広島平和記念資料館

一条真也です。
8月15日になりました。終戦記念日です。
日本において、終戦記念日は「お盆」と重なっています。
ブログ「義父の初盆」に書いたように広島県にある妻の実家を訪れました。
その後、平和記念公園の中にある広島平和記念資料館に行ってみました。


広島平和記念資料館の前で

広島平和記念資料館の入口


平和記念公園広島市の中心部にある広大な公園です。
世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されたそうです。
園内には、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館世界遺産に登録されている原爆ドーム原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。
平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音もなり響きます。
この音は、環境省が選んだ「残したい日本の音風景100選」にも選ばれました。


館内のようす

原爆投下の時

原爆投下直後の広島市



広島平和記念資料館ですが、観光サイト「ひろしまナビゲイター」によれば、以下のように説明されています。
広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、1955年(昭和30年)に開館しました。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。まちはほとんどが破壊され、多くの人々の生命が奪われました。かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。
広島平和記念資料館は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。また、被爆者による被爆体験講話会などを実施するほか、平和学習のための資料の貸出しも行っています」


来場者の数の多さに驚きました

核兵器について

核兵器の恐怖

核の地球儀



わたしも久々に訪れましたが、とにかく来場者の数の多さに驚きました。
また、外国人の多さにも驚きました。その多くは、アメリカ人のようです。
なんでも、今年の旅行情報サイト『トリップアドバイザー』の調査「外国人に人気の日本の観光スポット」の第1位に広島平和記念資料館が選ばれたとか。
これまでアメリカでは原爆を「第二次世界大戦終結させるための不可抗力」として正当化する論調が強くありましたが、ここ最近では流れが変わっているような気がします。ブログ「終戦のエンペラー」にも書いたように、映画「終戦のエンペラー」の冒頭では、テニアン島から出撃したエノラ・ゲイに搭載された原子爆弾が広島に投下されるシーンが登場します。ハリウッド映画でこのシーンが登場するのを、わたしは初めて観ました。そして、胸が熱くなりました。
タイタニック」や「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が原爆をテーマにした3D映画を製作する予定だそうです。わたしは、広島と長崎の悲劇そのものを描いた映画がハリウッドから生まれる日を心から待っています。


本館のようす

リアルな被爆者の蝋人形

広島に投下された原子爆弾

被爆の状況がよくわかります

ショッキングな写真も多いです

ふれてください

原爆の悲惨さを教えてくれます



広島平和記念資料館の入場料は、なんと大人50円でした。
また、フラッシュさえ焚かなければ撮影もOKでした。さすがです。
平和の必要性を発信するためには、来場者の写真撮影が欠かせません。
わたしは東館から入って、本館に向かいました。館内の展示物ですが、非常にショッキングな写真などもありますが、昔はもっとショッキングだったそうです。多くの子どもたちも泣きもせず、怖がりもせず、じっと被爆者の写真を見ていました。彼らは、何を考えていたのでしょうか。


水をください



館内に、「水をください」という文字が刻まれた柱がありました。
ブログ「水と人類」に書いたように、わたしは「火と水」に人類の謎があるような気がします。人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。もともと、各地の神話において世界は水から生まれたとされていますが、人類は火の使用によって文明を生みました。
ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。そして、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。


ヒロシマ ナガサキ」という原爆のドキュメンタリー映画がありますが、広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・・・」と言って死んでいったといいます。 命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのずばりの兵器など象徴的です。


はだしのゲン原画展」が開かれていました


また、館内で「はだしのゲン原画展」が開かれていました。「はだしのゲン」といえば、わたしが小学生時代に「週刊 少年ジャンプ」で連載され、愛読した作品です。非常にグロテスクな描写などもあり、怖かったのですが、毎週貪り読んでいました。この作品から、わたしは原爆の怖ろしさを骨の髄まで知ったように思います。わたしと同世代の方々も同じでは?
しかし今では、その内容があまりにも反日に偏っており、実際に原爆を投下したアメリカよりも日本を糾弾する点に違和感を覚えてしまいます。



大勢の来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。
見学しながら、わたしは人類の「業」について考えました。
人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。
そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は一回終わったのではないのか。そんなことも考えました。
館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたいです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年8月15日 一条真也