『7つの習慣』

7つの習慣-成功には原則があった!


一条真也です。
『7つの習慣〜成功には原則があった』スティーブン・R・コヴィー著、ジェームス・スキナー&川西茂訳(キングベアー出版)を紹介いたします。1990年に初版が出版された本書は、今や「リーダーシップ」というよりも「人間学」の世界的古典と言っていいでしょう。じつに38ヵ国の言語に翻訳され、全世界1500万部突破、日本でも100万部突破の超ベストセラーにして大ロングセラーです。ビジネス書を読む習慣のある人なら、一度は本書を手に取ってみたことがあるのではないでしょうか。



著者のスティーブン・コヴィーは、リーダーシップ研究の第一人者として、世界的に高い評価を受けています。彼は、真に成功を果たすには2つのものが重要だと考えます。それは、個人としての有効性、そして職業としての有効性をバランス良く備えること。本書は、この2つの領域において、読者がより効果的に行動するための手引書となっています。
著者は、7つの習慣を身につける前に、「パラダイムシフト」、すなわち世の中の仕組みに対する認識と解釈の転換をまず実現する必要があると訴えます。
この転換を実現することによって、「生産性」、「時間管理」、「前向きな思考」、何かに反応するのではなく自発的に行動する「予防的に働く筋肉」の開発などに関する認識が与えられ、それが行動に現れるというのです。


わたしは、もう4・5回はこの本を読んでいますが(7回読むつもりです!)、あらゆる意味で「すごい本」だと思っています。ブログを再開したら、ぜひ紹介したいと思う一冊でした。どれほど「すごい本」かというと、まず「はじめに」の冒頭に書かれている次の一文をお読み下さい。
「『7つの習慣』は極めて重要な本になっています。ビジネス書としては全世界の歴史上最高の売上を誇り、著者のコヴィー博士は英国の『エコノミスト』誌によれば、世界で最も影響力のあるビジネスの思想家と評価されています。しかし、何もこの本はビジネスに限った話ではありません。会社、家庭、人間関係など、私たちの人生のすべての大切な側面を取り上げており、激しい変化の時代にあって充実した、人間らしい生活を営む道を示してくれています。経営者、ビジネスマン、OL、専業主婦、学生、自分の現在の職業は何であれ、この本を読むことにより、大きな利益を得ることができるはずです」



本書が主張しているのはいわゆる「人格主義」なのですが、これはまさに現代日本が必要としている考え方です。かつての日本人は『論語』などを読んで高い倫理性を備えていましたが、現代においては惨憺たる現状と言えるでしょう。
「はじめに」には、本書の「人格主義」が現代日本人に与える影響について、「今の日本が直面している政治不信、いじめ問題、過当競争によってもたらされる生活の不安、家族の崩壊などは、従来のありきたりの解決策だけでは乗り越えることができません。『7つの習慣』は、こうした問題を根治するのに必要な「新しい考え方のレベル」を提供してくれるものです」と述べています。



「著者からの挨拶」では、コヴィーがこう述べます。
「歴史から学べる最も大切な教訓のひとつは、個人にしても、組織にしても、また文明そのものにしても、『効果性』を司る不変の原則または自然の法則と調和した行動をとるとき、必ず長期において繁栄しているということです。私は常にこれらの原理・原則の普遍性に驚嘆し、かつ謙虚な気持ちを感じずにはいられません。真の原則は、伝統、社会、宗教、文化または国民性などの障壁をすべて超越するものです。本書が説明している『7つの習慣』はこれらの普遍的な原則に基づくものなのです。是非自分の生活において、その有効性を実証してみていただきたいと思います」



「原則は時や場所を問わず作用するものです」と喝破する著者は、「原則」についてさらに言います。
「それは人々の精神を高揚させ、人格を向上させ、心を深く満足させ、かつ人を鼓舞する価値観、思想、社会規範、あるいは教えとして我々の前にその姿を現します。原則は自明的な自然の法則といえます。変化したり、なくなったりすることはありません。戦略は変わりますが、原則は変わりません。仕事は変わりますが、原則は変わりません。生活の役割は変わりますが、原則は変わりません。経済事情は変わりますが、原則は変わりません。常に真北を指すコンパスと同じように、周りの状況がどう変わろうと、原則が我々の生活に安定した変わらざる方向性を与えてくれます」



著者は、自身の経験から、誰しも「原則」に立脚した人生を送っている人を本能的に信頼するとして、「自分の生活の中における長期的かつ有意義な人間関係を振り返ってみれば、すぐに実証できることでしょう。信頼と比べればテクニックは枝葉末節に過ぎません。それは長期において、信頼とは個人の人格に深く根づいた信頼性の結果だからです。信頼感が深まっているとき、コミュニケーションの苦労はなくなり、自分の意志が瞬間的に相手に伝わるようになります。多少言葉を間違うことがあったとしても、相手は言いたいことを理解してくれるでしょう。しかし、信頼がくずれているとき、コミュニケーションは我々の時間とエネルギーを浪費させ、意志疎通が極めて困難なものになります」と述べています。
さらに著者は、「正しい原則に導かれているとき、個人も、家庭も、組織も成功します」と断言します。



著者は、日本をはじめとするアジアの諸国を訪れ、『7つの習慣』を紹介してきました。すると、「あなたは仏教、道教儒教あるいはその他の東洋思想を研究していたのか」と、よく訊かれたそうです。この質問について、著者は「原則が文化的な境界線を超越している基礎的な真理だということを裏づける証拠なのです。人々は、この『7つの習慣』の考え方が自分の最も深い価値観と調和していることに気がつくとき、私は大きな相乗効果的なエネルギーを感じることができます」と述べています。


著者によれば、「7つの習慣」が世界的に注目されているもうひとつの理由があるそうです。それは、「急激かつ複雑な変化の波にさらされて、人々は個々の部分よりも全体像に集中し、そして“物”よりも大切な人間関係や組織間の関係を維持することに集中せざるを得なくなっている」からだというのです。そして、「7つの習慣」の究極の目的とは「相乗効果」であるといいます。「相乗効果」こそが、企業の生存、改善の推進、リエンジニアリング、再新再生、および市場におけるリーダーシップの鍵であるというのです。



では、世界中のビジネスマンに強い影響を与えた「7つの習慣」とは何か。
それは、以下の通りです。
(第1の習慣)主体性を発揮する
(第2の習慣)目的を持って始める
(第3の習慣)重要事項を優先する
(第4の習慣)WinWinを考える
(第5の習慣)理解してから理解される
(第6の習慣)相乗効果を発揮する
(第7の習慣)刃を研ぐ


そして、それぞれの「習慣」は、それぞれ7つの「原則」に通じます。「7つの原則」は、以下の通り。
1.自己責任の原則
2.自己リーダーシップの原則
3.自己管理の原則
4.人間関係におけるリーダーシップの原則
5.感情移入のコミュニケーションの原則
6.創造的な協力の原則
7.バランスのとれた自己再新再生の原則


「原則」とは何か。著者は、「原則は灯台である。それは破ることのできない自然の法則である」と述べます。また、「十戒」という映画の製作で有名になったセシル・B・デミル監督の「神の律法〈原則〉を破ることはできない。それを破ろうとすれば自分自身が破れるだけだ」という言葉を紹介し、「人は皆、自分の生活や人間関係を、経験や条件づけによってつくられたパラダイム、あるいは知覚のレンズを通して見ている。しかし、このパラダイムという『地図』は、その示す場所とは違うものである。地図はあくまでも『主観的な現実』にすぎず、その場所を表現しようとする努力にすぎない。『客観的な現実〈場所そのもの〉』は、人間の成長や幸福を司る『灯台』の原則からなっている。いくら優れたパラダイムを持ったとしても、それは原則を超えるものではない」と述べています。



ビジネスなどの現実的な問題においては、何よりも「手法」が重要視されます。しかし、著者は「手法」よりも「原則」が重要であるとして、「手法はある特定の状況においてしか適用できないが、原則は深い基礎的な真理であり、普遍の応用がある。そして、個人、人間関係、家族、あらゆる組織に当てはめることができる。こうした真理を習慣として身につければ、人々は自分が直面している状況に対応できる手法を自分で打ち出すことができるのだ」と述べます。



また、「価値観」というものも重要視されることが多いですが、これも「原則」とは異なるとして、著者は以下のように述べています。
「原則は価値観とも異なる。例えば、強盗団でも価値観を共有することはできる。しかし、その価値観はここで話している基本的な原則とは全く違うものであり、それに相反するものである。原則は“場所”そのものであり、価値観は“地図”である。正しい原則に価値をおけば、真理――物事のあるがままの知識――を手に入れることになる。
原則は、永続的な価値を持っており、人間の行動に正しい方向性を与えてくれるガイドラインとなる」



本書を読んで、わたしが最も感銘を受けたのは、第2の習慣「目的を持って始める」の項でした。そこには「自己リーダーシップの原則」が語られ、「愛する人の葬儀に参列する場面を心の中に思い描いてほしい。あなたは、会場に向かって車を走らせ、駐車して、車から降りる。そして、会場に入ると、花が飾ってあり、あなたは静寂な雰囲気に包まれる。その場に集まっている人々からは、別れの悲しみがにじみ出ているのと同時に、故人と知り合いになれた喜びが感じられる。あなたは、会場の前の方に進み、そこに飾ってある写真を見る。すると、なんとそこにはあなた自身の顔が飾られている。これは、今日から3年後に執り行なわれるあなた自身の葬儀なのだ。集まっている人々はあなたに対する尊敬、愛、感謝の意を表わしに来ているのである」と書かれているのです。


続けて、以下のように書かれています。
「あなたは、席に着き、式次第を見る。4人の人が弔辞を述べることになっている。最初に家族や親戚の代表として、全国から集まっている子供、兄弟、両親、祖父母、おじ・おば、いとこなどの内からひとり。次は友人のひとりで、あなたの人柄をよく知っている人。3番目は仕事関係の人で、4番目はコミュニティー自治会、サークルなど、あなたが奉仕活動を行なってきたところからのひとりである。
ここで深く考えてみてほしい。集まってくれたそれぞれの人たちから、あなたの人生について、何と言ってほしいだろうか。彼らの言葉をもって、あなたはどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいのか。どういう息子、娘、いとこだったのか。どういう友達だったのか。どういう仕事の同僚だったと言ってほしいのだろうか。あなたは、皆に自分の人格のどういうところを見てほしかったのか。どういう貢献や業績を覚えていてほしいのか。その場に集まっている人、それぞれの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生にあなたはどういう影響を及ぼしたかったのだろうか」



これは、わたしが老人会などの講演において、「自分の葬儀をイメージしてみて下さい」とよく言うのですが、それとまったく同じ考えを著者が述べているので、最初に読んだときは大変驚きました。もちろん、わたしは本書を読む10年以上前から「自分の葬儀をイメージする」ことの大切さを訴えてきました。自分の葬儀の場面をありありと想像することは、「理想の自分の人生」をイメージすることであり、もう残された人生を「理想の人生」に少しでも近づけるべく生きるしかありません。すなわち、葬儀のイメージは、現実の「生」にフィードバックされるのです!
著者のコヴィーは「葬儀で述べてほしい弔辞を注意深く見つめれば、あなた自身の本当の成功の定義を見つけることができるだろう」と述べています。よく「死を考えることは、生を考えることである」などと言われますが、その具体的な形がここにあります。



また、本書には「リーダーシップ」と「マネジメント」の違いもわかりやすく説明され、著者は「マネジメントは手段に集中しており、どうすれば目標を達成できるかという質問に答えようとするものである。一方、リーダーシップは望む結果を定義しており、何を達成したいのかという質問に答えようとするものである。ピーター・ドラッカーやウォーレン・ベニスの言葉を借りれば、『マネジメントは物事を正しく行なうことであり、リーダーシップは正しい事をすることである』ということだ。マネジメントは成功のはしごを能率よく昇ることであり、リーダーシップはかけ違っていないかどうかを判断することである。
例えば、ジャングルの中で手斧を持って道を切り開いている作業チームを考えてみよう。そうすればこの違いの重要さを容易に把握できるだろう。作業チームのメンバーは生産者であり、直接に問題を解決する人たちである。マネジャーたちはその後方に立ち、手斧を研いだり、方針や手順のマニュアルをつくったり、筋肉強化のプログラムを開発したり、新しい技術を導入したり、スケジュールを組んだり、作業員の賃金体系をつくったりする」と述べています。



では、リーダーとはどういうことをする人か?
それについて、著者は「ジャングルの中で一番高い木に登り、全体を見渡して、下に向かって『このジャングルは違うぞ』と叫ぶ人なのである。しかし、仕事に追われて能率を重視する生産者やマネジャーたちが、その言葉を聞いても、一般的に示す反応は、『黙ってろ。作業は順調に進んでいるんだから』というものだ。私たちの生活、また企業においては、下草を刈る作業が忙しいあまり間違ったジャングルの中で働いていることに気がつかないことが多い。現代の激しく移り変わる環境の中で、生活のあらゆる場面で、従来にも増して効果的なリーダーシップが必要になっている」と述べています。



非常に明快な「リーダーシップ」の定義であると思います。そして、著者はどうやらマネジメントよりもリーダーシップのほうが重要であると思っているようで、「効果的なリーダーシップのないマネジメントは、ある人の言葉を借りれば、『タイタニック号のデッキで椅子を片づけるようなもの』である。いかなるマネジメントの成功も、リーダーシップの失敗を補うことはできない。しかし、ほとんどの場合、私たちはマネジメントのパラダイムにとらわれすぎて、リーダーシップを疎かにしがちである」と述べています。



「リーダーシップ」の説明後、著者は再び葬儀の場面に話を戻し、以下のように述べています。
「最初に想像した葬儀の場面に立ち返ってみよう。子供が弔辞を述べようとしている。その人生経験がその場しのぎの応急処置的な争いの積み重ねではなく、愛ある教え、訓練、躾の結果であってほしいと思う。私のことを思い出すとき、その成長の喜びと悲しみを共に分かち合った愛情深い父親だったと覚えていてほしい。子供が抱えている問題や心配事を打ち明けてくれたとき、良い聞き手となり、愛を示し、子供を助けた父親だったと思っていてほしい。完全ではないが精一杯頑張った父親だったというふうに、覚えていてほしい。そして何よりも、世界中の誰よりも子供を愛していたということを記憶にとどめておいていてほしい」
これはもう、単なるビジネス書を超越して深い精神的な世界へと入っています。本書が「リーダーシップ」の書を越えた「人間学」の書であることを示します。



さらに、著者は「目的を持って始める」という第2の習慣の核心に触れます。
「目的を持って始めるということは、生活の中での様々な役割を果たすときに、明確な価値観に基づいて行動することである。自分の第1の創造に対する責任をとることである。また自分の行動や態度を左右するパラダイムが、自分の最も深い価値観や正しい原則に合ったものになるように自分自身の脚本を書き直すということである。
それを踏まえたうえで、毎日その価値観をしっかりと頭において1日を始めるのだ。そうすれば、様々な出来事や試練に出会ったとき、その価値観に基づき反応を選択することができるようになる。誠実・廉潔に行動することができるようになる。その時折の感情や状況に反応する必要はなくなり、真の意味で主体的な人になることができる。それは、価値観が明確になっているからである」


 
「個人的なミッション・ステートメント」についての説明も大いに共感しました。著者は、「目的を持って始める最も簡単で大きな効果をもたらす方法のひとつは、ミッション・ステートメント(個人的な憲法、または信条)を書くことである。その中で自分はどうなりたいのか、何をしたいのか、そして自分の行動の基礎となる価値観や原則を明らかにする」と述べます。そして、個人のミッション・ステートメントとは「個人の憲法」であるとして、次のように述べるのです。
「国の憲法というのは、ほかのあらゆる法律を評価する基準となり、国民の権利と責任を定義するものである。また、様々な困難を乗り越える土台となり、ほかのすべての行動を評価し方向づけるものである。国の憲法が正しい原則に基づいていれば、それは長年にわたり、ほとんど改正する必要はない。なぜなら、不変の原則に基づいた憲法は、激しい変動を乗り越える力をその社会に与えてくれるからである。同じように個人のミッション・ステートメントが正しい原則に基づいていれば、個人にも揺るぎない方向性が与えられる。それは個人の憲法となり、人生の重要な決断を行なう基礎となる。激しく変わる環境の中にあって、個人に不変の安定性と力を与えてくれるのである」

ミッショナリー・カンパニー

ミッショナリー・カンパニー


わたしも常々思っていますが、「ミッション」ほど大事なものはありません。わが社のミッションとは「人間尊重」であり、わたしのミッションとは「天下布礼」です。「ミッション」について、著者は次のように述べています。
「ミッションを持っていれば、主体性を発揮する土台ができているといえる。そして自分の人生に方向性を与えてくれるビジョンと価値観を持つことになり、長期的または短期的な目標を設定する基本的な方向づけができあがる。正しい原則に基づいた憲法を持つ人は確固たる中心を持ち、すべての決断をそれに照らし合わせ、自分の時間、才能、エネルギーを効果的に使うことができるのだ」



本書のすべてをブログで紹介することは不可能ですが、この「目的を持って始める」という第2の習慣だけを知っても、著者の深さ、すごさが理解できることと思います。最後に、著者のスティーブン・コヴィーは昨年7月16日に亡くなりました。自転車事故の負傷がもとでアメリカはアイダホ州アイダホフォールズの病院で息を引き取ったそうです。79歳の生涯でした。コヴィーは、9人の子どもと36人の孫を持つ熱心な末日聖徒イエス・キリスト教会すなわちモルモン教の信徒だったそうです。彼は信者向けの信仰書も執筆したそうですが、『7つの習慣』に流れる「人格主義」の根底には彼の信仰があったのです。



2002年、「フォーブズ」誌の「もっとも影響を与えたマネジメント部門の書籍」のトップ10にランクインしました。また、「チーフ・エグゼクティブ・マガジン」誌では「20世紀にもっとも影響を与えた2大ビジネス書」のひとつに本書『7つの習慣』が選ばれました。英国の「エコノミスト」誌は、コヴィーを「世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタント」と評しました。コヴィー以前は、ドラッカーがその地位にありました。わたしは、ドラッカーが「マネジメントの父」なら、コヴィーは「リーダーシップの巨人」だったと思います。実際に営まれたコヴィーの葬儀は、彼の想像通りだったのでしょうか。彼の子どもや孫たちは、亡き父と祖父をどのように語ったのでしょうか。
本書を読み終えて、そんなことを思いました。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年3月5日 一条真也