一条真也です。
25日の父・佐久間進の通夜式、26日の告別式には、駐日ミャンマー大使および「世界平和パゴダ」のミャンマー僧の方々にご弔問・ご参列いただきました。
父の葬儀に参列したミャンマー大使と僧侶たち
世界平和パゴダは北九州市門司区の和布刈公園にある国内唯一のミャンマー式寺院であり、父はその奉賛会の会長として、日本遺産や国登録文化財に尽力しました。世界平和パゴダは第二次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。その目的は「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」です。
世界平和パゴダが日本遺産に登録されたときに作成された紹介動画の4分15秒には、世界平和パゴダ奉賛会の佐久間進会長( サンレーグループ会長)が登場して、パゴダへの熱い想いを込めたメッセージを述べています。
ミャンマー政府からのお悔やみの手紙
父の通夜式の送賓の際に駐日ミャンマー大使から渡された手紙は、ミャンマー連邦共和国政府 宗教・文化省のNay Pyi Taw氏からの「お悔やみの手紙」で、以下のように書かれていました。
「残念ながら、御社名誉会長であり、 世界平和パゴダの元理事の佐久間進氏(享年88)が、2024年9月20日金曜日に亡くなりました。世界平和パゴダは日本での上座仏教の普及、世界平和の持続、また第二次世界大戦中にミャンマーで戦死した日本兵への慰霊のために建てられました。そして、佐久間進元会長のリーダーシップの下、理事会の多大な努力のおかげで、2019年に『宗教法人 世界平和パゴダ』が国の登録有形文化財に選出されました」
それから、手紙には以下のように書かれていました。
「佐久間進氏は、損傷した 世界平和パゴダを常に修復し、 世界平和パゴダとミャンマーの修道院での持続的な活動により、日本における上座仏教の教えや宗教的儀式の布教に尽力いただきました。佐久間進氏のご逝去に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。佐久間氏のご逝去は世界平和パゴダとミャンマーの修道院の持続的な保全のためだけでなく、上座仏教の布教の点においても大きな損失でございます。私達は、ミャンマー連邦共和国政府、宗教省文化省、そして全てのミャンマー国民を代表して深く追悼の意を表します。深い哀悼の意を込めて
宗教・文化省 労働組合大臣 Tin Oo Lwin」
大僧正お別れの会で父と
ブログ「大僧正のお別れ会」で紹介したように、2011年、世界平和パゴダの大僧正であったウ・ケミンダ師が89歳で亡くなられました。ケミンダ師の死後、パゴダに隣接していた僧院が老朽化のため閉鎖。ミャンマーから派遣されていた2人の僧も帰国されました。わたしは「世界平和」のモニュメントとしての世界平和パゴダを閉鎖させたままではいけないと思いました。それは、はるばるミャンマーから異国の地へやってきて上座部仏教の僧として「ブッダの考え方」を伝えてくれたウ・ケミンダ大僧正への「礼」を欠くことになるからです。また、北九州市民、いや日本人としても恥ずかしいと思いました。なんとか、わが社としましても、この素晴らしい 世界平和パゴダの再開に向けて全力を尽くしたいと思います。それで当時はサンレー会長であった父に相談し、ウ・ケミンダ大僧正の「お別れ会」に参列。パゴダへの支援を決意しました。
ミャンマー大使館の前で、父と
その後、ブログ「ミャンマー大使館」で紹介したように、2012年8月25日、父と一緒に、東京都品川区北品川4丁目にあるミャンマー大使館を訪れました。ここで、ミャンマーのキン・マゥン・ティン大使にお会いし、パゴダ支援の意思をお伝えしました。ミャンマーは上座仏教の国です。上座仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れています。ブログ「平和のために」に書いたように、わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国であると思いました。そのことを大使にもお伝えし、「天下布礼」というわが社の志をお話しました。大使は、「それはブッダの御心にかなっている」と言われました。
そして、ブログ「世界平和パゴダ再開記念パーティー」で紹介したように、2013年4月にミャンマーからウ・ヴィマラ長老とウ・ケンミェンタラ僧が来日され、世界平和パゴダは再開しました。23日に松柏園ホテルで開催された再開披露パーティーでは、最初に主催者を代表して、宗教法人 世界平和パゴダ責任役人(当時)であった父が挨拶し、これまでの経緯などを説明しました。続いて、2人のミャンマー僧侶が紹介されました。その後、多くの来賓の方々を代表して北九州市の北橋健治市長(当時)の挨拶がありました。北橋市長は、日本映画「ビルマの竪琴」を2回観られ、感動されたそうです。「日本とミャンマーの友好のためにも、パゴダ再開は市としても大変喜ばしいことであり、これからも全力で応援させていただきます」と述べられました。続いて宗教法人世界平和パゴダ顧問で第一交通産業の黒土始会長(当時、故人)が壇上に立ち、「わが社はいち早くミャンマーに進出しました。パゴダの存続のための協力は惜しみません」と述べられ、黒土会長の音頭で乾杯となりました。なつかしい思い出です。
世界平和パゴダの前で父と
思えば、世界平和パゴダ再開をはじめ、父とはさまざまなプロジェクトに一緒に挑戦してきました。わが社の代名詞となった「隣人祭り」や「笑いの会」などの活動もそうですし、月にお墓をつくるという「ムーン・ハートピア・プロジェクト」も最初の賛同者は父でしたし、約20年前に誰も知らなかったグリーフケアの活動に理解を示し、「月あかりの会」の設立を応援してくれたのも父でした。ときには反発したこともありました。“霊界の宣伝マン”と呼ばれた俳優の故・丹波哲郎さんは、わたしたち父子のことを「あなたたち親子は前世で友人というか、同志だったんだよ。それが今世では父と子に生まれ変わったわけだから、子であるあなたは『偉そうにしやがって』と腹を立てることもあるが、根っこでは目指すところが同じなんだよ」と言って下さったことを思い出します。父がいなくなって、本当に寂しくなりました。今夜は、父のことを思い出しながら、お酒を飲みたいと思います。
2024年9月27日 一条真也拝