一条真也です。
映画「オズ はじまりの戦い」を観ました。
あのMGMの名作「オズの魔法使」の前日譚をディズニーが映画化するというので、楽しみにしていました。3月8日に「世界同時公開」されるということで、なんだか「隣人祭り 世界同時開催」みたいです。「いいなあ、こういうの!」と思いながら、リバーウォーク北九州内にあるシネコンで観賞しました。世界同時開公開の初日というのに数人しか観客がいないのがロンリーでしたが・・・・・。
この映画は、ライマン・フランク・ボームの児童文学『オズの魔法使い』に登場する「オズ」を主人公にしたファンタジーです。監督は「スパイダーマン」シリーズのサム・ライミで、主人公のオズを「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」「127時間」のジェームス・フランコが演じています。また、オズの国には3人の “美魔女”がいますが、“南の魔女”をゴールデン・グローブ賞に輝くミシェル・ウィリアムズ、“東の魔女”を「ナイロビの蜂」のアカデミー女優レイチェル・ワイズ、そして“西の魔女”を「ブラック・スワン」のミラ・クニスが演じています。
映画の公式HPには、次のようにストーリーが紹介されています。
「カンザスのサーカス一座のマジシャン オズは、その魅力と口の上手さを武器に、いつか『偉大な男』になることを夢見ていた。ある日、竜巻に飛ばされて魔法の国オズに迷いこんだ彼は、たまたま名前が同じために、この国の予言に残る〈偉大なる魔法使い〉だと誤解されてしまう。西の魔女セオドラに導かれ、緑色に輝くエメラルド・シティに着いた彼は、東の魔女エヴァノラから『オズの国を支配する邪悪な魔女から救って欲しい』と依頼され、この国の人々から救世主として敬われる。財宝と名声にひかれたオズは、案内役の翼の生えた猿のフィンリーと共に邪悪な魔女を探す旅に出る。やがて、魔女に滅ぼされて粉々になった“陶器の町”で、ひとりだけ生き残った陶器の少女を助けたオズは、南の魔女グリンダに出会う。果たして、彼女こそが邪悪な魔女なのだろうか?
オズと3人の魔女たち──4人の運命が交差する時、オズの国の驚くべき真実が明かされる。」(「オズ はじまりの戦い」公式HP「ストーリー」より)
ブログ『テレキネシス』にも書いたように、わたしは、もともとMGMの「オズの魔法使」が大好きでした。思えば、この映画を観てから、わたしはファンタジーの世界に魅せられたのでした。主人公ドロシーを演じた主演のジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方へ」も素晴らしい名曲でした。「オズの魔法使」では冒頭部分がモノクロで、オズの国に入ると、フルカラーに一変します。「オズ はじまりの戦い」でも、まったく同じでした。偉大なる名作「オズの魔法使」へのオマージュの意味もあるのでしょうが、この趣向は嬉しかったです。
ただ残念なのは、1939年の「オズの魔法使」で味わったような色彩の豊かさがそれほど感じられなかったこと。この「オズ はじまりの戦い」は最先端のVFXによる圧倒的ビジュアルが売り物とのことですが、色の鮮やかさでは74年も前の「オズの魔法使」に負けています。たしか、作家の高橋克彦氏も著書『幻想映画館』に書いていたと記憶していますが、「オズの魔法使」のフルカラー場面はまさに「色の洪水」といった印象でした。あらためて、「オズの魔法使」とは奇跡のような映画であったのだと痛感します。
わたしが「オズ はじまりの戦い」の映像に物足りなさを感じたのは、3Dのせいもあったかもしれません。ディズニー映画をはじめとするハリウッドのファンタジー大作といえば3Dというのがすっかり定着しましたが、正直言って食傷気味です。テーマパークのアトラクションじゃあるまいし、あんな大きなメガネを顔につけて映画鑑賞するのは非常に疲れます。まあ、オズが落下した気球で川を下るシーンとか、南の魔女とシャボン玉に入って飛んでいくシーンなどは、まさにディズニーランドのアトラクションそのものという感じでした。監督のライミは、「スパイダーマン」の最初の飛行シーンに代表されるように、めくるめくスピード感を演出することを得意としているようですね。
「オズの国」についてですが、ブログ「アリス・イン・ワンダーランド」で紹介した映画に出てくる「ふしぎの国」を連想させる景観でした。「アリス・イン・ワンダーランド」も「オズ はじまりの戦い」も、ともにディズニーの製作です。
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わたしは、ボームの『オズの魔法使い』は明らかにルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』の影響で書かれた作品だと思います。メーテルリンクの『青い鳥』の影響で、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が書かれたのと同じだと思います。チルチルとミチルは、ジョバンニとカンパネルラに姿を変えました。それと同じように、アリスはドロシーへと転身したのではないでしょうか。
ところで、ブログ「新しい電子書籍化が発売されました」に書いたように、最近、『遊びの神話』(PHP文庫)電子書籍化されました。そのP.142〜143には、「ぼくは、『ふしぎの国のアリス』とメーテルリンクの『青い鳥』とボームの『オズの魔法使い』を世界の三大ファンタジーだと思っている」と書かれています。
なお、「ふしぎの国」も「オズの国」も、わたしが監修した『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)で紹介しました。
この映画は『オズの魔法使い』の前日譚ですが、同じくボームの原作シリーズから生まれた前日譚として、舞台ミュージカル「ウィキッド」があります。
本場・ブロードウェイの開幕から、ロサンゼルス、シカゴでのロングランをはじめ全米ツアー、さらにはロンドン、シドニー、トロント、東京、大阪、福岡と上演都市を増やし、全世界で2700万人を魅了しました。各地で何度も興業収入記録を打ち立ててきたミュージカルです。日本では、劇団四季が上演しています。
ムーンサルトレター第43信にも書きましたが、ちょうど今から4年前の2009年3月に、わたしは劇団四季「ウィキッド」を観ました。そして、差別や偏見は政治的に作られるものであることを改めて強く感じました。「誰も知らない、もう一つのオズの物語」であるこの作品は、『オズの魔法使い』に登場する「悪い魔女」と「善い魔女」の誕生秘話です。美しいルックスで皆から愛されるグリンダと、生まれつき緑色の肌を持ち周囲から差別され続けてきたエルファバ。この二人が世の中から「善」と「悪」というレッテルを貼られてゆくさまは、「正義とは何か」「悪とは何か」について深く考えさせます。
「オズ はじまりの戦い」にしろ、「ウィキッド」にしろ、さまざまな前日譚が作られるのは、それだけアメリカ人が『オズの魔法使い』という作品を愛しているからでしょう。さらに加えて、わたしはアメリカにおいて『オズの魔法使い』は神話的な存在なのだと思います。そう、アメリカ人にとって、ドロシーは女神であり、カカシやブリキやライオンたちは神々のような存在なのだと思います。
人間は神話を必要とします。神話とは宇宙の中に人間を位置づけることであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っています。一般に、アメリカ合衆国には神話が存在しないといわれます。建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家です。ゆえに統一国家としてのアイデンティティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。その最大の代用品こそ映画でした。
日本の神話といえば、誰でも『古事記』を思い浮かべるでしょう。
『古事記』は、和銅五年(712年)に太安万侶を撰録者として成立したとされます。昨年2012年は、『古事記』1300年の記念すべき年でした。
日本の神話の成立が712年なら、アメリカの神話の成立は1939年ではないでしょうか。この年、「駅馬車」「風と共に去りぬ」「オズの魔法使」という映画史に燦然と輝く大傑作が公開されています。この3作は同じ年のアカデミー賞を競いました。まさに「奇跡の1939年」ですが、それぞれの映画はアメリカ人にとっての神話の役割を果たしました。そして、その原作であるミッチェルの『風と共に去りぬ』やボウムの『オズの魔法使い』もまた神話の原作として「カノン(聖典)」のような位置づけをされていくのです。
それにしても、日本との開戦直前にこのような凄い名画を同時に作ったアメリカの国力には呆然とするばかりです。わたしは、アメリカという国があまり好きではないのですが、ハリウッドからの多くの名画によって感動を日本にプレゼントしてくれたことだけは評価すべきであると思います。もっとも、スクリーン・スポーツ・セックスの「3S政策」が存在したと唱える陰謀論者もいますが・・・・・。
「幻影師アイゼンハイム」(原題“The Illusionist”)
最後に、「オズ はじまりの戦い」には、さまざまなイリュージョンが登場します。主人公のオズの正体が奇術師だからですが、このイリュージョンの場面が非常に魅力的でした。わたしは奇術をテーマにした映画が大好きなのですが、特に「幻影師アイゼンハイム」という19世紀に実在したイリュージョニストの映画をこよなく愛しています。そして、この「オズ はじまりの戦い」でのイリュージョンの場面は「幻影師アイゼンハイム」を連想させる妖美なムードがありました。とりわけ、「オズ はじまりの戦い」にはボームの『オズの魔法使い』に登場する「巨大な首の出現」が見事に映像化されています。ネットでこの映画の評価は低いようですが、「巨大な首の出現」を観ることができただけでも、わたしは満足でした。
『魔術師と映画』と『遊びの神話』
そして、「巨大な首の出現」には「映画こそ魔法である」という隠れたメッセージがありました。わたしは、『魔術師と映画〜シネマの誕生物語』エリック・バーナウ著、山本浩訳(ありな書房)という本の内容を思い浮かべました。この本についても『遊びの神話』(PHP文庫)で触れています。
この映画、主演のジェームス・フランコのニヤけた顔と軽さを感じさせる演技もあって、全篇にわたって「遊び」の感覚に溢れた作品でした。ディズニーが作っただけあって、遊園地のような映画といってもいいでしょう。
それにしても、3人の美魔女はあまり魅力的ではなかったですね。
無名でもいいから、もっとセクシーな女優を起用してほしかった!
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2013年3月9日 一条真也拝