庸軒ごよみ2024

一条真也です。
11月18日は、サンレー創立記念日です。
会場の都合で式典は前日の17日に開催しましたが、引き出物として、2024年(令和6年)度の「庸軒ごよみ」を参加者に配布いたしました。

2024年版ができました!

 

「庸軒ごよみ」は、わたしが「庸軒」の雅号で詠んだ短歌を掲載したカレンダーです。1年が過ぎるのは早いもので、もうカレンダーの季節なのですね。「庸軒ごよみ」の誕生のきっかけは、2006年の サンレー創立40周年にあたり、記念に作成し、各方面にお配りしたことです。すると、嬉しいことに、予想を超える高い評価を賜りました。さらには、「また作ってほしい」との要望をたくさん頂戴しましたので、翌年からも作ることにした次第です。ブログ「サンレー創立57周年の記念祝賀式典」で紹介したセレモニーの終了後、このカレンダーを紅白饅頭と一緒に全社員に配りました。また、互助会の会員様や弊社施設のお客様などで希望者があれば、できるだけお渡しするようにしています。

「庸軒ごよみ2024」1月〜3月

「庸軒ごよみ2024」4月〜6月

「庸軒ごよみ2024」7月〜9月

「庸軒ごよみ2024」10月〜12月

 

このカレンダーには、わたしが詠んだ12首の短歌が掲載されています。いずれも、石田梅岩の「心学」で盛んだった“道歌”を意識して詠んだもです。「無縁社会」を吹き飛ばし、「有縁社会」そして「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティの到来を呼び込むための言霊を集めました。表紙には、「日の本のよき人々を美しくする人々の心うつくし」という道歌が書かれています。月毎の12首の道歌は、以下のとおりです。

1月(睦月)

有終の美を飾らんと生くるなら
怖れなどなく生は修むる

 

2月(如月)

人はみな神話と儀礼求めつつ
心ゆたかに生くるものなり               

 

3月(弥生)

つらくとも別れの時は笑顔見せ
さよなら三角また来て四角

 

4月(卯月)

手をつなぎ人の輪つくり和をつくり
声をあげれば福ぞ来たれり

 

5月(皐月)

自らの幸せ求め他人への
思ひ忘れず心ゆたかに

 

6月(水無月

幸せを求む心の明るさと
思ひやり合ふ心結ばん

 

7月(文月)

その土地の放つ光を観るごとく
人の光も観たきものなり 

 

8月(葉月)

亡き人を忘れぬ祭り残すべし
これより盆はリメンバーフェス

 

9月(長月)

世も末とはかなむ前に心せよ
義を見てせざるは勇なきなりと

                        

10月(神無月)

この世をば続けるための助け合ひ
礼の社の出番が来たり

 

11月(霜月)

悲しみの闇に光が射するとき
むすびの力あらはれいでり

 

12月(師走)

神の子のミサに集ひし人びとの
帰天の世話もわれら務めん

 

「庸軒ごよみ2023」プレゼント

 

このカレンダーには、「月齢」および「六輝」も入っています。また、スケジュールなどの記入も自由に出来る仕様になっています。わたしの短歌の出来は別にしても、「なかなか使いやすい」と好評です。今回も、わたしのオフィシャルサイト「ハートフルムーン」で、プレゼントのご案内を開始しました。数に限りがございますので、ご希望の方は、お早めにお申し込み下さい。

 

2023年11月17日 一条真也

サンレー創立57周年記念式典 

一条真也です。
11月17日、小倉の気温は11度で寒かったです。でも、わたしの心は燃えていました。この日、松柏園ホテルサンレー創立57周年記念式典が開かれたからです。

神事の最初は一同拝礼!

神事のようす


神事はノーマスクで参加


玉串奉奠で拝礼


東専務に合わせて拝礼

神事の最後は一同拝礼!

 

この日の朝から松柏園ホテルの神殿で神事が行われました。ここ数年はコロナ後のニューノーマル仕様で、コロナ以前よりも人数を減らしてソーシャルディスタンスに配慮した神事を行ってきました。今年はようやくコロナが落ち着きましたので、インフルエンザが流行しているものの、マスクを外しました。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さいました。わたしは玉串奉奠を行い、会社の発展と社員のみなさんとそのご家族の健康を祈念しました。

入場のようす


さあ、これから本番です!

勇壮なふれ太鼓

最初は、もちろん一同礼!

第一社歌「愛の輪」斉唱のようす

S2M宣言」唱和のようす

 

コロナ前は500名を超える社員が参加しましたが、3年前の創立54周年記念式典からは人数を制限して、「創立記念式典」が開催しました。また、新館ヴィラルーチェに第二会場も用意しました。今年は会場は1つのみでしたが、人数は400名以内としました。最初に、社長のわたしが会場に入場しました。今年初めて、佐久間進会長が参加せず1人だけの入場となりました。まず、小倉紫雲閣の緒方支配人による「ふれ太鼓」で幕を明け、総務部長の石田取締役による「開会の辞」に続いて全員でマスクを着けたまま社歌を斉唱し、それから福岡営業所の武富所長によって「経営理念」「S2M宣言」が読み上げられ、これも全員で唱和しました。

マスク姿で登壇しました


今年も西陣織のマスクです

続いて、わたしの「社長訓示」の時間です。創立記念式典ということで、西陣織のシルクの祝賀用マスクをつけたまま登壇したわたしは、以下のような内容の話をしました。無事に57周年を迎えることができて、大変嬉しく思います。これも日々、各部署で頑張って下さっているみなさんのおかげです。本当に、ありがとうございます。コロナもようやく落ち着いてきましたが、今後どのようなパンデミックが訪れようとも、わたしたちは、人間の「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、冠婚葬祭を守っていかなければなりません。コロナ禍の中で、わたしは冠婚葬祭業という礼業が社会に必要な仕事であり、時代がどんなに変化しようとも不滅の仕事であることを確信しました。

西陣織マスクを外しました

サンレーの時代」が来た!

 

創立57年周年を迎えたわが社ですが、このまま行けば、過去最高の業績で終えることができそうです。コロナ禍でさんざん苦しんできた冠婚葬祭業ですが、今年に入ってから大爆発。新年からいきなりロケットスタートを切ることに成功しました。互助会業界全体が好調のようですが、その中でも注目されているのが、わがサンレーです。いま、「サンレーの時代」であると痛感します。8月22日、ホテルベルクラシック東京で、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の創立50周年記念行事が行われました。理事会の後、「互助会業界将来ビジョン報告会」を開催。互助会業界の若手経営者たちが苦心して作成した将来ビジョンは多くの示唆に富んでいました。


互助会の将来ビジョンについて

 

将来ビジョンの最後は、「即ち、『将来に向けて業界が目指すべき姿』は『生まれてから亡くなるまでの一人ひとりの暮らしがよりウェルビーイングなものになるように〔健康〕〔交流〕〔助け合い〕を軸として、個々の会員としての関係を深め、会員同士のつながりを広げることで〔心ゆたかな社会=ハートフル・ソサエティ〕を実現していくことにある』といえる。まさに将来ビジョンとして、業界が掲げるべきは『冠婚葬祭産業からウェルビーイング推進産業への昇華』であり、その事業活動を通じて、『感動』や『感謝』、『思いやり』に溢れる社会『ハートフル・ソサエティ』の実現に貢献していくことが求められていると考えている。」として、【一人ひとりにウェルビーイングな暮らしを届ける】とまとめられていました。

ウェルビーイング」が時代のキーワードに


熱心に聴く人びと

 

これを知り、わたしは非常に感動しました。互助会業界全体のビジョンに「心ゆたかな社会」「ハートフル・ソサエティ」「ウェルビーイング」が入ったからです。これはサンレー思想そのものなのです。「ウェルビーイング」が時代のキーワードになっていますが、その定義は「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。わが社の佐久間進会長はまだ誰も注目していない40年前に、わが社の経営理念として、また社会理念として「ウェルビーイング」を掲げていました。創立20周年のバッジにも、社内報にも「ウェルビーイング!」の文字が踊っています。本当に驚くべきことです。現在、「ウェルビーイング」は、「SDGs」の次に来る人間の本質的な幸福を目指すコンセプトとしてクローズアップされています。


「コンパッション」が不可欠!

 

そして、その次に注目されるであろうキーワードが「コンパッション」です。直訳すれば「思いやり」ということになりますが、キリスト教の「隣人愛」、儒教の「仁」、仏教の「慈悲」など、人類がこれまで心の支えにしてきた思想にも通じます。これは サンレーが提供するケアやサービスに必要不可欠なものです。真の思いやりをもったケアやサービスは、必ずお客様を笑顔にしていきます。そして、笑顔となったお客様は当然、幸せな気持ちになります。同時にお客様を笑顔にすることができた社員自身も幸せを享受することができると思います。幸せの場である婚礼のシーンではもちろんのこと、ご葬儀においても「大切なあの人をきちんとお見送りすることができた」と、笑顔になり、スタッフへ感謝の言葉をかけてくださるご遺族が多くいらっしゃいます。


「コンパッション」から「ウェルビーイング」へ

 

婚礼においても、ご葬儀においても、セレモニーが終わればすべて終わり。というわけではありません。婚礼においては、夫婦としての幸せな結婚生活が続いていきます。時には、ケンカしたり上手くいかないこともあるでしょう。こうした時に、思い出されるのは、結婚式や披露宴のシーンではないでしょうか。神様の前で愛を誓い、親族をはじめ、たくさんのお友だちや会社の方々に祝福された“あの時”を思い出し、「自分が悪かった。仲直りしよう」とか「あの時の気持ちを思い出して2人でこれからも歩んでいこう」など、お互いに思いやりを持って歩み寄ることができます。そうすれば、きっと仲直りをすることができ、2人の間には持続的幸福が続いていくことでしょう。

グリーフケアのリーディング・カンパニーに!

熱心に聴く人びと

 

一方、ご葬儀においては、「故人を故人らしく、しっかりとお見送りできた」このこと自体が持続的な幸福につながってきます。なぜならば、ご葬儀をすること自体がグリーフケアの側面をもっているからです。加えて、サンレーでは、グリーフケア士によるご遺族の悲嘆ケアにも注力しています。グリーフケアでは、業界最多のグリーフケア士、上級グリーフケア士を有しています。また、ご遺族の会である「月あかりの会」や、同じ悲嘆をもつ自助グループ「うさぎの会」など様々な角度から、持続的な心の安定(幸福)をサポートさせていただいています。それらの活動は、12月1日公開のドキュメンタリー映画グリーフケアの時代に」で紹介されています。同作にはわたしも出演しています。さらに、拙著愛する人を亡くした人へ(現代書林)を原案とする映画君の忘れ方が製作され、2025年正月映画として公開されます。主演は坂東龍汰さん、ヒロインは西野七瀬さんです!

「CSHW」の実践を!

 

わが社は、「CSHW」の実践を目指しています。これは、Compassion(思いやり)⇒Smile(笑顔)⇒Happy(幸せ)⇒Well-being(持続的幸福)と進んでいくサイクルです。そして、Well-being(持続的幸福)を感じている人は、Compassion(思いやり)をまわりの人に提供・拡大していくことができます。これが「CSHW」のハートフル・サイクルです。すなわち、ハートフル・サイクルはそこで回り続けるのではなく、周囲を巻き込みながら拡大し「思いやり」を社会に拡散をしていくサイクルなのです。

最後に道歌を披露しました

おもいやり笑顔と幸の出づる輪を回し始めん心ゆたかに

 

このハートフル・サイクルが社会に浸透した状態が「ハートフル・ソサエティ」であり、「心ゆたかな社会」であり、「互助共生社会」です。最後に、わたしは「サンレーは、ハートフル・サイクルの起点となるべく「CSHW」ハートフル・サイクルを回しましょう。そして、58周年、60周年、さらにその先へと進んで行きましょう!」と訴えてから、「おもいやり 笑顔と幸の出づる輪を 回し始めん 心ゆたかに」という道歌を披露しました。

表彰式のようす


記念品を添えて・・・


会員募集の表彰者のみなさんと


情報営業の表彰者のみなさんと

 

「社長訓示」の後は、各種表彰が行われました。
まずは、「会員募集」上位者の3名の方々に金一封を添えて、また、「情報売上」上位者表彰(営業の部・内勤の部)の6名の方々に記念品を添えて、社長であるわたしが表彰状をお渡ししました。

「1級ブライダルコーディネート技能士」表彰


悲しみを乗り越えて、喜びの井口部長と

グリーフケア士」表彰のようす

グリーフケア士」表彰者のみなさんと

 

それから、「1級ブライダルコーディネート技能士」表彰です。松柏園ホテルの井口部長を表彰しました。井口部長はお父さんを亡くされたばかりで悲しみの中にありますが、このときは胸を張って表彰状を受け取っていました。続いて、「グリーフケア士」資格取得者表彰です。6名の合格者に表彰状と金一封を渡しました。わが社のグリーフケア士の人数は業界ナンバーワンとなっています。グリーフケアのリーディング・カンパニーを目指します!

サンレーおもてなし賞」の表彰のようす

サンレーおもてなし賞」表彰者のみなさんと

 

続いて、「サンレーおもてなし賞」の表彰式です。4名の方々が同賞を受賞されましたが、わたしが金一封を添えて表彰状を渡しました。その後、わたしは「コンパッションは、思いやり。思いやりは『こころ』ですが、それを『かたち』にするには2つの方法があります。1つは、互助会部門が『おもいやり』という商品を提供すること、もう1つは施行部門が『おもてなし』を提供することです。わが社は、もともとコンパッション企業だったのです。表彰されたみなさん、おめでとうございます。みなさんこそが、わが社の宝です!

役員がステージに登壇

これが「和のこえwithコロナ」だ!!

ガンバロー!✖3回


みんなでガンバロー!✖3回

最後はもちろん一同礼!


退場のようす

さあ、今年もラストスパートだ!!

 

ラストは営業推進部の岸執行役員による「和のこえ」です。コロナ禍の中で発明された、各自が拳を突き上げて「がんばろー!」と3回唱える「和のこえwithコロナ」です。大いに盛り上がって、記念式典は終了。

記念撮影のようす

昼食会場のようす

昼食会の冒頭、挨拶をしました


改めて祝福の言葉を述べました

東専務の音頭でカンパイ!

この日の昼食

昼食会のようす

最後は「末広がりの五本締め」で!

 

その後、松柏園ホテルの写場へと移動し、役員と表彰者が揃って記念撮影しました。 それから、2階の大広間で昼食会です。メンバーは、社長・役員・表彰者のみなさんでした。冒頭、社長のわたしが「表彰者のみなさん、本当におめでとうございます。みなさんは、わが社の宝です!」と挨拶をしました。その後、東孝則専務が乾杯の音頭を取って、昼食会がスタートしました。美味しい松柏園の料理を黙食でいただいた後は、山下格取締役による「末広がりの五本締め」でお開きとなりました。コンパッショナリー・カンパニーを目指すサンレーは、57周年を迎え、さらに一致団結して新しい時代を拓きます! 



2023年11月17日 一条真也

「愛は勝つ」ことをKANが教えてくれた

一条真也です。
17日、福岡市出身の歌手のKANさんが死去したことがわかりました。61歳でした。葬儀はすでに親族とごく近しい人たちで済ませているそうです。死因は明らかにされていませんが、今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していました。ご冥福を心よりお祈りいたします。

ヤフーニュースより

 

87年にデビューしたKANさんは、90年7月に発売したアルバム「野球選手が夢だった」に収録された楽曲愛は勝つが、大阪のラジオ局FM802で集中的にオンエアされて注目を集め、9月1日に通算6枚目のシングルとして発売。当初の生産枚数はわずか1万枚でしたが、フジテレビの人気番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌として放送されたことがきっかけで大ヒット。


愛は勝つ」は、オリコン週間ランキングで、8週連続で1位を獲得。200万枚超えのダブルミリオンとなりました。91年の大みそかには、日本レコード大賞「ポップス・ロック部門」の大賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場し、モーツァルト生誕200年記念で、モーツァルト風衣装で「愛は勝つ」を熱唱しました。この年、ハートピア計画というイベント企画会社を経営していたわたしは、六本木のディスコで超能力研究家の秋山眞人氏を招いて「恋の呪文はチョコデバビデブー」というバレンタイン・イベントを開催。そのときのテーマ曲が「愛は勝つ」でした。


その後も、わたしはこの歌が大好きで、よくカラオケで歌いました♪ 高音で難しい曲ですが、エアギターのパフォーマンスで歌いました♪ 2011年の東日本大震災後には、所属する事務所「アップフロント」グループが復興支援プロジェクトを立ち上げました。「愛は勝つ」をタレント131人で歌ったチャリティー曲を制作し、収益全額が寄付されました。KANさんは、その中心人物でした。コロナ禍でも再び、KANさんほか同事務所のタレントで「愛は勝つ」をリモート歌唱しました。「心配ないからね♪」で始まり、「信じることさ、必ず最後に愛は勝つ♪」の前向きな歌詞は、日本中に勇気を与え続けてきたのです。


17日、サンレー創立57周年年記念式典が松柏園ホテルで開催されました。社長訓示の中で、わたしは「コロナもようやく落ち着いてきましたが、今年になって結婚式も葬儀も完全復活を遂げました。今後どのような想定外の状況が訪れようとも、わたしたちは、人間の『こころ』を安定させる『かたち』としての儀式、冠婚葬祭を必要とすることがよくわかりました」と述べました。結婚式も葬儀も、七五三も成人式も、すべての冠婚葬祭は「愛」のセレモニーです。同じ福岡県出身で、わたしより1学年上のKANさんが遺してくれた「愛は勝つ」というメッセージを胸に、わたしは、その「愛」を見える化した冠婚葬祭という文化を守っていく・・・・・改めて、そう決意しました。ちなみに、わが社の第一社歌は「愛の輪」というのですが、今日は社員全員で歌いました♪


よく、カラオケで歌いました♪


信じることさ、必ず最後に愛は勝つ

 

2023年11月17日  一条真也

愉  

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「愉」です。


マネジメントの核心とは?

 

わたしは、マネジメントの核心とは、いかに人生を心ゆたかに過ごすかということと密接に関わっていると思っています。そして、それにはいかに仕事を愉しむかが大事なポイントになります。あなたが1日何時間ぐらい職場にいるか、人生の時間のうちでどれくらい仕事に費やしているかを考えれば、仕事を愉しまなかったら、これは明らかに不幸です。よく会社や仕事に対してグチばかり言う人がいますが、こういう人は例外なく仕事ができません。なぜなら、「成功した人間」にグチが多い人は1人としていないからです。



グチが多いのは、成功していない、評価されていないことへの不満が表われているだけなのです。堀場製作所社長の堀場雅夫氏は、グチをこぼすような人間は絶対に評価されないと言います。堀場氏によれば、そのような人はグチをこぼすことが「趣味」になってしまっているというのです。上司に見る目がないとグチり、給料が安いとグチり、夏の暑さをグチり、冬の寒さをグチる。現実を甘受する謙虚さもなければ、建設的な反省もない。これでは仕事ができるわけがないというわけですね。

 

 

たしかにストレスの影響は大きいでしょう。
では、なぜストレスがたまるのでしょうか。ストレス解消法という対症療法ではなく、ストレスがたまる根本原因を考える必要があります。そのヒントは、人間は遊びではストレスはたまらないということにあります。ゴルフにしろ、釣りにしろ、旅行にしろ、遊びでやっていることにストレスは無縁です。自分の意思で、自分が好きでやっているからです。

 

 

ならば、仕事も好きになれば、ストレスはたまらないことになります。そして、『論語』に「之(これ)を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」とあるように、仕事を愉しむことができれば、ストレスがたまらないどころか、愉しいから仕事のレベルもアップして、人生そのものがバラ色になるのです。こんなうまい話を逃す手はないではありませんか!

 

 

堀場氏は、「人間死ぬときにダイヤモンドやお札をたくさん棺桶に入れていっても、何もいいことないやないか」と語り、「おもしろおかしく」をテーマにしています。ソニー井深大氏は「愉快なる工場」をめざすと言いました。ともに日本が戦争に負けて、食べるものもない時代に起こした会社です。人の心も荒んでいたはずですが、そこには爽快なポジティブ・シンキングがありました。なお、「愉」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2023年11月16日  一条真也

裕  

 

 一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「裕」です。


織田信長豊臣秀吉徳川家康は、しばしば比較の対象にされる戦国の三大英雄ですが、このなかで一番驚異的な人物は秀吉です。なぜなら、信長や家康は大将になるべき家に生まれてきましたが、秀吉は身分制度の厳しい時代に農民出身の一介の足軽から身を興して、才覚と努力だけで成り上がったからです。 


主君である信長のために必死に駆け回り、最後には織田政権の後継者、そして天下人になりました。しかし、秀吉が遊ぶことも、休むことも忘れて、仕事一筋に生きたわけではありません。 酒好きで話し上手でしたので、彼の家来たちは主君と楽しく過ごしながら仕事にいそしみました。秀吉は「人たらし」と呼ばれるほど、人を使うのがうまかったのです。


しかも大事な勝負どころを押さえ、そこで常人が思いつかないような軍略によって勝利を得ました。本能寺の変の直後の中国大返し明智光秀を倒した話、美濃の斎藤攻めにおける墨俣の一夜城の話や、賤ヶ岳の戦いで思いもよらぬ奇襲によって柴田勝家らを破った話などがよく知られています。


天正18年(1590年)に北条家の小田原城を攻撃したとき大がかりな包囲戦となって、陣が長引きました。このとき、秀吉の側近が、ある大名は芸事にうつつを抜かし、ある大名は土を耕して青菜を植えさせていると報告し、見せしめに厳しく罰することを主君に進言しました。しかし、秀吉は、「あの連中は、ゆとりをもって戦場に臨んでいるのだ」と笑い飛ばしました。そして、家来たちに「日頃から武芸を磨くのはよいが、合戦一途に生きるべきではない」と語りかけ、「戦場でゆとりのある武士を誉め讃えよ」と続けたのです。


これを聞いて、秀吉の家臣たちは主君が戦場で殺気だっていたことは一度もなく、陣中では笑い声が絶えなかったことを思い出しました。命をかけた戦場で、秀吉はいつも最前線に近い位置に座り、側の者に酒入りの大きなひょうたんを持たせていました。そして、手柄を立てて戻ってきた者がいると、秀吉自らがそのひょうたんを持って酒をふるまったのです。


上杉謙信も、ゆとりのある武士でした。川中島の戦いは、8000の兵力の上杉勢と2万人の武田勢とのにらみ合いになりました。明らかに不利でも、謙信はうろたえてあれこれと策を出してくる部下の言葉に耳を貸さず、鼓を打ったり謡曲を唄ったりしていたといいます。そのため、信玄がしびれを切らして先に動きました。そして、謙信は武田方の作戦の裏をかき、信玄の本陣を急襲して多くの敵を倒しました。心にゆとりを持つ者が勝利を得るのです。なお、「裕」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2023年11月16日  一条真也

「ぼくは君たちを憎まないことにした」

一条真也です。
東京に来ています。
14日は会議ラッシュでしたが、朝一番、TOHOシネマズシャンテでドイツ・フランス・ベルギー合作映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」を観ました。テロの犠牲者の遺族の物語で、まさに”ザ・グリーフ・ムービー”といった内容。グリーフケア委員会の会議に参加する前に観たのですが、正直な感想は「うーん、違うな」でした。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「2015年のパリ同時多発テロ発生から2週間の出来事を描いた、アントワーヌ・レリスの原作を基に描く人間ドラマ。テロで妻を失い、悲しみと不安の中で息子の面倒を見る男性が、テロリストに手紙を書く。メガホンを取るのは『陽だまりハウスでマラソンを』などのキリアン・リートホーフ。『湖の見知らぬ男』などのピエール・ドゥラドンシャン、『ラヴ・アフェアズ』などのカメリア・ジョルダーナらが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、「2015年11月13日の朝。ジャーナリストのアントワーヌ(ピエール・ドゥラドンシャン)は、急いで仕事に向かう妻のエレーヌ(カメリア・ジョルダーナ)を息子のメルヴィル(ゾーエ・イオリオ)と共に見送った。その晩、同時多発テロがパリで発生し、エレーヌはテロに巻き込まれて命を落とす。幼い息子と残されたアントワーヌは、妻の命を奪ったテロリストに向けて、手紙をしたためる」です。

 

 

アントワーヌ・レリスは、1981年、パリ生まれのジャーナリスト。パリ同時多発テロ事件で、バタクラン劇場にいた妻エレーヌ・ミュヤル=レリスを失いました。130人以上の死者が出る惨劇となりました。このテロで妻を失ったアントワーヌは、フェイスブック上でテロリストに「憎しみを与えない」と宣言、メッセージは世界を駆け巡り、3日間で20万回以上も共有されました。暴力と混乱のなかに灯された言葉、人間の尊厳――。最愛の妻をテロリストに奪われた夫が、小さな息子と共に生きる希望を綴じ込んだ、胸をゆさぶるドキュメントが、この映画の原作『ぼくは君たちを憎まないことにした』です。

 

この映画を観た人の多くは、最愛の妻を失ったアントワーヌが犯人たちに「君たちを憎まない」とメッセージを送ったことについて感動したかもしれません。でも、わたしは、ちょっと違いました。そのメッセージが事件の直後であり、妻を亡くしたばかりのときに発せられたことに違和感をおぼえたのです。その言葉は、強がりであり、現実逃避の妄言のようにも思えました。映画では、亡くなった妻エレーヌが、急に入った仕事を優先して家族旅行をキャンセルしたり、幼い息子を夫に預けてお気に入りのロック・バンドのLIVEに男友達と出掛けたりと、良き妻・良き母とは思えません。そんな彼女はLIVEで盛り上がっている最中にテロ攻撃に遭い、男友達の腕の中で息絶えています。正直に言うと、彼女のそんな死に方もアントワーヌの言葉に繋がったのではないかと思えてしまいました。

 

しかし、いくら強がりの言葉を吐いても、人間は自分の心に嘘はつけません。達観したメッセージによって、一躍時代の寵児となったアントワーヌでしたが、その後、精神に変調をきたします。妻を亡くした悲嘆がどんどん膨れ上がり、彼の心は悲鳴を上げます。彼が自身のグリーフをケアする方法が、亡妻の写真を見たり、録音されたメッセージ音声を聴いたり、遺された衣服の香りを嗅ぐことでした。まさに視覚・聴覚・嗅覚を総動員して、彼は自身のグリーフケアを行ったのです。その姿を見て、わたしは「彼は自死しないために、必死でセルフ・グリーフケアをしている」と思いました。本来、最大のグリーフケアの方法は葬儀ですが、彼は妻の葬儀や墓の問題から目を逸らし続けました。つまり、彼は妻が亡くなったという事実を認めようとしなかったのです。

隣人の時代』(三五館)

 

あまり共感できる部分のなかった「ぼくは君たちを憎まないことにした」ですが、わたしは心を動かされた場面もありました。アントワーヌの妻がテロの犠牲になったことを知って、息子のメルヴィルが通っている幼稚園の児童の母親たちが「心よりお悔みを申し上げます。わたしたちに、何かできることをサポートさせて下さい」とアントワーヌに申し出る場面です。彼女たちは毎日、交代でアントワーヌ親子の食事を作りたいというのです。この場面を見て、わたしは「これこそ隣人愛の発露だ。そういえば、『隣人祭り』が誕生したのもパリではないか!」と思いました。詳しくは、拙著隣人の時代(三五館)をお読みいただければと思いますが、せっかくの隣人たちの申し出にアントワーヌは気乗りせず、メルヴィルに至っては提供されたスープの味を「うんちみたいだった!」とディスる始末。それを聞いた相手は傷ついているのに、そのまま無言で立ち去るアントワーヌは終わっていると思いました。

 

この映画を観た前日、ブログ「限界境界線 救出までの18日間」で紹介した韓国映画を観ました。タリバンの人質になった韓国人救出のためにアフガニスタンに向かった外交官と、現地の工作員による決死の交渉作戦を描いていましたが、現在もイスラエル・ガザ戦争でイスラム組織ハマスによって人質が拉致される悲劇が再現されています。ブログ記事の中で、わたしは「イスラエル・ガザ戦争では、多くの人々が亡くなり、多くのグリーフが生まれ続けています。どうしても戦争を止められないのが人類の性であるなら、グリーフケアとはそんな人類が編み出した悲しきワザであり、人類が存続するための知恵なのかもしれません」と書きました。タリバンも、ハマスも、パリ同時多発テロを起こした連中も、すべてイスラム教の過激派です。

 

グリーフケアとは人類が編み出した悲しきワザであり、人類が存続するための知恵」というわたしの発言を読んだサンレーの瀬津式典長から「私は常々、争いや戦争は人間ひいては生き物が進化のために背負った業だと考えております。社長のご指摘の通り、グリーフケアがそれへのカウンターとしますと、その最たるかたちであるといたしますと、それを業とする私たちの使命は悲嘆のケアによる人類という種の維持はもちろん、その進化へも寄与する途方もないものではないかと考えた次第でございます」とのLINEが届きました。瀬津式典長は神社の禰宜という神職ですが、その鋭い見方には唸りました。

 

また、サンレーグリーフケア推進部の市原部長からは「ケアを行っていく上で必ず認識していなければならないことのひとつに、クライアントとケア者には、どんなに同情し、共感していても必ず違いがあるということだと思います。だからこそその違いを知った上で、ありのままを受け止めてあげることは重要なことです。さまざまな宗教や価値観があり、その違いを受け止めていかないから、戦争や争いが起こっていくように思います」とのLINEが届きました。市原部長は日本に30人しかいない上級グリーフケア士の1人ですが、グリーフケアの現場からの貴重な意見であると思いました。

 

わたしは、妻を殺害した犯人たちに対して、アントワーヌが「ぼくは君たちを憎まないことにした」と発言した背景には、妻と共に130人もの人々が犠牲となった事実があるように思います。犠牲者の多い無差別テロということで、悲しみがシェアされ、自身に降りかかった悲劇が抽象化されたのではないでしょうか。もし妻だけが、妻1人だけが殺害されたとしたら、彼はその殺人犯に「ぼくは君を憎まないことにした」と言えるのか? 思うに、あまりのショックと悲しみのあまり、アントワーヌは妻の死を現実として受け止めず、抽象化しようとしたのではないでしょうか? それは、彼が頑なに妻の葬儀の段取りや墓の問題から逃避し続けたことからも明らかです。彼は強がり、あるいは綺麗ごとを言いましたが、わたしは愛する人の命を奪われた場合、その奪った相手を遺族が憎むことは自然な感情であると思います。また、憎き犯人が死刑になることは遺族にとって確実にグリーフケアになるとも思います。

 

「ぼくは君たちを憎まないことにした」を観て、最も心が痛んだのは、残された幼いメルヴィルという男の子の「ママ、ママ・・・」と亡き母を探す姿でした。死については、子どもの年齢と発達段階に沿って説明することが重要です。何も語らないことはその話がタブーであることを示唆し、子どものグリーフの解決にはなりません。説明は簡潔で、直接的であるべきで、子供に質問があるなら正直、かつ素直に説明をするように心がけるべきです。米国国立がん研究所によると子供のグリーフの表現には、「僕(私)のせいで死んじゃったの?」「僕(私)や他の人(兄弟や親を含む)にもそういうことが起こるの?」「これからはだれが僕(私)の世話をしてくれるの?」というな3つの重要テーマがあるといいます。のように、幼児は自分の安全を保証してもらいたいという気持ちがあるので、その点に関する不安を解消することが重要です。

 

2023年11月15日  一条真也

「極限境界線」

一条真也です。
東京に来ています。13日、各種の出版打ち合わせを行いました。その後、宝塚劇場下のTOHOシネマズ日比谷で韓国映画「極限境界線 救出までの18日間」を鑑賞しました。ネットで高評価の作品でしたが、非常に面白かったです。宗教や人間の本質について考えさせる内容でした。


ヤフーの「解説」には、「2007年にアフガニスタンで起きた、武装組織タリバンによる韓国人23人の拉致事件を題材に描くサスペンス。エリート外交官と現地工作員が協力し、人質救出作戦に挑む。メガホンを取るのは『リトル・フォレスト 春夏秋冬』などのイム・スルレ。『人質 韓国トップスター誘拐事件』などのファン・ジョンミンのほか、『コンフィデンシャル:国際共助捜査』などのヒョンビン、カン・ギヨンらが出演している」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、「アフガニスタンの砂漠で、武装組織タリバンが23人の韓国人を拉致する事件が起こる。彼らは韓国軍の同国からの撤退と、収容中のタリバン戦闘員23人の釈放を要求。現地に派遣された外交官チョン・ジェホ(ファン・ジョンミン)は、アフガニスタン外務省に戦闘員の釈放を要請するも同省から拒否される。韓国国家情報院の工作員パク・デシク(ヒョンビン)とアフガニスタンフィクサーの交渉も決裂したため、チョンとパクは手を組み人質を救おうとする」です。


この映画、アクション映画ではありませんが、冒頭から最後までハラハラドキドキします。武装組織と人質解放に動く韓国の外交官との心理戦が息をつかせないほどの緊迫感を生んでいます。他にも卑劣な詐欺師なども登場して、ヒューマンドラマとしてまったく飽きさせませんでした。外交官チョン・ジェホを演じるファン・ジョンミンも、韓国国家情報院の工作員パク・デシクを演じるヒョンビンも良かったです。特に、ヒョンビンを見たのはブログ「愛の不時着」で紹介したNETFLIXの大ヒットドラマ以来でしたが、男らしいワイルドな役を見事に演じていました。

 

ヒョンビンが演じたパク・デシクは、〝一匹狼〟ゆえにファン・ジョンミン演じる交渉人と対立します。彼は、過去の事件で人質を殺害されたトラウマに苦しみながらも、人質救出のために奔走する複雑なキャラクターを熱演しました。 ヒョンビンは自身の役どころを「つらい過去とトラウマを抱えていて、今もそれらと闘っていて、誰よりも交渉作戦に力を入れている人物」と語ります。そして「荒々しい一面と、トラウマと闘う苦しみ、作戦への切迫した雰囲気などを踏まえ、デシクという人物を魅力的に表現したい」と並々ならぬ意欲で役作りに励んだといいます。


冒頭シーンで明らかになりますが、タリバンの人質になった23人は韓国のキリスト教会の熱心な信者で、彼らは短期宣教のためにアフガニスタンに入国したのでした。しかし、当時のアフガニスタンは、韓国の渡航禁止国でした。ルールを破ってまで密入国した人々の命を国家が救わなければならないのかという問題を含め、いろいろと考えさせられました。北朝鮮との軍事的緊張関係の中にある韓国政府だから、まだタフな交渉ができたと思いますが、これが平和ボケした日本ならどうか。おそらく弱腰の首相と外務大臣無為無策で人質全員が殺害されるかもしれません。

 

この映画を観ると、人質解放の交渉の難しさを嫌になるほど痛感します。どんな理屈を並べるよりも「実際に人質を救出してナンボ」というシビアな現実が描かれています。わたしは、1990年のイラククウェート侵攻に伴ってイラクの「人間の楯」となって人質になった日本人を解放させるために立ち上がったアントニオ猪木参議院議員を思い出しました。他の政治家や外務省の圧力の中、闘魂外交がスタートしました。人質解放を果たしたイラクからの帰国便には、政府から同乗不可の通達が出ましたが、そこで声を上げた人物たちがいました。人質である夫たちに一目会いたいと猪木に懇願し、イラクまでやって来た婦人会の面々です。彼女たちは「猪木さんを乗せないというのであれば、私たちも乗りません! 日本にも帰りません!」と訴えました。外務省からは掌を返したような猪木への丁重な同乗願いが出されたとか。スカッとする話ですね!

 

イラクでの人質解放が実現したのも、もとはといえば、猪木がイスラム世界の英雄であり、世界最高のスーパースターでもあったモハメド・アリと戦った男だったからです。また、猪木は人質解放のためにイスラム教を学んだそうです。徴兵拒否によってアリはチャンピオン・ベルトを剥奪され、リングから追放されたが、3年近いブランクを経て復活。自分の祖先が生まれたアフリカで、イスラム教徒として世界チャンピオンに返り咲きました。そんな波瀾の人生を送ったアリにとって心の支えとなったに違いないイスラム教に、猪木も興味を抱いていたといいます。イラクへ行く前から、人質解放のためには当然、イスラム教を深く学ばねばならないという覚悟があったそうです。

 

イラクにしろ、アフガニスタンにしろ、砂漠の国です。イスラム教は砂漠の宗教なのです。砂漠を舞台にした映画といえば、デヴィッド・リーン監督の不朽の名作「アラビアのロレンス」(1962年)があります。自伝を基に、アラブ民族を率いてトルコと死闘を繰り広げた英国将校T・E・ロレンスの苦悩と挫折を壮大なスケールで描いたオスカー作品賞受賞のスペクタクル歴史劇ですが、とにかく砂漠の存在感が圧倒的です。「アラビアのロレンス」は男しか登場しない映画とも言われていますが、「極限境界線 救出までの18日間」も男が中心のドラマです。韓国人の人質女性の中に女性がいるだけで、あとは全部男だらけ。やはり、砂漠の映画は男の映画でした!


23人の韓国人を拉致したのは、タリバンでした。タリバンは、イスラム教の神学校「マドラサ」で学んでいた学生が中心となって結成された組織です。マドラサで学ぶ学生はアラビア語で「タリブ」と呼ばれ、現地のパシュトゥー語の複数形が「タリバン」です。自ら名乗ったのではなく、勢力を拡大していくうちにメディアなどを通じて「タリバン」という呼び方が定着していきました。タリバンの結成当時の最大の目的は、内戦で混乱した国内の秩序や治安を回復し、安心して暮らせる社会をつくることでした。また、外国の勢力を排除することも大きな目標でした。タリバンは、イスラム教を軸とした「アフガニスタン・イスラム首長国」の建国を掲げています。

ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教

 

タリバンの人々が信じる神は「アッラー」です。一方、人質となった韓国キリスト教会の人々は「われらがエホバの神」と唱えていました。しかし、もともと、エホバもアッラーも同じ神のことです。拙著ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教(だいわ文庫)で詳しく説明したように、もともとユダヤ教キリスト教イスラム教(イスラーム)は同じ唯一絶対神を信仰する一神教として三姉妹のような存在です。三姉妹宗教はともに『旧約聖書』をカノン(聖典)としているからです。それなのに、お互いに憎しみ合い、殺し合うのは本当に悲しいことです。「エホバ」「ヤーヴェ」「ゴッド」、そして「アッラー」・・・彼らがさまざまな名で呼ぶ神は本当に人類という子どもたちの殺し合いを望んでいるのでしょうか?



イスラム組織ハマスが今年10月7日にイスラエルを奇襲攻撃し、イスラエル・ガザ戦争が繰り広げられています。こちらはユダヤ教イスラム教の姉妹戦争です。ハマスは13日、人質解放などで仲介しているカタールに対し、5日間の停戦と引き換えに、ガザで拘束している人質の中から最大70人の女性と子供を解放する用意があると伝えたと明らかにしました。まさに「極限境界線 救出までの18日間」のドラマがリアルに甦ってきます。イスラエル・ガザ戦争では、多くの人々が亡くなり、多くのグリーフが生まれ続けています。どうしても戦争を止められないのが人類の性であるならば、グリーフケアとはそんな人類が編み出した悲しきワザであり、ひいては人類が存続するための知恵なのかもしれません。

コンパッション!』(オリーブの木

 

本来、宗教というものは慈悲や仁や隣人愛といった「コンパッション」によって他者を思いやる文化のはず。そして、人類の普遍思想といえるコンパッションの精神が形になると「礼」や「ホスピタリティ」になります。「ホスピタリティ」はキリスト教における親切なもてなしですが、イスラム教では「ディヤーファ」といいます。「極限境界線 救出までの18日間」に登場した、あるアフガンの部族長が「われわれイスラームは親切なもてなしをする」と発言していましたが、あれは「ディヤーファ」のことです。願わくば、礼・ホスピタリティ・デイヤーファが世界中に満ち溢れ、戦争がなくなりますように・・・。

 

2023年11月14日  一条真也