書評スピーチ

一条真也です。ブログ『「助けて」と言える国へ』で紹介した対談本の出版記念として、茂木健一郎氏と奥田知志氏の講演会が開催されました。
会場は、リーガロイヤルホテル小倉です。講演会の始まる前に、わたしは講師控室を訪れ、茂木氏と奥田氏にお会いしました。茂木氏とは初対面でした。でも、共通の知人も多く、いろいろと話題に花が咲きました。


茂木健一郎氏と



茂木氏はわたしの書評ブログを自身のツイッターに紹介していただいたようですが、そのせいで大量のアクセスが殺到し、驚きました。茂木氏のツイッターのフォロワーは50万人以上だそうですが、やはり凄いですね!
さて、出版記念講演会は15時からスタートしました。
会場は300名限定でしたが、多くの方々が訪れ、満員でした。
まず最初に、主催者であるNPO法人北九州ホームレス支援機構を代表して、奥田理事長の挨拶があり、続いて、北九州市立大学名誉教授の山崎克明氏からの祝辞、集英社文芸部編集部の鯉沼広行副編集長から挨拶がありました。


わたしが登壇しました



そして、最後はわたしが登壇して、以下のような「祝辞と挨拶」を述べました。
みなさん、わたしの話などより早く著者であるお二人の話が聞きたいことと思います。でも、わたしは15分の時間を貰っております。
書評というか、この本を読んだ感想を述べたいと思います。
まず簡単に自己紹介させていただくと、わたしは冠婚葬祭の会社を経営しながら、孤独死をなくすための高齢者の集いである「隣人祭り」開催のお手伝いなどをしております。また、奥田氏の理念に共鳴して、ホームレス支援、若者の就労支援などもささやかですが協力させていただいています。「有縁社会」そして「助け合い社会」の実現を願っています。そんなわたしにとって、本書は大いなる勇気を与えてくれる本でした。


本を掲げながら話しました



「まえがき」で、茂木氏は次のように述べています。
「私たち1人ひとりが、本当の意味で元気になるためにも、社会の中の助け合いの精神が『安全基地』とならなければならない。その意味で、人助けは、決してチャリティのためだけではない。安心して挑戦できる社会となり、経済が発展していくためにも、人と人とが結ばれていることが大切なのである」
まったく、その通りです。いつも、わたしが言っていることを茂木氏が代弁してくれたような思いがしました。



「真のつながる力とは何か」と題された対談の冒頭では、奥田氏が「私は苦しみを受けた人々、捨てられた人々には、認識的特権があるように思います。普通の人には見えないものが見えていたり、感じられないものを感じることができたり。苦しめられているとか、痛めつけられている人たちしか持てない感覚みたいなものがあるのではないか」と述べていますが、これは非常に重要な指摘であると思います。「貧しい者は幸いである」と述べたイエスの言葉を思い出さずにはいられません。



奥田氏とわたしは、これまで「無縁社会の克服」をめぐって、語り合いました。
わたしは、無縁社会を乗り越えるためには、いや、人が幸せに生きるためには葬式が最も重要なカギになると思っています。これまでにも何度も、そのことを訴えてきました。現代の自由な社会の中で、葬式をはじめとした冠婚葬祭を通じて、家族や近隣との「縁」を再確認し、「絆」を結び直す。それが、冠婚葬祭互助会の使命だと、わたしは信じています。興味深いことに、奥田氏は対談(1)の「健全に傷つくことができる社会へ」の中で次のように述べています。
「私は、支援の初めに私の葬式のときに来てくださいねと言います。お葬式の場というのは、ある意味では残った人たちを支える場です。私が死んだときに、野宿のおじさんたちが何百人か来てくれて、嘘でもいいから『あいつはいい奴やった』と言ってくれと」
奥田氏も、葬式への参列が「縁」と「絆」の問題に直結していると気づいているのでしょう。わたしは心強い気持ちになりました。


大勢の聴衆の前で話しました



「顔が見える支援」を訴える奥田氏の発言を受け、茂木氏も述べます。
「奥田さんが自分が死んだら葬式に来てくれるということがセーフティネットというか、幸せ、安心安全なんだと言っていましたが、ふだんから誰かとつながっているということがポイントです。“顔の見える援助”とよく言うけれど、その絆は政府が言っていたような抽象的な絆ではなくて、“あの人”との絆なのです。でも、その人は案外困った人だったりして、癖があったりとか。そうすると、当然さっき言ったように『傷』が含まれているはずですね」
この「見える」というのは大きなキーワードで、わたしは葬式をはじめとした冠婚葬祭こそは「縁」や「絆」といった目に見えないものの「見える」化のための文化装置であると思っています。わたしは、かつて「目に見えぬ縁と絆を目に見せる 素晴らしきかな冠婚葬祭」という歌を詠みました。 儀式というものは「かたち」にほかなりませんが、「かたち」を言い換えると「見えるもの」になるのです。


本業について述べました



本書で最も面白く読んだのは、対談(3)「生きる意味を問う」の「本業」についての対話でした。2人は、以下のような会話を交わします。
【茂木】 僕は他人に絶対にしない質問があって、それを世間の人が僕にするので驚いています。それは“本業”って言葉なんです。
【奥田】 ああ、私もよく訊かれます。
【茂木】 訊かれるでしょう。『奥田さん、本業は何ですか、牧師なんですか』と。僕もよく訊かれるのですが、すごい違和感がある。日本の社会には本業と副業みたいな概念があって、色々な意味で失礼なんです。本業は真剣にやるけど副業はそうではないのかというと、そんなことはない。いずれにせよ、仕事というのは一生懸命やるものです。あと、本業というのは、多くの場合、組織や肩書を意味しています。



かくいう、このわたしも「本業」について色々言われる人間の1人です。
特に、わたしは本名とペンネームの両方で行動・発言しているものですから、周囲の人たちから見たら混乱することが多いようです。
本日の講演会での書評スピーチにしても、奥田氏から「当日は、どちらのお名前で紹介すればいいでしょうか?」と打診があったぐらいです。(笑)
「2つの名前を使いこなしているのだから器用な人ですね」などと思われることもありますが、これはまったく違います。わたしほど不器用な人間はいないと自分では思っています。2人は、さらに次のように対話を続けます。


わたしの星座は「礼」に見えてほしい



【茂木】 昔、マルチ人間とか嫌な言葉がありました。小器用に何か色々なことをかけ持ちしているみたいなイメージがあるんでしょう。
【奥田】 私は逆に1つの出し方をしないでよかったと思っています。かけ持ちしているというのは逆にいいのではないか。なぜなら、それぞれが星座的に展開していて、個々の星は何ら関係ないように見えるのですが、それを遠目に見ると1つの星座が浮かび上がる。それが使命です。
この奥田氏の言葉は心に沁みました。素晴らしい名言です!
わたしはホテルや冠婚葬祭や介護の仕事をはじめ、大学で教壇に立ったり、講演活動を行ったり、本を書いたりしていますが、すべては同じことをしていると思っています。それは、社会に広く「礼」の思想、つまり人間尊重思想を広めることです。それが、わたしの使命です。遠くからわたしの星座を見て、「礼」という文字に見えたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。


「人間尊重」の思想について話しました



この人間尊重の思想は、さまざまな国のさまざまな人々が説いています。
海賊とよばれた男』で知られる出光佐三さんも「人間尊重」を唱えました。
そして、海外では意外な人物も「人間尊重」の物語を書いています。
本書のキーワードは「助けて」という言葉ですが、ここから、わたしはある童話を思い浮かべました。アンデルセンの『マッチ売りの少女』です。
この、あまりにも有名な物語には2つのメッセージが込められていると思います。
1つは、「マッチはいかがですか? マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願したとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということ。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」を意味しました。これがアンデルセンの第1のメッセージでしょう。
第2のメッセージは、少女の亡骸を弔ってあげなければならないということ。
行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。
死者を弔うことは人として当然です。このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つは、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。
この「絆は傷を含む〜弱さを誇るということ」の最後は、「傷つきながらも、『絆』を結ぶ。人として、ただ人として生きたい」という一文で終わっています。


現代の「四大聖人」について述べました



最後に、「まえがき」にある茂木氏の次の言葉を紹介したいと思います。
「奥田さんとの対話を通して、私は、もっと賢くなりたいと感じていた。社会の成り立ち、仕組み、『普通の生き方』からこぼれ落ちてしまった時の、人の生き様。私たちの日常のすぐそばにあるはずなのに、なかなか気づかない人生の暗部。奥田さんの話をいろいろと聞いて、もっと学びたいという思いがあった」
この発言を読んで、わたしは驚きとともに深い感銘を受けました。
そして、茂木氏のことを「ソクラテスのような人だな」と思いました。
現代日本を代表する「知」のフロントランナーでありながら、「もっと賢くなりたい」「もっと学びたい」と正直に告白するこの謙虚さ。これは、まさにソクラテスの「無知の知」そのものだと思いました。片や奥田氏は、イエス・キリストの説いた「隣人愛」を現代の日本社会で実践し続ける人です。わたしは本書を読みながら、ソクラテスとイエスが対話をしているような錯覚にとらわれました。それぐらい、両者の議論は「人間」や「社会」の本質を鋭く問う内容となっています。
本書には、アメリカの古人類学者であるカレン・ローゼンバーグの「進化=弱者の系譜」説や、イギリスの人類学者であるロビン・ダイバーの「毛繕いから助け合いへ」説なども紹介されており、知的な刺激にも満ちています。
それらの最新の学説から改めて思うのは、拙著『隣人の時代』のテーマである「助け合いは人類の本能だ!」ということです。



わたしはブッダ孔子ソクラテス・イエスの「四大聖人」にこよなく心惹かれています。この4人の思想をうまく「つなぐ」ことができれば、人類が直面するさまざまな問題も乗り切れるとさえ考えています。「現代のソクラテス」こと茂木健一郎氏は、本書と同じ集英社新書から出ている『空の智慧、科学のこころ』で「現代のブッダ」とされるダライ・ラマ14世とも対談しています。つまり、後は孔子が揃えば、現代における四大聖人の対話が実現するわけです。茂木氏という「現代のソクラテス」が「現代の孔子」と邂逅されることを願ってやみません。


著者2人の前で話しました



孔子といえば、「五十にして天命を知る」と『論語』にあります。
1963年生まれのわたしは、今年で50歳になりました。
同じ63年生まれである奥田氏も、50歳になられるはずです。
その奥田氏は、プロフェッショナルの定義について、「使命という風が吹いたときに、それに身をゆだねることができる人」と述べています。わたしは、奥田氏のもとに吹いた風が途絶えないように、風通しをよくするお手伝いをしたいです。



東京はオリンピックですが、北九州はホームレス支援です!
わたしは、北九州においてホームレス支援の活動が全国でも最も活発に行われていることを、1人の北九州市民として誇りに思います。そして、北九州から吹いた風がこの国の隅々にまで吹き渡ってほしいと思います。
誰もが「助けて」と言える国へ。新しい「隣人の時代」へ向けて本書という1本の矢が放たれました。どうか、この矢が1人でも多くの人のハートに突き刺さって、この国が風通しの良い国、誰もが生きやすい国になりますように・・・・・。


茂木健一郎氏・奥田知志氏に挟まれて



講演会の詳しい内容は、ブログ「茂木健一郎&奥田知志講演会」で!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年9月8日 一条真也