宇崎竜童ライブ

一条真也です。
東京に来ています。23日の夕方、神谷町での「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」を終えたわたしは、赤坂見附で「出版寅さん」こと内海準二さんと打ち合わせしました。内海さんに会うのは沖縄以来です。


外国要人は迎賓館で会食を!



内海さんといえば、ブログ「築地市場」で紹介したように、早朝から寿司を喰った仲です。この日の夜はオバマ大統領が食事をした銀座の寿司店に行きたかったのですが、当日は貸し切りとのことで叶いませんでした。(笑)
それなら、銀座の他の店で食事しようかとも思いましたが、銀座そのものが厳戒態勢とのことで、面倒ですので行くのをやめました。
まったく、迎賓館で晩餐会でもしてくれればよいものを米国大統領ほどの要人を寿司店だの焼き鳥店だのに連れていくのは、いかがなものか。だって、警備のために他の店や一般客が迷惑するではないですか。迎賓館というものは要人を迎えるために税金を使って建てたわけですから、要人は迎賓館で飯を食えばいいんです。わたしの言っていること、何かおかしいですか?


ノヴェンバーイレブンス」の前で

渋さが漂う「ノヴェンバーイレブンス」の看板



それでは夕食はどこに行くかと考えていたところ、内海さんが赤坂にある「ノヴェンバーイレブンス」というお店を予約してくれました。阿木耀子、宇崎竜童のご夫妻が経営しているライブビストロです。赤坂は一ツ木通りにて18年、ジャズ、ポップス、フラメンコ、ベリーダンス、邦楽など様々なジャンルのライブを行っています。毎年4月は「Spring Special month」としてバラエティに富んだアーティストが出演します。料理もオーナー試食のもと、手作りのメニューが用意されています。
内海さんは、わたしが以前、「阿木耀子さんと宇崎竜童さんが経営している店に行ってみたい」と話したことを記憶していてくれたのです。


阿木・宇崎ご夫妻が経営しています

店の入り口のようす



45席の小さなお店なので、すぐ満席になります。そして、なんと22日・23日は宇崎竜童さんの出演日ということで、もうプラチナチケット化していたのですが、そこは寅さん人脈の力でなんとか2人分押さえていただきました。ライブと食事込みで1万円なのですが、この日はなんと内海さんが御馳走してくれました。沖縄のお礼とのことですが、嬉しかったです。料理も一口づつ噛みしめて食べました。ワインも一口づつ味わって飲みました。内海さんは沖縄本島石垣島のわが社のスタッフにも新潟おかきを送って下さったそうです。本当に、内海さんの気配りには恐縮します。ここだけの話ですが、出版人というのは得てして一般常識のない人が多いような気がしますが、感謝の「こころ」を「かたち」に表すことを忘れない内海さんだからこそ、激動の出版界の第一線で仕事を続けられているのでしょう。


宇崎竜童さんのライブを体験しました



食事は内海さんと向かい合って取りましたが(男二匹の席はわたしたちだけかも?)、阿木耀子さんのすぐ近くの席でした。ずいぶん昔に「四季・奈津子」という五木寛之原作の映画を観て以来、わたしは阿木のファンなのですが、六十代になられた今も美しく上品な方でしたね。食事が終わって、宇崎竜童さんがギター1本だけ持って入場。ニューアルバム「JUST GUITAR,JUST VOCAL」にちなんでですが、ライブでも同アルバムの曲を1時間にわたって熱唱してくれました。宇崎さんは68歳とは思えないほどスタイルが良くて、声も渋くてカッコ良かったです。


宇崎竜童さんといえば、1970年代中期から80年初頭に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」、80年代中期から90年代初頭に「竜童組」、90年代中期から後期に「宇崎竜童&RUコネクション with 井上堯之」を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動されました。
わたしがダウン・タウン・ブギウギ・バンドの曲を初めて聴いたのは、たしか小学校の高学年でしたが、衝撃的でしたね。「スモーキング・ブギ」が気に入って、いつも教室で歌っていました。「クソして一服♪」というフレーズには強烈なインパクトがありました。しかし、教室で歌うわたしの美声をたまたま聞いた担任の先生が「それは良くない歌だから、学校では歌うな!」と叱られた記憶があります。そりゃあ、教育上は良くないでしょうな。(笑)



あと、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」も好きでしたね。あの頃のダウン・タウン・ブギウギ・バンドには不思議な魅力がありました。当時はよく、矢沢永吉の「キャロル」と比較されたそうです。じつは両バンドのデビュー時期は半年程度しか違いません。しかし、この差が宇崎さんを悩ませたそうです。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドも最初は皮ジャンを着ていました。ところが、キャロルが篠山紀信氏に写真を撮られ大々的に売り出されると「キャロル」の物真似と散々言われたそうです。宇崎さんたちは、やむなく皮ジャンでないものを探しました。そして、たまたま「つなぎ」を着ることになったそうです。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表したとき、そのキャロルは華々しく解散しました。宇崎さんは「矢沢永吉って人間には常に先に行かれたって気があった」と話しています。


そして、宇崎さんといえば、忘れられないのが山口百恵の存在です。奥様である阿木燿子さんは売れっ子作詞家で、「作詞阿木・作曲宇崎」のコンビは山口百恵の全盛期を支えました。まさに伝説の夫婦です。わたしは「横須賀ストーリー」も好きでしたが、「ロックンロール・ウィドウ」が登場したときには驚きました。アイドルだった山口百恵が急に色っぽく見えました。なんというか、「大人の歌」という印象が強かったことを記憶しています。



ところで、宇崎さんは、所ジョージさんの芸名の名付け親でもあります。所さんは宇崎さんの下で付き人(ボーヤ)をしていたのです。所さんの歌「化けて出ている」(「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のパロディ)に宇崎さんはゲストとして参加しています。
また、サザンオールスターズの曲「Hey! Ryudo!」のモデルであり、「ごめんねチャーリー」の歌詞にも登場します。とにかく、宇崎竜童という人は、すごい人なのです! 


歌はもちろん、トークも最高でした



この夜のライブでは歌の合間に語られるトークが最高でした。
内田裕也さんとの交流話とか、老眼鏡をかけながら鼻毛の処理をしている話など、会場を笑いの渦に巻き込んでしまう話術はさすがです。ローリング・ストーンズのコンサートに行ったら、70代のミック・ジャガーがカッコ良かった話も印象に残りました。



でも、わたしが一番感銘を受けたのは、「風葬」という歌を披露する前のトークでした。宇崎さんは、「風葬、鳥葬、密葬・・・・・・いろんな葬式があるけれど、俺は普通の葬式がしたい」とつぶやきました。宇崎さんは今流行の「家族葬」のことを「密葬」と正しく言い換え、「密葬なんかじゃなく、できるだけ多くの人たちに送ってほしい」と言いました。それを聞いたわたしが、どれほど感動したか想像がつくでしょうか。しかし、その後で宇崎さんが「俺の葬式にはみなさんに来ていただいて、香典もいっぱい持ってきてほしい」と言ったので、会場には笑いが。さらに「でも、みなさんの葬式の方が先かもしれませんね?」と言い、爆笑となりました。たしかに、この日のお客さんは高齢の方が多かったのですが、それにしても「自分自身の葬儀」という重くなりがちな話題をライトに洒脱にユーモアを交えて語られる宇崎さんの姿を見て、わたしは「カッコいいなあ!」と心底思いました。



ブログ「自分の葬儀」にも書いたように、自身の葬儀を具体的にイメージできる人は、そのイメージが現在の生にフィードバックされ、生き生きと「いま」を生きることができます。きっと、宇崎さんがいつも生き生きとされているのは、そのおかげかもしれませんね。
ブログ「終活講演会のご案内」でもご紹介したように、4月27日(日)にわたしは「終活〜今を生きる!」というタイトルで講演します。そのとき、ぜひ、この夜の宇崎さんの言葉をみなさんに紹介したいと思います。



よく芸能人や文化人の中には、「自分の葬式はしなくていい」などという遺言を残す人がいます。既存の慣習にとらわれない先進的な自由人を気取っているのかもしれませんが、その根底には「葬式なんかしなくても、みんな自分のことを忘れないだろう」という有名人の驕りがあるように思えてなりません。この意味で、超有名人でもありながら「普通の葬式がしたい」「多くの人に送ってほしい」という宇崎竜童さんは「まともな方」であると思います。


じつは「まともな方」どころか、宇崎さんは平成21年4月10日に憲政記念館で開催された「天皇皇后両陛下御大婚五十年をお祝いする集い」で祝辞を述べられているのです。これは凄い! 宇崎さんの祝辞は、とてもユーモアあふれるスピーチとして、今も語り継がれています。多くの国会議員や地方議員、各界からの参加の元、満席で立見が出たそうです。わたしたちは、オバマ大統領と同じ寿司店には入れませんでしたが、「天皇皇后両陛下御大婚五十年をお祝いする集い」で祝辞を述べた方のお店で食事をしたわけです。まことに忘れがたい夜でした。内海さん、ごちそうさまでした!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年4月24日 一条真也