「ビースト」

一条真也です。
9日公開のスリラー&アクション映画「ビースト」をシネプレックス小倉で観ました。ネットの評価には「期待せずに観たら大満足!」的なものが多いですが、わたしもまったく同感。パニック映画の王道にプラスして、グリーフケア映画の要素もあり、興味深く観ることができました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「アフリカの広大なサバンナを舞台に、人間を憎む凶暴なライオンに遭遇した一家を描くサバイバルアクション。娘たちと旅行を楽しんでいた男が、現地の住民から魔獣と恐れられるライオンと死闘を繰り広げる。監督は『エベレスト3D 』などのバルタザール・コルマウクル、脚本は『ランペイジ 巨獣大乱闘』などのライアン・イングルが担当。『マンデラ 自由への長い道』などのイドリス・エルバ、『第9地区』などのシャールト・コプリーのほか、イヤナ・ハリー、リア・ジェフリーズらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「医師のネイト・ダニエルズ(イドリス・エルバ)は娘二人と共に、亡き妻と初めて出会った南アフリカを旅行する。現地で狩猟禁止保護区を管理する旧友の生物学者・マーティンと再会した彼は、広大なサバンナでのドライブを楽しむ。そんなとき、密猟者の魔の手から生き延びたことで人間への憎悪を募らせた、魔獣と呼ばれる凶暴なライオンが出現し、ネイトは娘たちを守るため命懸けの闘いに身を投じる」となっています。


この映画には1組の家族が登場します。父ネイトは医師としてアメリカで活躍していましたが、妻のアマーレを不仲のまま癌で亡くし、後悔の念に囚われていました。彼には2人の娘がいました。写真家を目指す姉のメラは、母の死の際に不在だった父を許しませんでした。妹のノラは、母の死後にギクシャクしている家族を何とかしたいと思い、13歳ながらもセラピストになりたいと考えていました。


映画「ビースト」では、この父娘が凶暴なライオンの登場によって信頼関係を回復し、絆を結び直していくさまが描かれた映画なのですが、じつは、もう1つのグリーフがありました。凶暴なライオンは、密猟者によって群の仲間を皆殺しにされて孤立してしまった存在でした。映画「ビースト」では、家族を失って悪魔になってしまった雄ライオンと、残った家族を必死に守ろうとする父との、雄同士の「悲しみの戦い」が描かれているのです。ライオンと人間によるグリーフvsグリーフ!


わたしは、かつて娘たちをサファリパークに連れて行ってライオンを見せたことがあります。ライオンバスに乗って餌をやったり、ライオンの赤ちゃんを見たこともありましたね。わたしは、1965年のイギリス映画「野生のエルザ」が好きでした。ジョイ・アダムソン原作のノンフィクションをもとにした動物映画です。ケニアの動物保護官であるアダムソン夫妻は、人食いとして射殺されたライオンの子供をエルザと名づけて育てることにしました。エルザは夫妻に良くなついていましたが、やがて2人は一時的にケニアを去ることになります。夫妻は、エルザを動物園に入れず、野生に戻すことを決心するのでした。映画「ビースト」の冒頭にはライオンと人間が心を通わすシーンもあって、わたしは「野生のエルザ」を思い出しました。



映画「ビースト」を観た者は、誰でも密猟者に対して激しい怒りを感じることでしょう。そして、「ビースト」つまり真の獣とは、密猟者の殺戮によって群から孤立したライオンではなく、金のために違法な密猟を繰り返す奴らであることを知るでしょう。それにしても、映画の終盤部分で、ネイトがライオンと肉弾戦を繰り広げる部分は感心できませんでした。あまりにもリアリティがないからです。かつて、極真空手創始者である大山倍達は牛と闘い、彼の弟子だった黒人空手家のウィリー・ウィリアスは(サーカスの)熊と闘いましたが、人間がライオンと闘うことはできません。獅子の一撃で、人間は確実に死にます。ライオンと人間の死闘を描くならば、ネイトの職業は医師ではなく格闘家にして、俳優もイドリス・エルバではなく、ドウェィン・ジョンソンあたりにすべきだったでしょう。


しかし、ここ最近、人間がエイリアンとかゾンビとか悪霊に襲われるSF映画やホラー映画ばかり観ていたので、猛獣に襲われる物語というのは新鮮でした。パニック映画の古典である「JAWS/ジョーズ」(1975年)を思い出しましたね。ピーター・ベンチリーのベストセラー小説を若きスピルバーグが映画化したメガヒット・ムービーです。平和な海水浴場に突如出現した巨大な人喰い鮫が登場するスリラー映画です。観光地としての利益を求める市当局によって対応が遅れ犠牲者の数は増すばかりとなりますが、遂に警察署長ブロディと漁師クイント、海洋学フーパーの3人の男たちが鮫退治に乗り出します。海で最強なのは鮫、陸で最強なのはライオン・・・・・・パニック映画としての映画「ビースト」は「陸のジョーズ」といった印象で、けっこうハラハラドキドキしました。


「ビースト」では、ジープの車内という狭い空間でライオンの襲撃から娘たちを必死で守るネイトの姿が感動的でした。父親と母親という違いはありますが、襲撃者からわが子を死守するドラマということで、デヴィッド・フィンチャー監督の映画「パニック・ルーム」(2002年)を連想しました。4階建ての高級タウンハウスには、ある隠された部屋が存在しました。コンクリートの厚い壁。他とは完全に独立した電話回線と換気装置。そして、家中を映し出すモニターと完璧なまでの防犯システム。その部屋が作られた目的は、たったひとつ、決して誰も侵入させないこと。離婚して娘と2人だけで新しい家に移り住んだメグ(ジョディ・フォスター)でしたが、突然3人の残忍な強盗が押し入ってきます。メグは、咄嗟に娘を抱えて “パニック・ルーム”と呼ばれる秘密の隠れ部屋に身を潜めて、恐るべき侵入者たちと闘うのでした。

 

 

最後に、映画「ビースト」の上映時間は93分でしたが、これはベストでした。この物語で、これ以上長いと確実にダレます。元東大総長で映画評論の第一人者である蓮實重彦氏は、最新刊『見るレッスン~映画史特別講義~』(光文社新書)の中で、「90分ですべては描ける」として、映画というものは、ほぼ90分で撮れるはずだと訴えています。蓮實氏は、「90分ぐらいに収まっている作品の中に優れたものが多い。これはなぜなのかというのを突き詰めなければなりません。現在では、どういうわけか2時間20分が平均になっています。そうすると、140分もの間、観客を惹きつけておくだけの価値が彼らの演出にあるかといえば、とてもそうは考えられない」と述べています。この考えには、ある程度、同感です。90分ぐらいだと、ちょっとした空き時間に鑑賞することも可能ですが、まさにこの日、わたしは用事と用事の間の空白の時間を使って映画「ビースト」を鑑賞。期待していなかったぶん満足度が高かったのも含め、得した気分になりました。

 

2022年9月10日 一条真也

夫人同伴観月会

一条真也です。
9日の夜、門司港にある料亭「三宜楼」で開かれた小倉ロータリークラブの「夫人同伴観月会」に参加しました。

三宜楼の入口


歴史を感じさせます

非常に趣のある造りです


今夜は満月をイメージした装いで・・・

 

三宜楼は、かつての門司港の繁栄を物語る料亭です。往時は、門司港料亭トップ3の一画とも伝えられています。昭和6年に建てられた三宜楼は、木造3階建てで、現存する料亭の建屋としては九州最大級とのこと。かの出光佐三翁も足しげく通ったといいます。


観月会のようす

三宜楼の歴史を動画で紹介


観月会のしつらい

今夜は夫婦で参加しました

栄華を誇った三宜楼も、昭和30年頃には廃業。その後平成17年には売りに出されることになりました。 それを聞いた地元の有志たちが、「 三宜楼を保存する会」を結成し、募金と保存を求める署名活動を開始。1年の間に、募金1900万円と16000名の署名を集め、平成19年には、「保存する会」が所有権を取得。その後北九州市に寄贈され、平成24年保存修理工事に着手、平成26年3月には本体工事を終えました。 甦った 三宜楼は、門司港を愛する8つの団体によって構成された「三宜楼運営協議会」が、建物を借り受け運営しています。


満月をイメージしたお椀


ふぐ菊花ちらし


ネギの下にはフグのぶつ切りと皮が・・・


フグの唐揚げが美味しかった!

 

この日の「婦人同伴観月会」では、新たに小倉ロータリークラブに入会されたばかりのトップ保険サービスの野嶋社長ご夫妻がわたしたち夫婦の向かい側に座られました。野嶋社長はわたしの高校の同級生で親友の1人であり、野嶋夫人とうちの妻も旧知の仲ですので、4人で大いに会話が盛り上がりました。


3階で月を見る人びと


見事な月の横には龍のような雲が・・・


龍雲が月に吸い込まれていきました


古い着物や鬘が展示されていました

この日は「中秋の名月」の前夜ということで、三宜楼の3階の窓から月がよく見えました。その月のすぐ近くには龍のような形の雲があったのですが、その龍雲がすーっと月の中に吸い込まれていくという神秘的な光景もカメラに収めました。この日は、美味しいフグ料理に舌鼓を打ちながら、6月5日に行った長女の結婚披露宴にご参列いただいたロータリアンの方々に夫婦で御礼を申し上げました。帰りは、野嶋夫妻のご好意でタクシーに同乗させていただきましたが、帰宅すると、わが家の庭の上空にも見事な月が輝いていました。


わが家の庭の上空の月

 

2022年9月10日 一条真也

大分から小倉へ!

一条真也です。
9日の早朝、別府のリゾートホテル「アマネリゾート  ガハマ」の客室で目を覚ましました。ブログ「太陽と月 2022」で紹介したように日の出の撮影に失敗したわたしは朝食を済ませて、ホテルをチェックアウトしました。


JR大分駅の前で


JR大分駅にて

 

迎えの車に乗ったわたしは、 サンレーの東専務・小久保部長と一緒に大分市へ。そこで重要な仕事を終えてから、JR大分駅へと向かいました。大分駅では、祐徳常務の用意してくれた弁当を受け取りました。大分駅のホームの待合室で休もうとしたら、なんとそこは世にも奇妙なアート作品の展示スペースになっていました。


ホームの待合室を人体模型が占拠!


かつては怪物も占拠していた!

 

この日は、待合室に人体模型みたいなモノがたくさん吊り下げられていましたが、ネットで調べると、以前は怪物が出現したこともあるそうです。でも、ここは駅のホームという公共の場なのですから、変なオブジェを飾るよりも、乗客の待合室という本来の用途で使用すべきです。変な人体模型や怪物に占拠されて、外に締め出された乗客が暑い思いをするのは本末転倒。まったくズレた企画!(怒)


ソニック28号で小倉へ!


ソニック28号の車内で


車窓からも人体模型が見えました


お弁当を食べました

お弁当の中身

 

わたしは、12時10分発のソニック28号に乗り込みました。まずは、昼食に祐徳常務が用意してくれた「利休」という弁当をいただきました。全国各地で駅弁をよく食べるわたしですが、この弁当は非常に美味しかった。焼鮭も、卵焼きも、麩も、野菜の煮物も、牛肉のしぐれ煮も、すべて上品な味付けでした。さすがは上品な祐徳常務!


食後に読書しました

 

食後は、アイスコーヒーを飲みながら読書をしました。
この日は、『映画を見ると得をする』池波正太郎著(新潮文庫)を読みました。ブログ『仕事と人生に効く教養としての映画』で紹介した本の中でもたくさん引用されている本です。スマートな映画観賞は男の作法であると池波正太郎が訴え、「映画を100倍愉しむヒケツ」を伝授します。なぜ映画を見るのかといえば・・・・・・人間は誰しも1つの人生しか経験できない。だから様々な人生を知りたくなる。しかも映画は、わずか2時間で隣の人を見るように人生を見られる。それ故、映画を見るとその人の世界が広がり、人間に幅ができ灰汁ぬけてくる。シネマディクト(映画狂)の著者が映画の選び方から楽しみ方、効用を縦横に語り尽くした名著で、とても面白かったです。映画の本といえば、映画の本といえば、わたしの次回作『心ゆたかな映画』(現代書林)が来月初めにいよいよ発売されます。どうぞ、お楽しみに!


生き物みたいな雲を発見!



読書の合間に、ふと車窓に目をやると、秋の空に生き物みたいな大きな雲が浮かんでいました。しばらくして、またその雲を見ると、まったく動いていないように見えました。動かない雲といえば、ブログ「NOPE/ノープ」で紹介したSF映画にも登場していたことを思い出しました。「NOPE/ノープ」はジョーダン・ピール監督の最新作で、非常に面白い映画でした。


JR小倉駅に到着しました


さあ、小倉に帰ってきたぜ!

 

そうこうしているうちに、13時37分にJR小倉駅に到着しました。日の出撮影のために今朝は5時起きで、睡眠不足ですが、頑張ります。今夜は、門司港にある料亭「三宜楼」で開かれる 小倉ロータリークラブの「夫人同伴観月会」に参加します。そこで、6月5日に行った長女の結婚披露宴にご参列いただいたロータリアンの方々に夫婦で御礼を申し上げるつもりです。

 

2022年9月9日 一条真也

太陽と月 2022

一条真也です。
大分県の別府に来ています。
今朝は、「アマネリゾート  ガハマ」の客室のバルコニーから日の出を撮影したかったのですが、厚い雲に阻まれて朝日を拝むことはできませんでした。まことに残念です。


今年は日の出を撮影できず!


朝焼けを背に露店風呂に入るも残念無念!

 

ブログ「太陽と月」に書いたように、2年前の10月にこのホテルに投宿したときは、撮影に成功しました。ブログ「太陽の道」に書いた昨年10月は星野リゾートに投宿しましたが、このときも成功しました。もしかしたら、9月よりも10月の方が成功率が高いのかもしれません。

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2年前に撮影した別府湾の日の出


今朝の別府湾のようす

 

今朝の別府湾も日の出の時刻に雲の下方がオレンジ色に染まり、それなりに美しい光景ではありましたが、「お天道さま」つまり太陽そのものが拝めないと、やはり失望感があります。オレンジ色の空を背景に海には一艘の小舟が浮かんでいたのですが、「あの小舟の船頭は自分だ!」と思いました。太陽を追うというのは、大志を求めることのメタファーだと思います。高いアンビションを掲げながらも、つねに悩み、もがき続けている自分の姿に重なり、しばしこれまでの半生を振り返りました。


あの小舟の船頭は自分だ!

 

それにしても、朝日が見たかったです!
わたしは、太陽をサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「神」と思っています。また、同じく月もサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「仏」と思っています。わたしにとって、太陽と月ほど心惹かれ、かつ畏敬する対象はありません。わが社の「サンレー」という社名には、「太陽の光」という意味があります。太陽は、あらゆる生きとし生けるものに生存のためのエネルギーを与えています。


昨夜の別府湾に上った月

 

ブログ「月夜の露天風呂」で紹介したように、満月の二夜前である昨夜は見事な月が別府湾に上りました。わたしは、太陽と同じく、月にもこよなく心惹かれています。
わが社では、「月の広場」とか「月あかりの会」とか「ムーンギャラリー」といった名称を使っています。さらには、「月への送魂」や「月面聖塔」や「ムーン・ハートピア・プロジェクト」などもあります。



古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えます。



その神と仏が一致する神霊界の一大事件のような現象があります。太陽と月が一致する「皆既日食」や「金環日食」のことです。わたしは、太陽とは神であり、月とは仏ではないかと思います。わたしは、かつて、以下のような歌を詠んだことがあります。

 

ただ直き心のみにて   
見上げれば 
神は太陽  月は仏よ(庸軒)

 

この世界における最大の謎とは何でしょうか? わたしは、地球から眺めた月と太陽が同じ大きさに見えることだと思っています。人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからです。月の直径は、3467キロメートル。太陽の直径は、138万3260キロメートル。つまり、月は太陽の400分の1の大きさです。次に距離を見てみると、地球から月までの距離は38万4000キロメートル。また、地球から太陽までの距離は1億5000万キロメートル。この距離も不思議なことに、400分の1なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけです。なんという偶然の一致!



日食とは、太陽と月が重なるために起こることは言うまでもありません。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を「皆既日食(total eclipse) 」といいます、逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを「金環日食」または「金環食(annular eclipse)」といいます。いずれにせよ、 この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。まさに、太陽と月は「サムシング・グレート」そのものなのですね。これからも、わが社は神仏に仕える企業として、つねに太陽と月を視野に入れながら、「人間尊重」のミッションに努めていきたいと思います。そう、太陽と月は万人に対して平等に光を降り注がせます。わが社は、そのような企業を目指したいと思っています。最後に一言。

陽はまた昇る!

 

2022年9月10日 一条真也

月夜の露天風呂

一条真也です。
大分県の別府に来ています。
9日の夕方、別府を代表するリゾートホテルである「アマネリゾート  ガハマ」にチェックインしました。

アマネリゾート  ガハマ」にチェックイン


客室はオーシャンビュー

 

このホテルに泊まるのは2年ぶりですが、別にバカンスに来たわけではありません。毎年恒例のわが社の「年頭所感」の表紙に使う朝日の写真を撮影するのが目的です。この日は満月の直前でもあり、あわよくば月と太陽の両方の写真をゲットしたいものです!


夕食前に露天風呂に入る幸せ!


食前に菊酒をいただく

 

夕食の前には、部屋に設置された露天風呂に入りました。別府の温泉は最高で、湯に身を浸すと生き返った気がしました。早くコロナが終息して、また社員旅行でみなさんと一緒に温泉に行きたいです。この日の夕食は、「アマネリゾート  ガハマ」内の割烹「松秀」でいただきました。超人気店で予約がなかなか取れないのですが、この日はラッキーでした。料理は満月を意識したコースでしたが、「重陽節句」の前日ということで、最初に菊酒もいただきました。こういう季節感のあるメニューはいいですね。


前菜


満月のお椀


お造り


焼き物


小鮎


メイン料理は「すきシャブ」


デザートは「西瓜の杏仁豆腐」

 

前菜、お造り、焼き物、小鮎・・・・・・お料理は量も多過ぎず、美味しくいただきました。メインのすき焼きとシャブシャブをミックスしたような「すきシャブ」も美味しかったです。デザートの「西瓜の杏仁豆腐」も絶品でした。最近、還暦を前にして美味しいものをいただく機会の多いわたしですが、けっして贅沢のためではなく、経営するホテルや結婚式場の勉強のためです。実際、ビジネス上の学びは非常に多いです。

別府湾に上った月


月を見上げながら露天風呂に入る

 

夕食を終えて部屋に戻ると、窓から見える別府湾の海上に見事な月が浮かんでいました。最初は雲間に見える朧月だったのですが、次第に雲も晴れて行きました。部屋に設置された露天風呂に入ると、頭上に月が浮かびました。月夜の露天風呂ほど、ハートフルなものはありません! 

 

 

そういえば、ブログ「別府にて」で紹介した一昨年の10月2日の夜は、満月を見上げながら露天風呂に入り、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生との共著『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の見本が出たことを祝いました。なつかしい思い出です。今夜も、これからムーンサルトレターを書きます!



わたしは、iPhoneで桑田佳祐の「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」のPVを流して満月を見上げながら、いつまでも温泉に浸かっていました。『満月交心』を著した鎌田先生とわたしは「聖者」というよりは「変人」だと思いますが、この歌に登場する「現在(いま)がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしい!」という歌詞は、すべての人にとって祈りだと思いました。どうか、明朝は見事な朝日が昇りますように!


月夜の露天風呂は最高!


明日は今日より素晴らしい!

 

2022年9月9日 一条真也

小倉から別府へ!

一条真也です。
7日の午後、東京から北九州に戻りました。
8日の朝、わたしは迎えの車に乗って、JR小倉駅に向かいました。そこからソニック11号に乗って別府へ。別府で開催されるサンレー大分の営業推進会議に参加するためです。あと、満月と朝日の写真も撮影する予定です。


JR小倉駅のホームで


ソニック11号で別府へ!


ソニック11号の車内で


車内では読書しました

 

ソニック11号の車内では、駅ホームの自動販売機で買ったアイスコーヒーを飲みながら、いつものように読書をしました。この日は、『映画の構造分析』内田樹著(文春文庫)を読みました。「ハリウッド映画で学べる現代思想」というサブタイトルがついています。現代日本を代表する思想家が映画を通じてラカンフーコーらの難解な術語を分かりやすく説明する画期的な1冊です。この本の目的は、「みんなが見ている映画を分析することを通じて、ラカンフーコーやバルトの難解なる術語を分かりやすく説明すること」にあるとのこと。『エイリアン』と「フェミニズム」、『大脱走』と「父殺し」、「ヒッチコック」と「ラカン」・・・・・・ハリウッド娯楽大作に隠されたメッセージを読み解き、現代思想のエッセンスを伝える、極上の知的エンターテイメントで、著者の初期代表作です。興味深く読みました。映画の本といえば、次回作『心ゆたかな映画』(現代書林)が来月初めに発売されます。

JR中津駅を通過しました

 

JR中津駅を通過するときはホームからわが社の結婚式場「ヴィラルーチェ」がよく見えました。駅側に向けて設置された看板もよく見えました。ブログ「幸福度1位の宮崎へ」で紹介したように、一昨年9月9日にはソニック9号で宮崎県の延岡に向かう途中、中津駅で列車が立ち往生して下車した苦い思い出があります。幸いにも、今日は無事に中津を通過することができました。

JR別府駅に到着しました


JR別府駅の前で


別府の名店「すてーき南蛮館」


名物の豊後牛ステーキ・ランチ


いただきます!

 

別府駅前に到着すると、まずは昼食を食べました。レストラン「すてーき南蛮館」で、250グラムの豊後牛ステーキ・ランチをいただきましたが、大変美味しかったです。病み上がりの身体にスタミナをつけることができました。昼食後は、別府亀川紫雲閣に移動して、サンレー大分の営業推進会議に参加します!

食後は、別府亀川紫雲閣で会議です!

サンレー大分の営業推進会議のようす

 

2022年9月8日 一条真也

『世界のオカルト遺産 調べてきました』

世界のオカルト遺産 調べてきました


一条真也です。
『世界のオカルト遺産 調べてきました』松岡信宏著(彩図社)を読みました。著者は、1981年1月から2021年3月まで外務省に勤務。アラブ諸国を中心とする在外公館勤務の傍ら、数々のミステリー・スポットを実際に訪問。著書に『アラブ・イスラム・中東用語辞典』(成甲書房)があります。また、ブログ『極孔神仮説で神話や遺跡の謎が解ける』で紹介した本をはじめ、「羽仁礼」の筆名で、超常現象に関する著書多数あり。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)の会員でもあります。


本書の帯

 

本書のカバー表紙には、著者と世界のオカルト遺産のイラストが描かれ、帯には「超古代文明、UFO、奇蹟、陰謀論、UMA,怪奇現象・・・世界の謎を訪ね歩くかつてない紀行書」「ASIOS会長 本城達也さん推薦『日本ではなかなか手に入らない、現地に滞在した人ならではの役立つ情報が満載。松岡さんは、クールなオカルト好事家の鑑です』」と書かれています。

本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「UFO、超古代文明、未確認生物、奇蹟、超能力、怪奇現象・・・。世界では常識では説明できないような、不思議なスポットがある。古代エジプトで建造された神殿地下に刻まれた『電球のレリーフ』、ギザの大ピラミッドの頂上にあるとされる地下王国への入り口、数万もの人々が目撃したという聖母マリアの顕現、プレ・インカ時代に黄金で形づくられたというジェット機の模型、オーストラリアのソールズベリー川に現れた首長竜、カリブ海最大のミステリーとされる『バルバドスの動く棺桶』・・・・・・。はたして、現地ではいったい何が起きていたのか。『ウルトラQ』で不思議に取りつかれたオカルトマニアの外交官が、公務の傍ら、世界各地の〝オカルト遺産〟を訪問。知られざる伝説の真相を探究する」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
【第一章】悠久の歴史とオカルトの国
「エジプト」編
【第二章】不思議求めて三千里
ポルトガルチュニジア、コロンビア」編
【第三章】未知なる国は不思議の宝庫
サウジアラビア」編
【第四章】知られざるオカルト大国
「オーストラリア」編
【第五章】不思議国家の不思議スポット
レバノン」編
【第六章】混乱の地のオカルト遺産
イラクリビア」編
【第七章】カリブ海の謎の国
「バルバドス」編
「あとがき」


「はじめに」の冒頭を、著者は「子どものころから、不思議なものにやけに興味を惹かれた。オカルトの原体験は、1966年から放送された円谷プロの特撮番組『ウルトラQ』(TBS)だった。そのドラマで不思議なもの、奇妙なものに魅了されて以来、UFOや宇宙人、超古代文明、心霊現象、超能力、精神世界など、オカルト関係の書物をかたっぱしから読み漁ってきた」と書きだしています。わたしも著者と同じような少年時代を送ってきたので、なんだか嬉しくなってきました。


オカルト本やテレビで不思議な事件を知るたびに、著者は胸を躍らせ、いつかはそれら超常現象が起きた現場を訪れて不思議を体感してみたいと願ったそうです。そうした海外への憧れが作用したのか、著者は長じて外務省に入り、外交官になったとして、「外交官になれば、海外勤務が待っている。私は公務の傍ら、暇を見つけては、かつて本で読んだ『オカルト遺産』とでも言うべき、超常現象の現場を旅して、実態を調査するようになった」と述べます。著者が超常現象の現場を見るために訪れた国は、エジプト、チュニジアカタール、オーストラリア、サウジアラビアイラクリビア、バルバドス、ペルーなど、48か国にのぼります。本書はそれらの旅の中から、特に思い出深いエピソードをピックアップし、知られざる外交官の職務実態を交えて書いたものだとして、著者は「私はこれまで公務員として外務省に勤務する傍ら、羽仁礼などの筆名を用いて、超常現象に関連する著書を何冊かものにしてきた」と述べるのでした。


第一章「悠久の歴史とオカルトの国『エジプト』編」の「頂上に地下世界への入口があるギザの大ピラミッド伝説の真相」では、「ギザの大ピラミッドにまつわる神秘の伝説」として、「エジプトのピラミッドは、古王国第4王朝の時代(紀元前2613年頃~紀元前2498年頃)に盛んに造られた。ギザの三大ピラミッドもこの時代のものである。第5王朝時代になると、ピラミッドの規模は縮小し、建築法も石灰岩から日干しレンガに変更されているので、この時代のものは現在ではほとんど崩れている。そして第6王朝のぺピ2世の死後、エジプトは混乱に陥り、以後ピラミッドは作られなくなった。エジプトのピラミッドは、ファラオの墳墓というのが定説であるが、奇妙なことにファラオのミイラが内部で発見された例はない。スネフル王などは1人で3つのピラミッドを建造していることもあり、日本におけるエジプト学の権威・吉村作治なども墳墓説には否定的である」と書かれています。


また、「大ピラミッドは人類の未来を予言している?」として、著者は「1989年には、大ピラミッドを建造した労働者たちの町ピラミッド・タウンが発見されたし、1994年にはギザの三大ピラミッドの配置が、オリオン座の三つ星の並びを模しているとの新設も現れた。フランスの建築家ジャン=ピエール・ウーダンが、大ピラミッドの真の建築法として内部螺旋傾斜路説を唱えたのは2004年のことだし、2013年にもシナイ半島で、大ピラミッド建設のための銅の採掘基地や技術者の日記が発見されている。エジプトのピラミッドは、現在でも発掘や調査が継続中で、近年になっても次々と新しい発見がなされている。もしかしたら近い将来、これまでの常識を根底から覆す新理論が発表されるかもしれない」と述べます。


「何十万人もの市民が目撃!?エジプトに現れた聖母マリア」では、「ナセル大統領も見た聖母」として、エジプトのザイトゥーンで何十万人もの市民が目撃したという1968年4月2日の聖母出現事件が取り上げられます。不特定多数の人間が聖母の姿を目撃するというのは、数ある聖母事件の中でもかなり異例なこと。有名なルルドやファティマの例でも、現場には大勢の群衆が集まりましたが、実際に聖母の姿を見ることができたのは、ルルドではベルナデットという少女、そしてファティマの場合は3人の羊飼いの子どもたちだけでした。しかも目撃者の数が何十万人ともなれば、まさに史上最大の聖母事件です。著者が面会したアンゲロス神父は、「当時のナセル大統領も、ある夜にやってきたことがあります。そして大統領自身、聖母マリアのお姿を見たのです。他にもコプト教皇庁の関係者や大学教授、弁護士など、社会的地位の高い人も大勢目撃しています。もちろん私も、そのお姿を見たことがあります。コプト教皇庁も正式な調査委員会を設置し、事件を調査した結果5月4日に聖母出現は事実であると公式に発表しました」と語ったそうです。


「聖母は光り輝く物体となって現れた」として、聖母マリアの出現に伴って、光り輝く物体が何度も目撃されていることを紹介し、「この光体は円形のこともあればハトのような形をしていることもあり、さらに光る雲のように見えたこともあるという。この不特定多数の群衆による目撃、そして光り輝く謎の物体というふたつの要素は、エジプトにおけるその後の聖母事件でも繰り返されている。ザイトゥーンの聖母マリアの出現は、すべて夜間に発生し、時には明け方にまで及ぶこともあったが、出現時間はさまざまで、短時間で姿を消すこともあれば2時間以上続いたこともあったという。さらに出現の形態についても、聖母の全身が現れることもあれば、上半身だけしか現れないこともあり、キリストらしき赤子を連れていることもあれば、天使や聖人らしき人影を伴っていることもあり、何か良い匂いが漂うこともあったという」と述べるのでした。


第二章「不思議求めて三千里『ポルトガルチュニジア、コロンビア』編」の「世界の終末を予言した!? ファティマの聖母と第三の秘密」では、「聖母は終末を予言したのか?」として、ポルトガルのファティマで1917年10月13日に目撃された、乱舞する太陽が取り上げられています。著者は、「以前、スペイン語を専門とする同僚と、ファティマの事件について話したことがある。彼は熱心なカトリック教徒だったが、ポルトガルでは土砂降りの雨が突然上がって急に晴天になることがよくある、と述べて、懐疑的な見方を示していた。たしかに、宗教的に高揚した気分で、しかも何か奇蹟が起こるものと強く期待して集まった群衆が、雨が突然上がって太陽が姿を見せたときに、そろって特殊な心理状態に陥ることはあるかもしれない。『英語世界の俗信・迷信』(東浦義雄ほか、大修館書店)という本によると、西洋には復活祭の朝、太陽がさまざまに色を変えて踊りながら空にのぼるとの伝説もあるそうだ。ファティマでの現象には、この俗信が何らかの影響を与えていた可能性もある」と述べています。


イスラエル当局がマーク!? 幻の国家ハザールとユダヤ陰謀論」では、「ベストセラー作家の訪問」として、ユダヤ人作家のアーサー・ケストラーが書いた『ユダヤ人とは何か』を取り上げ、著者は「ローマ帝国時代、キリスト教が国教とされる以前は、ユダヤ教新興宗教キリスト教とは一種のライバル関係にあったらしく、キリスト教側がことさらにユダヤ人を悪し様に述べたのがユダヤ人憎悪の始まりらしい。以後、キリスト教が政治的に権力を握った西洋社会では、ユダヤ人は筆舌に尽くしがたい迫害を受けてきたが、ユダヤ陰謀論が本格的に力を得たのは、いわゆる『シオン賢者の議定書』、あるいは『ユダヤプロトコール』という偽書が表れて以降のことだ。しかし今では、『シオン賢者の議定書』は様々な文章を借用してつなぎ合わせた贋作で、作成にはロシア帝国秘密警察オフラーナの幹部だったピョートル・イワノビッチ・ラチコフスキーや神秘主義者のセルゲイ・ニールスが関わっていたことが明らかになっている。結局は、ユダヤ陰謀論そのものが国際的な陰謀だったわけである」と述べています。


第三章「未知なる国は不思議の宝庫『サウジアラビア』編」の「王族が原因解明に乗り出した!? ガラスの涙を流す少女たち」では、奇妙な音が聞こえたり、物が勝手に動くという現象について、「ガラスの涙とポルターガイスト」として、著者は「従来こうした現象は、霊が起こしているものと信じられていたので、『騒々しい幽霊』と名付けられたわけだが、超心理学の立場からは、こうした現場にいる誰かが、無意識のうちにサイコキネシスを発動しているとして説明される。実際ポルターガイストの場合、こうした現象の場にほぼ必ず居合わせる人物がいることが多く、こうした人物は『フォーカス』とか『センター』と呼ばれることもある。そしてこのような『フォーカス』は、思春期の青少年であることが多いのだ。そこで超心理学者の中には、思春期の抑圧された性エネルギーが無意識にサイコキネシスを発揮していると考える者もいる」


「各地に残された宇宙船伝説 中東に現れるUFO」では、「UFOを連想させる古代の伝承」として、著者は「中東でもUFO事件は発生している。たとえば1976年9月19日に起きたテヘラン追跡事件は、戦闘機のパイロットがUFOを確認し、追跡したという画期的なものだ。このとき、UFOは肉眼とレーダーで捕捉されており、戦闘機がUFOに接近すると操縦できなくなったという。1993年6月、イスラエルカディマで起きた事件も、非常に特殊なものである。このときは楕円形の頭をしたUFO搭乗員が目撃されており、目撃者の愛犬を壁にたたきつけて脅迫したという」と述べています。


じつは中東とUFOとは古来深い関わりがあるとして、『旧約聖書』の「出エジプト記」第13章第21節には、エジプトを脱出したイスラエル人たちを、神が「昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らした」とあることが紹介されます。著者は、「これは宇宙人がUFOを用いて先導したのだとする説がある。また、紀元前1440年頃、古代エジプトのファラオ、トトメス3世の時代には、太陽より明るい火の輪が何日も続けて現れ、やがて空へ昇っていったという伝説もある。これは記録に残る世界最古のUFO目撃例と考えられている。かのアレクサンドロス大王も、ペルシャ遠征中の紀元前329年、ヤクサルテス川で奇妙な飛行物体を見たと伝えられている」と述べています。


第四章「知られざるオカルト大国『オーストラリア』編」の「地元のUFO研究会に潜入! 謎の『エイリアン陰毛事件』とは?」では、「オーストラリアのUFO研究家のつどい」として、「私はUFOには昔から興味があり、かつては宇宙人の乗り物だと信じていた恥ずかしい青年期もあった。今ではUFOとはあくまでも『未確認飛行物体』だと整理している。テレビ番組などで偉い天文学者がUFO否定説を唱える際にも、UFOと宇宙船を完全に混同していることが多いが、本来のUFOとは現時点で正体不明の飛行物体である。そのような立場に立つと、UFOなんてないという人はもちろん、逆に自分は毎晩宇宙人と会っているとか、UFOは宇宙人の乗り物に違いないなどと強硬に主張する人物とはあまり関わり合いになりたくないというのが本音だ」と述べます。著者の考え方は賢明ですね。



「オーストラリア版ネッシー!? ホークスベリー川の怪獣」では、「オーストラリアはUMA天国?」として、オーストラリアは地球上の他の場所とは異なる独特の生態系を持っていることを紹介。ニュージーランドニューギニア島スラウェシ島などと他の陸地とは、生物学上ウォレス線と呼ばれる分布境界線で区切られ、それ以外の地域とは生物相が大きく異なっています。中でもオーストラリアは一層特殊で、他の地域では絶滅したカンガルーやコアラなどの有袋類が今に至るまで生き残っていることを指摘し、著者は「そのせいか、ヤウィの他にも独自のUMAの目撃がいくつも報告されている。すでに絶滅したとされるタスマニアオオカミや巨大カンガルーについてもいくつか目撃談があるらしいし、全長6メートルの巨大トカゲの報告もある。アボリジニカディマカラと呼ぶものは、古代の有袋類ディプロトドンの生き残りという説もある。他にもバンイップとかモールギワンケ、ワイトレケなど、奇妙な生物の伝説がいくつも伝わっている」と述べます。



ムー大陸の名残か!? イースター島のモアイ見聞記」では、「モアイ建設の目的とは?」として、モアイの作成が終了して島で支配的になったのは、創造神マケ・マケ信仰と鳥人儀礼であったと指摘し、著者は「鳥人儀礼とは、イースター島の南西沖に浮かぶ現地語で『モツ・ヌイ』と呼ぶ小さな無人島に、渡り鳥のグンカンドリが巣を作るころ若者たちが大挙して渡り、最初にグンカンドリの卵を持ち帰った者が1年間鳥人として崇められ、支配者として過ごすというものらしい。創造神マケ・マケの信仰がどのようなものであったのかは、もはや伝わっていないようだ」と述べています。


第五章「不思議国家の不思議スポット『レバノン』編」の「目撃した者は国外に逃亡!? 大使公邸に現れた亡霊」では、「外務省の職員たちに伝わる怪談」として、レバノンの幽霊騒ぎで大使が消えた一件を取り上げ、著者は「幽霊という現象は、世間一般には、故人が霊となって生前の姿で現れる現象と考えられている。ところが事例によっては、自動車だとか家だとか、魂のないものが幽霊として現れる場合もある。こうしたものを幽霊と呼んでよいかどうかは疑問だが、じつは幽霊を見る生きた人間の側が、何らかの手段で過去の情報を読み取っているのではないかとの説も古くからある。しかしこちらの説はあまり広まっていないようだ。現代科学の観点からは、幽霊は生きた人間の脳が生み出す本物のような幻という方向に傾いているようだ」と述べています。この「幽霊は生きた人間の脳が生み出す本物のような幻」という説には賛成です。


レバノン超心理学者が明かす 中東のオカルト研究の実態」では、超心理学が取り上げられます。超心理学とは、一言で言えばテレパシーやサイコキネシス、予知など、いわゆる超能力と呼ばれる現象を科学的に研究する学問です。この名称は19世紀末に提唱されましたが、一般に普及したのは、アメリカのノースカロライナ州ダラムにあるデューク大学超心理学研究所が設けられ、1930年からジョセフ・バンクス・ラインとその妻ルイーザ・ラインらが本格的な研究を始めてからのことです。著者は、「ゼナー・カードと呼ばれる図形を印刷した25枚一組のカードを用いたテレパシーや予知の実験、さいころを用いたサイコキネシスの実験は今や一般にも知られているが、これらもラインを中心としたグループが始めたもので、このような超心理学を専門に研究する者が超心理学者だ。欧米には、一時、超心理学で博士号を出す大学もいくつかあり、超心理学者にもこの学位を得ている人物が多いが、心理学や工学で学位を得ながら超心理学を研究している者もいる。ライン自身、本来は植物学の教授だった」と説明。


第七章「カリブ海の謎の国『バルバドス』編」の「大地に描かれた巨大なオーパーツ 『ナスカの地上絵』訪問記」では、「地上絵は誰が描いたのか?」として、著者は「ポール・コソック夫妻やマリア・ライへは、地上絵は天体と関係する一種のカレンダーであると主張する。しかし、コンピューター解析によってストーンヘンジと天体との関係を証明したイギリスの天文学者ジェラルド・ホーキンズが1968年、同じような解析をナスカの地上絵について試みたところ、天体との関連性は見つからなかった。他には、直線は一種の道路だとか、地下水脈の流れを表すもの、さらには反乱を抑えるため余剰労働力を重労働に従事させるためだったなどの諸説があるが、多くの考古学者は、何らかの宗教儀礼に用いられたという説に傾いている」と述べています。わたしも宗教儀礼説に賛成です。


「あとがき」の冒頭を、著者は「幼い頃から、UFOや超能力といった超常現象に尋常でない関心を持っていたせいか、まわりからはずっと変な奴だと思われていたようだ」と書きだしています。外務省に入ったおかげで、幼い頃から憧れていた数々の「オカルト遺産」にも足を運ぶことができたという著者は、「そうした場所を訪れる際は、本当に不思議な体験ができるのではないかと、心のどこかで常に期待していたのだが、現場ではがっかりすることの方が多かった。いわゆる超常現象とされるものは、真面目に調べてみると、そのほとんどは合理的な説明が可能となるようだ」と述べています。著者はいわゆる超常現象の狂信的なビリーバーではないため、本書の記述も客観的で安心して読めました。わたしも著者と同じく「ウルトラQ」に多大な影響を受けた昭和のオカルト・キッズだったので、世界中のオカルト遺産を回ることができた著者がうらやましくて仕方ありません。わたしも、せめて死ぬまでには、エジプト、イースター島ネス湖ぐらいには行ってみたい!

 

 

2022年9月8日 一条真也