日航機墜落29年

一条真也です。
8月12日は1985年の日航ジャンボ機墜落事故から29年目の日です。
今朝の「毎日新聞」には、「日航ジャンボ機墜落きょう29年」「遺族ら300人 灯籠に祈り」の見出しで、昨夜の灯籠流しの様子が紹介されています。


毎日新聞」8月12日朝刊



あれから、もう29年が経過したのですね。あの事故は、ちょうど40回目の終戦記念日の3日前に起こったことに改めて気づきました。1985年8月12日、群馬県御巣鷹山日航機123便が墜落、一瞬にして520人の生命が奪われました。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。


遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。
頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、「この世の地獄」そのものでした。


御巣鷹山日航機123便の真実



当時、群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏が遺体の身元確認の責任者を務められました。ブログ「『墜落遺体』『墜落現場』」で紹介した飯塚氏の著書を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護婦、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が1つに統合されていった経緯がよくわかります。



看護婦たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。 人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。


わたしは、ブログ『沈まぬ太陽』で紹介した山崎豊子氏の小説をはじめ、くだんの『墜落遺体』『墜落現場 遺された人たち』、さらには御巣鷹山日航機墜落事故の遺族の文集である『茜雲 総集編〜日航機御巣鷹山墜落事故遺族の二〇年』(本の文化社)も含めて多くの資料を読みました。
その感想は拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書きましたが、あらためて葬儀とは「人間尊重」の実践であるという思いを強くしました。


茜雲 総集編―日航機御巣鷹山墜落事故遺族の二〇年     葬式は必要! (双葉新書)


さらに、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。葬儀に自分のゆかりのある人々が参列してくれて、その人たちから送ってもらう――それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。葬儀とは、人生の送別会でもあるのです。
いつの日か、520名の犠牲者が昇天した“霊山”であり、4名の奇跡の生存者を守った“聖山”でもある御巣鷹山に登ってみたいと思いました。


毎日新聞」7月26日朝刊



さて「毎日新聞」といえば、ブログ「小倉原爆スクープ!」で紹介した記事の衝撃がいまだに忘れられません。あのスクープ記事には、わたしも関係しています。事の発端は、わたしが講師を務めたある講演会でした。わたしは小倉に落ちるはずだった原爆について話しました。そして、その真相に関する推測を述べるとともに、少し前にわたしのHPに届いた1通のメールの内容を紹介しました。そのことを伝え聞いたという「毎日新聞」の記者の方々から取材の依頼があったのです。


原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」


HPに届いたのは、工藤由美子さんという方からのメールで、3月15日のことでした。工藤さんはブログ『原爆投下は予告されていた』を読まれたとのことで(このブログ記事にはこれまでもかなりの反響がありました)、「小倉への原爆投下が見送られたわけについて」という件名のメールには、工藤さんのお父様である宮代暁さんの中学生の頃の思い出が書かれていました。


毎日新聞」7月26日朝刊



宮代さんは中学生の頃、八幡製鉄所を守るために煙幕隊として、コールタールを燃やす作業をされていたそうです。その結果、昭和20年8月9日(原爆が小倉に投下されず、長崎に投下された日)も空を真っ黒に覆っていたそうです。工藤さんのメールの最後には、「もう、父も、85歳。もしかしたら、大事な生き証人なのかもしれないと思い、メールしました」と書かれていました。その宮代暁さんも写真入りで新聞に紹介されていました。わたしは「ああ、間に合って良かった」と安堵し、深い感動をおぼえました。


じつは今日12日の朝、工藤由美子さんから新たなメールが届きました。
それには「ご尽力のおかげで、このまま埋れてしまうはずだった父の証言が日の目をみる事ができました。本当にありがとうごさいました。父は、かなり、嫌がっていたのですが、本日、NHKの取材を受けるようになりました。ご報告申し上げます」と書かれていました。



わたしは「毎日新聞」と並行して、NHKの北九州放送局長さんにもずっと取材のお願いをしてきましたが、ついに山が動き出したようです。来年の終戦70周年=原爆投下70周年の記念番組として、ぜひNHKスペシャル「なぜ小倉に原爆が落ちなかったのか」を放映していただきたいです。歴史の真実が明るみになれば、多くの犠牲者の霊も浮かばれることと思います。



それにしても、広島原爆、長崎原爆、日航機墜落事故、そして15日の終戦記念日と、死者を想う日々が続きます。やはり、8月は「死者の季節」です。明日からは、日本全国がお盆休みとなります。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月12日 一条真也