原爆ドーム

一条真也です。
ブログ「広島原爆平和記念館」で紹介した施設をを訪れた後、同じ平和公園内にある原爆ドームへ・・・。蜃気楼が出現してもおかしくないような炎天下の中、理由あってピンクのジャケット姿で徒歩で向かいました。クラクラしました。


原爆ドームを訪れました



原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器により、被爆した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍を伝えるものであり、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑となっています。


平和公園内にあります

遠く、慰霊碑と原爆ドームを背にして



観光サイト「ひろしまナビゲーター」には、以下のように説明されています。
「平成8年(1996年)12月、ユネスコ第20回世界遺産委員会メリダ会議で、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました。
指定範囲:原爆ドームの所在する地域/約0.39ヘクタール
原爆ドームは、大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は 『広島県物産陳列館』という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、昭和8年(1933年)には『広島県産業奨励館』に改称されています。設計者はチェコの建築家ヤン・レツル氏で、構造は一部鉄骨を使用した煉瓦造、石材とモルタルで外装が施されていました。全体は3階建で、正面中央部分に5 階建の階段室、その上に銅板の楕円形ドーム(長軸約11メートル、短軸約8メートル、高さ4メートル)が載せられていました。その頃の広島は、都心部のほとんどは木造2階建ての建築であり、、こうした大胆なヨーロッパ風の建物は非常に珍しく、川面に映えるモダンな美しさ とあいまって広島名所の一つに数えられていました」



そして、原爆投下後の原爆ドームについて、次のように書かれています。
「昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約600メートルのところです。爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し、 天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました」



さらに、戦後の原爆ドームについても次のように説明されています。
「昭和28年(1953年9に広島県から広島市に譲渡され、昭和41年(1966年)7月には広島市議会が原爆ドームの保存を決議を行い、その後、風化が進み、国内外での善意の募金により3回の大規模な保存工事が行われました。また、世界遺産リストへの登録を求めて、市や市議会、広範な市民運動の結果、平成7年(1995年)6月に国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請。平成8年(1996年)12月、世界文化遺産へ登録されました。現在では、被爆当時の惨状を残す姿がノーモア・ヒロシマの象徴として、時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルになっています」


原爆の子の像」を見上げました


熱中症寸前のわたしは、近くにある「原爆の子の像」を見上げました。
ブログ「INORI〜祈り〜」にも書いたように、「原爆の子の像」のモデルは、故・佐々木禎子さんです。彼女は2歳のときに被爆し、12歳で亡くなりました。彼女に捧げられた歌が、シャンソン歌手のクミコさんが歌う「INORI〜祈り〜」です。
USENチャートで1位にもなりましたが、まさに魂を揺さぶられるような歌だと思います。語りかけるようなクミコさんの歌声からは、「こわい!」「死にたくない!」「生きたい!」という禎子さんの心の叫びが聞えてくるような気がします。


猛暑で放心状態になりながらも、わたしは原爆ドームをじっと眺めました。
もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。
そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高権威の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在を感じさせてくれるのです。
戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。世界最高の平和のシンボルである原爆ドームよ、永遠なれ!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年8月15日 一条真也