『影法師』

影法師 (講談社文庫)


一条真也です。
2月11日は「建国記念の日」ですね。
日本という国の初期設定を考える日でもあります。
『影法師』百田尚樹著(講談社文庫)を読みました。
ブログ『永遠の0』で紹介した処女作が映画化され、ブログ『海賊とよばれた男』で紹介した歴史小説が2013年度の本屋大賞を受賞、今の日本で最も勢いのある作家が2010年に書いた時代小説です。


ピンク色の本書の帯



ピンク色の帯には「祝!本屋大賞受賞」と書かれ、「『永遠の0』の次はコレ! 百田尚樹が描く男の友情、そして絆」と続きます。
カバー裏には、以下のような内容紹介があります。
「頭脳明晰で剣の達人。将来を嘱望された男がなぜ不遇の死を遂げたのか。下級武士から筆頭家老にまで上り詰めた勘一は竹馬の友、彦四郎の行方を追っていた。二人の運命を変えた二十年前の事件。確かな腕を持つ彼が『卑怯傷』を負った理由とは。その真相が男の生き様を映し出す。
『永遠の0』に連なる代表作」


日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ


わたしが本書を読もうという気になったのは、ブログ『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』で紹介した安倍晋三首相と百田氏の対談本を読んだときでした。同書の「はじめに」に、安倍首相は次のように書いています。
「私は寝る前にベッドで本を読むことが多い。寝る前だから、政治、経済などの堅い本は避ける。小説、なかでも時代小説が多くなる。
3年ほど前のある日、ふらりと本屋に立ち寄って時代小説のコーナーを眺めていると、あさのあつこさんの本の隣りに並んだ『影法師』という小説が目に飛び込んできた。作者は百田尚樹。読んだことはもちろん、聞いたこともない。
それでも、こういうことが運命の出会いというのであろうか、私はその本を買っていた。下級武士から筆頭家老にまで登り詰めた男が、竹馬の友を回想していくという物語で、私は2、3日かかってその本を読み切った。実に面白い」



その後、ゴルフのプレー中に友人から『永遠の0』を薦められたという安倍首相は、一気に百田ファンとなりました。そして、次のように述べています。
「百田さんの小説の大きなテーマのひとつは、『他者のために自らの人生を捧げること』ではないかと思っている。私自身、若き日に政治家を志してから常にそういう気持ちを忘れずに政治に取り組んできた。『永遠の0』でも『海賊とよばれた男』でも、百田さんはそういう日本人を描いている。
もうひとつ、百田作品を読んで思うのはリーダーという者の責任の重さである。ビジネスの世界でも、その場、その場でのリーダーの判断、決断によって、会社の命運が左右される。世界の歴史を振り返っても、一国のリーダーが判断を誤まったために国が滅びたことは何度もある。百田さんの作品を熟読しつつ、私は夜半、国の命運を思い、眠れないこともある」



一国の首相を不眠に追い込むほど考え込ませる小説というのも凄いですね。
その安倍首相が最初に読んだ百田作品が『影法師』だと知って、わたしもぜひ読みたいと思った次第です。
安倍首相が指摘した「他者のために自らの人生を捧げること」というテーマは、この作品にも当てはまります。いや、それどころか、「影法師」という小説は「他者のために自らの人生を捧げること」そのものをテーマにしたと言ってもいいでしょう。ここでは、彦四郎が親友・勘一のために自らの人生を捧げます。かつて川で溺れそうになった彦四郎を救うために、カナヅチの勘一が川に飛び込んだことがありました。この「恩を受けた人には必ず恩返しをする」という物語は、『永遠の0』にも共通しています。正直言って「そこまで他人のために生きる必要があるのか」という思いもありますが、これが百田文学の真骨頂だと言えるのでしょう。



安倍首相は「リーダーという者の責任の重さ」も指摘していますが、この作品を読んで身につまされるのは武士や農民の世界における理不尽さです。
物語の冒頭で、勘一は父の千兵衛を亡くします。千兵衛は北陸にある茅島藩の藩士でしたが、身分は下士でした。茅島藩では上士と下士が城下ですれ違う場合、下士が草履を脱ぎ、道の脇で跪かなくてはなりませんでした。ある日、千兵衛は幼い勘一と妹の千江を連れて城下を歩いていました。千江は桃の節句の祝いに、母に作ってもらった晴れ着を生まれて初めて身にまとっていました。
そのとき、千兵衛親子は上士の一行に遭遇したのです。
ちょうど、前日の雨で道がぬかるんでおり、千江は晴れ着が汚れるのを気にしました。それで、千兵衛が懐から手拭いを取り出して道に敷き、その上に千江を座らせました。しかし、それを上士が見咎めます。



「敷物の上に土下座する法はなかろう」
上士は冷たく言い放った。
「申し訳ございません」
千兵衛はそう言うと、ただちに千江を立たせ、手拭いを取り、千江をそこに土下座するように言った。千江は泣きそうな顔で泥の上に座った。
勘一は知恵の胸の内を思いやって辛かった。
「近頃の下士は土下座の礼法も忘れたか」
上士は口元に薄笑いを浮かべながら言った。
「幼い娘のことゆえご容赦下さい。この日が初めての晴れ着でしたゆえ」
「泥は洗えば落ちる。しかるに礼法の過ちは洗って落ちるものではござらぬ」
「何卒、お許し下さい」
千兵衛は低頭して言った。
上士は、ふんと鼻を鳴らすと、千兵衛の目の前の泥水を足で勢いよく踏んだ。
泥は大きくはねて千江の着物の胸元にぺっとりとはりついた。
千江は目を閉じて口を結んだが、閉じた目から涙がぽろぽろとこぼれた。
「それでも侍か」
勘一は思わず怒鳴った。「恥を知れ」
「馬鹿者っ」
千兵衛は勘一の頭を押さえつけ、その額を道に押しつけた。
それから上士に向かって、自らも頭を泥にこすりつけて言った。
「年端のゆかぬ者ゆえ、ご無礼は何卒ご容赦を賜りたく――」
上士はみなまで言わせず、「ならぬわっ」と一喝した。
その頭は怒りで真っ赤になっていた。
「子供であろうと武士じゃ。上士を罵倒したからにはそれなりの覚悟があろう」
そういうと、上士は刀を抜いた。
(『影法師』p.16〜17)



その後、息子の勘一の命を救うため、千兵衛は自らも刀を抜きます。
「上士に向かって刀を抜くか。控えろ」という上士に対して、「子供を見殺しにする親など、おらぬわ」と叫びながら・・・・・。
しかし、多勢に無勢で千兵衛は無惨に殺されてしまうのでした。
この事件は大きな一件となって藩を揺るがします。藩士同士の刃傷沙汰は珍しくはありませんでしたが、ほとんどは喧嘩口論によって発生したものであり、このような上士による無礼射ちは衝撃的だったのです。一連の騒動を知った藩主は、ただちに江戸藩邸において、往来での「土下座の礼」を廃することを命じました。勘一は、あの日、父は幼い子供にまで土下座を強要する悪法に向かって刀を抜いたのだと思いました。父は斬られはしましたが、長きにわたって下士たちを苦しめてきた憎むべき悪法をついに斬り捨てることに成功したのです。



わたしは、この「土下座の礼」ほど、「礼」の本来の意味を履き違えた例はないと思います。「礼」とは「人間尊重」であり、権力者の鎧ではけっしてないのです。
論語』を愛読したという徳川家康儒学を導入することによって、江戸幕府の長期政権の礎を築きました。しかしながら、江戸時代における「土下座の礼」や「無礼射ち」などは愚の骨頂ではなかったでしょうか。



武士だけではありません。農民の世界はもっと理不尽でした。
茅島藩の年貢の取立てが厳しすぎると訴えて、農民たちが一揆を起こします。
結局は武士と農民の武力衝突は避けられ、城内に通された農民たちの欲求は藩主に伝えられます。町奉行の成田庫之介が農民たちを城内に通したのです。一揆に加わった農民の数は武士の20倍以上でした。
町奉行の判断は、双方に大勢の死者を出さないためでした。
14歳になった勘一が「それでは、百姓の言い分はいつでも通るではありませんか」と知り合いの又兵衛に言ったところ、又兵衛は「百姓も一揆には血を流す」と語ります。さらに、又兵衛は首謀者のリーダーである万作という青年、それに何人かの農民が顔を隠していなかったことを指摘します。



「奴らは越訴の後、死ぬことになる」
「えっ」
一揆を扇動した者として死罪となる。その家族も同罪だ」
「それでは、万作たちは――」
「そういうことよ」
又兵衛は怖い顔をして言った。
百姓一揆が起こるのは40年ぶりだ。その時も、何人もの百姓が死んだと聞く」
切腹を仰せつかるのですか」
「武士ではない」又兵衛は強い口調で言った。「磔の死罪だ」
勘一は激しい衝撃を受けた。磔は十字の木にくくりつけられ、下から2本の槍で脇腹を交互に突き抜かれて殺される刑だ。万作たちはそうした死を受け入れる覚悟をもって一揆を起こしたというのか。
「なぜ――」勘一は呟くように言った。
その疑問ははっきりした形をともなったものではなかった。
「そこまで百姓は追い込まれているということだろうな」
「しかし、自分の命を捨ててまで」
又兵衛はそれには答えなかった。
勘一は万作の顔を思い出した。町奉行の成田庫之介を前にして、臆するところは微塵もなかった。自分の為すべきことを為すという意志のもと、何も恐れるものはない男の顔だった。あれが覚悟というものか。
勘一は万作の中に侍の心を見た。
(『影法師』p.106〜107)



万作にも覚悟がありましたが、成田庫之介にも覚悟がありました。
この後、農民たちを城内に通した責任を取って、庫之介は切腹するのです。
庫之介は自らの命を犠牲にしてでも、多くの人々の命を救ったのです。
ラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と言いました。
たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的なら見ることはできます。そう、サングラスをかければ太陽を見れるのです。そして、死にもサングラスのような存在があります。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。



「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する国、愛する郷土、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。
『永遠の0』の宮部久蔵もサングラスをかけて死を乗り越え、時間というものを完全に超越した「永遠の0」の中で生きることになりました。そして、『影法師』における庫之介や万作もサングラスをかけて死を乗り越えたのではないでしょうか。



万作がかけたサングラスの名は「隣人愛」か「郷土愛」か、それはわかりません。でも、最も多い「家族愛」というサングラスをかけることはできませんでした。
なぜなら、一揆の首謀者である彼と一緒に家族全員が処刑されたからです。
切腹や特攻などと違って、自分の家族をも巻き込む滅私行為というのは、世界史的に見ても珍しいのではないでしょうか。
こんな愚かな行為を続けていたことも江戸時代の闇歴史の1つです。
それにしても、万作たちが処刑される場面は泣けました。



代官は磔台に両手両足をくくりつけられている万作に近付くと、成田庫之介殿は切腹された、と言った。万作は黙って頷いた。
「何か申し残すことはないか」
「お願いがござる」と、万作は言った。
「倅の吉太を怖がらせたくない。まだ五つゆえに。吉太から先に」
代官は、心得たと言ったが、その声は震えていた。
それから万作は大きな声で、二間ほどあいた隣の磔台にくくりつけられた息子に向かって言った。
「吉太っ。今から、おっとうとおっかあと共に極楽に行くぞ。おっとうが見ているから痛くない。吉太、泣くなよ」
ぐったりしていた男の子は万作の顔を見て笑った。そして「おっとう」と言った。
その時、竹矢来に手をかけていた百姓たちは一斉に泣いた。
(『影法師』p.113〜114)


ベロ出しチョンマ (新・名作の愛蔵版)


涙もろいわたしは、これを読んで大いに涙腺を緩めるとともに、小学生の頃に読んだ『ベロ出しチョンマ』という絵本を思い出しました。これも、百姓の直訴を題材とした物語です。千葉の花和村には、「ベロ出しチョンマ」というおもちゃがあります。背中に紐がついていて、引っ張ると、眉毛がハの字になり、舌がベロッと出ます。見た人は思わず吹き出してしまうような面白い顔なのですが、この人形にまつわる、悲しい物語が伝えられているのです。
物語の詳しい内容を知りたい方は、こちらをクリックしてください



人は、何のために生きるのか。
かつて「自分が一番かわいい」などという世も末のコピーが流行しました。
みんながみんな自分だけのために生きていたら、社会は成立しません。
また、自己中心の人など、誰も助けてはくれません。
人は、他人のために生きてこそ、自分の生も輝くのではないでしょうか。
わたしは、『影法師』という時代小説は「利他」の心をエンターテインメントとして描くことに成功した稀有な作品であると思いました。



「影法師」という言葉が他人を支える存在であるという意味ならば、勘一の出世を助けた彦四郎のみならず、幼い勘一を命がけで救った父・千兵衛、自らの命と引き換えに仲間の百姓たちを救った万作、これまた自身の命によって多くの武士や百姓の命を救った成田庫之介。彼らはみな、「影法師」だったのです。



このように読む者の魂が震えるほど感動させ、「他人に優しくありたい」と心から思わせる小説を書くことができる人は本当に素晴らしいと思います。
『影法師』のような作品を「世のため人のためになる小説」と呼ぶのでしょう。
安倍首相ではありませんが、すべてのリーダーに読んでもらいたい一冊です。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年2月11日 一条真也