『月刊ムー書評大全』

月刊ムー書評大全

 

一条真也です。
『月刊ムー書評大全』星野太朗著(青土社)を読みました。著者は、月刊「ムー」で書評を毎号執筆している「ムー」専属書評家で、神秘思想研究家。日本を代表するオカルト雑誌の2017年9月号から2022年6月号までに掲載された約300冊分の書評が収められています。最初は「どうせ、トンデモ本ばかりだろう」と甘く見ていたのですが、どうしてどうして。自然科学の専門書から本格的な神秘哲学の本まで、レベルの高い本のラインナップに驚きました。本書を読んだ後、まだ未読の数十冊の本をアマゾンで注文しました。


本書の帯

 

本書の帯には、「日本のスピリチュアル・シーンの動向を見渡す絶好の資料! こんなブックガイド見たことない!――鏡リュウジ」「超古代文明、UFO、妖怪、陰謀論量子力学・・・オカルト関連書にとどまらず、天文学、考古学から理論物理学まで多岐にわたる本を扱った、『月刊ムー』の隠れ人気記事であるブックレビュー、待望の書籍化」と書かれています。


本書の帯の裏

 

アマゾンの内容紹介には、「『世界の謎と不思議に挑戦する』前代未聞の書評集」として、「『ムー』本誌の隠れ人気記事、ブックレビュー。その書評の範囲はオカルト関連書にとどまらず、天文学、考古学から理論物理学まで多岐にわたり、業界関係者の評価も高い。過去数年にわたる約300冊のブックレビューをまとめた、魅惑のオカルト世界への扉を開くガイドブック」と書かれています。

 

 

ブログ『オカルト編集王』で紹介した「月刊ムー」編集長の三上丈晴氏がやり手なのでしょうか、最近、「月刊ムー」から生まれた話題の書が多いです。特に『地球の歩き方 ムーー異世界(パラレルワールド)の歩き方ー超古代文明 オーパーツ 聖地 UFO UMA』(学研プラス)がベストセラーになっています。同書は、「地球の歩き方」「月刊ムー」という、共に1979年創刊のロングセラーブランドがスペシャルコラボした本で、世界中に残る謎と不思議に満ちたスポットの数々を案内します。諸説ある中で、「地球の歩き方「ムー」両方の視点から各スポットの神秘にせまるパラレルワールド(同時並行世界)の歩き方が示されます。

 

 

さて、本書『月刊ムー書評大全』で取り上げられた本は約300冊にのぼりますが、わたしが読んだ本もあれば、読んでいない本もあります。そこで既読の本を15冊、未読の本を15冊、計30冊をここで紹介したいと思います。まずは、既読の本から。1冊目は、 ブログ『21世紀の民俗学』で紹介した畑中章宏氏の著書(KADOKAW)で、「ここには過去ではなく未来を指向する、まさに『21世紀の民俗学』がある。何しろ本書は、『自撮り棒』から『事故物件』、『ポケモンGO』から『UFO学』に至るまで、現代日本ならではの『ごく普通に世の中に溢れているが、よくよく考えれば奇妙な事象』を目敏く採り上げ、民俗学的視点と手法を武器として、その本質に迫ろうとする。試みなのである。とはいうものの、記述自体はそんなに大上段に構えたものではない。元来カルチャー雑誌の連載記事だったこともあってか、各章はあくまでも一話完結式の気軽に読める好エッセイとなっている」と紹介されています。

 

 

既読の2冊目は、 ブログ『アメリカ超能力研究の真実』で紹介したアニー・ジェイコブセンの著書(太田出版)で、「国家機密プログラムの全貌(ヒストリカルスタディーズ)」というサブタイトルがついています。同書の紹介は、「2013年1月、CIAは機密解除された1300万頁に及ぶ文書を公開。これにより遂に超能力の実在は公のものとなった。本書はこれらの文書を中心に、著者が独自に調査した機密ファイル、さらには50名以上に及ぶ関係者への綿密な取材に基づき、アメリカ政府の数十年に及ぶ超能力研究プロジェクトの全貌を白日の下に曝け出す、衝撃のドキュメント」となっています。また、「著者の筆力の賜物か、良質なドキュメンタリー番組でも見るような迫力に終始圧倒されっぱなしで、読み始めたら止まらない。と、思っていたら何とあの映画監督のスティーヴン・スピルバーグが本書に注目、放映権を獲得して現在アメリカでTVシリーズの製作が進行中であるという。これが放映された暁には、アメリカのみならず全世界にセンセーションを巻き起こすことは必至。流行を先取りする意味でも、是非今のうちに、一足早く本書を手に取って見られることをお奨めする」とも書かれています。

 

 

既読の3冊目は、ブログ『オカルト・クロニクル』で紹介した松閣オルタ氏の著書(洋泉社)で、「一見軽佻にも見える本書の文体は、その裏に著者の真摯な姿勢を韜晦している。単なる事件の紹介に留まらず、それぞれの事象について、著者ならではの斬新な謎解きや考察、大胆な仮説などが抜かりなく提示されているのはさすがと唸らされる。さらに『信奉派』と『懐疑派』のそれぞれの意見が公平に採り上げられていて偏りがないという点も、本書の価値をより高めている。『懐疑的視点を乗り越えた先にある〈本物〉の探究にこそ、信奉者はタフなロマンを持つべき』という著者の姿勢はまことに天晴と言わざるを得ない」と書かれています。

 

 

既読の4冊目は、ブログ『オカルティズム』で紹介した大野英士氏の著書(講談社)で、「非理性のヨーロッパ」というサブタイトルがついています。同書については、「人間の意識や世界認識のあり方には時折、大きな断裂が生じているという立場を取る。この『認識論的断絶』ともいうべき巨大な変化を考慮に入れなければ、各時代を通じたオカルティズムの動向は理解不能となるというのだ。実に卓越した見識である。著者はこのような観点に基づき、近代以降のオカルティズムの歴史とその広がり、意味するところを遺憾なく描き出す。その巧みな手腕と著者の博識には脱帽するしかない」と書かれています。

 

 

ブログ『シンクロニシティ』で紹介した秋山眞人氏の著書(河出書房新社)で、「願望が実現する『偶然』のパワー」というサブタイトルがついています。同書については、「シンクロニシティという現象と、読者個人との関わりを根本的に変えるポテンシャルを秘めている。一通り基本概念の説明を終えた後で、内容は『自分でシンクロニシティを発動する』とか『予兆を察知して未来を操作する』などといった、前人未踏の領域に踏み込んでいくのだ。その結果、たとえば願望を実現させたり、将来的な危険を避けたり、あるいは単純にギャンブルに勝つ、などということが、この現象の応用によって可能となってくるという。何とも痛快な話ではないか」と書かれています。

 

 

既読の6冊目は、ブログ『昭和・平成オカルト研究読本』で紹介したASIOSの著書(サイゾー)で、「内容は、古くは大正時代に端を発する『竹内文書』や日猶同祖論に始まって、昭和・平成のオカルトブームの紹介、オウム事件ライフスペース事件などのオカルト絡みの事件の総括と検証、さらにはオカルトに関するTV番組や漫画、雑誌、出版社、人物伝まで、良くもここまでと思えるほど多岐に亘る情報がこれでもかと詰め込まれている。まさに日本近代オカルト史の百科全書と呼んでも過言ではない。元来が『懐疑的な調査』を標榜する人々による労作であるから、当然ながら記述は客観的で、出典も明記され、資料的価値も高い。便利なレファレンスとしても、オカルト界の裏面を暴露する興味深い読み物としても秀逸な本書は、オカルトファンなら必ず座右に備え置きたい名著と言える」と書かれています。

 

 

既読の7冊目は、ブログ『エイリアン』で紹介したジム・アル=カリーリの編著(紀伊國屋書店)で、「」というサブタイトルがついています。同書については、「世界最高の科学者集団がそれぞれの専門知識をフルに活用して、ありとあらゆる観点から地球外生命に関する最新の知見を紹介し尽す、何とも贅沢極まりない本なのである。執筆者代表を務める英国科学協会会長ジム・アル=カリーリ以下、天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学などを極めた総勢20名に及ぶ超一流の執筆陣の錚々たる陣容は、それだけでも圧倒される」と紹介されています。

 

 

既読の8冊目は、ブログ『近現代日本の民間精神療法』で紹介した吉永進一・塚田穂高・栗田英彦編著(国書刊行会)で、「不可視なエネルギーの諸相」というサブタイトルがついています。同書については、「大正期に爆発的な流行を見た『霊術・精神療法』。その広がりは暗示や気合、霊動などのような日本の伝統を感じさせるものから、透視やテレパシー、念力のような海外渡来のものまで多種多様、最盛期には施術者数3万を数えたという。だがこの運動は昭和に入ると共に急速に衰退し、1980年代に再発見されるまで、その全貌は杳として知れなかった。本書は、『さまざまな領域に姿を現す民間精神療法の技法と思想の系譜をひも解き、歴史研究の基礎を構築することを目指』す本格的研究書」と紹介されています。

 

 

既読の9冊目は、ブログ『時間は存在しない』で紹介したカルロ・ロヴェッリの著書(NHK出版)。著者は「ホーキングの再来」とも称される天才的な理論物理学者で、量子論と重力理論の統合を目指す「ループ量子重力理論」の提唱者ですが、「だがありがたいことに、天はこの著者に二物を与えてくれていた。難解な物理学理論を、一般大衆にも解りやすく説き明かす稀有な才能である。先端物理学の解説書だというのに、何と出て来る数式はたったの一つ。それよりもむしろ、古代から現代に至る哲学者の思索や、歴史上のエピソードが豊富に取り入れられ、解らなくとも解ったような気になってしまえる実に巧みな構成である。理系はもちろん、文系の人にこそお奨めしたい物理学の啓蒙書。その比喩や文体の美しさを、とくと味わっていただきたい」と書かれています。

 

 

既読の10冊目は、ブログ『SS先史遺産研究所アーネンエルベ』で紹介したミヒャエル・H・カーターの著書(ヒカルランド)で、「本誌『月刊ムー』の読者ならいざ知らず、一般的には『アーネンエルベ』なる歴史用語はほとんど知られていないと言っても過言ではない。本書によればそれは『1935年、ナチス親衛隊(SS)全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの主導により、ドイツ先史時代の精神史研究を目的として設立された知られざる研究機関』である。当初はゲルマン民族の歴史・民俗を専門としていたこの機関の研究対象はその後、『強制収容所での凄惨な高空・低温医学実験から、秘密兵器開発』にまで拡大し、遂にはルーン文字や紋章学、北欧神話チベット探換、宇宙氷説、人種論、遺伝学、ダウジングロッドといったオカルト的領域まで包含するに至った」と説明し、「何しろこの『アーネンエルベ』こそ、現在に至るも半ば伝説化したナチスにおけるオカルティズム研究の言わば中核を担う機関。これを知ることなくして、ナチスとオカルティズムの関係やその先進的な軍事科学技術の真相を明らかにすることなど到底覚束ない」とした上で、「価格も1万円近く、お手頃とはとても言い難いものの、その内容とヴォリュームを勘案すれば決して高い買い物ではない。何せ文字通り50年に一度、登場するかどうかという名著中の名著である。このような高邁な企画を今後とも安定して継続していくためにも、読書家の皆様のご協力は欠かせない。是非、挙って本書を習い求め、書架に加えていただきたい」と書いています。この書評は熱過ぎる!

 

 

既読の11冊目は、ブログ『日本オカルト150年史』で紹介した秋山眞人氏の著書(河出書房新社)で、「本書は存在自体がまさに一つの奇跡と言うべき傑作である。だが本書の著者が、『ムー』の読者には夙にお馴染みの超人・秋山眞人氏であると知れば、その奇跡もむしろ当然。何しろ氏は大学院の博士課程で大正期の霊術を研究。さらに自ら卓越した超能力者として、長年に亘りオカルト界の表も裏も知り尽くしてきた人物なのだ。しかも内容はまさに無類の面白さ。次々と投入される圧倒的な情報量に加え、文章の読みやすさ、そして行間に汪溢する著者の『オカルト愛』の深さに、ページを捲る手が止まらなくなる」と書かれ、さらには「肯定するにせよ批判するにせよ、苟も『オカルト』に興味を持ち、何かを語らんとする者ならば、須く座右に置いて知識の共通基盤とするべき、必携の基本文献である。韋編三絶、何度も熟読して己の血肉としたい」と述べるのでした。

 

 

既読の12冊目は、ブログ『怪異の表象空間』で紹介した一柳廣孝氏の著書(国書刊行会)で、「メディア・オカルト・サブカルチャー」というサブタイトルがついています。「『怪異』とは読んで字の如く『怪しいこと、普通とは異なること』で、化物、変化、妖怪、幽霊を含む『常識では計り知れない出来事や現象』。そして著者によれば、われわれが怪異を怪異として認識するプロセスには『時代や地域特有の文化的感性』が潜んでいる。すなわち怪異とは『私たちがこの日常、この現実を把握するたに使用している認識の枠組みの、陰画なのである』」と書かれ、さらに「つのだじろう『うしろの百太郎』や熊倉隆敏もっけ』といった新旧の漫画作品が論評の運上に載せられたかと思えば、70~90年代を席捲したオカルト、精神世界、ニューサイエンスといった一連のムーヴメントの軌跡が透徹した視線で俯瞰されたりもする。掉尾を飾る『もののけ姫』論は、この映画を見た人全てに眼を通していただきたい緻密で深遠な論考となっている」と紹介されます。

 

 

既読の13冊目は、ブログ『スーパーナチュラル・ウォー』で紹介したオーウェン・デイヴィスの著書(ヒカルランド)で、「第一次世界大戦。歴史上、最も死者数の多かった戦争である。そして著者によれば、「脱魔術化」の時代に生じた筈のこの戦争は、実際には予言やヴィジョン、天使や聖母の出現、占いや各種の魔術、そして護符などで溢れ返った『超自然戦争』に他ならなかったのである。本書は『戦争によって〈迷信的なるもの〉への知的関心が刺激されるさまを概観し、大戦の超自然的側面を暴露して解釈しようとする歴史家が直面する試練に光を当てるもの』である。凄惨な塹壕戦の最中に兵士たちが縋り付いた呪物の数々。そしてその兵士たちの死を好機と見て、彼らの魂を取り込もうとする教会や心霊術者たち等々、戦争のオカルト的側面をこれでもかと網羅する『世にもおもしろい書物』が本書である」と紹介されています。

 

 

既読の14冊目は、ブログ『神になった日本人』で紹介した小松和彦氏の著書(中央公論新社)で、「私たちの心の奥に潜むもの」というサブタイトルがついています。同書については、「今も神として崇拝される11柱の人神を採り上げ、彼らを祀る神社が建立された経緯や、生前の彼らが歩んだ人生を考察する。採り上げられるのは、藤原鎌足弘法大師空海安倍晴明楠木正成豊臣秀吉徳川家康西郷隆盛崇徳上皇後醍醐天皇佐倉惣五郎平将門の11人。神として祀られるほどなのだから当然であるが、いずれも日本史上に独自の足跡を残した人物であり、生前から多くの人の畏敬や畏怖の念を集めていた。著者によれば、『日本人にとって、死者の〈たましい〉とは亡くなった人の〈物語〉』であり、神社とはその物語を記憶し永続させるための『記憶の依代』に他ならない」と紹介されています。

 

 

既読の15冊目は、ブログ『トランプ時代の魔術とオカルトパワー』で紹介したゲイリー・ラックマンの著書(ヒカルランド)で、「本書は、トランプ政治とそれを取り巻く状況の背後に蠢くオカルトの潮流を精微に論じた大作である。古今東西の秘教史上のさまざまな思想や事象を自由自在に引用する著書の博覧強記ぶりはまさに驚嘆の一言。並みの本の10倍はあろうかと思える圧倒的な情報密度は凄絶で、読むだけで情報の往復ビンタを食らったような気分になる。『オカルト・ポリティクス』を主題とする研究所であるが、同時に秘教の歴史を通覧する百科全書ともなり、ネット時代における魔術を概観する案内書にもなる。そうした多様な読み方を許容するのも本書の魅力である」と紹介されています。

 

 

次に、未読の本を15冊紹介します。1冊目は、『マルチバース宇宙論入門 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか』野村泰紀著(星海社)からで、「著者によれば、われわれの住むこの『宇宙』は、無数にある『宇宙たち』の内のただ一つに過ぎない。宇宙がたくさんあると言われても、素人には文字通り雲を掴むような話だが、その一見荒唐無稽な理論は、実際には宇宙膨張の詳細な観測と最新の理論物理学の発展の自然な帰結であることが丁寧に解き明かされる。まさに天動説から地動説への移行の時のような、衝撃的な宇宙論の転換である」と書かれています。

 

 

未読の2冊目は、『海に沈んだ大陸の謎 最新科学が解き明かす激動の地球史』佐野貴司著(講談社)で、著者は「結論を言えば、地質学的観点から見る限り、伝承に言う1万2000年前に太平洋に沈んだ大陸そのものは存在しない。だが実際には、オーストラリア大陸の東側に、94%が海面下にある『ジーランディア』と呼ばれる巨大な海底台地が存在しており、これは十分に『大陸』と見なせるという。また大西洋にも、『リオグランデ海台』と呼ばれる大陸地殻があり、これもまた『海に沈んだアトランティス大陸とみなすこともできなくはない』」と述べます。

 

 

未読の3冊目は、『RED ヒトラーのデザイン』松田行正著(左右社)で、著者は「誤解を恐れずに敢えて挑発的な言辞を弄するなら、ナチスおよびヒトラーは『魅力的』である。ナチスについては、これまでもさまざまな切り口から、あらゆる分析が為されている。歴史学、心理学、社会学軍事学、そしてオカルティズム・・・・・・。もはやあらゆる分析がされ尽してしまったかのようなこの題材だが、まだまだそうではなかったと自らの不明を羞じることとなった。何と本書は、『デザイン』という全く斬新な視点からナチスヒトラーを読み解こうとする怪著、いや快著である。ナチスのあの強烈なハーケンクロイツを初めとするさまざまなデザインは如何にして生み出され、如何にして大衆を狂気へと導いていったのか」と述べます。

 

魔王、死す!

魔王、死す!

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未読の4冊目は、『魔王、死す! D・ロックフェラーの死で激変する世界勢力図』船瀬俊介著(ビジネス社)で、著者は「久々に登場したまさに正統派・本格派の陰謀論の啓蒙書。2017年3月20日、『魔王』と呼ばれる人物が101歳で死去した。『戦後70年以上にわたり世界権力の最高峰に君臨した』ディヴィッド・ロックフェラーである。この人物の死によって、それまで世界を支配していた箍が外れ、今後、世界は激動の時代を迎えることになる。その予兆のひとつが、『フリーメイソンの制禦の効かぬ大統領』トランプの出現だ、と著者は喝破する」と書いています。

 

 

未読の5冊目は、『何かが後をついてくる 妖怪と身体感覚』伊藤龍平著(青弓社)で、著者はかつて、日本文化研究センターにおいて「妖怪伝承データベース」作製に参画した人物です。これはその後、日本屈指の人気学術コンテンツとなったといいますが、「著者によれば、妖怪とは『身体感覚の違和感のメタファー』である。たとえば道を歩いているとき、人間の背後には死角が生ずる。この死角に対する違和感・恐怖が『背後からついてくる何か』という感覚を生み、その感覚が個人を越えて人々に共有される時、そこに妖怪が生まれる、というのである」と紹介されています。

 

 

未読の6冊目は、『タロットの神秘と解釈』松村潔著(説話社)で、「タロットと言えば一般には専ら占い用のカードと認識されているが、著者によれば実際にはタロットは占いにはあまり向いておらず、むしろ『手引書や教科書』『経典』と見なすべきものである。このカードに記されているのは『精神の進化の手順』であり、『世界脱出のマニュアル』、すなわち著者の言う『スターピープル』となって『星に帰還する』ためのマニュアルなのだ。数ある日本語のタロット文献の中でも、これほど高邁な思想に基づいて書かれているものはちょっと思い出せない。このような大著が日本人の手によって書かれ、日本で出版されているという事実は世界に誇るべき文化的事件であると言えよう」と書かれています。

 

 

未読の7冊目は、『トランスヒューマニズム 人間強化の欲望から不死の夢まで』マーク・オコネル著(作品社)。「トランスヒューマニズム」とは耳慣れない言葉ですが、「超人間主義」などと訳されます。主として最先端の科学テクノロジーを用いて人間の身体能力や認知能力の強化・拡張を図り、既存の人聞存在を超越して「進化」することを目指すラディカルな思想運動であるということで、著者は「既にシリコンバレーでは、こうした運動が広く受け入れられ、資金も提供されて盛んに研究されているという。ちょっと前まではSFでしかなかったことが、つい目と鼻の先の現実になりつつあるのだ。人類の今後の進歩を占う上で確実に抑えておきたい情報が満載されていると共に、また心とは何か、死とは何かといったような普遍的な問題に対しても全く新しい観点から示唆を与えてくれる、現代人必読の書である」と述べています。

 

 

未読の8冊目は、『不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?』須藤靖著(講談社)で、「マルチバース」という概念をテーマにしています。この概念の導入により、単にこの宇宙の不自然さが解消できるのみならず、「宇宙に果てはあるか」「ビッグバンはどこで起ったのか」「宇宙人はいるのか」といった誰もが知りたい疑問の全てに科学的な答えが出てしまうとして、著者は「そんな最新の宇宙論が実に解りやすく説かれた驚愕の書である。中でも評者の目から鱗が何枚も剥がれ落ちたのが『エヴェレットの多世界解釈』の解説である。従来のそれは『観測をするたびに世界が分岐する』と説明されることが多く、正直、全く意味不明だったのだが、本書の説明なら実にすんなりと腑に落ちるのである」と述べています。

 

 

未読の9冊目は、『光の量子コンピューター』古澤明著(集英社インターナショナル)で、量子力学の実用化として現在、最もホットな話題となっている「量子コンピューター」についての本です。本書は、長年にわたってその開発の第一線を疾走してきた超一流の物理学者が、量子コンピューターとは何かを一般向けに説いた啓蒙書であり、「著者の提唱する『光量子コンピューター』は、量子ビットに光の量子である光子を用いるもので、これまでの原子やイオンを用いるものに比べてさまざまな利点がある。そして著者は独自のアイデアによって1998年に世界初の『量子テレポーテーション』に成功。2011年には『シュレーディンガーの猫状態の(すなわちマクロな)量子テレポーテーション』まで実現させてしまう」と述べます。

 

 

未読の10冊目は、『中国 封印された超常現象』妙佛貯(ナチュラルスピリット)で、「中国人民の生活には『仙姑』や『風水先生』など呼ばれる霊能力者が深く根差している。彼らの言動が民衆の行動に大きな影響を及ぼす土壌が今なお厳然として存在しているのだ。そこで中国政府は、そのような超常現象を専門に調査・研究するための特務機関を創設した。それが『第091気象研究所』である。同研究所の任務は三つ。『社会に大きな影響を及ぼす可能性がある怪事件の実態調査』『超常現象に関する情報の管理と独占』『情報と世論のコントロール、それによって中国共産党を守り、ひいては共産主義体制を堅持する』ことである。そしてこれらの活動の過程で、同研究所は超常現象の存在自体はもはや自明のものとして認識し確認しているらしい。本書では、この第091気象研究所が取り組んだとされる超常現象の数々が白日の下にさらされる」と書かれています。

 

 

未読の11冊目は、『ノヴァセン 〈超知能〉が地球を更新する』ジェームズ・ラヴロック著(NHK出版)。ブログ「『ガイア理論』のジェームズ・ラブロック死去」で紹介した「知の巨人」が齢100歳を越えて、ガイア理論の衝撃を遙かに上回る名著『ノヴァセン』を世に問うたことを紹介し、「驚愕である。まさに本書は、今ここに存在していること自体が紛れもない奇蹟そのものであり、人類に対する今世紀最大の福音と言っても過言ではない。標題の『ノヴァセン』とは、地球が今後迎えることになる、新たな地質年代のこと。この時代においては、人間の知能を遙かに凌駕する〈超知能)が出現し、新たな生命圏を形成する、と著者は説く。そして人類は、その超知性の誕生と進化を促す立場にある存在だというのだ。素晴らしき近未来を予測する本書はまさに崇高なる予言書であり、宇宙と人類の存在の意味を問う深遠なる哲学書であり、壮大で美しいイメージが鏤められた散文詩である。読み返す度に新たな発見があり、新たな問題が提起される本書は、まさに読者の生涯の友となるだろう。一生のうちに何度、これほどの本に巡り会えることだろうか。読者よ、この奇蹟を、その身で体感せよ!〉と書かれています。

 

 

未読の12冊目は、『天使と人の文化史』ピーター・スタンフォード著(原書房)。近年の調査によれば、ユダヤ教キリスト教イスラム教という、いわゆる三大「一神教」の人気はここのところ下落の一途を辿っていますが、これに対して「天使への信仰はうなぎ上り」であるとして、「英国人の何と10人に1人が実際に天使の存在を体験しており、3人に1人が守護天使を信じているというのだ。つまり『ある意味、天使は神よりも健闘している』。このような時代にあって、天使に関する正しく体系的な知識を得ることのできる書物は必須。その点、体裁こそ一見硬派だが、特に専門的すぎたり難解すぎるところのない本書は、万人にお奨めできる好個の天使入門書である」と紹介されています。

 

 

未読の13冊目は、『黒魔術がひそむ国ミャンマー政治の舞台裏』春日孝之著(河出書房新社)。2021年2月のクーデター以後、ある意昧で世界で最も注目を集める国となったミャンマーですが、著者は「あまり知られていないことだが、このミャンマーでは大統領の誕生日は誰も知らない。国家最高機密に指定されているのである。何故か。『ミャンマーの国家指導者はアウラーン、つまり誰かに呪われることを心底恐れている』からである。敬虔な仏教国として知られるミャンマーの精神世界に占星術や精霊信仰、超能力者信仰、数秘術や手相術などといった要素が渾然一体となっている。そうした風土がミャンマーの政治、政策決定にも大きな影響を及ぼしているのだ、と著者は説く。本書は『ミャンマー政治史の空白を埋めるパズルの一片』としてミャンマーの精神世界に切り込んだ異色のルポルタージュ。著者の春日孝行氏は元毎日新聞編集委員。正統派の凄腕ジャーナリストが黒魔術の世界に切り込めば、これほどのものが出来上がるのか、とその凄味に唸らされる」と述べています。

 

 

未読の14冊目は、『量子力学的願望実現の教科書』高橋宏和著(SBクリエイティブブ)で、「何と本書においては、『引き寄せの法則』の原理が『量子力学』によって全て解明されているのだから驚くしかない。何しろ本書によれば『目に見える世界』はE=mc2であり、『目に見えない世界』はE=hvで表されてしまうのである。いったい何のことか解らないかもしれないが、著者によれば『量子力学を学ぶと、引き寄せの法則や思考の法則など目に見えない宇宙の法則を理解でき、腑に落ちる感覚が得られる』。のみならず、例えばいわゆる『カルマの法則』はニュートン力学で解明できるし、自然界の四つの力(重力、電磁気力、強い力、弱い力)の特性は人間の四つのタイプを表しているというのだ。そうした理論を踏まえて、著者は宇宙を支配する11の法則に基づく願望実現の具体的な方法を説いていく」と紹介されています。

 

 

そして未読の15冊目は、『西洋交霊術の歴史』リサ・モートン著(原書房)で、「古代のメソポタミア、エジプトのネクロマンシーから説き起こし、ギリシアやローマ、キリスト教、中世の魔術、そして啓蒙主義へと、一通りの歴史を押えた後(ここまでで全体の1/3)、いよいよ19世紀におけるスピリチュアリズムおよび『交霊会』の誕生の次第が活写される。おそらくこの章が本書の眼目の1つであり、実に読み応えがある。次に20世紀におかる、2つの世界大戦とスピリチュアリズムの関係などが論じられる。心霊主義者であったコナン・ドイルと、会議はの奇術師フーディニの対決など、珍しいエピソードも目白押し。最後に、現代における交霊術が概観される。有名なJ・B・ラインによる『超心理学』の発足とその失墜、iPhoneにインストールできる幽霊探知アプリ、オンラインでシェアされる交霊会など、こちらも興味深い話題が満載である。霊との交流を願った人間の営為を文化史的側面から俯瞰する好著。本誌読者の書架に是非」と書かれています。「本誌読者の書架に是非」というのは良いですね。

ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー

 

この未読の15冊以外にも、わたしは、30冊以上の本をアマゾンに注文しました。もう面白そうな本ばかりで、これからこんな面白い本がたくさん読めると思うと嬉しくて仕方がありません。じつは、わたしの本も「ムー」の書評に取り上げられたことがあります。1991年(平成4年)10月号に、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)の書評が掲載されたのです。


「ムー」1991年(平成4年)10月号

 

書評は「葬儀は、天への帰省を祝う幸福の儀式だ!」として、「安楽死尊厳死脳死問題など、人間の死が社会的に大きな関心事となり、さまざまな議論がなされている。それは、現代人の死生観が根底から大きく揺らぎはじめたことの証左でもあろう。本書は、人間のこの死生観がいつの世にもその時代の文化の核をなしてきた、とする著者が『人はどこから来てどこへ行くのか』という太古以来の謎を追求し、きたるべき21世紀の“葬”のあり方を提言したもの。日本人の死に対するイメージは不幸であり、葬に対するイメージも暗く、悲しみに満ちている。著者はそこに“魂”の問題の欠落を見て、こう主張する。『死はけっして不幸な出来事ではない。それは光まばゆい天上界への故郷帰りであり、葬儀はその帰省を祝う幸福の儀式である』そして、月を霊界に見立て、月面聖塔の建立と月への送魂というロマンティックな具体案を提示して、大いなる“死のロマン主義”を訴えるのである」と書かれています。ブログ『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』で紹介したように、同書は多くのメディアで紹介され、書評もたくさん書かれましたが、いま読み返してみても、「ムー」の書評は簡潔でありながら格調高い名文です。もちろん、30年以上前の書評なので星野太朗氏が書かれたものではありませんが、昔から「ムー」の書評はレベルが高かったのだなと思った次第です。


神秘の香りに満ちたわが書斎

 

最後に、わたしは、これまで魔術や呪術をはじめとしたオカルティズム、心霊を研究するスピリチュアリズム、ニューエージ、超能力、超科学、超文明、UFO、UMAなどの膨大な本を読んできました。わたしの書斎には、そんな本が所狭しと並んでいます。わが書評サイトである「一条真也の読書館」には、「オカルト・陰謀」や「心霊・スピリチュアル」のコーナーに多くの本が取り上げられています。いつか、これらの書評を1冊の本にまとめてみたいと願っています。

 

 

2022年9月15日 一条真也

松山めぐり

一条真也です。
四国の松山に来ています。昨日は、ベルモニー松山さんの結婚式場「マリベールスパイア」で全互連の総会・懇親会が盛大に行われました。


バスの中で

熊野山石手山

熊野山石手山にて

熊野山石手山の山門で

翌14日、わたしたち夫婦は観光に参加しました。この日の松山は気温35度ぐらいあって、非常に暑かった! 早めの朝食を済ませて、8時にホテルを出発。まずは熊野山石手山を参拝しました。ここは、四国八十八箇所霊場の51番札所となる寺院です。あらゆる不思議を秘めたスポットとして、お遍路さんのみならず多くの観光客で賑わっています。


熊野山石手山の門で

熊野山石手山の境内で

熊野山石手山弘法大師
熊野山石手山を背に

熊野山石手山は、国宝の仁王門や、本堂を始め鐘楼や五輪塔などの重要文化財を多く所有しています。また、安産祈願の鬼子母神だけでなく、宝物館やマントラ洞、奥の院など何度来ても飽きないくらい見どころ満載でした。


松山城へはケーブルカーで


ケーブルカーの中で


ケーブルカーで松山城


松山市街を望む

次に、松山城ロープウェィで行きました。この城には「金亀城」や「勝山城」といった別名があります。松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めた城です。門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われています。


松山城


松山城を背景に

 

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の1つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。わたしも初めて訪れましたが、確かに美しいお城であると思いました。


松山城


松山城の中で

 

また松山城は、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選」(平成2年)や「日本の歴史公園100選」(平成18年)の指定も受けています。


帰りはリフトで


リフトに乗りました

もリフトで


気温35度で暑かった! グッタリ!

松山城からはリフトで市街地に下りました。そこから、「坂の上の雲ミュージアム」に向かいました。ここは2回訪れているので、3回目の訪問となります。坂の上の雲ミュージアムは、平成19年4月に司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』の街づくりの中核施設として誕生しました。松山市は、街全体を屋根のない博物館とするフィールドミュージアム構想のもと、回遊性の高い物語のある街を目指しているそうです。

坂の上の雲ミュージアム」の入口で

坂の上の雲ミュージアム」の館内のようす

 


展示スペースのようす


馬に乗りました


窓から見た坂の上の雲


正岡子規

 

坂の上の雲ミュージアムの中核となる小説『坂の上の雲』には、近代国家の形成期の世界や日本で起きた出来事、そのなかで生きた人々の人生など多くの物語が描かれ、現代を生きるわたしたちに大きな示唆を与えてくれます。このミュージアムでは、これらをテーマにした展示や様々な催しを行うことで、訪れた方々に歴史を学び、未来への思索を深めてもらうために作られたといいます。わたしは『坂の上の雲』の愛読者であり、NHK大河ドラマスペシャルの「坂の上の雲」(2009年~2011年)は全話観ました。今回の坂の上の雲ミュージアムはいろいろと新発見もあり、勉強になりました。

子規記念博物館

子規記念博物館を背に

 

その後、道後で昼食を取りました。
昼食後は、「子規記念博物館」を訪れました。ここには6万点近くの子規関係の収蔵資料があります。近代俳句、近代短歌をはじめ近代文学を紐解く貴重な資料の数々です。たとえば、幻と呼ばれた子規自筆の選句集「なじみ集」、歌稿「竹乃里歌」、随筆原稿「病牀六尺」の一部などがあります。また、常設展示場には、子規と親友の夏目漱石が50日余りを共に暮らした愚陀佛庵の1階部分を復元しており、その座敷に座って子規や漱石に思いを馳せていただくことができます。子規が、漱石の愚陀佛庵に寄寓したのは明治28年の秋でした。そこで、病身を癒しながら俳句革新の原稿「俳諧大要」を書き続けた子規。後に小説「坊っちやん」のモデルにしたともいわれる松山暮らしをしていた漱石。二人は、道後温泉界隈を巡り、散策し、俳句を作っています。

子規記念博物館の玄関で

子規記念博物館のロビーで

子規は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の中心人物の1人でもありました。ブログ「死は最大の平等」に書いたように、わたしは、2010年12月12日に放映されたNHK大河ドラマスペシャル「坂の上の雲」の第7回「子規、逝く」を観ました。香川照之(!)演じる正岡子規は、子規は寝たきりの自分の世界を「病牀六尺」と呼び、そこから日常の出来事や 感想などを新聞「日本」に連載しました。子規は、新しい俳句の創造をめざして、その生のギリギリ限界まで奮闘しました。しかし、ついには、母、妹、そして愛弟子・高浜虚子のいる家で息絶えたのです。


子規の自宅を再現


子規の机を再現


正岡子規銅像


正岡子規銅像の前で



およそ、子規ほど壮絶な生を生き抜いた人は、そうはいないでしょう。『病床六尺』を読むたびに、わたしは胸がしめつけられるような思いがします。NHK大河ドラマスペシャル「坂の上の雲」で本木雅弘が演じた秋山真之は、海軍大学校で戦術を教えていましたが、東京・根岸の「子規庵」で病床に伏す子規を訪ね、病と闘う子規の姿には感動しました。郷里・松山の幼なじみである真之の訪問に喜ぶ子規は、広い海で活躍する帝国海軍の軍人も、狭い病床で寝たきりの自分も、ともに平等であると述べます。どちらも「ちっぽけな命」を持った者同士であるというのです。わたしは、この場面に猛烈に感動しました。


道後温泉のからくり時計の前で

 

秋山真人は、明治文学界の巨人であった子規のささやかな葬儀に出向き、その墓参りをしました。 ブログ「おくりびと」で紹介した名作映画で主演し、世界中の人々から喝采を浴びた本木雅弘さんの亡き親友を悼む熱演にも感銘を受けました。「おくりびと」といえば、その原案となった ブログ『納棺夫日記』で紹介した名著の作者である故青木新門さんも全互連のお仲間でした。数日前、青木さんの「お別れ会」が10月17日に富山で開催されるという案内が届きました。その日は月次祭や天道塾に参加する予定ですが、なんとか予定をやりくりして「お別れ会」に参加したいと思っています。

砥部焼の体験施設の前で


砥部焼の見学をしました


砥部焼の絵付け体験をしました


わたしが描いた絵皿です!

 

子規記念博物館を後にすると、わたしたちは砥部町を訪れて、砥部焼の絵付け体験をしました。愛媛県指定無形文化財である砥部焼は、一般には、食器、花器等が多いそうです。後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもとで発展を遂げました。やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴です。砥部の盆地では、山裾の傾斜が窯の立地に適し、燃料となる豊富な木材がたやすく手に入ったため、古くより焼き物が焼かれていたそうです。


道後温泉の最新スポットで

大和屋本店の前で

懇親会のようす

背後は、なんと能舞台

その後、わたしたちはこの日の宿となる道後温泉の「大和屋本店」に向かいました。日本最古の歴史書である『日本書紀』にもその名が出てくる道後温泉大和屋本店は、その中心施設・道後温泉本館の真隣に構える慶応4年(明治元年)創業の老舗旅館です。平成8年には新築再創業し、老舗ならではの伝統を守りつつ現代的なおもてなしを目指しているといいます。ここにチェックインした後、ゆっくり温泉に浸かりました。18時からはゴルフ組と一緒に懇親会が開かれました。このたびの2日間は、全互連の仲間たちとの交流や意見交換の時間を持つことができ、とても有意義でした。


挨拶&乾杯の音頭を取りました


カンパ~イ!

 

2022年9月14日 一条真也

松山へ!

一条真也です。
13日の朝、迎えの車に乗って福岡空港に向かいました。今回は妻も一緒で、四国の松山に向かいます。ブログ「全互連総会in函館」で紹介した2019年の函館総会以来、3年ぶりに松山市で開催される全互連の総会に夫婦で参加するのです。6月5日の長女の結婚披露宴にご出席いただいた方々に御礼を申し上げるためです。

福岡空港の前で妻と


昼食は、かき揚げ&ワカメうどん


うどんを食べました


JALの機内で


機内から見た雲海


機内では読書しました

 

わたしたちは、福岡発JAL3601便に乗って松山へと向かいました。フライト時間は45分と短いですが、わたしは正岡子規の『病床六尺』(岩波文庫)を読みました。翌14日に「子規記念博物館」を訪れる予定があるために選んだ本ですが、『墨汁一滴』に続き、新聞「日本」に連載され、子規の死の2日前まで書き続けられた随筆集です。不治の病に倒れた「病牀六尺」の世界で、果物や草花の写生を楽しむ一方、シッポク談議、子どもの教育論と話題は多岐にわたります。旺盛な好奇心が尽きることのない子規の姿には目を見張らされるばかりです。


四国が見えてきました


松山空港に到着しました

松山空港には14時に到着しました。そこから迎えのバスに乗って、会場となる結婚式場「マリベールスパイア」へ。ここは初めて訪れましたが、素晴らしい結婚式場でした。久しぶりに全互連の仲間と再会し、6月5日の長女の結婚披露宴に参列していただいた方々には夫婦で御礼を申し上げました。

マリベールスパイア」の偉容


全互連の理事会に参加しました


全互連の総会の会場で

全互連の総会に参加しました

全互連の総会のようす


全互連の懇親会のようす

 

15時から理事会、16時から定時総会、17時半から記念撮影です。それから、18時から懇親会が開かれました。ずっとコロナ禍で全互連の仲間たちとお酒が飲めなかったので、この夜は久しぶりに楽しかったです。妻も旧知の奥様たちと再会を果たせて嬉しそうでした。20時に懇親会が終了すると、二次会も開催され、松山の夜は更けていきました。

 

2021年9月13日 一条真也

『オカルト編集王』

オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術

 

一条真也です。
『オカルト編集王』三上丈晴著(学研)を読みました。「月刊『ムー』編集長のあやしい仕事術」というサブタイトルがついています。著者は、1968年生まれ、青森県弘前市出身。筑波大学自然学類卒業。1991年、学習研究社(学研)入社。『歴史群像』編集部に配属されたのち、入社半年目から「ムー」編集部。2005年に5代目編集長就任。2021年6月24日より、福島市の「国際未確認飛行物体研究所」所長に就任。CS放送エンタメ~テレ「超ムーの世界R」などメディア出演多数。趣味は翡翠採集と家庭菜園。


本書の帯

 

本書のカバー表紙には、サングラスをかけた著者の写真が使われています。帯には、「UFO、UMA、ノストラダムス、ミステリーサークル、謎の渡来人『秦氏』、ユリ・ゲラー・・・」「オカルト編集30年、そして、ムー500号。最強オカルト雑誌の裏の裏を、今、明らかに」と書かれています。


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「ムーがビジネス書!? 役に立つか、立たないかは、あなた次第!」「オカルト&サブカル界、絶賛!」「もはやこれは秀逸なビジネス書だ。怪しい編集長の真面目な仕事術。――島田秀平」「『ムー』三上編集長はガチ! フェイク・リアル超越の最強本。――大槻ケンヂ」と書かれています。


アマゾンより

 

本書のカバー前そでには、「国民的オカルト雑誌・月刊『ムー』編集長が謎に包まれた仕事術を初公開。日本中を驚愕させる‟不思議”はどのように創造されるのか? 創刊43年、『ムー』は何故、日本中で愛され続けるのか? UFO、UMA、心霊写真、ノストラダムスユリ・ゲラー・・・・・・数々のヒット記事に隠された真実とは!?」と書かれています。


アマゾンより

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
Prologue 
    オカルト編集者と呼ばれて

第1章 学研入社、「ムー」編集部配属
第2章 月刊「ムー」とは何か?
第3章 ムー的企画術
第4章 ムー的編集術
第5章 ムー的重要人物
第6章 ムー的ミステリーの裏の裏
Epilogue 
            人間とは何か


アマゾンより

 

Prologue「オカルト編集者と呼ばれて」では、ご存じのように、月刊「ムー」が扱っている世界は、怪しくて妖しい、まさに「あやしい」とし認めた上で、著者は「あやしいとは誉め言葉である。そう思っております。そこには、ちょっと無気味で怖いんだけど、人を惹きつける魅力がある。かくいう、この三上も、いわばムー的世界に魅せられて、どっぷりハマった編集人生でありました」と述べています。また、著者は「世の中、すべて表と裏がある。人間も本音と建前がある。常識で語られる世界と超常識がまかり通る世界では、まるっきり世界観が異なる。本書をきっかけに、世の中の見方が少し変わり、それが何かの参考にでもなれば、望外の喜びです」と述べます。


第2章「月刊『ムー』とは何か」の「『ムー』の創世記」では、著者は「ムー」の誕生前史について、「ご存じのように、学研には学習誌があった。根幹にあったのは『科学』と『学習』である。小学1年生から6年生まで、『1年の科学』や『6年の学習』といったタイトルで毎月、計12冊を刊行していた。『科学』は本格的な付録が毎号付いていた。顕微鏡や日光写真機、天然鉱物など、原価をかけた付録は魅力のひとつだった。書店を通した販売ではなく、販売員がダイレクトに読者に届ける直販というシステムを採用していた。昭和生まれの方ならば、『科学』と『学習』を届けてくれる販売コンパニオンの方々、いわゆる『学研のおばちゃん』という言葉を聞いたことがあるかもしれない」と述べています。わたしも小学生時代に学研の「科学」と「学習」を6年間購読していました。なつかしいですね!



当時、「高2コース」編集部に在籍していた2代目「ムー」編集長O氏は自身が企画した記事がアンケートで第1位になることが自慢だったそうです。彼は、読者が求めているものは何かを知っていました。平たくいえば、受ける記事を企画できると自負していたのです。具体的に、その記事というのが「ノストラダムスの大予言」や「日本全国ミステリーゾーン」、「世界の超能力者」でした。著者は、「しかも、時は1970年代、出版界は雑誌の創刊ラッシュだった。ご多分にもれず、学研でも、上層部から雑誌を作れという大号令が出された。もとより、ティーン向けの一般記事を企画していた編集者たちは、次々と喜び勇んで雑誌を立ち上げた」と述べます。


今日まで続くアイドル雑誌「BOMB!!(現・BOMB)」やカメラ雑誌「CAPA」と並んで創刊されたのが、スーパーミステリー・マガジン「ムー」だったと紹介して、著者は「発想はいたって単純である。『高校コース』で受けた記事のテーマを雑誌にすれば、必ず成功する。ノストラダムスの大予言ミステリーゾーン、超能力、心霊などをメインテーマとする雑誌なら、少なくとも中高生には手に取ってもらえるはずだというわけだ」と述べるのでした。なるほど、このような考えのもとで、国民的オカルト雑誌「ムー」は誕生したわけですね!


「スーパーミステリー・マガジン」では、「ムー」ではストーリーを重視したことを紹介します。超仮説ともいうべき論説を語るときに、もっとも大事なのはストーリーであるとして、著者は「かつての偉人、アルキメデスには風呂、ソクラテスには悪妻と監獄、そしてニュートンにはリンゴがあった。彼らの研究は非常に革新的ではあるが、それよりも大事なのは、発見にまつわる物語なのだ。ドラマティックなエピソードの中に偉大なる発見の鍵がある。超常現象の謎解きにあたっても、ここがもっとも重要だ。『ムー』の総力特集では、筆者の方に一番、力を入れてもらっているのが、大胆な推理に至るドラマ性なのである」と述べています。


「オカルト雑誌」では、オカルトとは本来、「隠されたもの」という意味であると説明し、著者は「秘教という意味でのエソテリズムや神秘主義に近い。狭義では魔術を指す。様々な儀式を通して、見えない存在、たとえば神々や天使、悪魔、そして精霊を召喚して、超自然的な現象を引き起こす。魔術というとトリックを使った手品のイメージがあるので、研究家によっては、あえて魔法という言葉を使う場合が多い」と述べます。また、教義では魔術を意味するオカルトですが、実際は、こうした心霊や超能力を含めて語られることが多いと指摘し、著者は「オカルトは非科学的であるとして、学問の場では、しばしば排除される傾向があるが、宗教学や民俗学においては、重要な研究対象である。神話を語るうえで、オカルトは不可欠な要素なのである」と述べるのでした。


「UMAと進化論」では、進化論は最終的に人類学の問題になることが指摘し、著者は「なぜなら、いつ意識が発生したのか。意識とは、いったい何か。ヒトに意識があるのなら、動物にもあるのか。哺乳類や鳥類などの脊椎動物はいいとして、軟体動物タコやイカも知能がありそうだ。ならば昆虫や微生物、細菌、ウイルスは、どうか。鉱物などの物質そのものにも意識がないとは限らない。極論すれば、原子や電子などの素粒子にだって意識があるかもしれない」と述べています。


反対にマクロな視点からすれば、この地球も意識をもった生命体ガイアだという思想もあります。地球が生命体なら、他の惑星や衛星、さらには太陽などの恒星だって生命体なのかもしれません。著者は、「想像をたくましくすれば、銀河や銀河団、さらには宇宙大規模構造は、そのまま脳神経の形をしており、ひょっとしたら宇宙そのものが生命体なのだという説もある。宇宙が意識をもち、様々な事象を認識しているならば、この世はひとつのバーチャル世界なのか。それこそ、宇宙はプログラミングされたゲーム・シミュレーションだったとしても不思議ではない」と述べています。


「最新科学から未来科学へ」では、重要なのは記憶はデータであり、メモリに記録できるという点だとして、著者は「メモリには半導体レアメタルが使用されるが、シリコンでもいい。極端な話、相応の装置があれば、どんな物質にもデータを記録できる。身近な道具はもちろん、自然界にあるもの、すべて。地球自体が巨大なメモリだとすれば、地球生命体ガイアは意識をもっていて当然だ。彼女は全人類の歴史と記憶を知っていることになる。これを全宇宙に拡張すれば、まさにアカシックレコードだ。空間そのものが素粒子であるというならなおさらである。かつてSF作家のアーサー・C・クラークは、古代人が現代科学を目の当りにしたら、魔術だと思うだろうと述べた。これは未来科学を見た現代人にとっても同様だ。超常現象は未来科学で解明できる。だからこそ、世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリー・マガジン『ムー』にとって、最新科学は必須のテーマなのである」と述べるのでした。


「哲学雑誌としての『ムー』」では、数学は自然科学よりも上位の概念であると指摘し、著者は「自然科学は形而下であるのに対して、数学は形而上である。数学における点や線、面積は、この世に存在しない。この世に存在する点と線、面積は、すべて体積をもっている。体積のない点や線、面積は、すべてプラトンがいうイデアの世界の話なのだ。形而上の数学と形而下の科学を含む概念は思想である。科学とは思想のひとつである。思想と並んで、ほかに宗教と美学、これら3つをもって哲学と呼ぶ。国によって制度は異なるが、基本的に理学博士でも、文学博士でも称号は『Ph.D』である。Phとはフィロソフィー、すなわち哲学である。医学博士以外は、みな哲学博士なのだ。あらためてムー的な世界を俯瞰すれば、思想のみならず、宗教や美学の分野にも及んでいる。まさにムー的世界を考えることは哲学なのだ。すなわち、月刊『ムー』は科学雑誌やオカルト雑誌という概念を超えた哲学雑誌なのである。あやしいということが誉め言葉である『ムー』であるが、ちょっと気取って答えるときには『月刊「ムー」は哲学雑誌です』と表現するようにしている」と述べます。


第3章「ムー的企画術」の「非合理的な儀式をする」の冒頭を、著者は「オカルティストは山を目指す。近代西洋魔術の泰斗、アレイスター・クロウリーは登山家であった。山は異界であり、神々と魔物が住んでいる。文字通り、俗人は町にいるが、仙人は山にいる。およそ神秘思想を学ぶ者、とくに実践しようとするならば、俗世間を離れて、山に行かねばならない。深山幽谷に分け入り、そこで、この世ならざる存在と相対することにより一種の悟りを開く。まさに神秘体験だ」と書きだしています。

儀式論』(弘文堂)

 

編集者はオカルティストではありません。スプーン曲げに挑戦するぐらいで、本格的な神秘体験ほとんどないと告白し、著者は「。ちょっとした心霊体験やミステリー体験、さらには取材先で目にする超常現象はあるが、本人の中で神秘体験をすることは、ほとんどないといっていいだろう。しかしながら、儀式を行うことはできる。神秘主義による魔術儀式に参加したり、ちょっとした開運術を行うことはある。えてして、儀式は非科学的である。もともと非合理なものであるが、ときとして、これが重要な場面もある」と述べます。この「儀式は非科学的である。もともと非合理なものであるが、ときとして、これが重要な場面もある」という言葉は、『儀式論』(弘文堂)の著者であるわたしの心にスッと入ってきました。


「答えはひとつではない」では、UFO問題が取り上げられます。UFOの正体は何か。早稲田大学大槻義彦名誉教授がいうように、UFOは火の玉、プラズマなのかもしれないとして、著者は「プラズマによって説明が可能な事件や現象はあるだろう。が、だからといって、すべてのUFOがプラズマで解明できるわけではない。逆にプラズマによって異星人の宇宙船が飛行している可能性だってある。月刊『ムー』は、その可能性を紹介する雑誌である。UFOに乗っている知的生命体に関して、先月号では金星人だといい、今月号では地底人、そして来月号では未来人のタイムマシンだという特集を組む。一見すると、節操がないようだが、不可思議な謎に対するスタンスとしては正しい。諸説を紹介するのが媒体としての使命なのだから」と述べています。


第4章「ムー的編集術」の「格闘技の間合い」では、格闘技で大切なのは間合いであると指摘し、著者は「相手との距離感がもっとも重要な部分である。あまりにも近くなると、準備動作が大きい打撃ができない。かといって、距離をとりすぎると、そもそも拳が届かない。ちょうどいい距離を保ちながら、瞬間的にパンチを繰り出す。相手が懐に入ってこようとするときを見計らってカウンターを打っことができればベストだ。武術でいうところの『間合い』だ。ある意味、編集者と読者の関係は、格闘技の世界に通じる。雑誌という媒体を通して、試合をしている。まさに真剣勝負である。いかに魅力的な記事を作って、それを読んだ読者を満足させることができるのか。いつも編集者は戦っている」と述べています。


「編集は料理である」では、著者はこう述べます。
「つくづく思うのだが、『ムー』という雑誌の編集は料理に似ている。扱っているテーマは、いわば素材である。食材は、まったく変わらない。同じ食材を使って、いかに違う料理を作るのか。雑誌でいえば、同じネタで、いかに違う記事にするのか。まさに、そこが料理人である編集者の腕の見せ所なのだ。同じトマトという素材を使っても、これを焼くのか、煮るのか、それとも生のままでサラダにするのか。同じ焼くにしても、チーズといっしょにパンに載せて、オーブンで焼くとか。同様に、煮るならば、丸ごとスープに入れるのか、原形がなくなるまでとろとろに煮込むのか。それこそ、料理のレパートリーは劇的に増える。無限といえば大げさであるが、いかようにでも新しい料理が可能になるのだ」


編集も、これとまったく同じだであるとして、著者は「UFOに乗っているエイリアンというテーマでも、遠い宇宙の彼方、プレアデス星から来た異星人なのか、それともタイムマシンに乗ってきた未来人なのか、はては地球内部からやってきた地底人なのか。いろいろ切り口がある。さらに、料理は見た目も大事である。調味料による味付けはもちろんだが、食欲がわくような盛り付けや色どり、さらには器の選び方も軽んじてはならない。雑誌でいうならば、見せ方だ。衝撃的な写真を大きく使い、巻頭カラーページにどーんと掲載するとか、詳細なイラストで解説したり、ときには全部、イラストで絵本のようにまとめるなど、工夫次第で、いくらでも魅力的なページを作ることができる」と述べるのでした。


「積極的幻想論」では、月刊「ムー」の本質は「積極的幻想論」にあると指摘します。積極的幻想論とは著者の造語ですが、念頭にあるのは「積極的ニヒリズム」だそうです。著者は、「フリードリッヒ・ニーチェが唱えたニヒリズムは絶望状態である。理想や希望を掲げれば、いつかは必ず失望し、絶望へと至る。絶望を回避するためには、そもそも理想や希望を抱かなければいい。神が生きていると信じるからこそ、救われなかったときに絶望するならば、その前提を否定すればいい。まさに神は死んだ。そうニーチェは語る」と述べます。


しかし、ムー民にニヒリズムは似合わないとして、著者は「虚無主義はつまらない。絶望してもいい。絶望しても、そこから希望へ転換する。鍵となるのは幻想だ。理想や希望を幻想と位置づけるのである。積極的に幻想を抱くことによって、絶望を超克するのだ。UFO映像がフェイクだったからといって、虚無主義になっている場合ではない。むしろ陰謀論という幻想をもって、裏読みをする。積極的に幻想を抱くことによって、次に進む。結果、新たな事件の深層へと迫ることができるのだ」と述べるのでした。


虚実皮膜論」では、「この世は、はたして実在しているのか。それとも虚像なのか」という問題を取り上げ、著者は「存在自体が不確かなものである以上、超常現象だってありうる。ムー的な世界は、まさに現実と虚構の狭間にある。現実世界と異世界の間、マージナル領域にこそ真理が隠されているのだ。江戸時代、近松門左衛門は、現実と虚構の境界に芸術の妙、すなわち真実があると説いた。彼の芸術論は「虚実皮膜論」と呼ばれる。現実とも、虚構ともいえない、皮膜のような境界にこそ、もっとも大切な真理が隠されているというわけである」と述べます。


まさに幽霊などは、この虚実の境界、皮膜に存在するものです。亡霊は現実世界に姿を現していますが、実在はしません。死んだ人はあの世にいますが、亡霊はこの世に現れます。著者は、「あの世とこの世の境界、まさに皮膜に亡霊は投影されているといえるかもしれない。陰陽二元論で語られる世界にあって、ムー的世界は一種の虚実皮膜論である。事実と虚構の境界にこそ、もっとも魅力がある。虚実皮膜論からすれば、ムー的世界は事実と虚構を超えた『真実』なのである」と述べます。


ユリ・ゲラー 超能力と手品とフリーメーソン」では、「超能力は存在するのか」として、著者は「長年、この世界を見てきて、つくづく思うのは、裏の裏には裏があり、そのまた裏がある・・・・・・という、目のくらむような迷宮の存在である。映画『羅生門』よろしく、だれが真実を語っているのかわからなくなることはもちろんのこと、180度ならぬ360度回って、最初の証言が正しかったというケースもある。とくに超能力問題は、やっかいである。UFOが異星人の宇宙船だとする説を専門のプラズマ物理学で一刀両断にした早稲田大学大槻義彦名誉教授も、超能力問題に関しては難儀したようである。あるとき『もう超能力は、こりごりだ。よっぽどUFO問題のほうが気が楽だ』と、こぼしていた。察するに、かなり面倒なことに巻き込まれたのだろう」と述べています。


清田益章 念力の念とは『今の心』」では、超能力者として有名だった清田益章氏が取り上げられ、「『鏡』の言霊」として、「超能力の世界を表現するにあたって、清田氏は独自の言霊を語る。スプーン曲げは念力である。『念』は『今の心』と書く。過去でも未来でもなく、まさに今。ここに意識を集中させて、超常現象を起こす。今は『過去=カコ』と『未来=ミライ』、いわば『カコ・ミライ』の両方でもあるわけで、これこそ『カミ』、つまり『神』なのだという。これは、途轍もないことである。スプーンが曲がった未来を引き寄せるということは、スプーンが曲がった世界を創造していることにもなる。創造主、つまりは神である。『今心』の状態になれば、神の境地に至るのかもしれない」と書かれています。


第5章「ムー的重要人物」の「グラハム・ハンコック 超古代文明の権威、あくなき謎への挑戦」では、「超古代文明がアカデミックに議論される時代」として、「先史文明は確かに存在した。ハンコック氏が長年、注目して調査してきたトルコのギョベクリ・テペ遺跡が年代測定の結果、今から約1万2000年前に建設されたものであることが判明したのだ。まさに歴史の常識が塗り替えられた。ハンコック氏の主張は正しかったのだ。しかし、なぜ先史文明は滅んだのか。文明の断絶は、どうして起こったのか。ハンコック氏の疑問は、ここにあった」と述べています。


世界中に存在した先史文明が滅亡した理由について、著者は「それは地球的規模の天変地異だったに違いない。時代から考えて、おそらく氷河期が終焉したことと無関係ではないだろう。考えられるとすれば、隕石の激突である。隕石や小惑星が地球に衝突すれば、莫大なエネルギーが放出されて温暖化し、世界中の氷が解けて気候変動が起こったとしても不思議ではない。かねてから隕石激突説を研究してきたハンコック氏だが、ついに犯人を特定することに成功する。ヤンガードリアス彗星である。ヤンガードリアスとは氷期の名前である。表記によっては新ドリアス期とも称する。最終氷期にあって、突如、地球が急激に寒冷化した。時期は今から約1万2800年前。原因は彗星の激突であった」と述べます。


衝突の際に巻き上がった粉塵が大気に拡散して太陽光が遮断され、平均で10度も寒冷化しました。恐るべきことに、この状態が約1300年も続きました。著者は、「先史文明が築かれたのは、この時期だ。人類は温暖な地域に移住し、そこで文明を発達させた。今よりも、ずっと海水面は低く、大陸棚が陸地として広がっていた。ここに世にいう超古代文明が存在していたのである。だが、これまた突如、気候変動が起こる。今度は逆に急激に温暖化したのだ。約1万1500年前、長らく続いた氷河期が終焉したのである。原因は、やはり彗星だった。ヤンガードリアス彗星が再び地球に降り注いだ。ただし、今回は陸地ではなく、主に海に落下した。衝突エネルギーは海水を蒸気にし、温室効果をもたらした。これにより世界中の氷が解けて、大洪水が発生。海面も上昇したのである」と述べます。


世界的な天変地異と温暖化によって、標高の低い平野部に建設されていた都市は、すべて水没。高度な超古代文明は、瞬く間に滅んでしまいました。著者は、「これが後に、約1万2000年前に滅亡したというアトランティス文明やムー文明の伝説として語りつがれてきたというわけである。滅亡をまぬがれた人々が再び高度な文明を築くには、それから数千年の歳月が必要だった。かくして、先史文明の存在は忘れ去られ、その残照が謎の超古代遺跡として語られるようになったのである」と述べるのでした。


第6章「ムー的ミステリーの裏の裏」の「UMAとトリック」では、もし仮にUMAが存在するとすれば、それは絶滅危惧種であるとして、著者は「めったに目撃されないのだから、まさに希少種中の希少種。極レアな動物であり、すぐにでも保護しなければならないレッドデータアニマルなのである。それゆえ、UMAが出現するとされる地にはユネスコが調査に赴いている。正体を特定するまでには至っていないが、絶滅危惧種が存在する可能性があるゆえ、情報を収集しているのである」と述べています。


UFOは軍事問題ですが、UMAは環境問題なのです。著者は、「UMAが生息している場所は積極的に環境整備を行わなければならない。ネッシーがいるネス湖はもとより、ジャノがいるトルコのヴァン湖、さらには雪男のいるヒマラヤなど、地球温暖化等の気候変動が、こうした生物の生息域を破壊している可能性は十分ある。アメリカの獣人UMAであるビッグフットは国立公園に出現するケースが多く、これをきっかけに環境保護を訴える人たちもいる」と述べます。


また、「ネッシー写真のトリック騒動」として、著者は「UMAでいえば、ネッシーの写真である。UMA研究家の間では「外科医の写真」として知られるネッシー写真は、あまりにも有名だ。ネッシーの正体として期待されている絶滅水棲爬虫類プレシオサウルスそっくりの姿が写っているため、こぞってネッシーのアイコンとして使われる。1934年、ロンドン在住の外科医が鳥を撮影しようとネス湖を訪れた際、突如、湖面から現れた怪物に遭遇。持っていたカメラで撮影したという触れ込みだが、これについて60年ほどたった1993年、すべては嘘だったという報道が流れた。撮影者の知人がネッシーの模型を湖面に浮かべて、エイプリルフールのジョークとして写真を捏造したのだという」と述べます。


しかし、真相はまったく異なりました。著者は、「模型を浮かべたトリックだったというエピソード自体がジョークなのだ。このあたり、話が実にややこしい。超常現象研究家の南山宏先生によれば、外科医の写真など、とっくの昔に否定されている。写っているのはネッシーではないことは、UMA研究家なら、だれもが承知しているはずなのだという。どういうことか。実は外科医の写真、一部がトリミングされている。オリジナルの写真は、もっと大きく背景には対岸も写っている。問題の怪物らしき影は非常に小さく、しかも手前の岸に近い。オリジナル写真は連続撮影されたもので、他の写真を見ると、怪物の正体はカワウソであることが一目瞭然なのだ。あえて否定されているネッシー写真をもちだして、実はトリックでしたという告白自体が、欧米人特有のジョークなのだろう。アイコンになっている写真を持ち出すことで、世間の注目を集めようとしたのかもしれないが、まじめなUMA研究家にとっては迷惑な話である」と述べています。


「ビッグフット動画と着ぐるみ」として、ネッシーの外科医の写真と同様、ビッグフットのアイコンとなっているパターソン・フィルムも取り上げられます。1967年10月、アメリカはカリフォルニア州ユーレカのブラフクリークでロジャー・パターソンと友人のボブ・ギムリンによって撮影されたビッグフットの映像です。突如、二足歩行で現れたビッグフットが両手を広げながら歩き、一瞬、カメラのほうを振り返った後、悠々と森の中に消えていきます。著者は、「2004年には、実際に着ぐるみの中に入っていたという人物が現れ、偽造の手口を暴露した。分析では、背中にチャックが見えたともいい、当日の歩く姿を本人が実演した。このことにより、ネッシー騒動と同様、ビッグフットは捏造であり、実在しないという認識が世間に広まった。だが、これもまたジョークにほかならない。それも悪質である。パターソン・フィルムの分析については、これまでデュープか複写によるものが使用されており、トリミングされ、事前に編集されたフィルムが使われてきた。背中にチャックがあったとする分析も、そう見えるだけであって、実際のチャックは確かめられていない」と述べています。


「UMAとトリック」の世界は、このように実に奥が深いのです。あやしいムー的世界では、必ずといっていいほど、状況を複雑にする輩が登場するとして、著者は「本人はジョークのつもりか知らないが、UMAの存在を追求している人たちにとっては迷惑千万な存在でしかない。フェイク動画が多くなり、本物か偽物か見分けが難しいケースが今後、ますます増えていくだろう。そのとき必要なのはムー的リテラシーである。思考のどこかに1パーセントのニュートラル領域を残しておくことが、情報洪水を生き延びる秘訣ではないだろうか」と述べるのでした。


ペンタゴンのUFO機密情報」では、2021年、この年はアメリカにとって歴史的な節目となったと指摘します。6月25日、アメリカ政府はUFOの存在を公式に認めたからです。著者は、「国防総省ペンタゴンの正式な調査レポートをもとに、UFOが実在することを政府として公認したのである。この瞬間から、もはやアメリカ議会はUFOの存在を否定したり、ジョークでごまかすことはできなくなってしまったのである」と述べています。UFOに関する一連のアメリカ軍の動きには、ひとつ特徴があるといいます。一貫して、UFOという言葉を使っていないのです。代わりに「UAP=未確認航空現象」という言葉を用いています。現象と表現することによって、エイリアンの宇宙船などではなく、もっと広い意味でUFOを捉えているわけです。



UFOは軍事用語であるといいます。著者は、「アメリカ軍のエドワード・ルッペルト大尉の造語である。表面的に未確認飛行物体という字面だが、そこには地球外知的生命体によってコントロールされている飛翔体という意味があるのだ。したがって、安易にアメリカ軍はUFOという言葉を使えないのだ。今回のペンタゴンのレポートでも、もしUFOなる言葉を使えば、地球外知的生命体の存在を認めることになる。アメリカ軍としては、どうしても、それは避けたい。その思いが透けて見えるのだ」「UFOに関してアメリカ軍の動きは早い。そう遠くない将来、アメリカ軍が地球外知的生命体の存在を正式に認めるだろう。それに向けて、着々と準備を始めている。国民はもとより、全世界の地球人たちの常識を一変させるほどの衝撃があるゆえ、最新の注意を払う必要がある。慎重ではあるが、着実に事態は進んでいる。ある意味、世間が『ムー』に追いついてきた。月刊『ムー』の記事は正しかったことが証明される日が、もうそこまで来ている。まさに、世も末である」と述べるのでした。


「古代宇宙飛行士来訪説」の冒頭を、著者は「歴史の教科書によれば、人類の文明は約6000年前に発祥した。かつてはメソポタミア文明エジプト文明インダス文明、そして黄河文明をもって四大文明と称していたが、最近では、こういった表現はしない。長江文明やアマゾン文明など、ほかにも古い文明が存在することが明らかになってきたからだ。しかし、メソポタミア文明の中でも、もっとも古いシュメール文明は別格である。最初から、すべてがそろっていた。社会制度や法律、建築技術、数学など、文明と呼ぶために必要な要素がほぼ完璧な状態でスタートしている。文明は徐々に発達するというマルクス史観的な常識からすれば、明らかに異常である。シュメール文明に先行する先史文明が存在したのではないかといった仮説は、かなり古くからある。場違いな工芸品として知られるオーパーツは、まさしく、その証拠だ」と書きだしています。

 

古代宇宙飛行士来訪説の火付け役となったのがスイスの実業家エーリッヒ・フォン・デニケンで、世界中の古代遺跡を調査し、そこに異星人の関与を見出しました。著者は、「当時の技術では、大ピラミッドやインカの巨石遺構は作ることができない。明らかに異星人の関与がある。アステカの神話では、あるとき世界を創造した天空神ケツァルコアトルが地上に降臨して、人々に文明を授けたとある。デニケンによれば、ケツァルコアトルこそ異星人にほかならない。メソポタミア文明も、しかり。とくにシュメール文明に関しては、もうひとりの論客ゼカリア・シッチン氏が有名だ。彼は神話に登場するアヌンナキは地球を訪れた異星人であると主張。彼らの故郷は太陽系第10番惑星ニビルだと指摘する。惑星ニビルは長楕円軌道をもっており、約3600年周期で地球に接近するという」と述べます。


「謎の渡来人『秦氏』とユダヤ」では、秦氏の首長は「太秦」の称号をもっていたと紹介します。有名な太秦秦河勝です。彼は聖徳太子の舎人でした。著者は、「聖徳太子厩戸皇子と称した。馬小屋で生まれたからだ。世界広しといえども、馬小屋で生まれた聖人は、ふたりしかいない。もうひとりはイエス・キリストである。聖徳太子の誕生伝説には明らかにキリスト教の影響がある。イエスの職業は大工であったが、日本の大工の祖は聖徳太子である。今でも、関西などの大工さんたちは聖徳太子講を組んでいる。聖徳太子は世界最古の木造建築である法隆寺を建設したが、イエスは神の王国を建設しようとした。中心となるエルサレム神殿を建設したのはヒラム・アビフなる人物で、彼こそは秘密結社フリーメーソンの祖である。聖徳太子の周辺には秦氏の建築者集団があり、そのひとつが世界最古の企業として知られる金剛組だ。金剛組聖徳太子フリーメーソンだったといっても過言ではない」と述べるのでした。

 

本書に書かれている情報をすべて真に受けていたら大変ではありますが、本書はいわゆる「トンデモ本」でありません。むしろ、オカルト的話題を積極的に楽しんでいるという大人の遊び的な香りがしています。ガチのオカルティストを格闘家とすれば、著者はプロレスラーだという気がします。そう、格闘技とオカルトは似ています。大量のフェイクの中に一片のリアルが含まれているからです。水商売の相手との恋愛なども似ているかもしれません。ホステスやホストの示す愛情は限りなくフェイクですが、中には真剣にお客に恋してしまうこともある。「オカルト・格闘技・水商売」というのはわたしのロマン三点セットなのですが、フェイクの大海の中に浮かぶリアルの小島を探す船乗りのようなロマンには無限の魅力がありますね。

 

 

2022年9月13日 一条真也

営業責任者会議  

一条真也です。
12日の11時から、サンレー本社の会議室で営業責任者会議を行いました。コロナ前は同じ会議室に全国の責任者たちが所狭しと一同に会していたのですが、新型コロナウイルスの感染防止の観点から、今回も福岡県以外の営業責任者たちはオンライン参加でした。

最初は、もちろん一同礼!

今日のマスクはパンジーの不織布!

 

冒頭の社長訓示で、わたしはパソコン画面の向こうにいる営業責任者たちに向かって、まずは、「コロナ禍で、営業員さんたちが陽性患者になったり、濃厚接触者になったり、じゅうぶんな営業活動もできない営業部も多いでしょう。みなさんのストレスや焦りもよく理解できますが、どうか感染防止を第一に考えて行動していただきたい。まだまだ安心できません。感染対策には最大の注意を払って下さい」と述べました。

感染対策には最大の注意を!


マスクを外しました

 

それから、ブログ「グリーフケアTV取材」で紹介した6日の取材内容について話しました。日本を代表するドキュメンタリー監督である中村裕氏の「貴社で取り組んだ『グリーフケア』の内容をお聞かせください」という質問に対して、わたしは「葬儀という儀式の外の取組みとして、2010年(平成22年)にムーンギャラリーという施設を作り、同時に『月あかりの会』という弊社でご葬儀を行ったご遺族様を中心とした遺族の会を立ち上げました。会では愛する方を亡くされたという同じ体験をした遺族同士の交流の中で少しでも自分の『想い』や『感じていること』を話すことが出来る場を提供することが出来ました。ひとりひとり喪失の悲嘆に対しての感じ方は異なりますが、同じ体験をしたという共通点を持ち、お互いに尊重しあい、気づかう関係性となっています。また交流を行う場の提供により『愛する人を喪失した対処から、愛する人のいない生活への適応』のサポートにもなっていると感じています」と述べました。


有縁社会の再生について


熱心に聴く人びと

 

それから、わたしは「施設の中ではそれぞれが交流しやすいようにフラワーアレンジメントや囲碁や将棋など趣味や興味のあることが行えるようにしており、それぞれが交流しやすい場となっています。気をつけていることは活動についてスタッフもお手伝いはしていきますが、こちら側からの押し付けにならないように、あくまでもそれぞれの自主性を大切にするようにしています。すでに10年以上活動を続けていますが最初のころに参加された方は新しく参加された方へのケアのお手伝いをしたいなど新しい目標を見つけ、生きがいとなっている方も増えてきています。また、この他には亡くなった方を偲び供養のお手伝いとして毎年地域ごとに分かれセレモニーホールを利用し慰霊祭を行い、1周忌・3回忌を迎える方に参加していただいています」と答えました。

グリーフケアの必要性について

 

次に、「今、『グリーフケア』の必要性を強く感じるのはどんな時ですか?」という質問に対しては、「これまでの社会の中では様々な縁がありました。血縁や地縁ということがよく言われますが社会の中で生活する上ではそれ以外にもたくさんの繋がりがありました。また、地域社会には人が集まる場所として寺院などがありました。人と人との繋がりや交流の中でグリーフケアが行われ、死別という事象については葬儀という儀式を行うことによって行われるケアもあったと考えています。しかしながら、現代は『無縁社会』という言葉が生まれてしまうような時代となってきています。そして葬儀を行わないという選択肢を選ぶ方も増えてきているように感じています。そのためこれまであったケアの仕組みが効果を発揮することが出来にくいような現状となっています」と答えました。

これからのグリーフケアについて

 

「これから、どんな『グリーフケア』を実践していきたいとお考えですか?」という質問に対しては、「現代社会では今まであったグリーフケアの仕組みが消失しつつあります。そのため今までの仕組みに変わるグリーフケアを実践する仕組みが必要であることを痛感しています。冠婚葬祭互助会業界ではグリーフケア士という資格認定制度を創設し、グリーフケアの実践のための人員の育成を行っています。これは2021年にグリーフケア資格認定制度として創設、上智大学グリーフケア研究所の全面監修をもとに一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団が制度運営を行うものです。この制度によりグリーフケアを担う人員の育成を図り、グリーフを抱える方へのサポート、ケアするスキルを持った専門家となることで冠婚葬祭に関わるスタッフのグリーフケアに対する意識の向上とともに社会を健全に保つお手伝いを行っていけるような仕組みを実践していければと考えています」と答えました。

死生観の確立が最重要


熱心に聴く人びと

 

そして、互助会業界の利点として日本全国にセレモニーホールをはじめとして多くの施設があり、そこでグリーフケアを行うことが出来ることが考えられます。地域社会においてグリーフケアの拠点となることが出来るということです。今よりグリーフケアがより認知され、住んでいる近くにグリーフを抱える方へのサポート、ケアができる場所があり、実際にグリーフケアが行えるようなスタッフと仕組みがあるようにしていきたいと考えています。またそこで集うことによって縁の再生のお手伝いが出来るようになればと考えています。わたしは、「これらにより社会全体を健全に保つことの一助となるような実践を行っていきたいと考えています。最後に、グリーフケアが目指すところには各自が死の不安を乗り越える『死生観』の確立があると思いますので、そのための読書や映画鑑賞などのアドバイスも行っていけたらと考えています」と述べました。


稲盛和夫の方程式とは?

 

それから、尊敬する経営者であった稲盛和夫氏が逝去されたことに言及し、氏の御冥福をお祈りしました。稲盛氏は、企業経営者として「全従業員の物心両面の幸福」を追求し、「人類社会の進歩発展」に貢献するという思想の根源は、「人として何が正しいかという判断基準」に拠っている極めてシンプルにしてプリミティブなものだと述べています。稲盛氏は「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という公式を打ち出しました。ご本人の経験則に裏打ちされたものだけに強い説得力があります。著書『心を高める、経営を伸ばす』(PHP研究所)で、稲盛氏は「能力とは、頭脳のみならず健康や運動神経も含みますが、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意志で決められます。この能力と熱意はそれぞれ0点から100点まであり、それが積でかかると考えると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい成果を残すことができるのです」と述べています。


稲盛哲学を語る!

 

そして、稲盛氏は一番重要なのは「考え方」であるとして、「考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まであります。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の成果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなります。素晴らしい考え方、つまり人生哲学を持つか持たないかで、人生とは大きく変わってくるのです」と述べています。さらに、稲盛氏は「PROFIT (利益)」「AMBITION(願望)」「SINCERIRTY(誠実さ)」「STRENGTH(真の強さ)」「INNOVATION(創意工夫)」「OPTIMISM(積極思考)」「NEVER GIVE UP (決してあきらめない)」という経営七か条を唱え、7つの文字の頭文字を並べて「PASSION」を訴えました。わが社も、この考えによって経営されていると自負しています。


「利他」から「互助」へ

 

そして、稲盛氏から学んだ「利他」について話しました。コロナ危機によって「利他」への関心が高まっています。マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすることなどは自分がコロナウィルスにかからないための防御策である以上に、自分が無症状のまま感染している可能性を踏まえて、他者に感染を広めないための行為でもあります。ブログ『思いがけず利他』で紹介した本を書いた政治学者の中島岳志氏は、いまの自分の体力に自信があり、感染しても大丈夫と思っても、街角ですれ違う人の中には、疾患を抱えている人が大勢いるだろうとして、「恐怖心を抱きながらも、電車に乗って病院に検診に通う妊婦もいる。通院が不可欠な高齢者もいます。一人暮らしの高齢者は、自分で買い物にも行かなければなりません。感染すると命にかかわる人たちとの協同で成り立っている社会の一員として、自分は利己的な振る舞いをしていていいのか」ということが各人に問われるといいます。

「他力本願」の意味について 

 

人間が自身の限界や悪に気づいたとき、「他力」がやって来ます。「他力本願」というと、「他人まかせ」という意味で使われますが、浄土教における「他力」とは、「他人の力」ではなく、「阿弥陀仏の力」です。「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではなく、大切なのは、自力の限りを尽くすことです。自力で頑張れるだけ頑張ってみると、わたしたちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そして、自己の絶対的な無力に出会うとして、中島氏は「重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、『他力』が働くのです」と述べています。 それが大切なものを入手する偶然の瞬間です。重要なのは、わたしたちが偶然を呼び込む器になることです。

互助社会を実現しよう!

 

偶然そのものをコントロールすることはできませんが、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」であるというのです。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めるのではないでしょうか。そして、「利他」の起動とは「互助」の発動でもあります。コロナ後の社会が目指す姿は、まさに互助社会です。そして、互助社会の中核をなすものこそ互助会です。最後に、「わが社は、互助社会を実現するための最先端企業でであり続けましょう!」と言って、わたしは1時間の社長訓示を終えました。オンライン参加者も含め、多くの熱い視線を感じたことは言うまでもありません。

最後はもちろん一同礼!

 

 

2022年9月12日 一条真也

ハロウィン★アフタヌーンティーフェア

一条真也です。
すっかり秋の気配ですね。松柏園ホテル のリゾートレストラン「ザ・テラス」において9月15日より「ハロウィン★アフタヌーンティーフェア」を開催します。完全予約制で、10月31日までとなります!

ハロウィン★アフタヌーンティー

 

蜘蛛の巣チョコをトッピングしたカラメルマロンやかぼちゃのタルトなどetc・・・陽気でポップなおばけの装いで「秋の味覚」が大集合。ホテルだからこそ出来る広々とした空間で感染予防対策も万全。プールサイドのテラス席やキッズスペースも設置、期間中は「ハロウィン専用のフォトブース」も登場します。

ヌン活女子も大満足!


インスタ映えもバッチリ!

 

北九州でのヌン活女子(アフタヌーンティーを楽しむ活動をする女子)注目の、ヴィヴィットカラーのスイーツやオープンサンド、ソムリエセレクトのドリンクもついて期間限定お一人様3,200円(税込)でお楽しみいただけます。さらに+500(税込)円でスパークリングワインもサービス。人気イベントですのでご予約はお早めに! 
詳しくは、 松柏園ホテル公式HPの「こちら」まで!


秋の味覚をお楽しみ下さい!

 

2021年9月12日 一条真也

21年目の「9・11」

一条真也です。
このブログ記事は、9月11日の9時11分にUPしました。新型コロナウイルスに人類が翻弄されて3年目、今年も9月11日になりました。世界を揺るがせたテロ事件から、21年が経過したことになります。世界中の人々が大いなる希望を抱いた21世紀は深い悲しみから始まりました。今世紀は、悲嘆に満ちた世紀としての「グリーフフル・センチュリー」となったのです。



わたしは、2001年10月1日に株式会サンレーの社長に就任しました。その直前の9月11日に起こったのが、米国同時多発テロ事件でした。ニューヨークの世界貿易センタービルでは、じつに2753人が犠牲になりました。ブログ「グラウンド・ゼロ」に書いたように、2014年の9月、わたしはニューヨークを訪れました。マンハッタンの各所を回りましたが、「グラウンド・ゼロ」が最も強く印象に残りました。


「9/11 MEMORIAL」に向かう

犠牲になった消防士のモニュメント

 

Wikipedia「グランウンド・ゼロ」には、以下のように書かれています。
グラウンド・ゼロ(英: ground zero)とは、英語で『爆心地』を意味する語。強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾水素爆弾の爆心地を指す例が多い。従来は広島と長崎への原爆投下爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地、また核保有国で行われた地上核実験での爆心地を『グラウンド・ゼロ』と呼ぶのが一般的であった。しかし、アメリカ同時多発テロ事件の報道の過程で、テロの標的となったニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)が倒壊した跡地が、広島の原爆爆心地(原爆ドーム、正確には原爆ドーム近隣の島病院付近)を連想させるとして、WTCの跡地を『グラウンド・ゼロ』とアメリカのマスコミで呼ばれ、これが定着した」


「9/11 MEMORIAL」の入口

「9/11 MEMORIAL」モニュメントの前で

 

WTCは、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が管理していました。Wikipedia「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の「同時多発テロ事件とその後」には、「2001年9月11日の同時多発テロ事件での世界貿易センターの崩壊は、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社にも大きな打撃を与えた。港湾公社の本部もまた世界貿易センターにあり、職員にも多くの犠牲を出した。事件当時、約1400名の職員が世界貿易センターで勤務していたと推定されている。そのうち、ポートオーソリティ警察の警官37名を含む、84名の職員が事件で死亡した。事件で死亡した職員の中には、同年4月からエグゼクティブ・ディレクターを務めていたニール・d・レビンやポート・オーソリティ警察の警視フレッド・モローンもいた。崩壊後の救助作業により、ポート・オーソリティ警察の警官2名が、崩壊から24時間を経過した後で9mもの高さに積み上がった瓦礫の下から救助された。後に、この2名の警官の救出劇はオリバー・ストーン監督、ニコラス・ケイジ主演の映画『ワールド・トレード・センター』で描かれた」と書かれています。


新しい風景が生まれていました

 

現在、世界貿易センターの跡地には「9・11メモリアル」のモニュメント、そしてフリーダムタワー(Freedom Tower)が建っています。フリーダムタワーは2009年に「ワールド・トレード・センター・コンプレックス」と名称変更され、2014年末に完成。


新しい風景の中で

 

日本人にはあまり知られていませんが、9・11以降じつに半年にわたってニューヨークの人々は悪臭に苦しめられたそうです。雨が降ると、街中にプラスチックの焼ける臭いが立ち込めました。グラウンド・ゼロの地下では、ずっと火が消えておらず、くすぶり続ける大量の瓦礫が山のように積み重なっていました。雨が降ると、それらが自然鎮火されてプラスチックを焼いたような悪臭が漂ったのです。ダウンタウン一帯が悪臭に包まれ、30分もすると頭が痛くなってきたとか。そんな話、初めて知りました。


全犠牲者の名前がプレートに刻まれています

 

そんな歴史を持つ場所に新しい風景が生まれていました。わたしはグランウンド・ゼロで犠牲者の冥福を祈って合掌し、心からの祈りを捧げました。帰り道、犠牲者のための寄付を募っていました。わたしが貧者の一灯を募金箱に入れると、「9/11 MEMORIAL」と書かれた白いリストバンドを貰いました。今でも大切にしています。


白いリストバンドを貰いました

 

1999年7の月、ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」は降りませんでした。20世紀末の一時期、20世紀の憎悪は世紀末で断ち切ろうという楽観的な気運が世界中で高まり、人々は人類の未来に希望を抱いていました。 20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代でした。何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀と言えるでしょう。もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が1度ならず2度も起こったのです。その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上。そんな殺戮の世紀を乗り越え、人類の多くは新しく訪れる21世紀に限りない希望を託しました。



しかし、そこに起きたのが2001年9月11日の悲劇だったのです。テロリストによってハイジャックされた航空機がワールド・トレード・センターに突入する信じられない光景をCNNのニュースで見ながら、わたしは「恐怖の大王」が2年の誤差で降ってきたのかもしれないと思いました。いずれにせよ、新しい世紀においても、憎悪に基づいた計画的で大規模な残虐行為が常に起こりうるという現実を、人類は目の当たりにしたのです。あの同時多発テロで世界中の人びとが目撃したのは、憎悪に触発された無数の暴力のあらたな一例にすぎません。こうした行為すべてがそうであるように、憎悪に満ちたテロは、人間の脳に新しく進化した外層の奥深くにひそむ原始的な領域から生まれます。また、長い時間をかけて蓄積されてきた文化によっても仕向けられます。それによって人は、生き残りを賭けた「われら対、彼ら」の戦いに駆りたてられるのです。

 

 

グローバリズムという名のアメリカイズムを世界中で広めつつあった唯一の超大国は、史上初めて本国への攻撃、それも資本主義そのもののシンボルといえるワールド・トレード・センターを破壊されるという、きわめてインパクトの強い攻撃を受けました。その後のアメリカの対テロ戦争などの一連の流れを見ると、わたしたちは、前世紀に劣らない「憎悪の連鎖」が巨大なスケールで繰り広げられていることを思い知らされました。まさに憎悪によって、人間は残虐きわまりない行為をやってのけるのです。そんなことを考えて、わたしは『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を2005年9月に上梓しました。そして、それから14年後の2019年9月、『心ゆたかな社会』(現代書林)を脱稿。同書は今年の6月に刊行されました。

 

 

21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたと言ってよいでしょう。あの事件はイスラム教徒の自爆テロリズムによるものとされていますが、この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないということを誰もが思い知りました。世界における総信者数で1位、2位となっているキリスト教イスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教です。つまり、このユダヤ教キリスト教イスラム教の源は1つなのです。ヤーヴェとかアッラーとか呼び名は違っても、3つとも人格を持った唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典をいただく「啓典宗教」です。啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことです。おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とします。わたしは、21世紀を生きる上で、日本人はこの三大一神教についてより深く知ることが不可欠であると考え、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)を書き、3つの宗教ともに月信仰がベースにあることを突き止めました。

 

 

アポロの宇宙飛行士の中には、月面で神を感じた者もいたといいます。詳しくは、ブログ『月面上の思索』をお読み下さい。月から地球を見ると、かのエベレストでさえも地球の皺にしか見えないといいます。それと同じように、神という絶対的な存在にとってみればどんな権力者も貧乏人も民族も国籍も関係ありません。人間など、すべて似たようなものなのです。「アッラーの前には、すべての人間は平等である」と考え、イスラム教を月の宗教としたムハンマドは、このことにおそらく気づいていたのでしょう。月の視線は、神の視線なのです。アポロの宇宙飛行士たちは、まさに神の視線を獲得したのです。そして、すべての宗教がめざす方向とは、この地球に肉体を置きながらも、意識は軽やかに月へと飛ばして神の視線を得ることではないでしょうか。わたしには、そう思えてなりません。


考えてみれば、月はその満ち欠けによる潮の干満によって、人類を含めた生命の誕生と死を司っています。そして、月は世界中の民族の神話において「死後の世界」にたとえられました。世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。彼らは、月を死後の魂の赴くところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。

 

 

多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然でしょう。死なない人間はおらず、それゆえに死は最大の平等です。すべての人間が死後、月に行くのであれば、これほどロマンのある話はないし、そこから宗教を超えた人類の心の連帯が生まれるのではないでしょうか。そんなことを考え、わたしは『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)を書きました。すべての宗教を超え、地球上の人類は月を見上げるべきである。月を見よ、死を想え! 最古の月神シンの記憶を蘇らせよ!  それが「人類平等」「世界平和」への第一歩であると確信します。

 

 

月といえば、一昨年、宗教哲学者の鎌田東二先生との共著『満月交心』(現代書林)を上梓しました。その「あとがき」で、鎌田先生は「コロナ騒ぎの渦中で『満月交心』と題するルナ問答を出す。その意味を考えざるをえない。コロナは太陽をかたどる高温ガス層である。もともとcoronaは『王冠』を意味したが、19世紀の初めに天文学者日蝕の際にも輝く太陽光のゆらめきをコロナと称した。コロナは太陽、ルナは月である。大きな違いは、コロナが昼の光となり、ルナが夜の光となること。そして、コロナがほぼ一定しているのに対して、ルナは満月から新月まで、有から無まで、見かけ上日々刻々とはっきりと変化している点である。それゆえ、太陽やコロナは普遍性や不動を象徴するが、ルナすなわち月は生成変化してやまない諸行無常の象徴となる。そんなルナ的諸行無常に見合う夜の時代の夜行行動様式の再編と再構築がもとめられているのかもしれない」と書かれています。

 

 

そう、「9・11」から21年が経過した今、わたしたち人類はコロナの只中にいます。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書いたように、新型コロナウイルスに人類が翻弄される現状が、わたしには新しい世界が生まれる陣痛のような気がしてなりません。こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国があります。自然災害なら被災国と支援国があります。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」です。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じかもしれません。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にする存在なのです。「9・11」で分断された世界がコロナによって連帯することを願ってやみません。

 

2022年9月11日 一条真也