礼法八美道

一条真也です。9月20日の朝、かねてより病気療養中だった父・佐久間進が満88歳で旅立ちました。通夜式、葬儀告別式、お別れの会も無事に終えることができました。ご弔問・ご参列いただいた皆様、また供花・弔電を頂戴した皆様には心より感謝申し上げます。

『佐久間進のすべて』より

 

荼毘に付されて父の肉体は消滅しましたが、その精神は生きています。というのも、父は生前に多くの言葉を遺してくれました。今回は、「礼法八美道」を紹介いたします。父は、ブッダの「八正道」ならぬ「八美道」という言葉を提唱しましたが、著書であるわが人生の「八美道」(現代書林)の中で、「礼法八美道」を紹介しています。

◇礼法八美道
 一 美しい姿勢
 二 美しい挨拶
 三 美しい言葉づかい
 四 美しいお辞儀
 五 美しい振る舞い・しぐさ
 六 美しい表情(笑顔)
 七 美しい交際
 八 美しい食事の仕方

 

また、『わが人生の「八美道」』では、「礼法八美道」の紹介に続けて、夜明けの海に射し込む朝陽の写真とともに、父の次の言葉が記されています。

信頼は力。
真心の行動は、
人から好かれる、信頼される。
誠心誠意こそ、
最高の知恵である。


『佐久間進のすべて』(オリーブの木

 

2024年11月27日  一条真也

「チネチッタで会いましょう」

一条真也です。
東京に来ています。出版関係の打ち合わせの後、イタリア・フランス映画チネチッタで会いましょう」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。映画撮影所が舞台と知って、映画好きのための「映画の映画」かなと思っていましたが、実際はかなり政治寄りの内容でしたね。

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『息子の部屋』などのナンニ・モレッティ監督によるヒューマンドラマ。5年ぶりの新作撮影に臨む映画監督が、次々と降りかかる災難の中で自らを見つめ直す。時代の変化についていけない主人公をモレッティが自ら演じ、同監督作『3つの鍵』などのマルゲリータ・ブイ、『さすらいの女神(ディーバ)たち』などで監督としても活動するマチュー・アマルリックのほか、シルヴィオオルランド、バルボラ・ボブローヴァらが共演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
チネチッタ撮影所での新作撮影を控える映画監督・ジャンニ(ナンニ・モレッティ)。5年ぶりの撮影は順調にスタートしたかと思われたが、俳優たちは的はずれな解釈を主張し始め、プロデューサーであり40年連れ添った妻からは別れを切り出されてしまう。さらに撮影資金を調達していたフランスのプロデューサーが警察に捕まり、資金難で撮影は中断。映画監督としての地位を築き、家族を愛しているにもかかわらず疎外感にさいなまれたジャンニは自らの人生を見つめ直す」

 

主演のナンニ・モレッティは、イタリア出身の映画監督、俳優、脚本家です。40歳にして世界三大映画祭すべてで賞を受賞した、イタリアを代表する監督です。監督作品では脚本も書き、主演をすることもあります。1994年、「親愛なる日記」カンヌ国際映画祭監督賞を受賞し、三大映画祭を制覇。2001年には「息子の部屋」パルム・ドールを受賞。この2作はカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベスト映画にも選ばれています。2007年にはカンヌ国際映画祭にゆかりの深い監督たちのオムニバス作品「それぞれのシネマ」に参加。2011年にもローマ法王の休日パルム・ドールにノミネート、2012年には審査委員長を務めるなど、カンヌ国際映画祭と縁が深い監督です。世界の映画界におけるレジェンドですね。

 

映画「チネチッタで会いましょう」のタイトルにも登場するチネチッタ(Cinecittà)は、イタリア・ローマ郊外エウローパにある映画撮影所です。イタリア語で映画を意味するcinemaと都市を意味するcittàを合わせた造語で、原義は「映画都市」です。1930年代に、イタリアの指導者のベニート・ムッソリーニ統領の下、イタリア初の大規模な映画撮影所として建設。イタリア最大かつヨーロッパでも有数の映画撮影所であり、大規模な屋外セットやスタジオ、フィルム編集設備などが備えられています。

 

1935年には隣接してイタリア国立映画学校が設立されイタリアを代表する有名映画監督を輩出した他、日本人映画監督の増村保造がここで学んだことでも知られています。第二次世界大戦中には連合国軍の空襲を受け一部破損したが、戦後はフェデリコ・フェリーニ監督 の甘い生活(1960年)、「8 1/2」(1963年)や ルキノ・ヴィスコンティ監督の「白夜」(1957年)など、1950年代から1960年代にかけてのイタリア映画のみならずベン・ハー(1959年)などアメリカ映画も撮影されました。いずれも、映画史に残る傑作ですね。

 

1980年代には、イタリア映画の衰退を受けて収益が悪化し破産の危機に陥りましたが、国営化されることで危機を乗り切りました。なおこの前後に、フェデリコ・フェリーニチネチッタそのものをテーマにしたドキュメンタリー的映画インテルビスタ(1987年)を制作しています。映画撮影に使用される機会こそ減ったものの、ローマ地下鉄A線の駅ができ、周辺に新興住宅街やオフィスビル、大規模なショッピングセンターが建設されるなど賑わいを見せています。テレビの収録に使われることも多く「カナーレ5」(Canale5)の番組「グランデフラテッロ(Grande Fratello)」では、毎年収録や中継にチネチッタを利用しています。

 

チネチッタは撮影所のため団体予約などの例外を除いて一般公開はされていませんでしたが、2011年4月29日から11月30日までの期間限定で初めて一般観光客に向けて公開されました。主要スタジオへの立ち入りは不可能ですが、展示会場がメイン棟に特設され、「ベン・ハー」やクレオパトラ(1963年)、グラディエーター(2000年)などで作成された美術小道具や、「甘い生活」におけるマルチェロ・マストロヤンニアニタ・エクバーグの着用した衣装、戦争と平和(1956年)においてオードリー・ヘプバーンが着用した衣装、フェリーニ直筆の絵コンテや資料類などが展示されています。また、ギャング・オブ・ニューヨーク(2002年)と「グラディエーター」などが撮影されたオープン・セットのガイドによる団体見学も行われました。



そんなチネチッタを舞台とした映画とあって、わたしは、ブログ「エンドロールのつづき」ブログ「エンパイア・オブ・ライト」ブログ「フェイブルマンズ」ブログ「オマージュ」などで紹介した一連の「映画のための映画」かなと思って期待したのですが、実際はもっと政治寄りの内容でガッカリしました。フランシス・コッポラ監督の地獄の黙示録(1979年)とか、マーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」(1976年)といった監督名や作品名は出てくるのですが、名前だけで終わりました。もっと突っ込んでほしかった!

 

正直に言って、「チネチッタで会いましょう」はあまり面白い映画ではありませんでしたが、唯一笑ったのが、モレッティ監と交渉するNETFLIXの担当者が、「わが社では世界190カ国で観られます」と何度も繰り返すことでした。モレッティ監督は天下のNETFLIXを完全におちょくっていますが、190カ国の人々が同じ映画を観るというのはやはり偉大なことだと思います。モレッティ監督はなかなかのイケオジなのですが、映画のラストでソ連が崩壊し、「ソ連と決別したイタリア共産党のもと、イタリア国民は幸せに暮らしたのであった」というオチには「おいおい」と思ってしまいました。

 

2024年11月26日  一条真也

秋深い東京へ 

一条真也です。
25日の朝、北九州の気温は13度で晴れでした。わたしは、コートとマフラー着用で北九州空港に向かいました。スターフライヤーに乗って、東京に出張するのです。

北九州空港の前で

本日の北九州空港のようすいつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京出張には、父の死亡叙勲を授与されるために観光庁を訪問するという大事な任務があります。また、社外監査役を務める互助会保証株式会社の監査役会および取締役会への参加、理事長を務める一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団のグリーフケア委員会の会議、経営会議・委員会報告への参加も予定されています。さらには、年末出版予定の『冠婚葬祭文化論』産経新聞出版)の打ち合わせ、宗教学者島薗進先生との対談本『今ここにある宗教~現代日本人の死生観を問う』(仮題、弘文堂)に関する打ち合わせ、芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久先生との対談本『色即是空と冠婚葬祭~日本人と仏教』(仮題、現代書林)に関する打ち合わせ、また、発売されたばかりの拙著心ゆたかな言葉オリーブの木)のプロモーションに関する打ち合わせもあり。なかなかハード・スケジュールです。

機内のようす

機内ではマスクを着けました

 

その後、11時50分発のスターフライヤー80便に搭乗。ブログ「マスクを楽しむ!」で紹介したように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。現在、東京ではコロナも多くなっていますしね。コロナが5類に移行した後も、わたしはマスクを着用しています。第一、大量のカラフル・マスクのストックがありますから、使わないともったいない!(笑)あと、いま、インフルエンザが猛威を奮いつつありますからね!

機内では読書しました

 

機内では、いつものように読書をしました。この日は、『増補版 日本レスリングの物語』柳澤健著(岩波文庫)を読みました。日本のレスリングは柔道とプロレスの異種格闘技から始まりました。多くの妨害と困難に挫けず日本レスリングを創始した八田一朗、笹原正三ら黄金期を支えたスーパースターや天才たち、指導者たち、そして現在、最先端で戦う選手たち。無数のドラマと多様な人間を描ききる「正史」にしてエンターテインメントが本書です(解説を格闘技通で知られる作家の夢枕獏が書いています。想像していたよりもずっと面白い読み物でした。

本日の昼食

 

少し読書をするとランチタイムになったので、昼食を取ることにしました。いつもは羽田空港に着いた後、ラーメンか洋食ランチを食べることが多いのですが、今日は到着時間が遅いのと、羽田に着いたらすぐ行動開始しないと打ち合わせに間に合わないので、事前に秘書が買っておいてくれたコンビニのおにぎりを食べました。紀州南高梅ピリ辛高菜の2個を用意していましたが、高菜おにぎりを1個食べたら、もうお腹がいっぱいになりました。トシを取ると少食になりますが、それに加えて、今夜は日本橋で寿司を食べる予定なので、これぐらいにしておきます。


機内から富士山が見えました

それから、今日のフライトでは久々に「左手に富士山がよく見えます」との機長アナウンスがありました。わたしは三度の飯より富士山が好きで、富士山を見ると「きっと良いことがあるぞ。頑張るぞ!」と思う人間です。でも、今日は機内が満席で、とても自席からゆっくり富士山を見れる環境にはありませんでした。それで、前方のトイレの前まで行って、小窓から富士山を見せてもらいました。スターフライヤーのCAさんたちもみんな顔馴染みで、わたしが富士山好きということを知っているので、気持ちよく協力してくれました。いつも、ありがとう!

羽田空港は晴天で、気温は14度!

羽田空港にて

 

羽田空港には、予定通りに13時20分に到着。北九州は気温13度で晴天でしたが、東京は気温14度の雨でした。それでも暖かかったですね。コートはもちろん、マフラーも持ってきましたが、今日はマフラーは不要だと思いました。それから、わたしは常宿である水天宮のホテルへと向かったのでした。予定はたくさん控えています。さあ、時間をムダにしないで頑張るぞ!

さあ、行動開始です!

 

2024年11月25日 一条真也

「ドリーム・シナリオ」

一条真也です。
24日の日曜日、朝から次回作の校了作業に没頭しましたが、出版社にデータを送った後、夜は観たかったアメリカ映画「ドリーム・シナリオ」を小倉コロナシネマワールドで観ました。前半はなかなか面白かったのですが、後半の展開はありきたりな印象を持ちました。

 

ヤフーの「解説」には、「『ミッドサマー』などの監督を務めたアリ・アスターが製作に名を連ね、『ゴーストライダー』シリーズなどのニコラス・ケイジが他人の夢に現れる主人公を演じるスリラー。何百万もの人の夢に現れて人気者になった大学教授が、夢の中で悪事を働くようになり、現実の世界でも非難を浴びる。監督は『シック・オブ・マイセルフ』などのクリストファー・ボルグリ。共演はリリー・バード、ジュリアンヌ・ニコルソン、ジェシカ・クレメント、マイケル・セラなど」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「平凡な大学教授のポール・マシューズ(ニコラス・ケイジ)は、世界中の何百万人もの夢に一斉に現れて一躍有名人になる。しかし、ポールが人々の夢の中で悪事を働いたことから、現実世界でも嫌われ始め、悪夢のような日々を過ごすことになる」

 

「ドリーム・シナリオ」は人間の心理の不思議さを描いた不条理スリラーで、同じA24が製作したブログ「ボーはおそれている」で紹介したアリ・アスター監督作品に通じる世界観を感じました。日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男性・ボー(ホアキン・フェニックス)は、ある日、直前まで電話で会話していた母親が死んだという知らせを受ける。母親のもとへ向かうべくアパートを出ると、世界は様変わりしていた。現実なのか悪夢なのかも分からないまま、次々に奇妙な出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしか壮大な旅へと変貌していくのでした。「ボーはおそれている」にはフロイト心理学の影響が見られますが、それは「ドリーム・シナリオ」にも共通しています。さらに「ドリーム・シナリオ」では、ユングの説いた「集合的無意識」もテーマになっています。

 

映画「ドリーム・シナリオ」では、主人公のポールが世界中の人々の夢の中に現われて有名になります。誰もが彼のことを知っている状態になったのですが、わたしは1冊の本と1本の映画を連想しました。本は、筒井康隆『おれに関する噂』です。日本を代表するSF作家の1人である筒井が1974年に発表した短編集の中の1編です。主人公は森下ツトムというのですが、ある日、テレビのニュース・アナが、だしぬけに「おれ」のことを喋りはじめます。続いて、新聞が、週刊誌が、おれの噂を書き立てます。なぜ、平凡なサラリーマンであるおれのことを、マスコミはさわぎたてるのか? 黒い笑いと恐怖にみちた作品でした。1991年8月1日放送のフジテレビ世にも奇妙な物語で、萩原流行の主演で映像化されました。

 

もう1つ、ブログ「THIS MAN」で紹介した日本映画も連想しました。夢の中に現れる、眉のつながった男性の都市伝説「THIS MAN」をモチーフに、奇妙な連続変死事件を描いたパニックスリラーです。眉のつながった男性の夢を見たという人たちが次々と変死する事件が発生する中、主人公の周囲に危険が迫ります。ある田舎町で連続変死事件が発生する。被害者には眉のつながった男性の夢を見たという共通点があった。八坂華(出口亜梨沙)は夫の義男(木ノ本嶺浩)と娘の愛と共に幸せに暮らしていたが、彼女の身にも夢の男性の恐怖が近づいてくる。やがて、華は究極の選択を迫られるのでした。

 

「ドリーム・シナリオ」の話に戻します。多くの人々の夢に登場しながらも最初は何も行動しなかったポールですが、次第に暴力やレイプ、殺人などの凶行を繰り返します。それで人々はポールを恐れ、忌み嫌うようになります。レストランで食事もできないし、娘が出演する舞台を鑑賞することもできません。愛車は落書きされるし、街を歩けば暴行を受けます。ポールは「ぼくは何もしていないのに、どうしてみんなから忌み嫌われるんだ?」と絶望しますが、これは世に多くいるであろう、いわれのない誹謗中傷をSNSで受けたり、理不尽な差別を受けている人々のメタファーではないかと思いました。また、有名になることは反作用もあるということも痛感しました。現代の日本では、松本人志やフワちゃんといった芸能人たちが「夢」から「悪夢」への体験者ではないでしょうか。

 

「ドリーム・シナリオ」で主演を務めたニコラス・ケイジですが、最近、 ブログ「ベルリン・天使の詩」で紹介したばかりです。1987年に公開された「ベルリン・天使の詩」のハリウッド版リメイクであるシティ・オブ・エンジェル(1998年)に彼が主演したことを紹介。彼は、第68回アカデミー賞リービング・ラスベガスで主演男優賞を受賞しています。すでに100本以上の映画に出演していますが、一時期は浪費癖からの多額な借金や結婚生活の失敗が重なったことなどもあり、作品を選んでいられない状態だったようです。それだけ多くの映画に出演していれば人々の潜在意識に影響を与え、いろんな人の夢に出てきてもおかしくかもしれません。本作「ドリーム・シナリオ」は第81回ゴールデングローブ賞にノミネートされました。21年ぶりのノミネートだそうで、まだまだ多くの映画に出演しそうですね。

 

それにしても、この映画のニコラス・ケイジはえらく老けていますね。彼はわたしより1歳年下の60歳で、キアヌ・リーブスと同い年、ブラッド・ピットジョニー・デップの1歳下ですが、彼らと比べてもその老けっぷりは際立っています。ある意味、大学教授の役というのは適役だったと思いますが、彼がことあるごとに自分が「教授」であることをアピールするのはダサかったですね。教授だといっても、自著の1冊も出せない状況で、多くの人の夢に出てきて有名になったときも、謎の人気を利用して著書を出版しようと企んでいました。わたしは客員ながらも大学で教鞭も取らせていただいていますし、著書はいくらでも書かせていただける状況なので、恵まれているのかもしれません。素直に神様に感謝したいと思います。

 

 

ネタバレにならないように気をつけて書くと、「ドリーム・シナリオ」には夢を利用して広告を打とうとする集団が現れます。わたしは、かつて広告業界で話題になった『メディア・セックス』(1989年)という本を思い出しました。サブリミナル(潜在意識)という言葉を定着させた本で、その効果が宣伝広告・政治的プロパガンダの面からいかに利用されてきたかを示した内容です。著者のウィルソン・ブライアン・キイは、サブリミナル広告やサブリミナル・メッセージなど、マインドコントロール理論に関する著作を残したアメリカ合衆国の著述家です。『メディア論』(1967年)の著者マーシャル・マクルーハンと親しく、IQ130~148以上の知能をもつ者からなる、世界最大の高IQ団体「メンサ」の会員でもありました。

 

1921年にカリフォルニア州リッチモンドに生まれたキイは、デンバー大学でコミュニケーション論で博士号を取得し、西オンタリオ大学で一時期、ジャーナリズムの講義を担当。著作は幅広く読まれ、とりわけ大学生に支持されて、しばしば大学で講演を行いました。しかし彼の理論は乱暴だとされ、著書の帰結や結論は疑問視されてきました。現在では、キイのサブリミナル理論は「トンデモ」扱いされていますが、グーグルやメタ、アップルといったIT先端企業がマインドフルネスを取り入れている現在、マインドフルネスの原点である瞑想とバーチャル・リアリティ(VR)の技術が合体すれば、トンデモ扱いされたキイの理論も現実味を帯びてくるかもしれませんね。「ドリーム・シナリオ」を観て、そんなことを思いました。

 

2024年11月25日  一条真也

サンレー杯「囲碁祭り」

一条真也です。
24日の日曜日、JR小倉駅前にある西日本総合展示場で、恒例の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」が盛大に開催。いつもは来賓として参加するわたしですが、今日は日中に大事な用事があって参加できませんでした。

サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」のポスター

大会パンフレットの表紙(左)と裏表紙(右)

大会パンフレットを開くと・・・

会場の西日本総合展示場の前で(昨年)


賑わう受付


サンレー抽選会ブースが登場!


対戦表をチェックする参加者

 

サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」は、わが社が長年企画を温めていたビッグイベントです。念願かなって、ついに2020年から初めて開催されました。1チーム5名の団体戦、4回戦、ハンディ戦、各自持時間40分で行われます。参加人員は46チーム、230名(20級以上の方で19路盤で碁が打てる方)によって勝敗が競われます。昨年が41チームの205名、一昨年が28チームの140名でしたので、大変な躍進です。しかも、参加希望チームが多過ぎて4チーム20名の方々が涙を飲んだそうです。これまで北九州の囲碁イベントはゼンリンやTOTOといった企業が冠イベントを開催してきた歴史がありますが、紆余曲折を経て、わが サンレー囲碁大会の顔になることができ、感無量です。

控室で、木谷三段&武宮六段と(昨年)

プロ棋士囲碁談義(昨年)

 

わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いたグランドカルチャー(老福文化)であると思っているのですが、以前そのことをお話しすると、SUNRAYを意味する陽光という名前の武宮六段は、「まさに、そうだと思います。将棋に比べて、囲碁は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれませんね」と言われました。将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)白黒をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技だというのです。素敵ですね!

開会式のようす


主催者挨拶をするサンレーの岸取締役

挨拶する武宮六段

挨拶する木谷三段


ルール説明のようす

 

開会式では、欠席したわたしに代わってサンレーの岸取締役が主催者挨拶を務めました。次に登壇した武宮六段が「まずは、大会の開催に大変なご尽力をいただきました株式会社サンレー様に感謝申し上げます」と言われました。武宮六段いわく、「ちょうどコロナの真っ最中の2020年にサンレー様が支援をお決め下さいました。あのとき、日本中の囲碁大会が中止になったのですが、日本でも唯一、この大会だけが一度も途切れずに存続することができました。まさに、奇跡の大会です! 本当に心より感謝しております」と言われました。その後、木谷三段が登壇されて、「北九州に来るのは2回目ですが、お酒が強い方が多いですね。囲碁も強いことを期待します!」との挨拶がありました。その後、ルール説明が行われました。

対局がスタート!

熱戦が繰り広げられました!

熱戦が繰り広げられました!


武宮六段も参戦!


木谷三段も参戦!

少年棋士も参戦!

 

10時20分から競技が開始されました。広い会場内の各所で熱戦が繰り広げられました。プロ棋士の方々も参戦されましたが、その対局には人だかりが出来ていました。チビッ子たちも多かったですが、わたしはブログ「ファヒム パリが見た夢」で紹介した実在のチェスの天才少年を描いたフランス映画を思い出しました。


優勝した「碁レンジャー」チーム


優勝チームの表彰

武宮六段による総評


木谷三段による総評

挨拶するサンレーの山下常務

こども棋士には参加賞が!

今年の優勝チームは「碁レンジャー」でした。参加者230名中、子ども棋士(中学生以下)が30名いました。こうして、この日の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」は、大盛況のうちに幕を閉じました。わが社は、今後とも囲碁という素晴らしい日本の伝統文化を少しでも広められるように、また、みなさまが心ゆたかな生活を送ることができるよう微力ながらお手伝いを続けたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。 

 

6歳から93歳までの参加者が集まった今年の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」も、参加者のみなさまの碁縁を育み、ウェルビーイングにも確実に寄与していると信じます。詳しくは、拙著ウェルビーイング?オリーブの木)をお読み下さい。最後に、ご参加の皆様、プロ棋士の先生方をはじめ、関係各位の皆様に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました!

ウェルビーイング?』(オリーブの木

 

2024年11月24日 一条真也

「海の沈黙」

一条真也です。
東京から北九州へ戻った翌日となる23日、シネプレックス小倉で日本映画「海の沈黙」を観ました。倉本聰が原作・脚本を務めただけあって、ひたすら重く暗い作品でしたが、豪華俳優陣の熱演で名作に仕上がっていました。

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『駅 STATION』、ドラマ『北の国から』シリーズなどで知られる倉本聰が原作・脚本を務めた人間ドラマ。倉本が長年にわたって構想してきたモチーフだという美術品の贋作をテーマに、真の美を追い続ける孤高の天才画家の知られざる過去や愛を描く。メガホンを取ったのは『Fukushima 50』などの若松節朗。『おくりびと』などの本木雅弘が主人公を演じ、『食べる女』などの小泉今日子、『大河への道』などの中井貴一のほか、清水美砂仲村トオル、菅野恵、石坂浩二らが共演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「世界的な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会で贋作事件が起こり、報道が加熱する中、北海道・小樽で女性の死体が発見される。やがて二つの事件の間に浮上した人物は、かつて天才画家ともてはやされるも、ある事件を機に表舞台から姿を消した津山竜次(本木雅弘)だった。一方、彼の元恋人で現在は修三の妻である安奈(小泉今日子)は小樽を訪れ、二度と相まみえることはないと思っていた竜次と再会する」

 

映画「海の沈黙」のキャッチコピーは、「倉本聰が描く至高の愛、至高の美」です。「前略おふくろ様」「北の国から」「やすらぎの郷」などの巨匠・倉本聰が長年構想し、「どうしても書いておきたかった」と語る渾身の物語の映画化です。人々の前から姿を消した天才画家が秘めてきた想い、美と芸術への執念、そして忘れられない過去が明らかになる時、至高の美と愛の全貌がキャンバスに描きだされます。撮影は多くの倉本作品の舞台になっている北海道でも行われ、小樽でのロケ撮影を敢行。運河の美しい風景が重厚な物語を彩ります。

 

映画「海の沈黙」では孤高の画家・津山竜次を本木雅弘が演じますが、なかなか画面に登場しません。上映開始からじつに1時間近く経ってから、ようやく老いさらばえた本木雅弘の姿がスクリーンに映ります。その髪型といい、痩せこけた頬の感じといい、眼鏡のデザインといい、ブログ「知の巨人・松岡正剛、逝く」で紹介した今年8月に逝去した著述家の松岡正剛氏によく似ていました。そんな津山竜次の元恋人を小泉今日子、津山の秘書を中井貴一、画壇の大御所を石坂浩二、美術館の館長を仲村トオル、謎の刺青女性を清水美砂が演じ、豪華キャストが集結しました。

 

倉本聰氏は現在、89歳。9月20日に満88歳で亡くなった父と同年齢だと知り、倉本氏に対して親しみが涌きました。それにしても、36年ぶりの新作映画とは凄いですね! ミステリアスな脚本もいいですが、この映画の最大の魅力は豪華俳優陣の共演です。中でも、元シブがき隊の本木雅弘小泉今日子という“花の82年組”同期コンビが32年ぶりに共演したことでしょう。共に端正な顔だちで、スクリーン映えします。また、単なる美男美女というだけでなく、互いに映画や演技に対する考えも確立されており、日本映画界の中でも稀有な存在感を放っています。

 

天才画家を演じる本木のもとには倉本氏から脚本に書かれていない人物背景がA4の紙で11枚送られてきたそうです。演じるにあたり、絵画監修をした岩手県二戸市の画家・高田啓介氏を訪ねたとか。本木は、「油絵1つ、描いたことがないんです。書道はやっていたのですが(片岡)鶴太郎さん、緒形拳さんのような独自の世界を作れるほどの技量じゃない。覚えた形を整えていくので絵とも全く違う。それで山奥のアトリエにお邪魔して初めて油絵を描いた。面白かったのは、自分は常に体裁、与えられた役割で正しいのはこの辺かなと考え、居場所とか表現を決めていくところがある。自分で思い付くまま、思いのままにやることに慣れていないんですよ」と語っています。

 

本木雅弘といえば、ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画史に燦然と輝く2008年の主演作が思い浮かびます。ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた感動作です。楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つけます。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されますが、業務内容は遺体を棺に収める仕事でした。当初は戸惑っていた大悟でしたが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしてゆきます。「おくりびと」は、「死」という万人に普遍的なテーマを通して、家族の愛、友情、仕事への想いなどを直視した名作です。

 

しかし、わたしが「おくりびと」で最も興味深く感じたのは、納棺師になる前の主人公の仕事がチェロ奏者という音楽家であった点でした。チェロ奏者とは音楽家であり、すなわち、芸術家です。芸術の本質とは、人間の魂を天国に導くものだとされます。素晴らしい芸術作品に触れ心が感動したとき、人間の魂は一瞬だけ天国に飛びます。絵画や彫刻などは間接芸術であり、音楽こそが直接芸術だと主張したのは、かのベートーヴェンでした。すなわち、芸術とは天国への送魂術なのです。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)の「芸術論」にも書きましたが、わたしは、葬儀こそは芸術そのものだと考えています。なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」にほかならないからです。人間の魂を天国に導く芸術の本質そのものなのです。


 

おくりびと」で描かれた納棺師という存在は、真の意味での芸術家です。そして、送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりえるのです。「遊び」には芸術本来の意味がありますが、古代の日本には「遊部(あそびべ)」という職業集団がいました。これは天皇の葬儀に携わる人々でした。やはり、「遊び」と「芸術」と「葬儀」は分かちがたく結びついているのです。「おくりびと」は、葬儀が人間の魂を天国に送る「送儀」であることを宣言した作品です。人間の魂を天国に導くという芸術の本質を実現する「おくりびと」。送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりうることを「おくりびと」は示してくれました。



おくりびと」の主人公の大悟はチェロ奏者という芸術家でしたが、「海の沈黙」の竜次は画家です。彼は世界的な画家・田村修三の作品「落日」の贋作の作者とされましたが、他にもゴッホ、モネ、さらにはダヴィンチの作品まで精巧に、ある意味でオリジナル以上の傑作に仕上げていたのです。不遇な人生を歩んだ末に末期がんに冒された竜次は、「美とは何だ? 誰が描いたかということで作品の評価が変わるなら、それは美への冒瀆ではないか。本来の美とは、値段とか権力などとは無縁のはずだ」と語ります。そう、この映画のメインテーマは「美とは何か」です。その意味で、ブログ「ブルーピリオド」ブログ「まる」で紹介した美術をテーマにした一連の日本映画にも通じていると思いました。最近、このジャンルが人気ですね。

 

2024年11月24日 一条真也

「ベルリン・天使の詩」

一条真也です。
21日の夜、TOHOシネマズシャンテでリバイバル上映されたフランス・西ドイツ映画ベルリン・天使の詩の4Kレストア版を観ました。これまでに2回ほど観た作品でしたが、今回はいろいろと新しい発見がありました。

 

映画.comの「解説」には、「『パリ、テキサス』のヴィム・ベンダース監督が10年ぶりに祖国ドイツでメガホンをとり、1987年・第40回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した傑作ファンタジー。壁崩壊前のベルリンを舞台に、人間に恋してしまった天使の運命を、美しく詩的な映像でつづる。人間たちの心の声を聞き、彼らの苦悩に寄り添う天使ダミエルは、サーカスの空中ブランコで舞う女性マリオンに出会う。ダミエルは孤独を抱える彼女に強くひかれ、天界から人間界に降りることを決意する。ブルーノ・ガンツが主演を務め、テレビドラマ『刑事コロンボ』のピーター・フォークが本人役で出演。脚本には後にノーベル文学賞を受賞する作家ペーター・ハントケが参加した。1993年には続編『時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!』が製作された」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、「天使ダミエルの耳には、様々な人々の心の呟きが飛び込んでくる。フラリと下界に降りて世界をめぐる彼は、空中ブランコを練習中のマリオンを見そめる。彼女の“愛したい”という呟きにどぎまぎするダミエル・・・・・・。マリオン一座は今宵の公演を最後に解散を決めた。ライブ・ハウスで踊る彼女にそっと触れるダミエル。人間に恋すると天使は死ぬというのに・・・・・・。そこへ、撮影のためベルリンを訪れていたP・フォーク(本人役で出演)が、見えない彼にしきりに語りかける。彼もかつては天使だったのだ・・・・・・」となっています。

 

映画評論家の町山智浩氏の解説動画で知ったのですが、この映画の撮影に入る前に、ヴィム・ベンダース監督は出演者たちに覚書を渡しました。そこには、この映画がドイツの詩人リルケの代表作『ドゥイノの悲歌』(1922年)の世界観に基づくと書かれていたとか。『ドゥイノの悲歌』は人間の無力さやはかなさと現世社会の皮相さに対する嗟嘆のトーンで貫かれています。十全な存在である「天使」(リルケはこの天使がカトリックの天使とは無関係であることに注意を促しています)や英雄、動物や草木の見せるさまざまな兆し、青年の恋愛、市井の営みや死といったさまざまな事物との多様な連関の中で人間存在の運命をとらえ、緊密で象徴的な語法によって歌い上げています。最後は、有限性を持つ人間存在への希望を見出します。



すなわち、天上の存在である天使が、人間として地上で生きることは偉大であるというのです。完全なる存在である天使が、不完全な存在である人間に憧れる。「永遠」に生きる天使ではなく、人間として「今この一瞬」を味わいたいというわけです。今回、この名作を観直してみて、この「地上で生きることは偉大である」というリルケの思想に触れ、わたしは非常に感動しました。というのも、人間として生きることは確かに辛く大変なことが多いですが、そんな人生そのものを肯定する営みが七五三、成人式、結婚式、長寿祝い、葬儀といった冠婚葬祭であると思います。冠婚葬祭とは、地上で生きる人間への応援歌なのです。


「ハートライフ」

 

ブログ「祝日」にも書きましたが、天使の本質は「天国からの使い」です。わたしは、この地上と天国に通路が開けるのは結婚式と葬儀のときではないかと考えています。花はもともと天国に咲いているものだと思います。そうでないと、花の美しさを理解することができません。花はこの世のものにしては美し過ぎます。その美しさの一部がこの世に表出しているのでしょう。だからこそ、天国をダイレクトに表現する結婚式と葬儀では「天国のメディア」である花をふんだんに飾るのでしょう。1995年(平成7年)、わが社は「天使でありたい」というCMキャンペーンを展開しました。結婚式のスタッフは「紅の天使」、葬儀のスタッフは「紫の天使」として打ち出したのです。そこで、結婚は「結魂」、葬儀は「送魂」と定義しました。

「ハートライフ」1995年12月1日号より

結局、天使とは「魂のケア」をする存在なのです。そのときの「紫の天使」のモデルは、現在わが社の専務である東孝則さんでした。わが サンレーには、30年前から天使がいたのです! 考えてみれば、悲しみや苦しみの中にある人が求めている「天使」とは、現在でいえば「グリーフケア士」のことではないでしょうか。そうであれば、すでに1000人以上誕生したグリーフケア士たちは背中の羽をもっと大きく育てて、1人でも多くの悲しみの中にいる人達の元へ向かってほしいと思います。また、全国に32名しかいない上級グリーフケア士は天使の中の天使、すなわち大天使かもしれませんね。

 

映画「ベルリン・天使の詩」には、詩人リルケだけでなく、ドイツの文芸批評家ヴァルター・ベンヤミンの思想、特に彼の著書『歴史哲学テーゼ』の内容が色濃く反映されています。ベンヤミンは、ベルリンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、幸福な少年時代を送りました。エッセイのスタイルで書いた彼の文章には、自由闊達なエスプリの豊かさと文化史、精神史に通暁した思索の深さがあります。彼は1940年に亡くなりましたが、20、21世紀の都市と人々の有り様を冷徹に予見したような分析で知られます。「ベルリン・天使の詩」に登場する“人類の語り部”としての老人は、ベンヤミンがモデルとされています。また、老人が調べ物をするベルリンの図書館は、ベンヤミンが仕事場としたパリ図書館をイメージしたようです。

 

ベルリン・天使の詩」の主人公である天使ダミエルの耳には、さまざまな人々の心の呟きが飛び込んできます。ふらりと下界に降りて世界をめぐる彼は、空中ブランコを練習中のマリオンを見そめます。彼女の「愛したい」という呟きにどぎまぎするダミエル。マリオン一座は今宵の公演を最後に解散を決めました。ライブハウスで踊る彼女にそっと触れるダミエル。人間に恋すると天使は死ぬというのに・・・・・・。ダミエルは人間から姿が見えません。ですから、マリオンの部屋にも平気で入っていけます。目に見えませんから、ダミエルの目の前でマリオンは着替えたりします。世の助平な男性たちにはたまらない憧れのシーンでしょうが、天使であるダミエルにはそんな劣情はなかったはずです。たぶん。

 

ダミエルがマリオンに恋をした瞬間、モノクロだった画面がカラーに一変するのですが、ラスト近くでダミエルとマリオンが地上でようやく会うことができ、愛を確かめ合うという感動的なシーンが登場します。ここは全編カラーなのですが、わたしの大好きなシーンです。まさに「地上に在る」ことの醍醐味だと言えるでしょう。「ベルリン・天使の詩」は、もともとヴェンダース監督の次回作として予定されていた「夢の涯てまでも」(1991年)の撮影開始が遅れることになり、その間を埋めるため、ドイツ語でドイツの街ベルリンで撮影することを条件に作られた作品です。ヴェンダース監督はベルリンの街をロケハンするうちに、街のあちこちに天使の意匠があることを発見し、好きだった画家のパウル・クレーの天使のイメージとそれが重なり、天使を主人公とした映画というアイデアに結びついたそうです。その結果、名作が生まれました。

 

ベルリン・天使の詩」には、「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」(1993年)という続編が作られました。第46回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞しています。天使カシエルは友人のダミエルが人間になって下界に下った後、ひとりで毎日ぼんやりと東西統一後のベルリンの街を見下ろしていました。やがてカシエルは、自分もダミエルと同じように人間になりたいと思い始めます。そんなある日、カシエルはアパートのバルコニーから誤って転落した少女を助けたことで、望みがかない人間になりました。しかし、カシエルはやがて人間界の様々な悪徳を知り、苦悩するようになります。そして、堕天使エミットに誘惑され、商社社長のヤクザまがいの悪行に手を染めるようになってしまうのでした。

 

映画史に残る名作である「ベルリン・天使の詩」は、ハリウッドでリメイクもされました。シティ・オブ・エンジェル(1998年)です。天使のセス(ニコラス・ケイジ)は死者の魂を天国に導く役目を担っていました。そんな彼は、ある日医者のマギー(メグ・ライアン)に出会い、恋に落ちてしまいます。しかし、天使である彼は、色を感じる視覚、臭覚、味覚、触覚などの感覚が備わっていないため、彼女を抱きしめることも出来ません。思い悩んだ末、永遠の命を犠牲にして天使から人間になることを決意します。人間になったセスの体からは血が流れ、マギーと愛を交わす仲になっていくのでした。「ベルリン・天使の詩」ではラブストーリーの要素は全体の三分の一くらいなのですが、この「シティ・オブ・エンジェル」は完全にラブストーリー映画として作られていました。



ベルリン・天使の詩」は反ナチス映画の側面がありますが、同作に主演したブルーノ・ガンツですが、2007年のドイツ・オーストリア・イタリア映画ヒトラー~最期の12日間~」アドルフ・ヒトラーを演じました。1945年4月のベルリン市街戦を背景に、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの総統地下壕における最期の日々を描いた作品です。混乱の中で国防軍の軍人やSS(親衛隊)の隊員が迎える終末や、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇、老若男女を問わず戦火に巻き込まれるベルリン市民の姿にも焦点が置かれています。



ヨアヒム・フェストによる同名の研究書、およびヒトラーの個人秘書官を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった(英語版)』を土台として生まれた作品です。撮影はベルリン、ミュンヘンおよび当時のベルリンに近い雰囲気を持つロシアのサンクトペテルブルクで行われました。ベルリンに降り立った天使とアドルフ・ヒトラーを共に演じた名優ブルーノ・ガンツは2019年2月16日に77歳で亡くなりました。

 

 

2024年11月23日  一条真也