『0点主義』

0点主義 新しい知的生産の技術57


一条真也です。
『0点主義』荒俣宏著(講談社)を読みました。
「新しい知的生産の技術57」というサブタイトルがついています。
著者は、現代日本を代表する「博覧強記」の1人です。
著書・訳書はすでに300冊を超えています。そんな著者が知的生産の技術について書いたというので、わたしは読む前から興味津々でした。
帯には「競争なしで一人勝ちできる! 人生が逆転する秘密の勉強法!!」とのキャッチコピーがつけられ、「『好き』『無駄』『酔狂』『無意味』を究めれば、唯一無二の『生き抜く力』が手に入る。持続的な収入と幸福感につながる、体験的『無敵』の成功法則!!」と書かれています。



本書の目次構成は、以下のようになっています。
「はじめに」
序章   0点主義の勉強法
第1章  偶然が訪ねてくる勉強法
第2章  情報整理なんていらない
第3章  勉強を高尚なものにしない
第4章  苦手な勉強こそ意外なチャンスをもたらす
第5章  不利な環境は最強の勉強空間だ
第6章  「人生丸儲け」の勉強法
「あとがき」に代えて――だまされることで創造的批判力がつく



およそ、著者ほど好きなことを生業にしている人もいないでしょう。博物学幻想文学、妖怪・・・・・世間の多くの人々は、荒俣氏が好きなことをやって生きているように見るでしょう。しかし、著者は「はじめに」で次のように書いています。
「好きなことだけをやっているわけではない。好きでないこともしなければならないし、しないと生きていけない。好きなことは、私でなくとも誰だってやれる。ただ、私には好きでないのにしなければならなくなったことを、好きなことの1つにしてしまえる変な能力があると思っている」



そんな能力があるとは、うらやましい限りです。
著者によれば、本書の目的は試験勉強や会社での企画提案、そして自分には手に負えそうにない課題を背負わされたとき、それを苦痛と感じなくさせる「心のマジック」とでもいえそうな方法を伝授することだそうです。
そんなマジックが果たして存在するのでしょうか。著者は「最初に書いておくが、そんなマジックはある」と断言し、「題して、0点主義。0点の成績をとりつづけることでたくわえられる『知の力』というものがあるのだ」と述べます。



「0点主義」とは何か。ただ、試験の答案に何も書かず、結果として0点を取ればいいのか。もちろん、違います。著者は、自身が唱える「0点主義」について、「この本がテーマにしているのは、人生の知力という点で、ストライクを投げる能力ではなく、ここぞの場面で相手を空振りさせる『決め球』の磨き方だ。そしてこういう球は、試験でストライクかどうかを判定すれば、ボール、つまり0点にしかならない」と説明します。




「まずアマチュアになれ」と読者に呼びかける著者は、0点でも「決め球」があれば、自分の人生はかならず開けてくるとして、次のように述べます。
「この『決め球』をみつけ、磨きあげるには、ストライクを投げるだけの練習のための練習では意味がないし、おもしろくない。では、どうするか? 球を投げることをおもしろく、楽しくすればいい」



著者は、本を書いたり、テレビに出たりして生活をしています。
好きなことを探究し続けた結果、人とは違う知識が自然と身につき、それが著者の個性となり、今や生活の糧にまでなったわけです。
「好きなことを仕事にできるのは、特別な才能がある人だけだ」と言う人もいるでしょうが、「好きなことを収入につなげる可能性は、誰にでもある」として、著者は次のように述べています。
「好きなことは、誰でも他人に言われなくてもやる。ものすごく忙しい人でも、好きなことは寸暇を惜しんでせっせとやる。こういう好きなことをする人を、西洋では『アマチュア』と呼んだ。アマチュアとは、元来はけっして『しろうと』という意味ではなく、純粋に好きでものごとに打ちこむ人のことなのだ。たとえば野球は好きでやり始めるから、最初はみんなアマチュアだ。そしてその中からお金が取れるほどうまくなった人が、プロ野球の選手になれる。勉強も同じだ」



著者のいう「勉強」とは、もっと自由で楽しくて、自分の世界や可能性がどんどん広がっていくものなのです。さらには、持続的な収入と幸福感につながるような勉強のことをいうのです。
著者は「勉強のアマチュアになれ」と読者に訴えます。
そうなれば、その人はおそらく勉強が好きでたまらなくなり、定年後も生きがいを持ち続けることができます。たとえ勝ち組になれなくとも、一生楽しく勉強できて、幸福や豊かさを実感できるのです。



続けて著者は、次のように述べます。
「つまり、勉強は知識を増加させるが、そのまま目的達成や幸福獲得を100パーセント約束するものではないのだ。第一、努力をしても、思ったほど能力が伸びなかったり、他人や組織から評価されないことのほうが多いのが現実だ。それならば、いや、だからこそ、『自分の好きなことを追求し、それが生きる喜びになる』という暮らし方を最終目標に、勉強したほうがいいのではないだろうか。私は、幼児のころからそうしてきた」
うーん、わたしも何となくそうしてきたような気がします。



そして、「はじめに」の最後に、著者は次のように書いています。
「たんにお金や成功を得るためではなく、『好きなことを学ぶ』という勉強本来の楽しさを味わい尽くし、それがやがて仕事となり収入へとつながる『0点主義の勉強法』にヒントを得て、これまでの勉強法や生活に実践的に応用する。そうすることで読者のみなさんに幸福感や充実感を味わっていただけたなら、もし、そのための助けに少しでもなれたとしたら、こんなにうれしいことはない」



本書の中で特に興味深かったのは、第2章「情報整理なんていらない」でした。その中でも「アウトプットは恥をかくほど実になる」という項目が心に残りました。
「アウトプット」について、著者は次のように述べます。
「勉強と実践を即座に結びつけるのは難しい。しかし、実践しないとほんとうの意味で知識が身につかないのも事実だ。ではどうすればいいのか。学んだ知識をアウトプットする機会を日常の中につくってしまえばいいのだ。
アウトプットというと大げさに聞こえるが、要は得た知識を人に話したり、書いて伝えることにすぎない。とくに話すことは、いつでも、どこでも、話を聞いてくれる相手さえいればできるのだから、もっともやりやすい方法だろう」



本に書くにしろ、講演やテレビ番組で話をするにしろ、自分自身がきちんと内容を理解し、咀嚼していないと、人には伝わりません。
歴史の本を読んで登場人物の活躍に感動して、それを誰かに伝えようとします。そのとき、「こんな人が昔いてね・・・」とダラダラ話しても、そんな散漫な話は相手には伝わりません。著者は「アウトプットの前には、自分なりに情報のストーリー化を行うものなのだ。そして情報を「物語」にすれば、人は聞いてくれる。この物語化がアウトプットの第一歩である。それを意識的にするかしないかで、アウトプットの質は大きく違ってくる」と訴えるのです。



著者はさらに、アウトプットの本質について説きます。
「ときどき、話を聞いていてもよくわからない、という相手がいる。それはきっと、その人が自分でちゃんと整理できず、理解不十分なままアウトプットしているせいだ。知識が実践に使える、応用できるというのは、自分の中でアウトプットにふさわしい形に置き換えられている、ということにほかならない。
そして、アウトプットを行う際には、自分なりの演出も必要になってくる。相手が大人と子どもとでは、おのずと伝え方も違ってくる」



世の中の多くの人々は、インプットのほうが大事だと考えています。
「博覧強記」すなわち「インプットのチャンピオン」みたいな存在である著者ですが、「とりあえず、インプットに関しては網を広く張るような気持ちで、大雑把にどんどん入れていく感覚がいい」として、「あくまでアウトプットが求められる場面に遭遇してはじめて、何が必要かが具体化するので、それを満たす情報を探し、ピンポイントのインプットをすればいいのだ。人に話したりネット上で何かを発言することが知識や情報の整理になるのだから、そういうことを積極的にやるようにすれば、インプットは自然に生きてくる」と述べます。




そして、次のようにアウトプットの真髄を述べるのです。
「要するに、アウトプットは恥をかくほどよいということだ。私たちは、何かを表現したり発表したりする場合、完璧な内容であることを期する。それは自然な願望なのだけれど、完璧というのは非常に難しい。そうではなく、アウトプットを公表することは、多くの人に見てもらい、検証を受けることと考えるべきなのだ。間違いを指摘されれば大恥をかくが、それは内容を訂正できるチャンスでもある。
人生なんて、死ぬまで恥のかき通し。失敗を気にしていても始まらない」


老福論―人は老いるほど豊かになる


第3章「勉強を高尚なものにしない」の「背伸びをすると世界が広がる」も納得しました。著者は、次のように述べています。
「日本人には子どもっぽさやかわいらしさを好む傾向があり、『老いる』ということは、ただひたすらマイナスでしかないとみる風潮がある。これでは、老いることに積極的な意味を見出すことがますます難しくなってしまう。しかし、老いとは『経験を積んで賢くなる』ことなのだ。老いに対するあまりにも偏ったいびつな見方は、結局は自分たちの首を絞めることになるだけだと思う。
さらに、老人にはまわりの人間が学ぶべき知恵をいっぱいもった人がたくさんいる。老人から若者はもっと学ぶべきだと思う」
これには『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)という著書のあるわたしも、非常に共感しました。



さらに、著者はわたしの大好きな作家である三島由紀夫の名前まで持ち出して、次のように述べています。
「『老いること』について、三島由紀夫もそのメリットを強調していた。
学生運動が盛んだった1960年代、三島は東大の学生たちと討論した際、
『若者にはエネルギーをもって社会を批判する情熱と権利があるかもしれないが、老人には何もしない勇気があるのだ』という意味のことを述べた。
『長く生きてきた分だけ存在感を提示できるので、賢く、また洗練されている。その点だけは若者が敵わないだろう』と言い、学生をやりこめたという。老いる肉体に非常に恐怖を感じていたはずの三島が、いっぽうで、その分『賢くなっている』と老いの精神を評価したことに私は興味を覚えた」
いやあ、こんな話、初めて知りました。わたしも、ムチャクチャ興味を覚えます。



第4章「苦手な勉強こそ意外なチャンスをもたらす」の「一番やりたくない仕事が最高に面白い勉強になった」も良かったです。
大学を卒業した著者は、魚類が大好きだったこともあり、水産会社の日魯漁業(現マルハニチロ)に入社しました。本当は博物学や文学をやって暮らしたかったのですが、せめて好きな魚を扱う会社で定年まで勤めようと思っていたのです。ところが最初こそ資材部に配属された著者ですが、コンピュータ室に配属替えとなります。しかも、今はなき北海道拓殖銀行への出向でした。もともと文系である著者は、理系の極みのようなコンピュータ室への配属を受けて「3日で辞めよう」と思ったそうです。



しかし、結果として著者はコンピュータ室で9年間も働くことになります。
コンピュータといっても、今から30年以上も昔の汎用機です。すべて機械語を覚えないと扱えない代物でした。そのときのことを著者は書いています。
「生来新しい物好きの私は、1週間目に、コンピュータを操作しプログラムを書くことは『言語哲学の実践だ、文学なのだ』と気づき、がぜんおもしろくなってしまった。つまり、機械が仕事を予定通りにしてくれないのは、そのプログラムを組んだ自分の愚かさの証明ということなのだ。コンピュータのプログラムというのは、『機械と人間の両方を自分が受けもつ一人称の対話』だと気づいたのである(ちなみに今のパソコンはプログラムをつくっている人が別なので、その意味で二人称の対話といえる)。それが好奇心をかき立て、夢中になっていった」



さらに著者は、コンピュータが魔法にも通じていることに気づきます。
「私は魔法学が好きで、なぜ『エロイム』と呪文を言っただけでマジックが実現するのか、などという本質的な問題を考えていたほどなので、その感覚はコンピュータのプログラミング作業にぴたりとはまった。機械と人間の間では、言葉が通じないとプログラムが動かない。『これは呪文と同じだ。言葉が通じないと、実効力が出ないのだ』と」
いやあ、面白いですね! 「禍転じて福と為す」という言葉がありますが、まさに著者はそれを実現したのでした。それというのも、著者の「なんでも面白がる」という前向きの好奇心があったからです。


あらゆる本が面白く読める方法―万能の読書術


「面白がる」といえば、わたしには『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という著書がありますが、この本の精神も「なんでも面白がる」ということです。
読書といえば、インプットの代表的方法ですね。著者はアウトプットの達人ですが、それ以前にインプットの達人でもあります。だいたい、著者ほど膨大な本を読んだ人もあまりいないのではないでしょうか。著者は、いったい、どのようにして本選びをしているのでしょうか。



第5章「不利な環境は最強の勉強空間だ」の「いい本を第一印象で見抜くコツ」で、著者は自身の「いい本選びのコツ」を以下のように披露しています。
1.まずはタイトル。タイトルに惹かれたり、はじめの2〜3行を読んでおもしろいと感じたら、自分にとっていい本である可能性がかなり高い。
2.小難しくなく、読みやすいと感じた本のほうが深読みできる。はじめから終わりまで理屈が先に立っているような本は、途中でつまずくことが少なくない。
3.作家名にピンときた本は、相性がいい可能性が高い。著者の場合は、幻想文学や図鑑など、ふつうの人があまり手をつけない分野の本に興味があったので、たとえば「××伯爵」とか、妙な肩書がついていると「これはいけそうだ」と気をそそられる。たとえていうなら「綾小路きみまろ」だ。自分のことをネットにおけるハンドルネームのように茶化した感覚で名前をつけている人物というのは、ユーモアに富み、主観にへたに陥らないバランス感覚をもち合わせているものだ。たとえば、俳句をひねる人は自分の俳号をつくるが、俳号というのはまさに作品の1つ。名前に書き手の傾向や嗜好といったものがエッセンスのように詰まっているいい例だが、俳号のような感覚でつけられている名前には、このように作品傾向を示唆するヒントが詰まっている。
4.目次を読む。興味を引く見出しが多ければ、買って損をすることはない。とくに洋書は、目次を読めば展開がイメージできるものが多い。
(『0点主義』p.221〜222)



この著者の「いい本選びのコツ」を読んで、わたしは大いに共感するとともに、大変勉強になりました。勉強や読書に対する考え方が似ているのは、きっと、著者の本のほとんどを読んできたわたしが影響を受けたからではないでしょうか。
わが書斎には、著者の単行本、文庫本、そして図鑑などが並んでいます。
本書は、現代日本を代表する「博覧強記」で「知の巨人」が、自身の知的生産の技術、そして読書術を初めて明かした貴重な書であると言えるでしょう。



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*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年6月15日 一条真也