「天地明察」

一条真也です。
今夜は満月です。それに合わせたわけではありませんが、星を見上げ続けた男の生涯を描いた日本映画「天地明察」をDVDで観ました。
この映画、評判は聞いていましたが、どうしても劇場で観る気にはなれませんでした。その理由はいくつかありますが、まずはベストセラーになった原作を読んでおらず、映画にも興味がなかったこと。次に主演の2人の不倫スキャンダル騒動で白けてしまい、観る気が萎えてしまったからです。


しかし、ブログ「日銀支店長送別会」に書いた食事会で、「ダンディ・ミドル」ことゼンリンプリンテックスの大迫益男会長から「天地明察」を観たほうがいいと強く薦められたのです。本にしろ映画にしろ、大迫会長が薦めるということは、わたし好みの作品だという意味なので、早速DVDを求めました。


天地明察」のDVDとわが愛用の日時計



この映画は、「おくりびと」で第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督が冲方丁原作の時代小説を映画化したものです。
江戸時代前期、碁打ちとして徳川家に仕えていた安井算哲は、算術にもたけていました。もともと彼は星を眺めるのが何よりも好きでしたが、ある日、会津藩主の保科正之の命を受けて北極出地の旅に出ます。算哲らの一行は全国各地をくまなく回り、北極星の高度を測り、その土地の緯度を計測するのでした。



その後、算哲は800年もの間国内で使用されてきた中国の暦のズレを正し、日本独自の暦を作ることに命を懸けます。日本の地に合った正しい暦を作るという大志を抱く算哲を徳川光國が援助しますが、その前に暦作りの既得権を持つ公家衆が立ちはだかります。何度も失敗を重ねながらも、算哲は決してあきらめないのでした。主人公の算哲をV6の岡田准一、その妻を宮崎あおい保科正之松本幸四郎、徳川光國を中井貴一が演じています。


愛用の日時計、月時計、望遠鏡、暦函

わが書斎の地球儀、月球儀、天球儀



この映画、想像していたよりも面白く、141分を一気に観ることができました。多くの人が感動したという夫婦愛の部分は、あまりピンときませんでした。不倫スキャンダルはあまり関係ないです。それよりも、メインテーマである天文とか暦のエピソードに強く興味を惹かれました。「科学時代劇」というか、こういう世界は非常に新鮮でした。映画に登場する天文台とか望遠鏡とか地球儀の造形も美しかったです。わたしはこういった天文系のグッズに目がなく、書斎の机の上には日時計、月時計、望遠鏡、暦函などが所狭しと並べられていますし、他にも書斎には地球儀、月球儀、天球儀を並べたコーナーもあります。



皆既日食が物語の重要なアイテムになっていたところも嬉しかったです。
ブログ「太陽と月」に書いたように、地球から眺めた月と太陽が同じ大きさに見えることは最大の謎です。人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからです。



月の直径は、3467キロメートル。太陽の直径は、138万3260キロメートル。つまり、月は太陽の400分の1の大きさです。次に距離を見てみると、地球から月までの距離は、38万4000キロメートル。地球から太陽までの距離は、1億5000万キロメートル。この距離も不思議なことに、400分の1なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけです。
それにしても、なんという偶然の一致!



皆既日食とは、太陽と月がぴったりと重なるために起こります。
この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。まさに、太陽と月は「サムシング・グレート」そのものなのであり、それを証明するものこそ皆既日食なのです。



また、算術も重要なアイテムとして扱われ、和算の大家である関孝和が登場しました。ちなみに、わたしの歌の雅号である「佐久間庸軒」という名前の和算の大家も実在しました。庸軒は会津の三春の人なので、庸軒は安井算哲(後の渋川春海)をよく知っていたはずです。時代は庸軒のがずいぶん後ですが。



そして、算哲が将軍に囲碁を教える名家に生まれ、自身も碁打ちであったことも興味深いですね。彼が天文に興味を持ったことと囲碁には深い関係があるように思います。なぜなら、囲碁は宇宙の遊びだからですです。囲碁ほどコスモロジカルでシンボリックなゲームはありません。将棋が人間界の戦争を模しているのなら、囲碁は宇宙の創世を再現しているのです。



まず、碁盤とは宇宙の模型です。
それはその厳然たる正方形において大地をあらわし、縦横に走る道の直線によって整然と区画された方眼状において現実と空想の大地のシンボルとなっており、さらに国家・都市・寺院・住居のモデルとなっています。しかも囲碁のシンボリズムは空間のみに限定されていません。縦横19道361路は一年の日数の経過であり、四隅は四季であるなど、碁盤は日月星辰の推移を映し出して、さながら天体そのものとしてイメージされています。すなわち、碁盤の象徴するものはほとんど「道」そのものである宇宙の周期的生命力のリズムなのです。



そして黒白の石は、言うまでもなく陰陽の気そのものです。2人の対局者自身も陰と陽の対立であり、彼らが盤上に石を置いていくことは、ただちに陰陽の二気による天地の創造、少くとも天地創造の反復であることになります。
碁局を据え、碁子を取る、この瞬間に潜在していた「道」の力は動きはじめ、次いで陰石が置かれ陽石が布かれます。対局者の意識がどうであれ、これはまぎれもなく宇宙発生の反復であり、いながらにして2人の対局者が天地創造の渦動のうちに遊ぶことを意味するのです。
囲碁は3000年以上も前に中国で生まれたとされていますが、以来、孟子などをはじめ中国人たちはこの宇宙遊びを愛してきました。



囲碁が日本に渡来したのは735年で、阿倍仲麻呂と一緒に唐に行った吉備真備が持ち帰ったのがはじめです。『源氏物語』からもわかるように、平安時代にはすでに流行していました。最古の碁譜として残っているのは鎌倉時代日蓮上人とその弟子との対局ですが、囲碁をはっきり専門の域まで高めたのは京都寂光寺の日海上人です。この人がすなわち初世本因坊の算砂名人で、織田信長豊臣秀吉徳川家康の三武将の師でもあります。



しかも家康は算砂を軍師として尊び、天下を統一するに及んで「碁所」を創設し、碁道を奨励しました。家康はおそらく、殺伐とした戦国時代の人心を平和に統一するために、囲碁のもつ魅力に着目したのでしょうか。それとも囲碁の魔術性を利用したのでしょうか。いずれにしても、世界史に残る大平の世を築き上げた「江戸」の誕生には囲碁が関わっていたのです。



このように、暦、天文、算術、囲碁といった江戸時代の文化アイテムがエンターテインメントとして描かれたということは画期的であると思います。この映画を観て、暦や和算囲碁に関心を持った人も多いと思います。なによりも「天地明察」という考え方そのものがスケールが大きくて魅力的ですね。



個人的には、贔屓の役者である市川染五郎が腹黒い公家役だったのが残念でした。本来なら、染五郎が算哲を演じても良かったのに! 
でも、わたしは岡田准一もけっこう好きで、黒木瞳と共演した「TOKYO TOWER」の演技は最高でしたね。今年、ブログ『永遠の0』で紹介した小説が映画化されますが、彼が主人公の宮部久蔵を演じるそうです。楽しみですね。



それから、意外と存在感を示していたのがプロレスラーの武藤敬司。映画初出演の「光る女」以来、彼が出た映画を何本か観ましたが、演技のセンスは優れていると思います。さすがはプロレス界の千両役者ですね。なお、ブログ「葬祭責任者会議」に書いたように、わが社の宗像紫雲閣の津田支配人は横浜の中華街で武藤敬司とすれ違ったことがあるそうです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年3月28日 一条真也