にも、櫓というものがあります。・・・・・・神が来て、初めてそこで芸能が行われる」。月見も「最初は神として月を招いて、そこで祭りを行ったということで、・・・」といったふうに、著者はさらに同書を引用しています。そして、「神として月を招く――まさに「万物に神宿る」日本の心です。その心こそ、太古から息づき続けるアニミズム(精霊信仰、精霊崇拝)です」と述べています。



四「やわしき日本、険しき異国――凹型文化圏と凸型文化圏」の冒頭では、まず凹型文化圏について以下のように詳しく説明しています。
「日本列島という、世界屈指の、おだやかな精神空間を、『人と人の和』『自然(神々)と人の和』という2側面についてだけ眺めましたが、より包括的に、日本人の民族的人格の全体像は、(1)自然観(宇宙観・宗教意識)、(2)対人意識・社会認識、(3)事物認識と思考法、(4)道徳意識、(5)美意識・・・などの諸側面から認識・理解しなければなりません。――それら全般にわたって分析・叙述したのが拙著『日本人らしさの構造』(大修館書店)です。その本で浮き彫りにした和合性・受け身(受容)性・原理原則回避(ファジー好み)・不徹底性・余韻余情や陰影の愛好・・・・・・等々の意識傾向を総合した文化の類型を<凹型文化>(Tender−minded Type of Culture)と筆者は呼んできました。つまり日本民族は<凹型民族>です。別名を、自然民族・植物性民族・静的民族・内向民族・受容民族・流動(無原理)民族・・・・・・等々と言ってもよいでしょう」



続いて、【2】「凸型文化の世界」の一「凸型世界の人と自然」では、以下のように説明しています。
「凸型文化の空間というのは、“和”の列島とは対照的な<険しく激しい心>の世界です。そこでは、人間が突出して自然と戦い、人と人も対立して和合を旨としません。人が人を区別・差別し峻別して、人が人を征服・支配しようとせめぎ合います。人が人を制御・操作・処理するのは自明・当然のことです。ユーラシアの大部分に息づくのは、人をも、動物をも、自然界のすべてをも、手段も選ばず自己の意のままにしようとする攻撃性の文化、すさまじい文化です」



さらに著者は、次のように述べています。
太宰治は『まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学じゃないのかしらん』(河盛好蔵宛書簡)と言っているそうです(竹内整一『日本人は「やさしい」のか』)。――敗北や滅亡にも“美学”を見る日本人は、海外の国際試合に敗れた選手たちが帰国すると『よくやった』『ご苦労さん』と健闘を讃え、ねぎらいますが、韓国などでは、2位に終った選手は世論の袋叩きにあうものと決まっているということです。攻めて勝つことあるのみ、の文化」



「征服と復讐の交響楽」として、著者は以下のようにも述べています。
「日本人には、他国・他民族を頭から『敵だ』と見て身構える習性がありません。根本が性善説です。一方、凸型諸民族は先ず他者は『敵だ』と身構える。性悪説です。地続きで相接する異国・異民族あるいは異教徒の集団を敵視し、大小のトラブルは勿論、西へ東へ、進攻・征服をくり返す歴史の大部分は彼らが創ったものです。ユーラシア大陸内にとどまらず、海を越えてアフリカ・南北アメリカオセアニアなど、世界地図を大きくぬり替えたのは凸型の中の白人国家でした」



【3】「コミュニケーション 凸対凹」の一「心を操作する文化(1)――コミュニケーションの心理力学」では、以下のようにミャンマーが凹型文化圏として次のように取り上げられています。
「日本と同じ凹型文化圏と見るべきミャンマーは、『住んでいる人たちの顔形もわれわれに似ていれば、物腰・動作、ものの感じ方もよく似ている』(佐々木高明『稲作以前』)と概評される東南アジアの一国だけあって、伝統的にこんな作法があるそうです。――『国会でも各大臣と議員との質疑応答はほとんどの場合、一往復で終わりです。たとえ大臣の発言に不満や不明な点があったとしても、議員側が二度三度と繰り返し質問や意見を述べることは非礼だ、という意識がお互いに根強いのです』(山口洋一・寺井融『アウン・サン・スーチーはミャンマーを救えるか』)。『日本とよく似ているのですが、わかりきったことはあえて言わない。阿吽の呼吸で理解し合えることはあえて口に出さない、という文化』(同書)の極まるところ、国会で不満や不明の点があっても飲み込んだように振る舞うのがマナーだ、となると、日本人でも首をかしげますが、日本人の深層にある意識を洗い出してみればやはり同質です」



2013年、安倍晋三首相は国会で「日本の外交は、これまでは礼儀正しく、物静かな外交でありました」と発言しました。その過去を踏まえ、反省を加えて、言語による発信を活発にしなければ、というのが首相の言いたいところだったようです。この発言について、著者は次のように述べています。
「大陸に地続きでひしめき合い、『隣人は敵』の気構えで異国・異民族・異教徒と相対してきた凸型世界の民は、常にのるかそるかです。相手に屈してはならぬ、息づまる状況から、弁論術・雄弁術も発達しました。ヨーロッパの西端から朝鮮半島にまで及ぶ凸型文化圏は、その点で、凹型日本のような穏和な、おとなしい文化圏に大きく水をあけました」



二「心を操作する文化(2)――国家間のドラマ、外交」では、「『交渉学』以前の日本人」として、「言語を駆使し“舌先三寸”を強力な武器とする凸型世界は、かつて世界の“五大商業民族”をも生みました。華僑・インド人・アラビア人・ギリシア人・ユダヤ人。かれらは諸国を股にかけて、相手の心を揺さぶり、とらえる駆け引きの技術で成功を収めました」と述べられています。



また、「対外発信のブラフ(威嚇)」では、以下のように述べられます。
「『礼儀正しく物静かな外交』を続けてきた日本にとって苦手なものの1つは、ブラフ(おどし)をかけることです。ハッタリもなく粛々と、という日本人は、心理的抵抗を押し切ってやらなければこの手が使えませんが、揺さぶりなくして外交はない。おどしの好きな、揺さぶり方に長けた凸型諸国に囲まれていつも後手に廻っていては外交敗北は避けがたい。対露、対中、対韓、対北朝鮮・・・。荷の重い日本外交です」



【4】「一神の世界、多神の世界」の一「垂直型と水平型――相容れぬ宇宙像」では、「凸型は垂直型(断絶的)宇宙像」として述べられています。
「『天』に関しては、中華の地の天の観念は、孔子において神話的・宗教的性格を脱し、哲学的思惟の対象に達した、とする高山岩男『文化類型学』の論がありますが、ここでは哲学の次元は別にするとして、神(天)――人――動物の垂直宇宙像は総じて<凸型的世界観>と呼びたいものです」



石田英一郎の説によれば、多神の世界の宇宙は唯一の超越神が創造したものではなく、神々は人間と共に「宇宙の中に」あるといいます。
著者、以下のように述べています。
一神教の父性原理に対し、多神の世界には『原始母神的な信仰の痕跡が認められる』、すなわち『女性原理』の世界です。そして、天上に神を見るのと対照的な“母なる大地”感覚に支えられている、という。――これはまさに<凹型的世界観>と呼びたいものです。
司馬遼太郎氏は、荒漠たる乾燥の環境にいた孔子は『天』の思想を含む儒教を説いたが、湿潤で緑と起伏の多い華南にいたら別の思想を生んだろう、と見ていたようで、凹型圏が道教を生んだ事情も示唆されるところです」



「エピローグ――『日本人らしさ』の世紀へ」の一「凹型文化の出番」では、「凹型文化の価値に自信を」として、以下のように述べています。
「凸型文化圏と凹型文化圏を見比べると、長く人類社会の主導権を持ってきたのは凸型諸民族、とりわけ白人の作る国家でした。淡白で控え目な凹型日本は、先進国の一員でありながら、世界の脇役に位置し続け、日本人自身がそれを当然と思い込んできました。
しかし、20世紀から21世紀に入ったいま、日本人とその凹型文化の存在感はもっと高められ、その価値があまねく認識される必要があります。それは、人類社会の平和のため、そして人類の生存を確かなものにするために不可欠の重要事です。日本人は、21世紀の推進力たるべき使命感を持ち、世界に貢献できる自信と自負を強くすべきです」



また「『医の心』の原点――日本人らしさ」では、以下のように述べます。
「西洋の思想は『個』が本位、自・他の分離に立脚してきました。一方、『愛でる』『いつくしむ』『思いやる』・・・といった日本の意識は自・他の対立とは反対に、自他の一体感に根ざしています。いま、WHOなどの言うケアとは『他人と同じ立場に立ち、互いに分かち合い、分かち合える関係の形成を目的とする』ものだというのです。これぞまさしく<日本人らしさ>そのままではありませんか。日本人らしい“察し”の文化、太古以来の『和』の境地を、西洋医学に立脚する現代医療の世界に取り入れることが提唱されてきたのです」



エピローグの三「異文化との距離感を――民族的教養を深め真の開国を」では、以下のように述べられています。
「われわれは『人類』という呼称を毎日のように頻繁に使っていますが、人間の眼が全地球に行きわたるにつれて『人類』(Mankind)という概念が形成されて行き、どうにか定着するのは18世紀の末頃からのことです。以来、多くの偏見、差別意識が根を張りながらも、人類社会には普遍の“人間性”がある、という共通認識が強まって行きました。いわばヒューマニズムの広まりです。そこから一気に『人間はみんな同じ』『世界は1つ』と思い込むのは早計、軽率で、理想と現実を混同した期待過剰、飛躍です。
人間の心のベース、最基層は同じだからこそ相互理解と信頼が生まれますが、人間の心には、相互理解を阻み、誤解を生む要素もあります。それは個々人(Individual)のレベルに常に生起するほかに、生活共同体、文化共同体を単位としても生じます。最も基本の共同体である民族(Nation)は、生活してきた地域の風土と生業・生活の形態によってそれぞれの文化(culture)を生み、保持してきました。その多様性は、よい・悪いの価値判断以前の、客観的な現実として存在し続けました。それは直視することを避けてはならない現実です」



最後に、著者はこの希有壮大な本を次のように締めくくっています。
「異文化にべた惚れでもない、毛嫌いでもない、異文化同士の適切な距離の取り方を心得ること、いわば“間合い”のセンス、<距離感>を身につけること、そこに至る必須の道として、この本に示したような比較文化の観点の存在価値があります。その観点に立って自らの国、民族の位置を的確に知ることで<民族的教養>は深まります。“世界の鏡に写した自己”を見て、美風に自信を持ち、弱点の克服につとめる日本人が、とりわけ若い世代の日本人が増えてこそ、風格ある国民による第3の開国、すなわち『真の開国』は実現します」
わたしも、「真の開国」が実現することを願ってやみません。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月29日 一条真也